第23話 入学
黒い詰襟の軍服を着て、レオンは姿見の前で立っていた。
「うんうん。レオン様、なかなか様になってますよ」
隣で新聞を見ながら、ベルは呟いた。
「心にもないことを……しかし、変な違和感があるな」
転生前、レオンは学ランの学生服を着ていた。
それとシルエットは近い。上着の裾が長かったりはするが、だいたいは学ランだ。
しかし、肩章がついていたり、至る場所に銀や金の刺繍があって、随分と華美な装飾が施されている。近さを感じるがゆえに、レオンは落ち着かなかった。
これが、俺から六年間着ることになる服か……
「よし、行ってくる。ベル、賭博のやりすぎは気を付けろよ。従者にも講義があるんだろ?」
「ちゃんと出席しますから、人を昼から遊んでいるように言わんでくださいよ。私はレオン様のために、資金を稼いであげているんですから」
そう言ってベルは、近くの金の杯に注いであったワインをごくごくと飲んだ。
皇帝から投げつけられた杯。ギュリオンによれば売れば不敬罪となるということで、今はベルが酒を飲むのに使っている。
ほろ酔いのベルを背に、レオンは寮の一室を出た。
入学試験から一か月が経った。
その間、レオンはギュリオ―商会の手伝いをして資金を稼いでいた。
一週間前からは、士官学校の隣にあるこの寮区街で暮らしている。
寮にも等級がある。
最高級のものは貴族の邸宅のような一軒家だが、最下級はワンルームのアパートだ。
レオンはもちろん、最下級。
とはいえ、清掃は行き届いている。
ワンルームだが風呂とトイレもあり、レオンにとっては十分すぎる環境だった。
寮区の門を出て、士官学校の校門へと向かう。
入学初日だけあって、周囲の生徒たちがなんだか初々しく見えた。
一方で付属の小学部の者だろうか、すでにグループを作って歓談しながら登校する者もいる。
こういった雰囲気は、レオンも転生前に体験している。
しかし、いびつな通学をする者もいた。
校舎前に停まった馬車から出てくる者たちだ。
「きゃあ! レブリア公爵家のアレン様よ!」
「かっこいい! あんな人と結婚したい!」
「アレン様と同じ学年なんて! アレン様、こっち向いて!」
女子生徒から黄色い声を浴びせられるのは、馬車から出てきた美男子。
身分が高い者は、こうして馬車で登校する。
美男子アレンが観衆に手を振ると、黄色い声が上がった。
──レブリア公……あの宰相の子か。
アレン以外にも、馬車通学の者はいた。
馬車から降りてくる男子や女子は、やはり生徒たちの注目の的だ。馬車通学の者は、総じて身分が高い者たちだからだ。
エレナも馬車通学なんだろうな……しかし、フェリアはどうだろう。
気が付けば、レオンも馬車から降りてくる者に目を向けていた。
そうしてしばらく探していると、レオンはついに長いブロンド髪の美少女を見つけた。
──いた。
馬車を降りるフェリアの周囲には、すぐにお付きの生徒たちが集まる。
フェリアの歩く先には、レオンがいた。
だが全く目も合わさず、校舎へと入っていく。
……分かっていたことだが。
レオンは肩を落とす。
しかしそんなレオンの後ろから、元気な声がかかった。
「や、レオン。なんか、めちゃくちゃ暗いわね」
なははと笑いながら、銀髪ツインテールのエレナはレオンの肩を叩いた。
その横には、試験でエレナに加勢した背の高い女性アーネア、優男のジャンがいた。
二人とも、レオンを見て眉を顰める。
レオンはすぐに姿勢を正し、エレナに頭を下げた。
「で、殿下、おはようございます。皆さまも」
「そんな堅苦しい挨拶はやめて。私とあなたはここでは同輩よ」
士官学校の同級生は身分関係なく、同等──
そんなことは建前だ。
自分より身分の上の者には、ちゃんと敬語を使わねばすぐにイジメの対象になるとか。
エレナは隣の二人に顔を向ける。
「ね、アーネア? ジャン?」
「は、はい、エレナ
「ええ、
アーネアとジャンは、非常に言いづらそうにそう答えた。
「ということで、レオンも私のことはちゃん付けで呼んでね」
「そ、そのときがくれば」
話さない状況を維持すればまあいいかと、レオン。
しかしじっとエレナが見つけてくる。
やがて無言の圧力に耐えきれなくなり、「はい、エレナちゃん」とレオンは言った。
エレナは満足そうな顔をすると、じゃあねと校舎に向かった。
ふうと胸を撫でおろすレオン。
しかし、いつの間にか自分に視線が集まっていることに気が付く。
「なにあれ」
「試験の時、エレナ様に歯向かったやつよ」
「ああ、あの……ご愁傷様ね」
周囲からは、俺がエレナに目を付けられてお先真っ暗だと思われているらしい。
──まあ、目を付けられているのは確かだと思うが。
それからレオンは、校舎の中へ向かった。
入学式が始まるまでは、自由見学だ。
学校と言うよりは、本当に宮殿のような内装。
教室はどれも教会の中のように広く、荘厳な作りをしていた。
──トイレはどれも個室で金ぴか……すごいな。
転生前通っていた公立学校とは、何から何まで違う。
そんなことを考えながらトイレを出ると、なんだか穏やかじゃない声が聞こえてきた。
「でーぶ、でーぶ!」
「公爵の娘だからって今まで調子に乗りやがって! ヒュルカニア公爵家が落ちぶれた今、あんたも終わりよ」
「お、おやめになって、皆さま」
どこか聞いたことがあるような声だ──
レオンは曲がり角からこっそり声のほうを覗いてみた。
そこでは長い黒髪の女子生徒が、複数の女子生徒から蹴られていた。
黒髪の子はまるで蹴鞠のような体型だったので、レオンはすぐ気が付く。
──ヒメナ……だっけ?
帝都に来る途中、エリドゥを助けた時に鎧で戦っていた子だ。
地下都市で馬車ごと誘拐されそうになっていたのを助けた子でもある。
周りの子は、一緒に馬車に乗っていた子じゃないか。
なんでこんなことに? いや、そうか──
ヒュルカニア公の船エリドゥの乗っていたということは、ヒメナはヒュルカニア公と縁のある家の者だったのだろう。
だが、そのヒュルカニア公はレオンも参加した謁見の際、敗戦の責任を負わされ領地を奉還している。
あの時、ヒュルカニア公は多くの貴族に馬鹿にされていた。
ヒュルカニア公とヒメナの家は仲が良かったので、ああしてヒメナも馬鹿にされているのかもしれない。
──嫌な感じだな。
見て見ぬ振りはできない。
しかし、出る杭は打たれるという。ここで目立てば、周囲の貴族から延々と嫌がらせを受けるかもしれない。
──なら、こういうときこそ魔法だな。
レオンは周囲を警戒しながら、魔法を使うことにした。
ヒメナたちのいる廊下の先にある曲がり角へ、設置魔法を放つ。
そして魔法を発動させた。
「──お前たち、何をしている!? 暴力は禁止だぞ!」
向かい側から、大人の低い声が響いた。
「せ、先生!? どこ!? ちっ!」
女子生徒たちは、すぐさまレオンがいる曲がり角へと逃げていく。
レオンは「うわ!」とわざとらしく驚いて、無関係を装った。
「邪魔だ!」と吐き捨て、女子生徒たちは遠くへ走っていった。
──魔力の動きを隠蔽させたが上手くいったな。
すぐにレオンはヒメナの近くに歩み寄る。
「大丈夫? 今、回復魔法をかけるから」
体を丸めていたヒメナは、ゆっくりとレオンに顔を向ける。
「あ、あなたは……あっ」
レオンの回復魔法に、ヒメナの傷はみるみるうちに癒えていった。
だが、ボロボロとなった服までは直せない。
「あ、ありがとうございます! お礼はまた……!」
ヒメナは恥ずかしそうにその場を走り去っていった。
その目には涙が浮かんでいた。
仲良くやっていたのなら、尚更辛いだろうな……
家の栄枯に子供も左右される。
ここは学校というよりは社交場だ。
本当に身の振り方には気を付けないとな──
その後、レオンは入学式の会場に向かうのだった。
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