第79話 王家のため
「一体どういうことですの? アルバートさまが辺境伯家の娘と婚約するだなんて、到底納得できません」
血相を変えるアメリアに、彼女の父であるミルボーン侯爵は弱りはてた口調で言った。
「どうもこうもないんだよ。隣国との関係が思わしくないのはお前も知っているだろう?」
「それはもちろん、存じております」
強大な北の隣国とは、ここ最近ずっと緊張状態が続いている。しかし防衛の要であるメリウェザー辺境伯家は王家に臣従してから日が浅く、条件次第ではあちら側に寝返りかねない危うさをはらんでいる。ゆえに王家としては辺境伯家との絆を深める必要がある。それも隣国への牽制になるような分かりやすい形でとなれば、両家の婚姻にしくはない。
そう、そこまでは理解できる。
「ですがなにも、アルバートさまでなくても良いのではありませんか? 未婚の男性王族は第二王子のレイモンド殿下や、王弟のハロルド殿下もいらっしゃるでしょう? よりにもよって王太子自ら辺境の娘をめとる必要があるとは思えませんわ」
「アルバート殿下でなければあちらが納得しないんだ。アレクサンドラ嬢は辺境伯の一人娘で、本来なら跡取りとして婿を取るべき身の上だ。『跡取り娘をあえて王家に差し出す以上は、相応の待遇をしてもらいたい。できないのであれば、いくら王家の命令と言えど承服しかねる』というのがあちらの言い分だ」
「なんて図々しい……」
「そう言うな。絆を深めると言えば聞こえはいいが、要はていのいい人質だからな。それならせめて王太子妃の座くらい貰わないとやっていられないということだろう」
父はそういうと、アメリアの肩に手を置いた。
「なぁアメリア、お前の気持ちは分かるが、これは王家のためなんだ」
王家のため。
それはミルボーン侯爵家の人間にとって、何よりも優先されるべきことだった。
ミルボーン家は王家がこの国を統一する以前からの忠臣であり、一族の者は皆、そのことを何よりも誇りとしている。
――ミルボーン家に生まれた者は、すべからく王家のために生き、王家のために死ぬことを至上の誉れと心得よ。
――お前のすべては王家のもの。心も身体も魂も、すべて王家に捧げなさい。
幼いころから繰り返し言い聞かされてきた言葉が脳裏に浮かび、アメリアはぐっと唇をかみしめた。
「分かりましたわ、お父さま。王家のために必要なことですのね」
アメリアは声が震えそうになるのを懸命にこらえ、努めて平静な口調で言った。
「そうだ、分かってくれたんだな。お前の今後の身の振り方についてはこちらでよく考えておく。なにも心配することはないよ」
「はい。……それでは失礼いたします」
アメリアは父に一礼すると、自分の部屋へと引き上げた。
怒りと悲しみと屈辱で、頭がどうにかなりそうだった。幼子のように大声で喚き散らしたい、ものを投げつけ踏み荒らし、なにもかも滅茶苦茶にしてしまいたい、そんな衝動が体の奥から突き上げてくるが、実行しても虚しさが募るばかりだろう。
父を責めてもどうにもならないことは分かっている。この件で歯噛みする思いなのは、父とて同じなのだから。
十七年前。アメリアがミルボーン家の長子としてこの世に生を受けたとき、父の喜びようは大変なものだったと聞いている。第一王子アルバートと同じ年、しかも女子。その意味するところは貴族なら誰でも理解するだろう。
父はアメリアと同じくらい、いやもしかするとアメリア以上に、彼女が王家に嫁ぐ日を、指折り数えて待っていた。今回の件でもぎりぎりまで回避のために努力してくれたに違いない。
どうしようもない。誰が悪いわけでもない。誰もがみな巻き込まれた被害者なのだ。父も、自分も、そして――
(そういえばアルバートさまは、この件をどうお考えなのかしら)
アメリアは今日会ったばかりの幼馴染の姿を思い返した。
今日アルバートはいつもと変わらずにアメリアと昼食をとり、他愛もないことを語り合い、放課後はともに生徒会室で創立祭の準備を行った。その屈託のない笑みはいつものアルバートそのもので、不自然なところはまるで見当たらなかった。
おそらく彼もあの時点では、何一つ知らされていなかったのだろう。隣国から横やりが入らぬように、婚約成立までの間、本人にすら伝えられることなく、徹底した緘口令が敷かれていたに違いない。
(今頃アルバートさまも、陛下からことの次第を説明されているんでしょうね)
アルバートはアレクサンドラとの婚約を聞いて、どんなふうに感じただろう。
アメリアと結婚できなくなったことを、アメリアと同様に嘆き悲しんでくれているのだろうか。
それとも王家に生まれたさだめとして、すんなりと受け入れてしまっただろうか。
まさかあっさり気持ちを切り替えて、婚約者との初顔合わせを楽しみにしているようなことは、さすがにないと思いたいが――
今日は週末なので、あと二日間は学院で顔を合わせることはない。
アメリアはアルバート本人がふらりと訪ねてくることを期待したが、結局彼が侯爵邸を訪れることはなく、アメリアは不安なままに週明けを迎えることとなった。
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