第75話 価値のある言葉(アーネスト視点)
(貴方の望むような息子になれなくて、申し訳ありませんでした)
アーネストは近衛騎士に連行されていく母の後ろ姿に、心の中で謝罪した。
母の行為に激しい怒りと嫌悪を覚える一方で、先ほどの母の嘆きを思うと、ぎりぎりと胸を締め付けられるような痛みを感じる。自分の中の幼い少年が泣き叫んでいるようだった。
母への罪悪感、母を失う恐怖、見捨てられる恐怖、物心ついたころから慣れ親しんだ感情がないまぜになって、怒涛の如くに押し寄せる。
母と近衛騎士の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなってから、アーネストは深々と息をついた。
ややあって、カイン・メリウェザーが部屋の中に入ってきた。彼はこの件の立役者だが、「俺がいたら無駄に刺激するだけだから」と言って隣室に控えていたのである。カインが現れるや、ナイジェル・ラングレーは嬉々として彼に駆け寄って、布張りの小箱を有難そうに受け取ると、気もそぞろな様子で退場した。
そして部屋には王家の血を引く三人の男が残された。
「――上手くいったようですね」
カインの言葉に、父は「ああ、何もかもお前が予想した通りになった」と優しく微笑んだ。
「クリフォード、やはりお前は天才だな」
「もったいないお言葉です。しかし私のことはどうかカイン・メリウェザーとお呼びください」
「そう言うな。私にとって、お前はいつまでもクリフォードだ」
そして父は両腕を広げ、カイン・メリウェザーを抱きしめた。その光景を見るともなしに眺めながら、アーネストは「父と子の感動的な和解の図だな」と他人事のように考えた。
いっそ本当に赤の他人だったらどんなに良かったかと思う。自分こそが不貞の子で、父と血がつながっていないのだとしたら、どこかよそに真実の父がいるのだとしたら、様々なことが今よりはるかに耐えやすかったことだろう。
「ああ本当に大きくなったな。クリフォード」
父は感極まったようなかすれ声で囁いた。
「私はお前を王太子に選ばなかったことを、ずっと後悔していたんだ。愛する息子を死者にしてしまったことを、ずっと後悔していたんだよ」
「もったいないお言葉です」
対するカインはしごくあっさりした口調で答えた。
「ですがどうか、お気になさらないでください。私自身はカイン・メリウェザーとなったことを、一度たりとも後悔したことはありませんから」
少しの間、沈黙が続いた。
「……クリフォード、私に気を使ってくれているのかい?」
「いえ、偽らざる本心です」
「そうか……。まあ、今はまだ心の整理がつかないのも当然だな」
やがて父はぎこちなく抱擁を解いた。それから王宮に遊びに来いとか、一緒にチェスをしようとか、あれこれカインに誘いをかけ、そのたびに慇懃にあしらわれてなんとも珍妙な表情を浮かべた。
「……それで王太子のことだが、やはり気持ちは変わらないのか」
「はい。私は王座に対して未練は全くございません」
「変に意地を張らなくてもいいんだぞ。お前さえその気になってくれれば、なんとでもやりようはあるからな」
父はこの場にもう一人の息子がいることなど、忘れてしまっているようだった。
(今さらだな、本当に)
アーネストは我知らず苦笑を浮かべた。
父はずっと凡庸な自分よりも天才のクリフォードを愛し、彼が自分の本当の息子だったらと願っていたのだから。不貞がなかったことが明らかになれば、こうなることは最初から分かりきっていた。
自分はそれを分かったうえで、この件に協力したのである。
――貴方はこの先ずっと孤独なまま、今日のことを後悔し続けることになるでしょうね。
ふと先ほどの母の言葉が蘇る。
この先ずっと孤独なままというのは、当たっているのかもしれない。実の父親は自分を愛したことはない。ビアトリスも最後は自分から離れて行ったし、友人たちもあの件で大半が背を向けた。この先誰かと愛し愛される関係を築ける自信がない。
(それでも)
それでも今日の判断を後悔することはないだろう。それだけは確かだと、胸を張って言い切れる。
父とカインのやり取りを遠い目で眺めながら、アーネストはそんなことを考えていた。
父が王宮へと引き上げたのち、カインは何やら気まずそうに口を開いた。
「一応お前にも言っておくが、俺は王太子になるつもりはないからな」
「そうですか。気が変わったらいつでも言ってください。俺は別に構いません」
「なんだって?」
「もともと俺が選ばれた理由は、正統な王家の血を引いているというその一点でしたから。資質はクリフォード殿下の方が優れていると周囲も言っていましたし、こうなった以上はお返しするのが筋ではないかと思います」
「八年前と今とでは全く状況が違うだろう。俺がメリウェザー領で自由に過ごしてきた八年間、お前は王宮で次代の国王としてずっと研鑽を積んできたんだから。その時間は今さら覆らない」
「そんなものに大した意味はありませんよ」
アーネストは静かな口調で言った。
――私はお前を王太子に選ばなかったことを、ずっと後悔していたんだ。
父――国王アルバートは、カインに対してそう言った。言い換えればアーネストは王太子であった八年間、一度たりとも彼のお眼鏡には適わなかったということだ。結局のところ、それがすべての答えだろう。
しかしカインは意外な科白を口にした。
「そうか? まあ俺はお前の八年については良く知らないが、少なくともずっとお前の傍にいた人間は、意味があると考えているようだぞ」
「傍にいた人間?」
まさか母のことを言っているのか。いぶかしげに眉を顰めるアーネストに、カインは「ビアトリスだよ」と苦笑した。
「俺は最初グレイス・ガーランドの一件を、大々的に公表してやろうと思っていたんだ。しかしビアトリスに猛反対されて断念した。王太子としてのお前の立場に影響するから駄目だと言ってな。そのせいで喧嘩になってしまったくらいだよ」
「彼女が、そんなことを」
「ビアトリスは、アーネスト殿下は王太子としてずっと研鑽を積んできた、その努力はないがしろにされるべきではないと言っていた。それを守るためなら、アメリア王妃を潰せなくても構わない、自分が学院を去って領地に引きこもることになっても構わないと……はっきり言って、あのいい加減な男の戯言よりも、よほど価値のある言葉だと俺は思うぞ」
そう言って、かつての赤毛の怪物は、まるで仲のいい兄のように微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます