灰に落ちる一滴

 銃弾の暴風を前にしてもクローネは微動だにしない。何故ならば、目の前にリオラが居るから。

 思惑通りダルタンの狙いは定まらず、彼が放った銃弾はクローネにかすりもしない。

 合図を待たずに行われた銃撃は、開戦を告げる角笛となって一帯に轟く。

 ダルタンの錯乱は轟音に乗って、別行動を取っていたガルダの耳に届いた。

「どうしたダルタン! ダルタン!」

 ガルダは耳元に装着した小型の通信端末を通して呼びかけた。

 しかし、銃声に遮られて声が届かない。

 ダルタンの突発的な発砲は、完全に作戦を度外視した行動だ。

 ダルタンがクローネの注意を引いている間に、ガルダ達は残された二十四名の部隊を率いて兵器が積まれた武装ヘリを可能な限り奪取するつもりだった。

 雷で撃墜されるリスクは、ダルタンの協力があれば回避出来る。彼は幾度かクローネと交戦したことがあり、槍を避雷針にすることで雷撃をいなしたことがあった。

 クローネの妨害はダルタンが防ぎ、巨人に対しては予め用意した対策法で対処。あとはダルタンと共にクローネへの集中砲火を浴びせ、最終的にはアムリタを確保する作戦だ。

 しかし、彼が放った銃声を聞きつけて、異形の掃討中だった巨人が一人、ヘリの近辺に戻ってきてしまう。

 ガルダは咄嗟に部隊を下がらせて傍にある廃ビルに身を隠すが、彼女達の存在はヘカトンケイルアーマーのレーダーで瞬く間に検知された。

 巨人は廃ビルごと粉砕する勢いでガルダ達に突進する。

 一方、ダルタンは弾切れを起こしたアサルトライフルを放り捨て、自らの原罪を顕現けんげんさせようとしていた。

 銃身がアスファルトの上で波打つと同時に、ビルが倒壊する衝撃が足の裏を伝って、空気振動が鼓膜を揺らす。そして彼は我に返る。

「ああ……ガ……ガルダさん!」

 ダルタンは、ガルダ達が居るであろう方向を向いて、己の失態とその末路を悟った。

 ダルタンの一言で、クローネは離反軍の思惑と、彼等がダルタンを味方に付けたという事実を察し得る。

「そっか。これが君のやりたかったことなんだね」

 クローネはリオラが居る冷蔵庫を払いのけるように放り飛ばし、眉間に力を加えて苦悶くもんの表情を浮かべる。想い続けていた親友が、離反軍に懐柔かいじゅうされたことが屈辱的でならなかった。

 クローネの合図を聞き付けて、一帯の掃討を終えた巨人達が続々とダルタンの周りに集う。

 ダルタンは目の前の出来事が受け入れられず、理解が出来ず、頭を抱えた。そして崩れ落ち、両膝を付く。

 もう見てきたもの、聞いてきたもの、感じたものが、信じられない。記憶が当てにならない。

 自分が分からない。どうしてこんなことをしてしまったのか、どうしてこうなってしまったのか、分からない。

 足の裏から地面を踏みしめる感覚が薄まって、宙に浮いた自分という存在が、紙を滅茶苦茶に丸めるように姿形を保てなくなる。

 呼吸をしようとしても吐き出せず、吸い込めず、早まる動悸に合わせて伸縮する鳩尾が、骨を叩いて叩いて軋ませるような苦痛。それが延々と続く。

「もう嫌だ……殺してくれ……殺してくれ……僕を……僕を殺してくれ……」

 ダルタンはうずくまり、懇願こんがんした。願いをいとも容易く叶えられる者に、力ある者にすがった。

「大丈夫だよダルタン。安心して。私が癒してあげるから……一緒にいこうよ、ダルタン」

 クローネの声がダルタンの耳を通って、艶めかしく意識の喉元を撫でる。そっと優しく、心地良く、我が言葉を受け取り給えと訴えながら。

 ダルタンはゆらりと頭を回して考える。屈した方が、一層のこと楽なのではないかと。

 一筋の涙がダルタンの頬を伝った瞬間、飛翔する武装ヘリの音が彼の耳をつんざいた。

 ガルダが囮になっている間に、マイルズと彼の部隊が辛うじて奪取したヘリだ。

 機銃の銃口をクローネに向けて、マイルズは引き金を引く。

「聞こえるか、ダルタン……」

 水の波紋が重なり合うように、ガルダの声がした。

「今の内に逃げてくれ、ダルタン」

「え……?」

「逃げて、生き延びてくれ。妹のことは私達に任せろ」

「そんな……でも、ガルダさんが……」

「すまない、私達のエゴに巻き込んでしまって……妹の話を聞いてから、私は、リオラのためにアムリタを残すつもりでいた。後のことは任せろ。君の下に、必ずアムリタを届ける」

「ガルダさん……」

 そこで通信は途絶えた。

 一人の巨人がクローネの前に躍り出て、銃弾から主の身を守る。

 銃弾の雨を背中で受け止めた巨人は、吐血しながら絶命する。

 クローネは項垂れた巨人の頭を優しくさすってやり、その勇敢さを労うと、そっと片手をかざしてヘリに狙いを定めた。

 上空に立ち込めた暗雲から、閃光と轟音を伴って白い稲光が落ちる。

 だが、ヘリには当たらない。

 ダルタンが作り出した槍が避雷針となって、クローネの雷を受け止めた。

 ダルタンはゆっくりと立ち上がる。目的のためではなく、自らが助かるためでもなく、仲間を――離反軍を守るために。

 彼は手の平から短くも鋭い槍を召喚する。

 不穏な動きに気付いた巨人は、彼を無力化すべく腕を振り被った。

 ダルタンは淀みの無い動きで巨人の懐に入り込み、露わになった脇の関節部に槍を突き刺す。そして間髪入れずにスタンガンを押し当てて、槍に電流を走らせた。アサルトライフルと同様にガルダから支給された装備だ。

 ショートしたヘカトンケイルアーマーは煙を上げ、単なる重りに成り果てる。巨人はもう身動きが取れない。

 無力化した巨人の肩にダルタンは上り、自身を囲う巨人の人数分だけ体から槍を召喚すると、鋭い眼光で敵意を剥き出しにした。

 巨人らは各々臨戦態勢を取るが、巨人の体そのものを踏み台にして頭上を動き回るダルタンを捉えられず、首元の関節に槍を突き刺され、次から次へと無力化されていく。

 自身を囲っていた巨人を全て封じたあと、ダルタンはガルダの方に向かおうとするが、

「いい動きだ、ダルタン」

 と耳元の通信端末から聞こえ、踏み止まった。

 ガルダは自身の部隊を失うという犠牲を払いながらも、襲い掛かってきた巨人を無力化することに成功していた。

 遠目に見えるガルダの立ち姿を見て、ダルタンは安堵あんどする。

 彼の心底嬉しそうな、安心感に満ちた表情に、クローネの胸はいたく締め付けられた。

 轟々と噴き出す溶岩に似た嫉妬と、大海をも包み込む愛がない交ぜになって、負の塊とも言うべき醜い惑星がクローネの中に出来上がる。

 そして彼は微笑んだ。神々しく、穏やかに、そしてうるわしく。

「私を見て、ダルタン」

「…………?」

「目に焼き付けて。もう、この姿には戻れないだろうから」

「何をする気だ……」

「きっと、とても怖いものだと思う。でも忘れないで、ダルタン。そこに居るのは、私だから」

 クローネの背後が光り輝き、眩い閃光は光背こうはいを形作った。クローネという蝶のさなぎが真っ二つに断裂し、主を守った巨人の亡骸なきがらは衝撃を受けて滝の下へと転がり落ちる。リオラは更に遠くまで吹き飛ばされる。

 異変を感じたマイルズは躊躇いなく引き金を引いた。

 しかし、機銃は大いなる手の指先にへし折られて動作しなかった。

 クローネという殻を破って顕現けんげんしたそれは、四本の腕を持ち、男の姿形をした人智を超越する存在。青白い雷と光を帯びた肉体は、この世の理から逸脱した神秘の光源を背負い、自らの存在を黒い逆光のベールで覆い隠す。

 見る者全てに天へ到達すると思わせたクローネの上半身は、ダルタンに覆い被さるが如く前のめりになって巨大な瞳を見開いた。

 ダルタンは驚愕のあまり、口を半開きにしたまま膠着こうちゃくしている。

「軍曹と合流するんだ、ダルタン!」

 そう呼び掛けたのはマイルズだ。

 リオラへの巻き沿いを危惧して使われなかったミサイルが、ヘリにはまだ残っている。

 マイルズはクローネに照準を合わせ、ミサイルを発射しようとする。

 その刹那せつな、大いなる手がいとも容易くヘリを払い除けた。まるで鬱陶うっとうしい羽虫でも叩き落とすかのように。

「マイルズー!」

 ガルダは通信端末に向けて叫んだ。しかし返事はない。

 彼女は残された武装ヘリに乗り込むべく移動していたのだが、マイルズの墜落を見て踏み止まる。

 もう勝機はないと判断し、ガルダは撤退命令を伝えようとするが、声が出せない。

 迫り来るクローネに気が付いた途端、彼女は口を動かせなくなっていた。

 神々しくもおぞましい姿からもたらされる風圧、威圧、畏怖いふ、そして溢れ出た憎悪と憤怒……それら全てを前に、ガルダの思考は停止する。

 私は一体、何と対峙しているのかと……そう考えることで精一杯だった。

「ガルダさん!」

 動き出したクローネが何処に向かっているのか、ダルタンは直ぐに気が付く。

 同時に火柱の軌跡が彼の視界を横断した。マイルズのヘリだ。

 墜落する様子を、ダルタンは自ずと目で追ってしまう。

 火柱が向かう先には、吹き飛ばされた冷蔵庫があった。

 ガルダを助けに行くべきか、リオラを助けに行くべきか。ダルタンは迷宮を彷徨った末に――リオラを見た。元気にリンゴを食べたあと、お伽話とぎばなしのように美しい姿のまま眠りに付いたリオラではなく、細くやつれて、衰弱の末に息を引き取り、受け入れ難い姿となったリオラを、彼は見た。

 流れ出る涙を拭い、ダルタンはリオラの言葉を再び思い出す。

 生きている限り幸せに向かって歩く……そう、リオラに背中を押された気がした。

 今のダルタンにとっての幸せは、友を守ることだ。

「ごめんね、リオラ……僕はもう、大丈夫だよ」

 ダルタンは走り出す。足の裏から槍を伸ばし、推進力を得て跳躍したダルタンは、ガルダが襲われるよりも早くクローネの前に立ち塞がった。

「ダルタン……!」

 名前を呼ぶガルダに向かって、ダルタンは振り向く。

「今までありがとうございます、ガルダさん」

「待て、ダルタン。一体何を……!」

 そこを退けろと言わんばかりに、クローネは口を開いてガルダを食い殺そうとする。

 対峙するダルタンは胸を突き出し、己の原罪を顕現けんげんした。

「最期に貴女と出会えて、本当に良かった」

 そう言って、ダルタンは笑った。

 瞬間、空を覆っていた暗雲が槍に穿うがたれ、白銀の月がアムリタを覗く。

 寛大かんだいにも、紅い紅い星空は彼の原罪を包み込んだ。魂の根源である心臓をにえとした、天を貫く強大な槍を。

 そびえ立った槍に顎を貫かれ、クローネは星空の彼方に消えていく。

 クローネの雷を吸い取った槍はほとばしる青白い雷光を纏い、ダルタンをまばゆく光輝かせた。

 全身に雷を浴びたダルタンは、人の形を成した灰塵かいじんと化す。

 慎ましげな風が吹いて、ダルタンという存在の名残がガルダの前から散っていく。

 ガルダは呆然と立ち尽くし、月明りに照らされる遺灰の波を見つめた。

 数刻前の混沌が嘘のように、アムリタの周りは静まり返っている。彼女を包み込むものは頬を撫でる微風そよかぜと響き渡る滝の音色だけ。

 ガルダは膝を付くと、飛び去って行く灰を無我夢中でかき集める。

 積み上げた灰の山に一滴の涙が零れ落ちた瞬間、ガルダはようやく理解した。尊い犠牲と、戦いの終結を。

「私はまた、生かされたんだな………」

 ダルタンの気高さと最期を想い、ガルダは歯を食いしばった。

 彼女の勝利を唯一祝福するかのように、アムリタは月の光を浴びて光り輝いていた。

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