第112話 懺悔の手紙
「大叔母さま、今回は協力していただいてありがとうございました」
帰宅する大叔母を玄関ホールで見送りながら、ビアトリスは笑顔で礼を述べた。
「ほほほ、お礼を言うのは私の方よ。こんなにスリリングで楽しいお茶会はいったい何十年ぶりかしらねぇ。素敵なお話もいっぱい聞けたし、最高だったわ」
バーバラは高笑いをしてそう言ったあと、「それにしても、似ていると思っていたけど、まさか本当にクリフォード殿下が生きておられたなんてねぇ」と感嘆するように付け加えた。
「大叔母さま、今回のことやカインさまの正体については、くれぐれも他言無用でお願いしますね」
「ええ、もちろん分かってますとも。こんなことが世間に知れたら大騒ぎになりますものねぇ。だけど特別に親しいお友達にだけは」
「他言無用でお願いしますね!」
「……分かりましたよ」
バーバラはどこか残念そうな顔をしながら帰って行った。一抹の不安はあるものの、ここは信じるほかないだろう。
「――それじゃ、俺もそろそろ失礼するよ」
バーバラ・スタンワースを見送ってから、アーネストが口を開いた。
「ビアトリス嬢。今回は協力してくれてありがとう。助かったよ」
「いいえ、私の方こそ殿下にご協力いただいて助かりました。おかげさまで首飾りも取り戻せそうですし。それに、久しぶりにアーネスト殿下とお茶会ができて楽しかったです」
ビアトリスが言うと、アーネストは柔らかに微笑んだ。
ほんの一瞬、二人の間に沈黙が下りる。
それからアーネストは何かを振り切るように、カインの方に向き直った。
「兄上。色々と協力してくださってありがとうございました」
「いや……俺に相談に来てくれて、嬉しかった」
カインは穏やかな表情を浮かべて言った。アーネストは一瞬何か言いたげな顔をしたものの、結局そのまま何も言わずにウォルトン邸をあとにした。
やがて夕刻になって、ペンファーザー家の使いの者がウォルトン邸を訪れた。
「奥さまからのお届け物です」
恭しく差し出された小箱を受け取り、サロンに戻ってカインと共に開いてみると、中から現れたのは予想通りの品だった。小箱の中で燦然と輝く月華石の首飾り。
「良かった……」
ビアトリスは首飾りを検分してから、思わず安堵の息をついた。
どの石にも傷一つ付けられてない。何もかもがあの日奪われたときのままだった。
ああ良かった。本当に良かった。
しみじみと喜びをかみしめてから、ふと隣を見やると、カインがただ食い入るように首飾りを見つめている姿が目に映る。祖母から託された首飾りが行方知れずになったことに、彼は今までどれほど心を痛めていたのだろう。
(それなのに、ずっと何気ない風を装ってくださったのね)
首飾りが見つかったこととはまた別の喜びが、じわじわの胸の奥から湧いてくる。
「カインさま」
ビアトリスが声をかけると、カインは我に返ったようにこちらを向いた。
「着けていただけますか?」
「ああ」
カインは首飾りを小箱から取り出すと、ビアトリスの後ろに回ってそっと留め金をはめてくれた。何代も前から辺境伯家に伝わってきた月華石の首飾りは、今こうして再び自分の首元を彩っている。そしておそらく、これからもずっと。
ビアトリスはくるりとカインの方に振り返ると、いたずらっぽく問いかけた。
「似合いますか? カインさま」
「ああ、本当によく似合う。……やっとふさわしい人のところに戻ってきたな」
カインが感に堪えないと言った調子で言った。
「ありがとうございます。自分でも、とてもよく似合っていると思いますの。これからは特別なときは、いつもこの首飾りを付けることにしますわね。そしていつか、私たちに子供ができたら、私もおばあさまみたいに――」
その先は、なんだか言葉にならなかった。
あふれる涙をカインの指先がそっとぬぐった。そしてそのまま手のひらをビアトリスの頬にあてがうと、唇に温かな口づけを落とした。
やがて二人は小箱に添えられている一通の手紙に気が付いた。
差出人はクロエ・ペンファーザー。
手紙はまず今回の件に関する謝罪の言葉と、これまでの己の行動についての反省の弁が綿々とつづられていた。
夫が何か不穏なことをやっているのは薄々感づいていたが、夫の機嫌を損ねるのが嫌で見て見ぬふりをしていたこと。夫が自分を軽んじているのは分かっていても、気付かないふりをしていたこと。王家の血を引く華やかな夫にずっと劣等感を抱いていたこと。しかしカインにペンファーザー家を潰すと言われて、ようやく自分にとって何が大切かについて気が付いたこと。
クロエ・ペンファーザーの傍観者的な態度は実に無責任極まりないものだったが、ビアトリスとしてはあまり彼女を悪く思う気にもなれなかった。それは夫の顔色をうかがう姿に、かつての自分が重なって見えたからかもしれない。
また手紙には、従僕のグレアムは今までペンファーザー公爵の手によって別館の一室に監禁されていたことや、今は家族や使用人の手を借りてペンファーザー公爵その人を別館に監禁していること、息子に家督を譲る書類にサインするまでは、今後も監禁を続行する予定であることなども淡々と綴られていた。
やはり日ごろ大人しい人間が爆発すると恐ろしい。
ビアトリスは改めてそう感じたが、家族や使用人が公爵ではなくクロエ夫人に同調している辺り、公爵のやり口にはついて行けないものを感じる者が多かったのだろう。跡取り娘であるクロエ夫人がないがしろにされていることに対し、ペンファーザー家の者たちはひそかに怒りを覚えていたのかもしれない。
ちなみにグレアムの処遇については今後スタンワース家と話し合うつもりだが、もし許してもらえるならば、彼をペンファーザー家で雇用したいとのことだった。グレアムのやったことは従僕として許されざることだったが、彼自身は盗みだすつもりはなかったわけだし、一か月もの間監禁されていたことを思えば、それなりに罰は受けていると言えなくもない。
(考えてみれば、グレアムもペンファーザー公爵の被害者ともいえるものね……)
だからペンファーザー公爵家が、当主のした仕打ちの償いも兼ねてペンファーザー邸で雇うというのは相応の処置と言えるだろう。
おそらく大叔母も了承するに違いない。認めたところでこれといった不都合はないし、「ペンファーザー公爵家に対する貸し」が増えるのは、彼女にとっても悪い話ではないからである。
ともあれ月華石の首飾りは取り戻せたし、行方知れずだった従僕の居場所も判明した。これにて一件落着と言ったところだろうか。
――いや、まだ一つ、不可解な謎が残っている。
「ところでカインさま、分からないことがあるのですけど」
ビアトリスはカインと晩餐を共にしながら、ふと思いついて口を開いた。
「分からないこと?」
「ええ、王妃さまを脱走させる計画ではないとしたら、王宮図書館での会話は一体なんだったのでしょう」
「その件か。これはあくまで俺の推測なんだが……君が友人たちと観に行った芝居があるだろう?」
「ミルボーン侯爵が脚本を書いたお芝居のことですか?」
「ああ。侯爵はこの話は独自性があるものではないと言っていたそうだが、それは謙遜ではなく単なる事実だと思う。彼はおそらく自分の姉に起こったことを下敷きにしてその物語を書いたんだ」
「あのヒロインのモデルが、王妃さま……?」
ヒロインの公爵令嬢はアメリア、王子は現国王アルバート、聖女は先代王妃アレクサンドラと見なせば、確かに共通項は少なくない。
むろん細部は異なっているものの、高位貴族の令嬢が愛する王子の心を新参の少女に奪われたうえ、その少女を誹謗した罪によって王子の手で断罪される、というおおまかな流れは似通っていると言えるだろう。
「だけどあの物語の肝は過去に遡って人生をやり直すところですのよ。そこがとても斬新だってシャーロットたちも言っていましたわ」
「だから、それだよ。王妃は幽閉されたあと、過去に遡って人生をやり直しているんだ。だからパーマー宰相は、アーネストからそれを隠そうとしたんだろう」
カインはどこか痛ましげな表情を浮かべて言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます