稲穂と海狸のほかほからいふ
空桜nyaco
幸せの味
今日も残業だった……
私、
夢にまで思って、やっとついた保育園の先生は親同士のトラブルなんてしょっちゅう。
可愛い子供たちの家庭事情まで透けて見えてしまって、前より純粋な気持ちで子供を可愛いと思えなくなってしまった。
深い溜息をつきながら、母から就職祝いにもらったカバンに筆箱やエプロンなどを無造作に詰めこみ、若干フラフラした足取りながら保育園を出る。
降り積もる雪に明日の雪かきのことを考え辟易しながらマフラーに深く顔を埋め、真っ赤な手袋を忘れたことを後悔しながら真っ白な息を手に吹きかけようとする。
と、その手が突然ほわっとした人肌の温もりに覆われた。
反射的に顔を緩めたあと後ろを振り向くと、緑のタータンチェックのマフラーを着込んだ男性が私の手を柔らかく包み込んでいた。
「あ、
温かさに対する幸福だけでなく、振り返った相手のにこやかな目を見た事によりさらに顔がほころんだ。
「稲穂先生も今帰るところ?今日のご飯、うちで食べてかない?」
そういって海狸先生がにこやかに笑うと、茶髪のふわふわなくせっ毛が軽く跳ねた。
前髪をかき上げる仕草に少し見惚れつつ、家に誘われたという現実にやっと頭が追いついて舞い上がりそうになる。
「え、あわ……え。……っ!」
ごんっ、と音を立てて電柱に頭をぶつけると私の手を包んでいた両手が離れて、頭をぽんぽんと撫でられる。
心地よい一定のリズムに、寝不足の体が睡眠を求めているが……ダメダメ、と黄金色のポニーテールをふりふりと揺らす。
「だめ……かな」
そういって残念そうに顔を下に向けた彼に
慌てながらも返答する。
「だめ……なんて言ってませんけど?」
我ながら可愛げの無い言い方だ。
本当は行きたくて行きたくてしょうがないのに。
いくら寝不足だからって海狸先生からのお誘いを断るほど馬鹿ではない……はずだ。
「そっか、じゃここ寄ってかない?」
そういった海狸先生が入ったのはコンビニで、少し驚く。
何か買うものでもあるのかと尋ねると、恥ずかしそうに顔をかいて苦笑混じりに、先程誘ったとは思えない事実を一言。
「俺、料理からっきしなんだ……」
「え」
思わず言葉を詰まらせると今度は顔を真っ赤にして、つむじが見えそうなほどふわふわな髪を下に下げる。
「けど……さ。俺どうしても稲穂先生のことほっとけなくて。」
「?それってどういう……」
「ほら、いいから。あ!これとかどう?」
思わず疑問を口にした私には答えず、彼はカップ麺といえばの天そば、緑のたぬきをひょいっと小さな顔のとなりに持ち上げる。
「うーん、残念ながら私はこっち派です!けど……」
「けど?」
今度は私が彼の疑問に答えず、赤いきつねを彼と同じように顔の横に並べると2人で軽く談笑しながらレジへと向かう。
「いらっしゃいませー。」
店員さんの手からではなくトレイからお釣りを受け取るとお財布にしまう。
店員さんの手が汚いとかじゃなくて……海狸先生が包んでくれた手はなんとなくまだ独り占めしていたかっただけ。
暖かかった店内から出ると、途端に真っ白な雪が降り積もる銀世界に迷い込んでしまう。
先程海狸先生が温めてくれた手は、若干の温もりは残るものの冷めてしまっていた。
さっきと同じように、手にふーふーと息を吹きかけていると突然彼から緑の手袋を差し出される。
「え、これじゃ……」
海狸先生が凍えてしまう。
そう続けようとした私の手に再び温もりが。
「じゃあさ……」
そういった彼の方を向くと、私の手にはめられたブカブカの手袋が彼の両手を包み込んでいた。
「この手……離さないでね?」
そういって彼は笑う。
そのいたずらな笑みにドキリとして包み込んだ彼の手を離せなくなる。
そこからはほとんど話さず彼の家へ向かったけれど、この沈黙は心地よかった。
時折寒い風が吹くと彼が身を寄せてきたので、慌てすぎてもう少しでこの雪の中コケてしまう所だった。
この状態だったらきっと彼も巻き添えだっただろう。
アパートの一室にたどり着くと、彼らしいシンプルなインテリアにドーンと構えた市松模様のこたつが部屋の大半を閉めていた。
どうやら彼はかなりの寒がりだったらしい。
帰りに合わせてスマホでつけてくれたらしいエアコンによって室内はホカホカだ。
手袋を借りてしまったことに罪悪感を感じつつ、熱湯の入ったやかんを持ってくる彼を待つ。
先程つけてもらったばかりのコタツに入ると、じんわりとしたやさしい温もりに彼の姿を重ねずにはいられなかった。
保育園での苦労なんかとうに忘れて幸せにひたっていると「「ピピピピ」」っと5分のタイマーと3分のタイマーが。
彼のことだから一緒に食べられるようお湯を注ぐ時間を合わせてくれたのだろう。
細かな気遣いに感謝しつつ緩めていた足を正座に戻す。
「おまたせー」
そういって彼が赤いきつねと緑のたぬきをこたつの上に置いたあと、私はコンビニで貰った割り箸をパキンっと子気味いい音で割る。
「あー……俺、上手く割れなかった」
そういう彼が手にしているのは無理くり割ったことにより持ち手がささくれだった割り箸だった。
私は袋の奥に沈んでいたもう一本の割り箸を袋から出すと、再び子気味いい音で綺麗に割る。
してやったり顔で彼に渡すと、むくれながらも感謝して使ってくれた。
彼の気遣いによって同じ時間に完成したふたつのカップ麺だけど、このやり取りだけで2分くらいはたっていそうだ。
「「いただきます」」
そっと手を合わせたあと、固まっている彼に問いかけると天ぷらを箸で掴んだままなにやら悶々としている。
もしかして……
そう思った私は半ばそうだったらいいな、という希望で彼に声をかける。
「もしかして……海狸先生お揚げ蕎麦が好きだったりします?」
「え……どうして」
分かったの?そんな言葉が続きそうだった。
けど、だって。
だから私も悶々としていたのだ。
レジに行く少し前から。
「だって私、天ぷらそばが好きですから。」
そういってにっこり笑って箸でお揚げをつまんでみせると、彼も驚いたように笑ってからつゆをたっぷり染み込ませた天ぷらを箸でつまんで交換する。
お互い好きな物だけになったカップ麺を幸せいっぱいの笑顔で見つめながら最初の一口目を口いっぱいにほお張る。
「「おいしい……ですね」」
こんな日常で、前を向こうって思えることってささいなことでいいのかもしれない。
そんなことを考えながらたべる、たぬきうどんときつねそば。
両方の汁を吸った天ぷらと共に、さくっと音を立てて広がる幸せを噛み締めながらそんなことを考えていた。
稲穂と海狸のほかほからいふ 空桜nyaco @hocchan02
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