第115話 交流の輪

 レイモンド・ペンファーザーはウォルトン邸のお茶会からちょうど三週間後に、息子に家督を譲って引退し、今後は田舎の領地に居住することを発表した。

 理由は明らかにされなかったが、社交的なペンファーザー公爵が三週間もの間まるで姿を見せなかったことや、久しぶりに現れた公爵がげっそりとやつれて暗い顔をしていたことなどから、世間の人々は「よほど深刻な病気なのだろう」と至極あっさり納得した。


 幸いなことに、ペンファーザー公爵による陰謀やカイン・メリウェザーの正体などは、世間ではまるで噂になっていないようである。どうやらバーバラ・スタンワースはビアトリスとの約束をきちんと守ってくれているらしい。あるいは単に、バーバラの「特別に親しいお友達」とやらが大変口の堅いご婦人なだけかもしれないが。


 ちなみにアーネストから伝え聞いたところによれば、王家としてはペンファーザー公爵家、エヴァンズ子爵家に対する正式な処分は行わないことになったらしい。アーネストとフェリシア・エヴァンズの婚約が継続する以上、未来の王妃の母親を罪人にするわけにもいかないし、妥当な判断だと言える。ただし両家に対して常時監視はつけるとのこと。


 そのアーネストとフェリシアだが、最近は一緒に学院食堂で食事をしたり、中庭を散策したりする姿が見られるようになった。フェリシア・エヴァンズは一時期とは打って変わって明るい表情を見せており、全体に以前よりも洗練されて美しくなった印象だ。あの後パーマー侯爵家の養女になることが正式に決定されたので、パーマー夫人が張り切って世話を焼いているのだろう。


 アーネストの隣で輝くような笑みを浮かべるフェリシアを見るにつけても、かつて彼女が連続盗難事件の犯人と名乗り出るほど追い詰められていたとは、まるで想像もできないくらいである。もろもろのことが上手く収まって良かったと心から思う。

 フェリシアとアーネストとの仲睦まじい姿が生徒間で話題になるつれ、二人に関する不穏な噂も自然と立ち消えになって行った。


 一方、かつてフェリシアが濡れ衣を被ろうとした連続盗難事件の真犯人は、張り込み中の生徒会に現行犯で捕まった。犯人はビアトリスたちと同じ最終学年の男子生徒で、「留年が決まってむしゃくしゃしてやった。何でも良かった。今は反省している」と言っており、今は処分待ちだとのこと。まあどう考えても退学は免れないだろう。


 執念の張り込みでついに事件を解決した生徒会メンバーは一躍時の人となり、下級生女子の間にファンクラブまでできたらしい。会長のマリア・アドラーや、犯人確保で活躍したレオナルド・シンクレアはもちろん、一時は悲惨な扱いだったシリル・パーマーも「知的な眼鏡姿が素敵!」などと女生徒に騒がれているそうだ。





ビアトリスが穏やかな日々を過ごしていたある日のこと。ウォルトン邸を意外な人物が訪れた。


「いきなり押しかけてすみません。実はその、おり入ってウォルトンさんに相談したいことがありまして」


 訪問客、マリア・アドラーはやけに神妙な顔つきで言った。


「別に構いませんが……それで、私に相談したいこととはいったい何ですか?」

「はい。実は昨日、レオナルドに交際を申し込まれたんです」

「はあ」


 それが何か? というのがビアトリスの率直な感想だった。レオナルド・シンクレアがマリア・アドラーに告白しては玉砕していることなんて、学院中が知っていることだ。


「ええと、六回目の告白ですか?」

「七回目です。それで、いつもみたいに断ろうかなと思ってたんですけど、レオナルドはこれを最後にするっていうから、真剣に考えてみたんです。……それで改めて考えてみると、レオナルドは盗難事件のときもすっごく頼りになって、ちょっと格好良かったし。それにこのまま卒業して別々になったら寂しいな、とか思ったりして。つまりその、なんというか……」

「つまりアドラーさんは、シンクレアさまからの申し込みをお受けするつもりなんですか?」


 焦れたビアトリスが問いかけると、即座に「違います!」との返事。


「違いますよ! 受けるつもりなんかありません。だって私、平民じゃないですか。レオナルドのところは伯爵家なんですよ? おまけに代々騎士団長を輩出している家柄です。そんなところに平民の私が嫁いだって不釣り合いだし、うまくいきっこありませんよね?」

「シンクレア家の方々は反対されているんですか?」

「いえ、それが、レオナルドの両親は、『うちは脳筋の家系だから、そろそろ頭のいい血を入れたかったところだ』って歓迎してくれてるみたいなんです」

「まあ、それは良かったですね」


 レオナルド・シンクレアは剣の成績は学年トップだが、学科は毎回赤点すれすれだと聞いている。察するに、現騎士団長である彼の父親も似たようなものだったのだろう。

 己の足らざるものを知る、とても素晴らしいことだと思う。


「レオナルドの家族はそれでいいんですけど、伯爵家に嫁いだりしたら、家族との付き合いだけじゃ済みませんよね? 騎士団長夫人なら、騎士団の奥さまたちとも交流しなきゃならないわけだし、平民の私がそんなこと……」


 要するにマリア・アドラーは、レオナルドとの交際に傾きながらも、その背後にある貴族社会というものに気おされて、悩んでいるところなのだろう。

 一応「学院生徒はみな平等」の建前がある学院内とは違って、外は厳然たる身分社会だ。ゆえにマリアの懸念も分からないではないのだが――。


「貴族と言っても色々ありますから。確かに伝統を重んじるタイプの貴族家系からは風当たりが強いかもしれませんが、騎士団長夫人として付き合う相手は騎士団員の夫人たちがほとんどでしょうし、騎士団は基本的に実力主義の風潮がありますから。剣一本で数代前に成り上がった家も多いですし、実力で王立学院の特待生になって、生徒会長に就任したアドラーさんは尊重されると思いますよ」

「そうですか……。でも伯爵夫人になったら、その、お茶会とか開かなきゃならないわけでしょう? 私そんなのやり方知りませんし」

「シンクレアさまのお母さまに教えていただいたらいかがでしょう。それがお嫌なら、そういう家庭教師を雇って習えば、段取りや作法くらいは簡単に覚えられると思いますよ」

「そうでしょうか。上手くいくと思いますか?」

「努力次第だと思いますよ」

「努力、ですか」


 マリアの瞳に炎が宿る。


「分かりました。私、がんばってみます!」

「はい、がんばってください」

「ありがとうございます、ウォルトンさん。それから、あの……」


 マリアは素直に礼を述べたあと、なにやら赤くなってもじもじしている。なんだろうと訝しく思っていると、マリアはやがて意を決したように口を開いた。


「あの、ウォルトンさん。その、もし私が伯爵夫人になってお茶会を開いたとしたら、ウォルトンさんは参加してくれますか?」

「ええ、ご招待いただいたら、喜んで参加させていただきます」


 ビアトリスは笑顔で返答した。

 なんだかんだ言ってマリア・アドラーのことは嫌いではないし、未来の騎士団長夫人と交流を持つことは、辺境伯家にとっても悪いことではないだろう。


「そうですか。それじゃ真っ先にご招待しますから! それじゃ、今日は相談に乗ってくれてありがとうございました!」


 マリアは礼を述べると、晴れ晴れした顔でウォルトン邸をあとにした。


(そういえば前にシンクレアさまが、アドラーさんには女友達がいないって言ってたわね……)


 マリア・アドラーが帰ったあと、ビアトリスはお茶を飲みながらひとりごちた。

 それにしても、まさか自分がマリア・アドラーからお茶会に招待される関係になるとは思わなかった。


 ――あ、ウォルトンさんはお留守番をお願いしますね! 

 ――この人のお目当てはアーネストさまだけなんだから、私たちと親睦を深めたって意味ないのよ。


 かつてのやり取りが、ビアトリスの脳裏に蘇る。あのときは無礼な人だと思っていたし、今も若干思っているが、それはそれとして面白い人間だとも思っている。

 人と人が繋がって、交流の輪が広がっていく。かつての自分の世界にはアーネストしかいなかったことを思うと、本当に不思議な心地がする。


 



 意外な訪問者があった翌日、今度は意外な招待状がウォルトン邸に届けられた。

 差出人はミドルトン侯爵夫妻。侯爵邸でまた晩餐会を開くので、ぜひビアトリスにも出席して欲しいとの内容だ。

 おそらくチャールズについてのあれこれを、第三者から聞きたいものと思われる。チャールズ本人から「何を話しても構わない」との承諾を得たので、謹んで参加することにした。


 前回と同様に素晴らしい料理を堪能し、他の客人たちとの会話も楽しんだのち、ビアトリスは侯爵夫妻に頼まれて、チャールズとレイチェルの馴れ初めに関して、知っているエピソードを披露した。

 ビアトリスが「これは友人のマーガレット・フェラーズから聞いた話なのですが」と前置きしつつ、チャールズがカフェで隣り合わせたレイチェルに運命を感じていたことや、レイチェルを黒髪で二つか三つ年下の令嬢だと思い込んでいたこと、おかげでなかなか見つからず、酷く落ち込んでいたこと、そしてポロの試合会場でばったり再会して、その場でレイチェルにプロポーズしたことなどを順々に語っていくと、侯爵夫妻はもちろん、居合わせた客人たちもみな手を叩いて喜んだ。


 侯爵夫妻はチャールズやマーガレット本人からすでに何度も聞いた話だろうし、おそらく他の客人たちも侯爵夫妻からおおまかな話は聞いていると思うが、やはりこういう「ハッピーエンドで終わるすれ違いもの」は何度でも聞きたいものなのだろう。


 その後、レスター侯爵夫人からも交霊会の招待を受けた。どうやら彼女のお茶会で披露した不気味な逸話のおかげで、オカルト方面についての同好の士だと思われたらしい。

 面白そうなので参加したが、期待したほどの盛り上がりはなかった。霊媒師は「今、霊が降りてきています」「静かにしてください、霊が怒っています」などともっともらしくいうものの、どう見ても胡散臭くて詐欺師のようだ。

 ビアトリスが「これってやっぱり信じているふりをしなきゃいけないのかしら」と悩んでいたところ、レスター夫人が「今回の霊媒師は外れでしたわね」と言ってくれたのでほっとした。

 夫人から「次は絶対本物を呼びますから、また来てくださいね」と誘われたので、一応次も参加するつもりである。


 さらには、なぜかミルボーン侯爵から「またお友達と観に来てください」と劇のチケットが三枚送られてきたので、言われるままにマーガレットとシャーロットとともに観に行った。

 内容は軽いコメディタッチの恋愛もので、前作ほどのインパクトはないが、それなりに良い芝居だったとは思う。幕間で軽食をつまんでいると、ミルボーン侯爵が挨拶に来たので、前回同様に感想を述べたら礼を言って帰って行った。

 意図が不明で少し薄気味悪かったが、カインいわく「単に若くて可愛い女の子に自分の脚本の感想を言って欲しかったんじゃないか」とのこと。


 ペンファーザー公爵夫人ことクロエ夫人は、あの後もときどきビアトリスに手紙を送ってよこした。最初のうちはお詫びも兼ねての近況報告で、夫のレイモンド・ペンファーザーをきちんと監視させていることや、従僕のグレアムが真面目に働いていることなど、事件に関する内容でしめられていたが、ビアトリスがこまめに返信しているうちに、途中からだんだんただの文通のようになっていった。

 クロエ夫人が言うには、ビアトリスが園遊会でペンファーザー公爵に反論してくれたことが、ことのほか嬉しかったらしい。来年の薔薇の季節になったら、息子主催で園遊会を開くので、ビアトリスが招待に応じてくれたらとても嬉しいとのこと。




 そんな風にして新たに交流を広げたり、婚約者のカインとデートしたり、マーガレットたちと遊んだりするなど、大いに青春を謳歌しているうちに月日は流れ、いよいよビアトリスたちが学院を卒業する日がやってきた。

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