第48話 新たな日常

「レオン様、おはようございます!」


 朝起きると、とんでもない美少女がレオンの前で微笑んでいた。


 すらっとした体型、ぱっちりとした目、長い黒髪……文句のつけどころのない美少女が制服の上に白いエプロンをつけて立っていた。


 ベッドの上のレオンは、あまりのことに言葉も出ない。


「え? あ? え? ヒメナ様?」

「はい、ヒメナでございます! 今日よりこのヒメナ、レオン様のために全身全霊を以てお仕えいたします!」


 ヒメナ・ヒメノ。今は名を捨てたと言っているが、三つの星系を所有するヒメノ公爵家の娘だ。


 以前、レオンがエリドゥという船を救援したとき、ヒメナも助けた。それから、何度かヒメナを助けることがあったり、同じ戦場で戦うなどして今に至る。


 ヒメナは自分に恩を感じており、従者として仕えることでその恩を返したい……それはレオンにも理解できた。


 レオンとしては、色々な意味でとんでもないことだ。


 まず第一に、公爵家の娘が騎士階級の子であるレオンに仕えるとなれば、ヒメナもヒメノ公爵も、周囲からなんて言われるか分かったものじゃない。レオン自身も、ヒメナに脅迫でもしているのではとあらぬ疑いをかけられてしまう。


 ……なにより、こんな綺麗な子と朝から晩まで一緒なんて、なんだか気まずい。


 レオンは体を起こしベッドに座る。


「ヒメナ様」

「ヒメナ、と呼んでください、ご主人様」


 ヒメナのご主人様という言葉に、頭の中で何かが弾けそうな気がした。


 だがレオンは子供であって子供でない。中身の年齢はもういい大人だ。


 一方でヒメナは大人びているが、まだ十三歳。一時の感情に流されてはいけないとレオンは諭すように言う。


「ヒメナ様。私に仕えることが、あなたとあなたのご家族にどのような影響をもたらすか、考えたことは?」

「それについてはご心配なく。そのために、こうして姿を変えたのです」

「え?」

「今の私はヒメナ・シラノです。公爵付きの騎士に頼み込み、その養子となりました」

「そ、そんなことを」


 ……家を捨てた、というのは本当だったか。でも、そこまでして俺に仕えたいなんて。


「失礼を承知で申し上げますが、今からでも」

「いいえ。私はもう戻りません」


 ヒメナは一歩も引かずそう言った。


 ……なんというか悪いことをしちゃったな。


 礼を要求しておけばヒメナも変に恩を感じることもなかっただろうと、レオンは後悔した。


 今からでも礼は金品が良いと要求してみるかなどと考えていると、急にヒメナが悲しそうな顔をする。


「やっぱり……ご迷惑、ですよね。私なんか不細工でのろまは」

「そ、そんなことないです! ヒメナ様はとっても綺麗ですし、お強いじゃないですか!」


 レオンは涙ぐむヒメナを見て、慌てて答えた。


 ……弱ったな。


 レオンが頭を掻く中、ベルが顔をニヤつかせる。


「あーあ。レオン様、こんな可愛い子を泣かせるなんて。まったく本当に女心が分からない人ですね」

「お、俺はただ……あっ」


 ヒメナは涙を流しながら、レオンをじっと見つめていた。


「私は、嫌ですか?」


 うるっとした瞳と赤らむ頬に、レオンはもう断ることはできなかった。


「ヒメナ……分かった。そこまで言うなら」


 レオンはヒメナの気の済むまでと自分に言い聞かせ、了承した。まだ子供だ。どうせすぐに自分に飽きるか冷めるかしまうだろうと。


「あ、ありがとうございます!」


 ヒメナは満面の笑みを浮かべると、声を震わせながら頭を下げた。


「でも……さすがに家まで一緒は色々」

「……駄目でしょうか?」

「いや、学校ではいいけど、さすがに一緒に暮らすのは」


 年頃の女の子が、色々とよくない。


 そう考えたが、ベルが呟く。


「でも、ヒメナさん。他に住む場所ないそうですよ」


 ヒメナは少し恥ずかしそうな顔で言う。


「啖呵を切ってでてきたのはいいのですが、お金もなく……」

「これはもう、ヒメナさんを住まわせてあげるしかないですね」


 ベルは逃げ道を塞ぐように言った。


 まさか家のない子に出ていけとはいえない。


 ……とはいえ、この部屋はワンルーム。少年少女が二人で住むにはやっぱり……


 ベルがぼそりと呟く。


「せっかくだし、もう少し広い家に引っ越すのもいいかもしれませんね」


 ヒメナの部屋も作れるはずだ。最近物騒だし、もう少しセキュリティのいい物件に引っ越すのもいいかもしれない。


「そうかもな……だけど」


 レオンはベルをじっと見つめる。


 ……なんか誘導されている気がするんだよな。なんとなくだが、ベルとヒメナがしきりに目を合わせていたようにも見える。お金がないというヒメナの言葉もちょっと引っ掛かるし……


 ベルは訝しむレオンに少し焦るようにして言う。


「な、なら、ギュリオンさんにいい物件ないか、聞いておきます!」

「ああ。ギュリオー商会は寮区の物件も取り扱っていたな。アクセスの良い場所をリストアップしておいてくれ」

「はい! そちらは私にお任せを。今日はレオン様の晴れの日ですからね」

「まあな……」


 レオンはこれから、宮殿へ向かう。そこで皇帝と謁見し褒賞をもらうことになっている。たしかに晴れの日と言えるだろう。


 しかし、レオンの気分は晴れない。


 レオンが武功を上げた戦役では、あれだけたくさんの人間や魔物が死んだ。単純に喜んでいいものかと思ってしまうのが、日本人であったレオンの感情だ。


 また、レオンには一つ気がかりなことがあった。


 レオンは、棚に置いてある杯に視線を向ける。


 皇帝がレオンに投げつけた杯だ。


 ……あの時のように、またレオンを見て何かしてこなければいいが。


「ともかく、レオン様。朝ごはんにいたしましょう。食べないと、元気が出ませんよ」

「ああ……って、えっと」


 レオンはキッチンから香るいい匂いに気が付く。


「はい! 朝ご飯を作りました! 今、テーブルにお持ちします!」

「ひ、ヒメナ様」


 ヒメナはてきぱきとテーブルに朝食を用意していく。


 メインの焼き魚に、味噌汁、野菜、ご飯。


 ヒメナの領地は、どことなく日本と似ている。ヒメナの鎧や刀は、侍を思わせるものだ。


 この料理もまさに和食然としている……いや和食そのものだ。

 単なる偶然か。あるいは、自分のように過去に転生やら転移をした地球人がいるのかもしれない。


 そんなこんなで、ヒメナが朝食を用意してくれた。


「準備ができました、レオン様!」

「あ、ありがとう。でも、明日からは大丈夫だからね」


 ……作ってもらったなら食べないといけないが、さすがにこれから毎日作ってもらうのは悪い。


 罪悪感を感じるレオンだが、ヒメナは「お気になさらず」と言うだけで、ニコニコとレオンを見るだけだ。


 レオンが食べて感想を言うのを待っている。


 手作りの和食……食堂で和食らしいものは見て実際に口にはしたが、こうして誰かに作ってもらうのは、この世界では初めてだ。


「お口に合えばいいのですが……」


 不安そうなヒメナだが、レオンの頭に一つの疑問が浮かぶ。


 ……自分の故郷の料理をいきなり出すだろうか? ……もしかして俺が食堂で和食を食べているのを見られていたり?


 そんな疑問が頭に浮かぶが、ともかく作ってくれたのだからありがたくいただこう。レオンは椅子に座ると、いただきますと食事を始めた。


 ……まずは味噌汁──完璧だ! 魚もまったく焦げておらず、身がふんわりとしている。自分では絶対に作れない美味しさだ。


 レオンは至福そうな顔で呟く。


「うまい……」


 それを耳にしたヒメナは、胸の前でぎゅっと拳を握った。よっしゃとでも聞こえてきそうな喜びようだ。


「よかったです! 食材から何から何までこだわったので……レオン様には、本当によいものだけを召し上がっていただきたいですから」

「昨日、ギュリオー商会の百貨店で買い物した甲斐がありましたね!」


 ベルがそんなことを呟いた。


 ……ギュリオー商会、つまり百貨店で食材を買ったのか。味付けも調理も完璧だが、たしかに素材もいいのが分かる。そこで、ベルがレオンは和食が好きと告げ口したのかもな。


「なるほど、本当に美味しいよ……でも、待て? ギュリオー商会?」


 あそこの食材は非常に高級なものばかりだと、レオンは思い出す。


「ヒメナ様……お金がないんじゃ」


 ヒメナは急に焦りだす。


「え、あ、そ、それは」

「わ、私が出したんです、レオン様!」


 ベルも慌ててそう言い出した。


 レオンはそんな二人をじいっと見つめる。


 ……俺を思ってくれてのことだから、何も嫌なことはないんだけど。


「……ありがたいですけど、本当に無理はなさらないでくださいね、ヒメナ様」

「は、はい!」


 ヒメナはそう答えた。


 まあ、いつかはヒメナもレオンに飽きるだろう。


 恩返しということでいえば、もうレオンは一度戦場で助けてもらっているし。


 レオンはその後ヒメナの料理を米粒一つ残さず平らげると、宮殿へと向かうのだった。

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