第114話 夫婦の絆(アーネスト視点)

「とんでもございません! アメリア王妃を北の離宮からお連れするなど、そんな恐ろしい反逆行為を考えたことは、ただの一度もありません!」


 それはいかにも堅物のセオドア・パーマーらしい返答だった。幼いころから目にしてきた、生真面目で堅物の「パーマー宰相」が口にするべき模範解答。

 しかしながら、今アーネストが聞きたいのはそういう類の言葉ではなかった。


「それでは、反逆ではなかったらどうですか」

「はい?」

「つまり国王が許可したとしたら、貴方は恋人として母を迎えに行きたいと思いますか?」

「……質問の意味が分かりかねますが」

「別に、ただの好奇心です。答えたくないのなら構いません」


 アーネストの言葉に、パーマー宰相は困惑の表情を浮かべつつも、きっぱりと首を横に振った。


「いいえ。アメリア王妃は私の青春の全てですが、妻のカレンとは長年苦楽を共にしてきた夫婦の絆がありますから。今の私は心からカレンを愛しています。それにカレンとの間には、大切な一人息子のシリルもいます。たとえ罪ではないとしても、妻子を裏切ってアメリア王妃を迎えに行くことはないでしょう」


 そう言い切る声音には一点の迷いも感じられなかった。


「ありがとうございます。その言葉が聞きたかったんです」


 アーネストは笑顔で礼を述べて、宰相室をあとにした。




 後日。宰相がアンナ夫人を尋問したところ、彼女は指摘された事実を概ね認めた。やはり「脅されていた」というのは彼女の作り話で、単に息子を高い地位につけると約束されたために、応じてしまっただけらしい。


 尋問の間中、アンナ夫人はこの件が息子の将来にどう影響するかをしきりと気にしていたが、娘の処遇についてはまるで気に留めていなかったそうである。宰相はそれを薄気味悪く感じていたようだが、アーネストはさもありなんという感想しかなかった。


 事件の処理がひと段落してから、アーネストはパーマー侯爵邸の一室でフェリシア・エヴァンズと顔を合わせた。彼女と会うのは空き教室で話し合って以来である。

 アーネストは侍女を下がらせてから、フェリシアに対して事の次第を説明した。アンナ夫人の嘘についても包み隠さず話したところ、相当にショックを受けていたようだった。彼女は母親から大切にされていないことは自覚していたが、やはり単に兄の出世のために利用されていた事実はきついものがあったらしい。


 フェリシアは嗚咽しながら「なんで……」と小さくつぶやいた。

 なぜ自分は兄と違って愛されないのか。

 なぜないがしろにされ続けるのか。

 そこに理由が欲しいのだろう。

 しかしおそらく、そんなものは存在しないのだ。

 「彼ら」は理由など必要としない。だから永遠に変わらない。

 フェリシアがどれほど心を尽くそうと、どれほど母親の役に立とうと、アンナ夫人が娘を愛することは、おそらく永遠にないだろう。アーネストの両親が、アーネストを愛することも認めることも、おそらく永遠にないように。

 しかしそれでも幸せになることは出来ると思う。思いたい。


「フェリシア、こんなときでなんだけど、君に一つ提案があるんだ」

「提案?」

「お互い良き伴侶となれるように、一緒に努力をしてみないか?」


 フェリシアの目が大きく見開かれる。


「パーマー宰相はカレン夫人と結婚したとき他に好きな女性がいたけど、今は心から妻を愛しているそうだ。だから、俺たちもそうなれないかな」


 アーネストは慎重に言葉を紡いだ。

 もしここで何かを誤魔化したら、彼女の信用は得られまい。

 だから今フェリシアに告げるのは、混じり気のないアーネストの本心でなければならない。


「君は俺を愛してないし、俺もまだビアトリスに心を残している。それでも、君と一緒にやっていきたいと思っているんだ。今は互いに特別な感情はなくても、少しずつ育てていくこともできると思う。絶対に上手くいくとは言いきれないけど、君と一緒に努力していきたい」

「……私でよろしいのですか」


 フェリシアがおずおずと問いかける。

 彼女がいい、彼女でなければ嫌だ――ビアトリスに対してはそう思っていた。

 今のアーネストは、フェリシアに対してそこまで強い感情はない。

 だけどそれはこれからゆっくりと育てて行けるものだと思う。

 なんとなく、本当になんとなくだが、フェリシアとならば、できそうな気がする。


「ああ、君がいいんだ」


 だからアーネストは少しばかりの祈りを込めて、そう答えた。

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