第6話  最終試験、たった1人の不合格者


大声を出したっきり、俯いてしまったイリス。


思いっきり下を向いているせいで、彼が今どんな顔をしているかすらわからない。



「…なぜ。」


「おいおいどうした?昔のこと思い出して怖くなっちまったのか?まあ小心者はここらで…ぅぐ?!」



男がイリスを指差し、腹を抱えて嘲笑っていると…思いっきり首を掴まれ宙に持ち上げられた。


その細い腕からは想像もできないほど軽々と、しかも片腕で成人男性一人を持ち上げた彼の黒い瞳は熱に浮かされたかのようにギラギラと燃え滾ってたぎっていて、心なしか光を放っている気がした。



「く、くるしぃ…!」


「何故、貴様がそれを知っている!」


「ぅ…!!」



男が言葉を発するたびに、イリスの手に力が入っていくのが彼の手から見て取れた。


彼は今…怒っている。あの穏やかな微笑みを浮かべていて、誰にでも礼儀正しく接していた彼が怒っている。


たった一週間くらいしか彼とは一緒にいないが、それでも彼の性格はわかっているつもりだった。



「何処でその事を知った…言え!さもなければ…。」


「は、話す…!話すかっ…!」



ドサッ…と、重苦しい音があたりに響いた。


男は自分の首を確かめるように忙しなく自分の首を触りながら、大きく深呼吸をしていた。


男が「助かった…。」と呟く声以外、誰もなにも発しない。



「早くしろ、私は今気が立っている。」


「し、シーカー学校に入ってるやつから聞いたんだ!俺はなにも知らない!」


「そいつの名前は、年齢学年性別から全て教えろ。」


「い、いや‥。」


「…何を戸惑っている。さっさと話さなければどうなるか…」


「し、知らないんだ!!」



「は?」



威圧のこもった声色に男は怯え、何を思ったのか意味のわからない事をとうとうと話し始めた。



「言ったら俺はどうなる?!本当は知ってる!でも言えない!も、もし…っ?!」



こいつは私の情報を知っている人物を知っている…。


男の口調からして彼は脅されているのだろう。イリスはさらに深く…いや、目の前の男が持ちうる限り全ての情報を引き出そうと試みた。


しかし…



「ぁあ”あ”あ”!!」



耳を擘くつんざく絶叫。それと共に目の前の男は力のあるかぎりのたうち回り、頭を抑え始めた。



「痛い痛い痛い…!!」


「試合終了!おい衛生班早く!」



最終試験の試験官の人が慌てたように試合終了を促す。


何が…起こっているの?



自分の喉を抑えて必死に空気を吸おうと苦しみ悶える男、医療キットを持って駆けつけてくるアシスタント達。


ソフィアはただただボーッと現場を眺めていることしかできなかった。


しかし…すぐ目の前で男が苦しむ姿を見ているはずのイリスの表情は一切変わることがなく、無表情のまま…。


それがひどく恐ろしく感じた。



「お、おいどうなってるんだ?」


「なんなのよ…こんなの聞いてないわよ!」



「ダメです…脈拍が止まってる。心音も…さっきから聞こえてこない。」


「……試験の合格者は156番を除いた9名とする。どの部隊に配属するか、学び舎でのクラス分けなどは後日通達するものとする。それから…156番以外のものは残れ。」



「156番…イリスの事ではありませんの?」


「え…?」



156…試験会場に入った際にイリスに渡されたバッチのナンバーだ。


あまりにも突然人が苦しみ出すものだから、頭から抜けていた。



「そ、それじゃあ…。」


「えぇ。イリスさんは不合格…と言う事になりますわね。」


「そんな…!」



イリスは誰よりもシーカーになりたがっていたと言うのに…それなのにここで不合格だなんて!



「い、イリス…。」


「…いや、いいんだ。」



ゆっくりとこちらに顔を見せ、柔らかな笑みを浮かべるイリス。


先ほどの恐ろしい雰囲気が嘘のように優しい笑み…仕方がない事だと、何処か諦めているようなそんな微笑みだった。



「激情に流されて掴みかかってしまったのは私だ。…それに試験は来年もある。」


「そうですわね。あなたには来年がありますもの、まぁ…死んだ彼にはありませんけれどね。」


冷ややかな目で軽蔑する態度を隠すこともなくアナスタシアは言い放った。



「命を背負う覚悟も切り捨てる非情さもない癖に、中途半端に気にするのはどうかと思いますわ。」


「ちょっと!アナスタシア!」


「いいんだソフィア。アナスタシアの言う通りだよ。」



何を言われても波風立てず、ただただ朗らかとした笑顔を浮かべ続けるイリス。彼だって辛いはずだろうに…それでもなお、彼は自分たちに優しく接してくれる。



「っ…。また来年、今度は学校で会おう。」


「待ってイリス!」



ソフィアが大声で引き留めても、イリスはソフィアの方を振り返る事もせずに手だけを振り返して去っていってしまった。


自分より歳も上で、頼れるお兄さんのような彼の後ろ姿は何処か寂しげで…それでいて、何処か不気味でもあった。


確かにイリスだってやっちゃいけない事をしたけど…でも、先にイリスを傷つけてきたのはあっちだっていうのに!…それにしても、よく落ち着いていられるなぁ…私だったら「私の何が悪いんだー!」とか怒っちゃいそう。


イリスの背中を見送り…ソフィアは後ろを振り返り自分の一歩後ろにいるアナスタシアにムスーっと不満げな顔を向けた。



「…アナスタシアがあんな事言うから、イリスが落ち込んじゃったよ!」


「…わたくし、あの方は好きになれませんの。」



扇子で口元を隠しながら、アナスタシアは目を細める。


まるで嫌なものでも見たみたいな反応に、ソフィアはちょっと嫌な気持ちになった。


でも、誰にだって好き好みくらいはあるし、苦手な人だっているはず…。


アナスタシアにとってはイリスがそうだったのだろう。


しかし少しの好奇心と疑問から、ソフィアはアナスタシアに尋ねた。



「どうして?」



ソフィアの純粋な疑問を聞いたアナスタシアは、それまで口元に当てていた扇子をそっと下ろして、静かな声色でただ一言だけ



「不吉…だからかしら?」


「?…どう言うこと?」


「別に…わからなければいいですわ。ただ…」


「ただ?」



それまで目線を下に向けていたアナスタシアが、ソフィアの目をじっと見つめてきた。


まだ出会って一週間ほどの中だが、アナスタシアが人と目を合わせることがほとんどない事にソフィアは気付いていた。


だからこそ、面と向かって見つめられるとなんだかむず痒い気分だ。



「イリス…あの方にはあまり近寄らないほうがいいかもしれませんわ。」



ーーーーーー

ーーーーーー

ーーーーーー



時刻は夕暮れ、もう日が落ちかけていて辺りは暗くなり始めていた頃。



「…っ!」



試験に合格する事もできず、やるせ無い気持ちを何処に置いていく事もできないまま、ただ1人寂しく帰りの船に乗っていた。


試験官たちから早く賢者の島を立ち去るよう言われ、半強制的に無理やりこの船に押し込められた。


ソフィアやアナスタシアの手前、明るくは振る舞ったものの…イリスの精神と体は限界に近かった。


熱い…。





「…。」



震える肩をぎゅっと握り締める。


体全体が痙攣してしまったかのようにブルブルと震える、割れてしまいそうなほどのひどい頭痛、いやでも目に写り込んでくる…男にしては長いプラチナブロンドの髪、誰にも見せたくない…いや、見せられない、爛々らんらんと暗闇を照らす自身の”紫の瞳”。


虫唾むしずが走る…不快な気持ちだ…全てに嫌悪感が募るつのる



「…ぁあ。」




イリスは自分自身に失望していた。





…もう、人を殺しても何も感じなくなってきている自分に、ひどく嫌悪感を感じ、居ても立っても居られない。



一番初めに人を殺したのは、同胞の遺体を集めていると言う趣味の悪いコレクターだ。


ルア族…私の一族の死体は、暗闇で青く光る。


その淡い光は幻想的でもあり…同時にイリスが最も嫌悪するものでもある。


あの日の出来事は、今となっても鮮明に思い出せる…それほど、彼にとってあの日は特別な…自分自身を変えてしまう出来事だった。



ーーーーーー

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「な、なんだ貴様は?!どこから入ってきた?!」


「…別に、私の侵入経路など知らなくても良いでしょう。死にたくなければ、情報を吐いて下さい。」



両手両足を拘束され、無様に地面に這いつくばっている身なりのいい男は、酷く沈んだ表情でソファーに腰掛けているイリスに向かって喚き散らかす。


だが、その男のことなど一切気にせず、イリスは依然として眉一つ動かさない。


そして、彼は無表情で男のこめかみに銃を突き付けながら言葉を吐いた。



「ひ、ヒィ…!」


「ルア族の遺体をどこで手に入れた?」


「だ、誰がそんなこと…。」


惚けるとぼけるのか?…情報を吐けないというならば仕方がないな。」



相手に精神的な圧迫をかけながら、イリスは銃口を男のこめかみにぐりぐりと押し付ける。


答えなければ殺される…それを明確に感じ取ったのか、男は先ほどまでの態度からは一変…


「は、話す!話すから…!」


「煩わしい声で囀るなさえずる。…さっさと話せ。」


「セイレーンの開催する闇オークションで手に入れたんだ!落札までには随分時間がかかったが……ようやく手に入れた作品だ!」


「…セイレーン?」


「お前…セイレーンも知らないのか?やつらは裏社会で名前を知らないやつがいないほど有名な犯罪者組織だよ。あいつらは不定期にオークションを開催しては、ルア族みたいな貴重な作品を売りに出すんだ。」



ルア族のことを作品だと呼び捨てるこの男の言動に、イリスは内心今すぐに男を殺したい衝動に駆られていた。


だが、自分が復讐を遂げるためには多くの情報が必要だ。


だから、イリスは必死に胸の内から湧き出る感情を押し殺し、男に尋ねる。



「それで、他に情報は?」


「や、やつらは霊能力を使うんだ。本来ならシーカーくらいしか使えないはずの能力をな…。」


「霊能力…それはシーカーになれば獲得することが可能なのか?」



自身の仇が使うという能力…自分もそれを持っていれば、そいつらと対抗することは可能だと思い、イリスは男にどうすれば霊能力を体得することができるか尋ねる。



「あぁ…シーカー試験を突破してシーカー学校に入れば確実に身につくだろうよ。」


「そうか…。」


「な、なぁ…もう情報は喋ったんだ。俺を見逃してくれ!」


「…あぁ、そうだったな。」



必死になってイリスに命乞いをする男のこめかみから銃を離し、イリスは一度ニコリと、いっそ不気味なまでに綺麗な笑顔を浮かべる。


そして…


バン!!…と、銃声が部屋中に鳴り響き、やっと解放してもらえるとホッとした表情を浮かべていた男は事切れた。


ドサッ…と、男の体が地面に倒れ伏す姿を、なにも感じさせない冷たい瞳でただ見つめながら、イリスは小声で一言だけ呟く。



「…まさか、助かるとでも思っていたのか?」



滑稽な話だ。


自身の同胞を作品だなどと呼び、一族の誇りも…その生涯をも踏み躙ったこの男のことなど、到底許せるはずもない。


仮にこのような残虐な行いをされたのに許すようなものがいたとすれば…それはよほどの愚か者か、もしくは自身の家族に一切の執着がないものだろう。


しかし、イリスは愚者でもなければ家族への執着が薄い人間でもない。



お前のようなクズのために…私の同胞は殺されたのか?



まるで飾り物のように、月光に照らされながら青く光る同胞の生首…このような悪趣味なものを間近で見てしまい、イリスはひどい吐き気に襲われる。


瞳孔が不規則に動き回り、耐え難い怒りの感情をあらわにする。


そんな中、イリスは初めて人を殺したのだ。



ーーーーーー

ーーーーーー

ーーーーーー



…どうして今更になってこんなことを…あぁ、ソフィアに会ったからか…。



純粋無垢な笑顔をイリスに浮かべ、故郷にいるであろう家族に届くよう力いっぱい叫ぶ姿…こうなる前のイリスも、彼女のように純粋な少年だった。


血に塗れ、信頼することのできる人など誰もいない中、彼は過ごし続けてきたせいで、陰鬱でひねくれた性格に育った。




ポツリ…ポツリ…


青白く生気を失ったかのようなイリスの顔に水滴が落ちてきた。


雨が降り始めたんだ。しかし…イリスにはそんな事を考える余裕なんてない。



雨は静かに、宵闇の中降り始める。


それでもイリスは動かない。どれだけ雨に打たれようとも、力の抜けた体を起き上がらせることもできず、ただ無様に甲板の床に倒れ込み、記憶の海に溺れる。


星すら空には浮かばない。雲が空を覆い尽くし、辺りは静寂さと闇に包まれている。


雨の音以外はなにも聞こえない…辺りはもう真っ暗で、光の届かない場所にいるせいかより一層、イリスの瞳からこぼれ落ちる紫色の光が不気味に辺りを照らした。



なにも聞こえない…自分に命乞いをしてきた…今まで殺してきた人たちの自分を非難する声もいつしか聞こえなくなっていて…静寂に包まれた。


顔を上げる事も、体を動かす事もできないまま雨に打たれ続け、イリスは寒さで紫色に染まった震える唇で、言葉を紡ぐ。



「…さむい。」


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