第77話 エピローグ

 ビアトリスが王立学院に復帰したのは、定期試験を一週間後に控え、学院中が大わらわになっているころのことだった。

 もっとも試験に関して言えば、復帰前から友人たちがまめにノートを届けてくれたことや、前回と同じメンバーで勉強会を行っていたこと、カインという最強の家庭教師が公爵邸に教えに来てくれたことなどもあり、ビアトリス・ウォルトンに死角はなかった。


 おかげでビアトリスは前回に続いて今回も見事首位をとることに成功した。仮に急落しようものなら、不正疑惑が再燃しかねないと危惧していたので、ビアトリスは心から安堵した。


 ちなみに同点首位はアーネストである。色々あったにも関わらず、己を取り戻してきちんと結果を出すあたり、さすがと評するべきだろう。

 掲示板の前で顔を合わせた際は、「ビアトリス嬢、連続首位おめでとう」「アーネスト殿下も首位奪還おめでとうございます」と互いに祝福を贈りあった。笑顔でやり取りする二人に、他の生徒たちがとまどっている様子がなんだか少しおかしかった。


 三位と四位はフィールズ姉妹。五位がシリルで、六位はマリア・アドラーだった。生徒会メンバーが総じて振るわなかったのは、会長が辞めた後の混乱が影響していると考えられ、ビアトリスは若干の責任を感じた。もっとも新規メンバーが入ってからは何とかやっているそうなので、次は巻き返してくるだろう。


 シャーロットとマーガレットはそれぞれ前回と同程度だった。シャーロットは「ケアレスミスさえなければ十位以内に入れたのに」と悔しがっていたが、マーガレットは「私はこれで十分だわ」としごく満足そうだった。



 そして試験期間が終わると、ビアトリスは友人たちと過ごす他愛もない日常へと回帰した。休み時間のお喋りと週末のスイーツ巡り。そして娯楽小説の貸し借り。加えてビアトリスは最近クラブに入ることを検討している。残りの学院生活を存分に謳歌するために、なにか新しいことを始めたいと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのがクラブ活動だったのである。


 王立学院には大小さまざまなクラブが存在するが、中でもビアトリスが心を惹かれたのは文芸部と馬術部だ。前者は「小説好きの令嬢たちと様々な作品について語り合ったら楽しいだろうし、自分で何か書いてみるのも面白そうだ」という単純な動機によるものだ。シャーロットが「文芸部なら付き合いで入ってもいいわよ」と言ってくれたのも心強い。


 後者はメリウェザー領が名馬の産地で、伝統的に女性も乗馬の得意な人間が多いと聞いたのがきっかけだ。今のビアトリスの馬術は令嬢の嗜み程度なので、嫁ぐまでには多少技術を上げておきたいし、クラブ仲間と遠乗りに出掛けるのも楽しそうだ。こちらはマーガレットが一緒に入っても構わないと申し出てくれた。

 どちらも魅力的なので、今慎重に比較検討中である。



 カインとは相変わらずあずまやでのおしゃべりを続けているが、最近は婚約式の打ち合わせのために公爵邸で会うことも多くなった。婚約式は当初王妃を刺激しないためにごく内輪で行うつもりだったが、その必要がなくなったために、親族に加え友人知人を招いて多少規模の大きなものになる予定である。


 ウォルトン家側の出席者で最大の懸案は母のスーザンだったが、最近はずっと体調が良く、主治医からも「王都までの小旅行なら大丈夫」とお墨付きが出たことであっさり解決を見た。兄のダグラスも留学先から帰って来てくれるとのことだった。


 他の出席者としては、まず世話になった関係上、大叔母のバーバラ・スタンワースは外せないし、その兼ね合いで普段はあまり付き合いのない親族もそれなりに招待することになった。バーバラからは、「メリウェザー家の令息とは単なる友人とか言っていた癖に、やっぱりロマンスの始まりだったじゃありませんか」と詰られること必定だが、甘んじて受けるつもりである。


 メリウェザー家からはカインの名目上の父である祖父を筆頭に、主だった親族がこぞって出席するということだ。ビアトリスは「王太子の元婚約者」といういわくつきの自分がどう思われるか不安だったが、カインいわく「一族の連中はみんな『王太子から許嫁を奪ってやった!』と大歓迎しているから大丈夫だよ」とのこと。安堵の一方、「それはそれでどうなのか」と若干複雑な気持ちになった。


 まあメリウェザー家にしてみれば、掌中の珠を差し出したのに、不貞の濡れ衣を着せられたうえ、子供を死者にされたのだから、王家に対して反感を持つのも無理はない。アメリア妃の策謀に乗せられたとはいえ、アレクサンドラ妃を信じなかったのは現国王アルバート自身である以上、色々と割り切れない思いがあるのだろう。

 それでもカインとアーネストの代になったら、両家の確執は少しずつ解消されていくものと信じたい。


 親族のほかには、ビアトリスはマーガレットとシャーロット、それからフィールズ姉妹を招待する予定である。

 エルザとはあの後も何度か顔を合わせたものの、今までと変わりなく接してくれているので、ビアトリスも同様に接している。婚約式についても、ぜひ出席させてくださいね、と彼女の方から申し出てくれた。変に気まずい雰囲気にならなかったことに、ビアトリスは心から感謝した。


 カインの側はチャールズと、クリフォード時代に親しくしていた人間を何人か、それからピアニストのアンブローズ・マイアルを招待するとのことだった。なんでも王妃を追い詰める際に大変世話になったので、何かお礼をしたいと打診したら、婚約式に出席させてほしいと言われたらしい。式典で一曲披露してくれるとのことで、これではどちらがお礼されているのが分からないが、あの合奏でよほど気に入られたのだろう。


 ちなみに国王アルバートはお忍びで参加したいとひそかに打診してきたが、カインが即座に断りを入れた。別に親族のためではなく、カイン自身の希望らしい。


「本当によろしいのですか? カインさま」


 ビアトリスが問いかけると、カインは「本当にいいんだよ。俺にとってあの男はもう完全に赤の他人だからな」と苦笑した。


「グレイス・ガーランドの打ち明け話であいつが紛れもなく実の父親だと分かったときも、これといった感慨はなかった。それでも舞踏会で久しぶりに顔を合わせたら、さすがになにか感じるものがあるかと思っていたんだが、やはりなにもなかったな。それでなんというか、分かったんだよ。俺の中にあいつに対する情みたいなものは、もう欠片も残っていないんだって」


 カインはさばさばした調子で言った。


「ああ誤解しないで欲しいんだが、あいつがアーネストを王太子に選んだことや、九歳の俺に死者となるか幽閉されるかを選ばせたことについては、別に含むところはないよ。国王としていろいろと立場もあるだろうし、仕方のないことだと思っている。……しかしそれを自分で直接言わずに侍従に伝えさせたのは、客観的に見て屑だろう」

「そうですね……」


 ストレートに同意していいものか若干のためらいを覚えたが、適切な反論を思いつかなかった。


「あいつの息子であるクリフォードとしての意識は、多分あのときからゆっくりと死んでいったんだと思う」


 そう言うカインの顔は清々しくて、虚勢はまるで感じられなかった。

 おそらくクリフォードだったときの彼の中には、それなりに父の愛を得たい、認められたいという思いもあったのだろう。しかしその思いは八年のときを経て、もはや跡形もなく消えてしまったと言うことか。


 互いを尊重する心がなければ、愛は尽きるし思いは枯れる。

 それはとても切ないことだが、一種の救いでもあるのだろう。


「カインさま」

「うん?」

「ずっと傍にいてくださいね」

「ああ。もちろんだ」


 そう言って、カインはふわりと微笑んだ。


「こちらこそ頼む。ずっと傍にいてくれビアトリス」


 生まれる場所は選べないが、共に生きる相手を選ぶことは出来る。彼がその相手として自分を選んでくれたことが、ビアトリスにとってはなによりも嬉しい。


「愛してる」


 頬にカインの指先が触れ、端正な顔が近づいてくる。

 ビアトリスはそっと目を閉じて、彼の口づけを待ち受けた。

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