第113話 夢の中へ(アーネスト視点)

 同時刻。アーネストは自室で、騎士団からの報告に目を通していた。

 騎士団には「王妃の脱走を企てる者がいるらしいので、警戒を強めて欲しい」とだけ伝えていたが、今のところ特に不審な動きはないようだ。ミルボーン家お抱えの老医師が頻繁に出入りしているものの、毎回身体検査を受けているので脱出に協力するのは無理だとのこと。

 カインの推測通りの展開に、アーネストはため息をついた。


「やっぱり、そういうことだったのか……」


 王宮図書館でのやり取り。

 宰相がそれをアーネストから隠そうとしたこと。

 そして過去のプロポーズ。

 それら三つの情報から、アーネストはパーマー宰相が母を幽閉先から脱出させようとしているのだと考えた。しかしカインはひどく言いづらそうに、もう一つの可能性を示唆して見せた。騎士団の報告から察するに、どうやらカインの方が正解のようだ。あの兄はやはり天才なのだろう。


 アーネストは報告書を置いて立ち上がると、王族のプライベートスペースを抜けて、パーマー宰相の執務室を訪れた。


「これはアーネスト殿下、私になにか御用ですか?」


 パーマー宰相は驚いた様子で立ち上がった。目の下には隈ができており、疲労の色が濃いようだ。それはおそらく単なる忙しさのせいばかりではなく、重い秘密を抱えていることによる精神的プレッシャーもあるのだろう。


「極秘でお話ししたいことがあるので、少しの間、人払いをお願いできますか?」

「人払いですか……かしこまりました」


 パーマー宰相は怪訝そうな顔をしながらも、アーネストの要望に応じてくれた。

 補佐官たちが全て退出してから、アーネストは簡単に今回の一件を説明した。

 ペンファーザー公爵が現国王引退後の王座を狙っていたこと。そのためにフェリシア・エヴァンズを使ってアーネストを陥れようとしていたこと。邪魔なメリウェザーとウォルトンの離反も画策していたこと。

 宰相はひどく驚いて、「すぐにアンナ夫人に確認に向かわせます」と約束し、それから深々と頭を下げた。


「申し訳ありません。ペンファーザー公爵のご紹介なら間違いないと妻も喜んでいたのですが、まさかそんな醜悪な意図があったとは存じませんでした。見抜けずに殿下にとんだご迷惑をおかけしたことを幾重にもお詫び申し上げます」

「頭を上げてください。貴方やパーマー夫人は叔父の隠れ蓑に使われただけですから。むしろ王家の身内が迷惑をかけて申し訳なく思っています」


 その後、アーネストはパーマー宰相と本件に関する善後策を話し合った。

 ペンファーザー家に対する処分はどうするか。

 エヴァンズ家に対する処分はどうするか。

 アーネストとフェリシアの婚約をどうするか。

 フェリシアの養女の一件はどうするか。


 形式上の決定権は現国王アルバートにあるにしても、実際に決めるのはおそらくパーマー宰相だ。だから今ここでアーネストの希望を宰相に伝えておきたかった。

 そしてパーマー宰相は、全てアーネストの希望通りになるよう努めると約束してくれた。




 一通りの話し合いが終わったあとで、アーネストは何気ない調子で言った。


「ところでこの件とは別に、一つ質問があるのですが」

「なんでしょう、アーネスト殿下」

「母が心の病を患っているというのは本当ですか?」


 その言葉を聞いた瞬間、明らかに宰相の顔色が変わった。


「誰がそのことを……まさかミルボーン侯爵が話したのですか? なんということだ、よりにもよって貴方に話すなど信じられない!」

「落ち着いてください。叔父は何も言っていません。ただ以前図書館で耳にした会話から、もしかしたらと思っただけです」

「あの会話で……」


 パーマー宰相はしばし絶句したのち、「……では、私は鎌をかけられたのですか」と複雑な表情で問いかけた。


「すみません。どうしても事実を確認したかったものですから」


 アーネストは淡々と言葉を続けた。


「母の精神は、娘時代に戻っているんですね。まだ父の側妃になる前、貴方にプロポーズされた当時に戻って……そして貴方のプロポーズを受けたという夢の世界に生きているんですね」


 アーネストの言葉に、パーマー宰相は目を伏せた。

 過去に戻ってやり直したい――それはアーネスト自身にも覚えのある感情だ。

 アーネストが夢の中でビアトリスを傷つけたあの日に戻って彼女と仲直りしたように、母もまた、夢の中で過去に戻って「過ち」を修正したのだろう。そして今も幸せな夢の世界にいるのだろう。


 誠実なセオドア・パーマーと婚約し、彼に大切にされている夢。

 セオドアからことあるごとに美しい花束や首飾りを贈られる夢。

 そしていずれセオドアのもとに嫁ぐ日を指折り数えて待っている夢。


 彼女の精神はそんな幸せな夢の世界で、今もたゆたっているのだろう。


「……医師の言うには、一時的なものである可能性が高いそうです。根気良く接していれば、いずれ元に戻るはずだと」


 パーマー宰相は気遣うように言った。


「そうですか、ただ元に戻るのはかえって残酷なことかもしれませんね。母は今、夢の中で幸せなのでしょうから」


 目覚めれば残酷な現実を、己の過ちを、突き付けられることになる。

 そう、彼女の中で、セオドア・パーマーの求婚を断ったことは間違いだった。

 王太子アルバートの側妃になったことは間違いだった。

 そして彼の息子を産んだこともまた、正すべき間違いだったのだろう。


「母が幸せなら、それが一番良いと思います」

「殿下……」

「そんな顔をなさらないでください。貴方にはなんの責任もないことですから」


 アーネストは苦笑した。


「王宮図書館でミルボーン侯爵と話し合っていたのは、母の症状についての報告を受けていたのですか?」

「はい。秘密を知る者はできるだけ少ない方がいいですから、ミルボーン家のお抱えの主治医を派遣してもらっているのです。王妃さまを子供時代から知っている医師ですから、治療に最適だと思いまして」


 それで得られた結果がまずミルボーン侯爵に報告され、そこから宰相へと情報が共有されていたのだろう。分かってしまえば、なんのこともない。


「ありがとうございます。これで色々と腑に落ちました。ところで最後にもうひとつだけお聞きしてもよろしいですか?」

「私に答えられることでしたら、何なりと」

「パーマー宰相、母は貴方が迎えに来てくれることを望んでいます。貴方の方はどうですか。母を迎えに行きたいですか?」


 アーネストの質問に、宰相ははじかれたように顔をあげた。

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