第29話 胸の内

 レオンは自分の寮に戻ると、機嫌の良さそうに言う。


「今帰ったぞ~」

「あ、おかえりなさい、レオン様! 今日もご機嫌モードですね!」


 玄関にベルがぴょんぴょんと跳んでくる。


「フェリアが助けてくれたんだから当たり前だろ。やっぱりフェリアは、俺のことを忘れてなかったんだ」


 一昨日のアレンとの決闘。

 そこでフェリアはレオンを助けた。


「お話を聞く限りでは、フェリア様ならレオン様でなくても助けたと思いますけどね」

「……そんなこと分かってるよ」


 ベルの的を射た言葉にレオンは現実に戻された気分になる。

 自分だからではなく、フェリアは誰でも手を差し伸べただろう。


 レオンはそのままベッドに腰を下ろす。


「まあ、機嫌がいいのは、疑いも晴れたからだ」


 決闘で起きたアレンの暴走事件のことだ。


「おお。事情聴取を受けたんですか?」

「ああ、包み隠さずあったことは全部な。十分もしない内に教員室から出られたよ」

「ずいぶんあっさり帰してくれましたね」

「そりゃまあ。あの後すぐ、花束を渡したやつが見つかったからな。俺のは確認みたいなものだ」


 あの後、アレンのあの症状はツカーレポンという薬によるものだと判明した。


 体に入れると攻撃性を刺激し目に入る者を全て敵と認識するようになるが、身体能力と魔力の大幅な向上が期待できる。劣勢に陥った大異形軍の兵士が、決死の覚悟でよく使う薬だった。


 帝国でも、拿捕だほした大異形軍の船からよく手に入る。しかし、上記の攻撃性の刺激のが危険なため、一般には使用と流通が禁止されている。


 なら、そのツカーレポンをレジスタンスや盗賊が渡したのか……というと違った。


「渡したのは、アレンの指導をする男の教員だった」

「え? 教員がですか!?」

「ああ。しかも、アレンの父レブリア公が気に入っていたトルチョ子爵……」

「二重でびっくりですね。なんか、喧嘩でもしたんですかね?」

「いいや。風の噂だが、その前日もレブリア公の宴会に参加して、仲良く語らっていたそうだ。待遇も恵まれていて、人を恨むような性格ではなかったらしい。ただ、生徒からは少々やばい奴だって思われてたらしいが」

「やばいとは?」

「簡単に言えば、女子生徒と関係を持っていたんだ……色々その、便宜を図る見返りに」


 出世したいなら、より身分の男とお近づきになりたいなら、トルチョ子爵の機嫌を取れ、なんて女子生徒の間で語られていた。


「その日も、堂々と今日は一人生徒を待たせてるなんて言って、宴会場をニヤニヤと後にしたらしい」

「ふーん。でも尚更、そんな美味しい立場を自分から棒に振るなんておかしいですね」

「ああ……ましてや、レブリア公に謝罪したいと赴いて、目の前で人間は絶滅だなんて叫んで爆発するやつはいないだろう」

「ひえっ。じゃあ、死んじゃったんですね」


 レオンはコクリと頷く。


 これはレオンもエレナから聞いた話だ。だから公にされていない。トルチョは表向きには事故死ということになっている。レブリア公は多少の傷は負ったが、大事には至らなかったという。


 入学式も、レブリア公の派閥の者の凶行だった。度重なる派閥のメンバーの心変わりに、レブリア公が一番混乱しているだろう。一歩間違えれば自分の息子が、貴族の子供を数百人殺していたのかもしれないのだから、気が気ではないはずだ。


 エレナもレブリア公の派閥は結束力が高いと見ていたため、この事件には首を傾げていた。


 ──何か派閥内で揉めているのかな? エレナは全く見当がつかないようだったが。


 それとも、前夜に会った生徒に何かを……しかし、翌朝会った教員たちは、皆トルチョは普通だったと言っていた。


 そこまでいくと、とても調べきれることじゃないな。ともかく、自分には害が及ばなかったことを良しとしよう。


「まあこれで、レオン様にはもう何も追及はないってことですね」

「そうだな。俺は巻き込まれただけということになってる。むしろ、よくアレンを止めたと学長から褒められたよ……それより、ベル。この時間にいるのは珍しいな。いつも冒険部が始まるまで帰ってこないのに」

「そ、それは……」


 ベルはぎくっと黙り込んでしまう。


「まさか──溶かしたのか?」


 レオンの問いかけに、ベルはゆっくり体を縦に振る。


 ギャンブルで大負けしたのだ。


「いやあ、勝てると思ったんですけどね……飲まれちゃいました。でも、あれは仕方なかったんです! 途中、リベルタスの襲撃が近くであって」

「この一か月で急激に勢力を拡大しているレジスタンスか」


 帝都地下都市を拠点に活動しているレジスタンス。あくどい奴隷商と仲間の貴族を主に標的とし、劣悪な環境にある奴隷を解放する。


 特に魔物に英雄視されているが、大異形軍のように人間を滅ぼそうとする思想は持たない。人間でも奴隷商以外の一般市民は決して襲わないのだ。リベルタスは、あくまで奴隷制の撤廃を目的として活動している。


 構成員は皆仮面をつけ、種族を明かさないのだとか。強力な鎧も使うため、人間の協力者がいるのではと噂されている。


「まあ、そういうこともあって、色々治安が悪いですよ、ここは。こっちも本当にいい迷惑です。しばらくは、お小遣いを貯める生活ですね……とほほ」

「全く。楽して儲けようなんて考えるからだ」

「わ、私は資産運用ってやつをやってるだけです! 現に資産自体は着実に増やしてます! 回りまわって、レオン様やフェリア様、ヴェルシアのためになるように!」

「どうだか……まあ、それはそれとしてベル。お前のお金はお前のものだ。俺のためなんて考えなくていい。自由に使うんだぞ」

「レオン様……はい。これからは計画的に使います!」


 ベルは嬉しそうに答えた。


「それより、レオン様も少しお早い帰りですね?」

「今日の講義は、その例のトルチョ子爵がいなくて休講になったんだ。来週は通常通りらしいが。だから今日は、せっかくだしギュリオンさんのところに行こうと思ってな」

「おお、買い物ですか! フェリア様へのお礼のプレゼントでも?」

「いや、それはエレナ様にお願いした。よく考えたら、避けられているのは変わってないから……」


 肩を落とすレオンの頭を、ベルは人間の女の姿に変身し撫でてあげる。


「ほらほら、元気出してください。で、何を見に行くんです?」

「見に行くというよりは、相談しに行くんだ。この前、冒険部でミスリルを手に入れただろ? あれで鎧を強化できないか、ギュリオンさんに相談しに行こうと思って」

「おお、なるほど。私も鎧で訓練してて、シールドディスクの扱いにだいぶ慣れてきました。もっと多くてもいけるなって。周囲の従者たちは、やたら邪道だとか言うんですがね」

「ロマンの解せないやつらだな……まあ、言わせておけばいい。そうしたら、ミスリルを手に持つ武器のために使って、オリハルコンの剣をシールドディスクに直してもらうか」

「名案かと! さっそく行きましょう!」


 レオンとベルはそのまま寮を出て、馬車でギュリオー商会に向かった。


 応接室に案内されると、ギュリオンがやってくる。


「これは、レオン様、ベル殿。お元気ですかな?」

「ええ、おかげさまで。すいません、お手伝いになかなかいけず」

「何を申されます。エレナ様の成されることのほうがずっと重要です」


 ギュリオンの声にベルが「ガラクタ漁りがです?」と言うが、すぐに瞑想がと言い直した。


「気になさらず。そもそも、殿下の集めたデブリは私が処理してます」

「そうでしたか……失礼しました!」

「いえいえ、気になさらないでください。いずれにせよ殿下のお力になることは私にとってこの上なく嬉しいことです」


 ギュリオンはどこか遠くを見るように言うと、おっとと話を戻す。


「それで、いったい今日は……いや、送っていただいたミスリルの件ですかな?」

「そうなのです。ぜひ、このミスリルで武器を作れないかと」

「でしたら、また前と同じ職人に頼みましょう。しかし、魔動艦のためにミスリルを売却してもいいのでは?」


 その手もあった。


 しかし、アレンとの戦いで実感したのだ。

 戦場ではもっと予想だにしないことが起こる。臨機応変に対応するには、やはり魔動鎧を強くするのが一番だ。やはり、死ぬのは怖い。


「それは……できれば、安全に戦いたくて」

「なるほど。それは何より大事なことですな。では、発注書をお作りしましょう」


 それからレオンはベルと相談しながら、ギュリオンに欲しい装備を伝えた。


 ミスリルは、ロングライフルと長剣に。

 そしてオリハルコンの剣を、新たにシールドディスクに直してもらう。これでシールドディスクは全部で十枚になる。


「なるほど。では、これで発注させていただきます。時にレオン様」


 ギュリオンは書類をまとめながら言う。


「エレナ様はお元気ですかな?」

「ええ。ですが……」


 表向きにはエレナは元気に見える。


 しかしミスリルのように貴重な物が見つかっても、心の底から喜んでいない。


 ここでもない──まるでそう吐き捨てるかのように、エレナは落胆するような顔を一瞬見せる。


「本当に探している物が、なかなか見つからないのかなと」

「なるほど。やはり」

「ギュリオンさんは、エレナ様が何を探されているのか知っているのですか?」

「いいえ。ですが、恐らくエレナ様も何かはよく分かっていない」


 その声に、ベルが首を傾げる。


「よく分からないのに、探しているんですか?」

「ええ。ですが一つ言えるのは、あの男……あの男が残したメッセージの物をエレナ様は探しているのです」

「あの男?」

「申し訳ないが、それは私の口からは……」


 ギュリオンの「あの男」と言う声には、どこか憎しみのようなものが感じられた。


 レオンはそれには触れずこう答える。


「分かりました。ともかく、何かを探しているわけですね……どういう情報をもとに探しているのかは分かりませんが、私がお手伝いできることはないか、エレナ様に聞いてみます」

「ありがとうございます、レオン様。エレナ様もきっと喜ばれるでしょう」


 ギュリオンは笑顔でそう答えた。


「断られるかもしれませんが……しかし、ギュリオン殿はいつエレナ様とお知り合いに?」


 その言葉に、ギュリオンは真剣な表情をする。


「そう、ですね……これも詳しくは申し上げられませんが、エレナ様は私の恩人なのです。エレナ様は私を恩人と仰ってくれますがね」

「なるほど。互いに信頼なされているのですね」


 ギュリオンはコクリと頷く。


 レオンは、エレナの部下ではない。これ以上詮索するのも悪いと、質問を打ち切ることにした。


「ですがお二人がそうであるように、私にとってもエレナ様とギュリオン殿は恩人です。何かあればぜひ頼ってください。鎧の装備の剣は、よろしくお願いします」

「ええ。なるべく早く作ってもらいます。どうにも、最近はきな臭いですからな」

「リベルタスのことですか?」

「リベルタスは……たいした脅威ではありませんよ。狙われる者も、正直あくどい者ばかり。そうではなく、大異形軍が勢いを増しておりますからな」

「そうだ……北伐に負けて」

「ええ。ノトス宙道から大異形軍の艦船が大量に進出してきている。近いうちに、士官学校でも何かしら募集がかかるかもしれません……出撃はよくよくお考えを」


 ギュリオンの声に、レオンは首を縦に振る。


 ──フェリアは確実に、その募集に参加するだろう。そうなった場合、自分も……


 レオンはさらに強くなろうと心に決めるのだった。

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