番外編:アメリア・ミルボーンの献身
第78話 黄金の日々
「そういうことだから、今後はわきまえて行動してちょうだいね。チャーマーズさん?」
侯爵令嬢アメリア・ミルボーンの言葉に、平民の特待生ミランダ・チャーマーズは涙を浮かべて頷いた。
「……分かりました」
「あら、良いお返事ね。だけど本当に分かってくれたのかしら」
「本当に分かっております。もう二度と殿下には近づきません」
「それなら結構よ」
アメリアは口元を扇で隠して微笑んだ。
「ねえ、誤解しないでほしいのだけど、私は別に貴方が憎くてこんなことを言っているわけじゃないのよ? ただいくら建前上『学院生徒は皆平等』と謳っていても、身分の差は厳然として存在するのだから、そこはちゃんとわきまえないと、ね? アルバートさまは貴方の無礼で馴れ馴れしい振る舞いに、随分迷惑してらしたのよ」
「そんな、私はただ――」
「ただ、なぁに?」
被せるように問いかけると、ミランダはびくりと肩を震わせた。
「いえ……なんでもありません」
「なにか文句があるのなら、言ってくれても構わないのよ?」
「文句なんてありません。殿下にご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「ふふ、聞き分けの良い人は大好きよ」
アメリアは蜜のように甘い声音で言った。
「それじゃあ分かってくれたようだし、もう行っていいわよ、チャーマーズさん。貴方のお父さまのお店が上手くいくように祈っているわ」
少女が悄然として立ち去るのを見届けたあと、アメリアは「今度の子は意外とあっけなかったわね」と独りごちた。
アルバートと肩を並べて馬車へと向かう道すがら、アメリアはさりげなく話を切り出した。
「そういえばあのミランダ・チャーマーズのことですけど、今日の昼休みに私から釘を刺しておきましたわ」
「それで、ちゃんと聞き入れてくれたかい?」
「最初は渋っていましたけど、この社会の常識というものをこんこんと説いてやったら、最後には納得していたようでした」
「ありがとう、アメリアはいつも頼りになるね」
「アルバートさまのためですもの。これくらい、なんてことありませんわ」
アメリアは先ほどのやり取りを思い返しながら、涼しい顔でそう口にした。
当初ミランダは「アルバートさまの婚約者ならともかく、単なる幼馴染にすぎない貴方に口出しされる筋合いはありません」だの「アルバートさまが迷惑がってるのが本当なら、それをアルバートさま自身の口から直接聞きたいです」だの散々ごねていたものの、アメリアがミランダの父親が経営する店の存続について匂わせると、我に返ったように大人しくなり、最後にはすっかり聞き分けが良くなっていた。
あの様子ならもう二度とアルバートに近づくことはないだろう。
「ですが今後ああいう輩をご寵愛なさるのは、控えたほうがよろしいかと思いますわ、アルバートさま」
「別にご寵愛してたつもりはないんだけどなぁ。平民出身で慣れないことも多いだろうから、生徒会長として面倒を見ていただけだよ。ただそれだけのことなのに、変な風に勘違いされてしまったみたいで、ほとほと困っていたんだよ」
アルバートは軽く肩をすくめて見せた。
「そりゃあ何かあったらいつでも頼ってとは言ったけど、まさかそれを口実にして、あんな風に付きまとってくるとは思わないじゃないか」
「まあそうでしたの。社交辞令を真に受けるだなんて、平民というのは本当に困ったものですわね」
アメリアは軽く調子を合わせつつ、心の中で苦笑していた。なんとなれば、アルバートがミランダに示した態度は、けして「ただそれだけ」などではなかったことを把握しているからである。
きっかけは彼の言う通り、生徒会長の職務上のことだったのかもしれないが、その後は自分からランチに誘ったり、下町を案内して欲しいと頼み込んだり、そのお礼だと言ってちょっとした装身具をプレゼントしたり、その装身具を手ずから彼女につけてやったり、しかも恐縮して辞退しようとするミランダに「僕が王太子だからって遠慮しないでほしいな。この学院では生徒はみんな平等なんだよ」と熱弁をふるい、「殿下なんて堅苦しい呼び方じゃなくて、アルバートって呼んでくれないか」と懇願し、手を握って笑いかけ、肩を抱き、そして――そして一線を越えることこそなかったものの、あの親密な距離感は間違いなく恋人同士のそれだった、というのはあらゆる情報源の一致した見解だった。
おそらくアルバートは毛色の違った少女が物珍しくて、のめり込んでいたのだろう。
しかし結局のところ珍獣は珍獣でしかなかったようだ。ミランダが王子さまの甘い囁きに舞い上がり、夢中になっていくにつれ、アルバートの態度は冷めていき、ここ最近はあれこれと理由をつけてミランダを避けるようになっていた。
そこでアメリアがミランダのことを話題に出して、「私が対処しましょうか」と申し出たところ、アルバートはほっとした顔で一も二もなく飛びついてきた、というわけだ。
(本当に仕方のない人ね)
アメリアは改めて隣を歩く幼馴染に目をやった。
日を受けて輝く黄金の髪と夏空のように青い瞳。
貴種の証をそのまま体現したような第一王子アルバート。
客観的に見れば、彼の振る舞いは実に身勝手この上ない、非難されるべきものである。しかしそれでもアメリアのうちにまるで嫌悪が湧いてこないのは、相手が他でもないアルバート王太子殿下だからだろう。
身勝手な振る舞いも非道な仕打ちも、彼ならばすべてが許される。
だって彼は、特別なのだ。
アメリアは誘われるように手を伸ばし、指先でアルバートの巻き毛にそっと触れた。
「ん、なんだい、アメリア」
「糸くずが付いていましたのよ」
「そうか、ありがとう」
「どういたしまして」
するとアルバートは急にくすくすと笑いだした。
「どうかなさいまして?」
「いや、この前セオドアが僕らのことを『まるで熟年夫婦みたいですね』なんて言っていたのを思い出してね。あの堅物にしちゃ随分砕けたことを言うなと思っていたけど、確かにこんなところを見られたら、そう思われても仕方ないのかもしれないな」
「まあ、あの生真面目なパーマーさまがそんなことを」
「結婚どころか、婚約もまだだっていうのにね。……まあ時間の問題ではあるけどさ」
アルバートがいたずらっぽく付け加えた言葉に、アメリアは心臓が跳ねるのを感じた。その言葉がアメリアをどれほど狂喜させるかを、分かっているのか、いないのか。
(本当に、仕方のない人)
長らく婚約者同然と言われながらも正式な婚約に至っていないのは、「もう少しだけ自由でいたい」と言うアルバートの意向によるものだ。ゆえに時おり「アルバートは本心では自分との結婚を嫌がっているのではないか?」との疑念が浮かんでくるが、こういうことを言われると、やはり彼の方も望んでいるのだという安堵感に包まれる。
いずれ自分はアルバートに嫁ぎ、アルバートの即位に伴って王妃となり、アルバートと共に国を導き、アルバートの子を――次代の王を世に生み出す。
それを思えば彼の独身時代の火遊びなんて、気にするほどのことではない。
いやもしかすると結婚後も、気まぐれにさまざまな娘にちょっかいを出しては、アメリアに尻ぬぐいをさせるつもりかもしれないが、それでもいい、構わないと思っている。
自分とアルバートはいわば運命共同体。
魂の奥深いところでちゃんと繋がりあっているのだから。
――そう信じていられたこの時期が、後から思えば一番幸せだったのかもしれない。アルバートに辺境伯令嬢アレクサンドラとの縁談が持ち上がったのは、ミランダ・チャーマーズの件があってから、わずか半月後のことだった。
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