第84話 砂糖菓子のような娘

 それからほどなくして、アメリア自身もアレクサンドラと顔を合わせる機会を得た。アレクサンドラ・メリウェザーはふわふわとしてどこか頼りなげな、砂糖菓子のような娘だった。蜂蜜色の髪とハシバミ色の瞳の持ち主で、風にも耐えぬほどに華奢な体つきをしている。


「初めまして、アメリアさま。お会いできて光栄ですわ」


 アレクサンドラは鈴を振るような声音で言うと、アメリアにおっとりと微笑みかけた。それはなんの含みも感じられない、実に無防備な笑みだった。

 辺境伯領という箱庭で、あらゆる悪意から守られて、大切に大切に育てられてきたお姫さま。実に愛らしく可憐でいたいけで――それでいて、どこか薄気味悪さを感じたのは何故だろう。その正体がつかめぬまま、アメリアとアレクサンドラの初顔合わせは終了した。



 そして二つの結婚式が盛大に執り行われ、アメリアの側妃としての結婚生活が始まった。正妃アレクサンドラと側妃アメリアのそれぞれの役割分担は、当初アメリアが意図したものは異なる形になっていた。


 アルバートに信頼されるのはアメリア。

 廷臣たちに頼りにされるのもアメリア。

 しかしアルバートに愛されるのは正妃アレクサンドラだ。


 もっともそれは最初のうち、表ざたにはならなかった。なにしろ王太子殿下はアレクサンドラよりもアメリアのもとに熱心に通っていたのだから。だからアメリアには取り巻きの夫人たちに「もっとアレクサンドラさまのところにもいらっしゃるように申し上げているのだけど、なかなか聞いていただけなくって」と言ってのける余裕すらあった。そして相手から「やっぱりアルバート殿下はアメリアさまを本当に愛してらっしゃいますのね!」と称賛されて、困ったように微笑んで見せるのが定番だ。


 たとえアメリアのもとを訪れたアルバートの話題が、もっぱらアレクサンドラに関する恋愛相談だとしても、たとえアメリアと床を交わす最中に、アレクサンドラの名を呼んだとしても、アメリアの胸一つに飲み込んで隠し通せばそれで済む。そして人前ではゆったりと自信ありげにふるまって見せれば、「王太子アルバートの最愛の妃アメリア」の出来上がり。そうしているうちに、いずれアルバートの熱も冷めるだろう。


(そうよ、今までずっとそうだったもの)


 アメリアは己にそう言い聞かせた。


 アレクサンドラは実家から数人の侍女を連れてきていたが、他に補佐役として王都でそれなりの身分のある令嬢が侍女につくことになった。そこでアメリアが人を介してガーランド家の末娘、グレイスをさりげなく推薦したところ、ピアノが得意なところが評価されて、見事採用の運びとなった。アメリアの生家であるミルボーン家は、以前ガーランド家の当主が起こした横領事件をもみ消してやったことがある。弱みを握られたグレイス・ガーランドは、アメリアの手駒となってアレクサンドラの内情を逐一アメリアに報告した。


 グレイスの報告によれば、アレクサンドラはお飾り人形と嘲笑されてもさして気にした風もなく、気ままにピアノを弾いたり、サロンに演奏家を呼んだりして王宮生活を楽しんでいるとのことだった。王都の慣習とは違ったふるまい方をして、貴婦人たちにあれこれ嫌味を言われても、「まあ、教えていただいてありがとうございます」と笑顔で礼を述べるので、相手の夫人は毒気を抜かれてしまうのだと言う。


(一体なにを考えているのかしらね)


 意外にしたたかなのか。単に鈍感なだけなのか。針の筵に耐えかねて心を病んでくれることをひそかに期待していたのだが、今のところそんな気配は微塵もない。

 アメリアは新たに打つ手が見つからないまま、ただアルバートがアレクサンドラに飽きる日が来るのを待ちわびた。しかしそのときはなかなか訪れないまま、ついにアメリアが取り繕っている仮面の方が限界を迎えた。




「そういえばご存じかしら、アレクサンドラさまがサロンでピアノを弾いてらっしゃるとき、アルバート殿下がふらりと現れて、終わるまで目を閉じてずっと聴き入っておられたんですって」

「アルバート殿下はこの前、照れながらアレクサンドラさまに『サンドラって呼んでいいかな』ってお聞きになっていたらしいわよ。アレクサンドラさまが『もちろんです』とおっしゃったら、それはもう嬉しそうなご様子だったとか」


 アルバートの初恋は、少しずつ、少しずつ人々の口の端にのぼるようになり、それに伴ってアメリアのお茶会に出席する婦人たちは少しずつその数を減らしていった。

 アメリアから離れた夫人たちの中には、アメリアを「哀れなものね」と嘲笑する者さえいるらしい。


「子供の頃から殿下とずっと一緒にいたというのに、何の意味もありませんでしたわね」

「そのせいでかえって飽きられたんじゃないかしら」

「正直言って、いい気味ですわ。昔から我こそは未来の王妃って顔をして、偉そうで鼻につきましたもの」

「まあなんにしても、正妃との仲が睦まじいのは結構なことですわね。所詮側妃は側妃ですもの」


 人づてにそんな陰口が伝わってくる。アメリアの取り巻きが数を減らす一方で、アレクサンドラのサロンには人が集まり始めているらしかった。

 どうしようもない焦燥と屈辱の中で、それでもアルバートの訪れが絶えないことが、アメリアにとっては心のよりどころになっていた。


 だからだろう。

 正妃アレクサンドラに対して、あんなことを言ってしまったのは。

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