十  交差点

 時には

――どうせ学校に通っていないのだから、これも単なる仮装なのだろうか――

と考えないこともない。


 口さがない同業者からその才能を「魔女」とささやかれていることも知っている。


 人はまず外見で中身を判断する。

 店舗を、空間芸術と見る撫子さんにとっては、

内装や、品揃えだけではなく、

BGM、香り、喧噪、照明、だけではなく、

町並み、だけ、でもなく、

店員、も、

大事な構成要素となる。


 接客を見るのに化粧と服装ははずせない。


 喧噪の中を歩いても、常に抱くむなしさは変わらない。

 あれから五年、どんな湿度の夏も、伽藍堂の胸には乾いた風を運んできた。


 神宮前の交差点、

時には、一足ごとにナンパされかねない自分の面立ちに面倒が立ち、

無愛想の冷酷に正面の中空を見つめず歩く。

 突然後ろから捕まれた鞄に驚くのはわずか。

 おとなしく身を引いて歩を早めようとする。


「お姉さん。これ」

 声変わりを迎えていない声の主は背の低い男の子。

 横断歩道の上で立ち止まる二人。

「この間の写真、渡したかったんです」




 一月前、呼び止められたのは同じ横断歩道の上。

「おばさん、写真撮らせてください」

 背の高い撫子さんの胸にも届かない背丈のナンパ師を撫子さんは、

見えないものとし気づかないこととした。

 膝丈のタイトスカートに揃いのジャケット。縦にレースの流れるシャツにスカーフをタイにして巻く。

 網柄のストッキング。

 黒いハイヒール。

 巻き上げた髪。

 サングラス。

 渡り切り、右に足を向けたとき瞳を右に向けたのが間違いだった。


 横断歩道の上で名残惜しそうに見つめるのは、

素直に伸びた黒髪の下、輝きの漏れる目を細め、

使い捨てカメラのダイヤルを、

もう、止まっているのになで続けるカメラマン。


 立ち止まる。

 青信号が点滅する。

 男の子が、上目遣いに会釈してくる。

 小走りに歩み寄ると差し伸べた手を握らせそのまま向こうまで渡る。


――危ないよ――

「時間、あります」

 沈黙。

 見つめ合う。

「おばさんみたいな人、なかなかいなくて。

僕のお小遣いじゃ、使い捨てカメラしか買えないけど、

これほら、僕の写真です」

 彼は取り繕いすら伺えないほど幼い仕草で、肩から提げた鞄をあさり、

百円ショップで買ったプラスチックのファイルを出す。


 ビニール越し、サングラス越しでもその写真が、

無垢むくゆえの荒削りのままセンスに支配されていることが伝わってくる。

 サングラスを外してうなずく撫子さんの目は細いまま。

 それでも、男の子は「あ」と驚きの声を漏らす。


 頬が、赤らむ。




 男の子の指示で、横断歩道を渡りきった撫子さんは先頭に立ち、

青信号とともにゆっくり歩き出す。

 反対側から三歩進んできた男の子が立ち止まると、後ろの歩行者が迷惑そうに避ける。

 しかしすぐに男の子が写真を撮ろうとしている撫子さんの面立ちに打たれ、

決して男の子と撫子さんの間に入ろうとはしない。


 レンズを見据えながら歩み寄って一回。

 よそ見をしながら歩いて一回。

 ジャケットを肩にかけ、横断歩道の真ん中で、足を肩幅より開いて立ち、一回。

 フェンスに浅く腰掛けて一回。

 横顔を一回。


「ありがとう」と終わらせた男の子に軽く手を振って別れたのは、

人垣が出来かけてきたのを嫌ってのこと。




「お姉さん、だったんだね」

 よく、判ったものだと思う。

 男の子はあの鞄からあのファイルを出してくると、

何枚かを選んで抜き出した。

「これとかこれとか、僕は気に入ってるんだけど」

 良く撮れている、止まりだと思った。

 目の前の男の子が使い捨てカメラで撮ったことを知らなければ。

「急いでますよね、この間も今日もごめんなさい」

 人通りの多い横断歩道の上、

後ろからの歩行者が撫子さんに肩をぶつけて去ったのを見て男の子は、遠慮がちにファイルをしまう。

「焼き増ししたからあげます」

――いいの。ありがとう――

「いつか、お姉さんのように自分に自信を持ちたいな」


 写真を見る。


 いつの間にか笑っていた自分の姿。


 消えた男の子。


 都会の雑踏は、子供一人簡単に閉ざす。

 つながりは、途切れた。

――名前だけでも聞いておきたかったな――

 今まで感じたことのない気持ちが、


撫子さんの伽藍堂の胸を吹き抜けた。

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