最期を願う祈りと知略

 梯子はしごを下りていく途中、ダルタンは人々の息遣いや寝息を聞き取る。

 ここはかつて大勢の労働者が宿舎として使っていた空間だ。広く大きく複雑で、息を潜めるのに適している。

 鋼鉄の廊下に足を付いて間もなく、隻眼の少女が三人を出迎えた。彼女は紫色のボブヘアーを掻き分けて、つぐんだ口の代わりに視線を泳がせる。ダルタンに向けて、そいつは誰だと言いたげだった。

 意図を汲み取ったガルダは、少女の頭を撫でながら簡単な説明をする。

「アルナ、お迎えご苦労。米国特殊部隊に襲われていたところを保護したんだ……君と一緒だ」

 アルナと呼ばれた少女は、眉根を潜めて感情の機微を表す。

 ダルタンは二人のやり取りを聞いて、酷くいたたまれない気持ちになった。アルナとダルタンは互いの哀しい瞳を見やって、そっと目線を逸らし合う。

「マイルズ。他の同志は到着したか?」

 ガルダの問いに、マイルズは表情を曇らせた。

「軍曹の部隊と、私が率いていた部隊で全てです。他の合流地点とは連絡が付かず、通信も途絶えています」

「……そうか。アルナは負傷者の治療を手伝ってくれ。私とマイルズは、彼と話をする」

 大きく頷いたアルナは廊下の奥へと消えていく。彼女の後を追うように、ダルタンは簡素な椅子とテーブルだけが置かれた部屋へと案内された。

 三人が席に付いて間もなく、マイルズは口早に切り出す。

「軍曹、撤退しましょう。損害が大きすぎます。残された戦力は僅かです。到底目標を確保できない。民間人を保護したというなら、尚更そうすべきです」

 マイルズの発言に反応したのは、ガルダの方ではなくダルタンだった。彼は不安に駆られて視線を落とす。

 ダルタンはわらにもすがる思いで此処に来た。

 一人でなければ、リオラを救出することが出来るかもしれないと、一縷いちるの望みを胸に抱いて。

 しかし、たった今それすらも否定されたような気がして、彼の心中にあった希望は吹き消されそうな蝋燭ろうそくのように儚く揺らぐ。

 ダルタンの様子に気が付いたガルダは、直ぐに返答しようとはせず、ゆっくりと瞬きをしてから俯いた。そしてダルタンを一瞥いちべつする。

「まだ君の名前を聞いていなかったな」

「あ、ええっと……僕はダルタンと言います」

「……ダルタン。リオラは、君にとってかけがえのない存在なのだろう」

「はい。僕の、妹です……」

「マイルズ。ダルタンの妹が、米国特殊部隊に拉致されている。救出してやりたい」

 状況が呑み込めず、マイルズは目を細めた。

 同時にダルタンも驚いて顔を上げる。ガルダは安心しろと言う代わりにダルタンと目を合わせた。

「一体それは……軍曹、詳細を」

「ダルタンはクローネと交戦し、妹を人質に取られた。私が救出出来たのはダルタンだけだった」

「今、交戦したと仰いましたか?」

「そうだ。ダルタンはただの民間人ではない。恐らく、クローネと同じ……原罪をその身に宿している。力を手にした経緯は分からないが」

 マイルズは驚嘆し、目を見開く。そして天を仰いだ。彼は右手で傷口を抑える。

 様々な意見や質問を飲み込んだ末に、彼の口からはか細い声が発せられる。

「これまたとんでもないことを……軍曹が無事で何よりです」

「クローネは自らの能力で一時的に五感を失っていた。大したことはしていない」

「軍曹のお気持ちは分かりますが、アムリタを破壊するにしろ、救出するにしろ、絶望的な状況に変わりはありません。まさか、彼も戦力に加えると……?」

「アムリタを破壊……?」

 ダルタンは、マイルスが発したアムリタの破壊という文言を聞き逃さなかった。

 マイルズに代わって、ガルダが落ち着いた声音で説明を始める。

「そうだ。大きすぎる可能性が人々を狂わし、大地を侵して生態系を作り替えた。我々離反軍の目的は、アムリタを誰の手にも渡さず、この地球上から消滅させ、平和を取り戻すことだ」

「一体どうやって……いや、今は方法なんてどうだっていい。アムリタを破壊しちゃだめだ!」

 大声で異を唱えるダルタンを、ガルダは決して咎めることなく続きを促す。ガルダの様子に気付いたマイルズも口を挟もうとしない。

「……どうして?」

「それじゃあ、リオラが助からない!」

 ガルダとマイルズは事情を察し、立ち上がったダルタンの言葉に耳を傾けた。

「リオラは酷い病気なんです。もう声も出せないくらい弱ってる。リオラを助けるには、アムリタを飲ませてあげるしかないんだ」

 ダルタンは己の無力さと、そして積み重なった現状の非情さを噛み締めて涙を零した。積み木が崩れ落ちるように、力なく座り直す。

 マイルズは眉間を摘まんで同情心を打ち消し、心を鬼にして口を開いた。

「ダルタン。たとえアムリタを使ったとしても、リオラが助かる保証は何処にもない。それどころか、もっと酷いことに」

「よせ」

 ガルダが割って制止する。袖で涙を拭うダルタンの肩に、彼女はそっと手を置いた。

「妹を助ける為に、一人で戦い続けてきたんだな」

 小さく頷くダルタンに、ガルダは優しく微笑みかける。そしてマイルズに視線を返した。

「平和のために、平和は愛する人のために……方法は相容れずとも、我々は同じ志を持って戦場に赴いている。違うかマイルズ」

「いえ……」

「アムリタをどうするかは、リオラを救出し、目標を確保してから考えればいい。今は対策を練ることに集中しよう」

 ダルタンの涙は止まなかった。

 旅を続けていく中で、彼が真っ先に学んだことは不信と警戒だ。

 時には騙され、裏切られ、信じられるものは妹と自分自身のみ。そうして独り戦い続けてきたダルタンにとって、ガルダの言葉は乾いた荒野に降りしきる恵みの雨に等しく、流しても流しても涙が頬を伝っていく。

 彼は感謝の言葉を口にしようとするが、涙ぐむせいでうまく声が出せない。

「ダルタン。一つ気になったことがある。君がアムリタを求めていることを、クローネは知っているのか?」

 ガルダの質問を不思議に思いながらも、ダルタンは時間をかけて返答を口にする。

「はい。知っていると思います。あいつとは何度も戦ってきたから……」

「なるほど。クローネからすれば、我々とダルタンは敵対していても何らおかしくはないな」

 ガルダの研ぎ澄まされた表情を見て、マイルズは確信する。彼女が勝利の可能性を見出したことに。

「軍曹。覚悟は決まっています。作戦を」

「ありがとう、マイルズ」

 マイルズの意志を受け止め、ガルダは内なる葛藤と戦いながらダルタンと向き合った。

「君の力を貸してくれないか、ダルタン」

 ガルダから向けられた信頼の眼差しを受け止め、ダルタンは頷いた。

「たとえどんな事情であろうと、子供を戦場に立たせるのは私の信条に反する。ダルタン……この作戦が、君にとって最期の戦いになることを祈る」

「軍曹。どうするおつもりですか」

「……奴らを欺いて見せる」

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