第74話 貴方のために(アメリア視点)

 アメリアは一瞬ひるんだものの、すぐに毅然と顔を上げてアーネストの眼差しを受け止めた。


「何故って、貴方のためよ、アーネスト」

「俺はそんなことを望んでいません」

「まあアーネスト、それは貴方が何も分かっていないからよ。いいこと、あれはどうしても必要なことだったの」


 アメリアは噛んで含めるように言葉を続けた。


「そりゃあ、私だってビアトリスさんが可哀そうだと思わないではなかったわ。でも貴方が即位してからもずっと、彼女が我が物顔で社交界を闊歩するたび、人々は例の事件を思い出すの。そのことが、どれほど貴方の権威を傷つけるか……。そんなことがないようにするためには、ビアトリス・ウォルトンの存在自体をなんとかしなけりゃ駄目だったのよ。あれは必要なことだったの」

「俺にとって何が必要かを、俺の知らないところで勝手に決めないでください」

「なんですって?」

「たとえ母上から見た俺が何も分からない愚かな子供だとしても、俺のためと称して、そんな醜悪なことをやってほしくありません」


(醜悪って……)


 アメリアは思わず絶句した。

 皮肉なことに、それはつい先日アメリア自身がビアトリスに使った言葉だった。


 ――アーネストはあの通り潔癖なたちですから、彼女の醜悪な部分に我慢できなくて、つい手が出てしまったのではないでしょうか。


 アメリアがアーネストを擁護するために使った言葉を、当のアーネストはよりにもよってアメリアに対して突き付けて、己の裏切り行為を正当化しようとしているのだ。

 アメリアは改めて目の前に立つ息子の姿に目をやった。

 金の巻き毛と青い瞳。王家の特徴を色濃く受け継ぐ愛しい息子、アーネスト。

 誰より愛し、慈しんできた相手が、まるで別の生き物のように感じられた。


「……そう、そういうことを言うのね。私が貴方のためにやったことを、貴方は醜悪だと言って非難するのね」

「ですから俺は、そんなことは」

「望んでなかったって言いたいの? 私が勝手に余計なことをやったって? 言っておくけど、私だって別にあんなことやりたくなかったわ。そもそも貴方が人前でビアトリス・ウォルトンを殴ったりしなければ良かっただけの話じゃないの」


 アメリアは激情のままに吐き捨てた。


「私が今まで貴方のためにどれだけ尽くしてきたと思っているの? グレイス・ガーランドに証言させたことだって、お腹にいる貴方を王太子にするためにやったのよ? それだけでは足りなかったから、婚約者にウォルトン公爵令嬢を選んであげた。婚約者とあんなことになったから、その後始末もしてあげた。貴方がアルバートさまから失望されるたび、私がどれだけフォローしてあげたと思っているの? 愛する貴方のためにいつもいつも必死になって頑張って来たのに……貴方はそれを醜悪だと罵って、私を陥れても当然って顔をするのね。ああ、なんて恩知らずな子なのかしら」

「母上の望むような息子になれなかったことは、申し訳なく思っています」

「よくもぬけぬけと……ああ、なんでこんな子になってしまったのかしら。本当に、なんでこんな風に育ってしまったのかしらね」


 いくら責め立てても、アーネストの表情は変わらなかった。

 アメリアはその手ごたえのなさに恐怖を覚え、絶望的な心持になった。

 どうあがいても事態は何も変わらない。

 愛する夫であり、尊敬する国王でもあるアルバート。

 愛しい息子であり、王太子でもあるアーネスト。

 そして有能な王妃であり、良き妻であり、慈愛の母でもある自分。

 アメリアが努力の果てに手に入れたはずの理想の形が、脆くも崩れ去っていく。

 もう何もかもおしまいだ。


「……私が今までわが身を削って貴方たちに尽くしてきたことは、何もかもが無駄だったのね」


 アメリアはぽつりとつぶやいた。

 案の定、二人から言葉は返ってこなかった。

 アメリアは気を取り直してアルバートの方に向き直ると、穏やかな、ほとんど優しいといえるような口調で言った。


「アルバートさま、これから貴方は何か新しい政策を実現しようとするたびに、私のことを思い出すでしょうね。だって貴方の家臣の方々に、私の代わりが務まるとは思えませんもの。反対派を脅したり、すかしたり、裏から手を回して懐柔したり、汚い交渉事は私が一手に引き受けてきたのですから。貴方はこれから何一つ実現できない無能な王と嘲られ、今日のことを後悔しながら生きるのでしょうね」


 それからアーネストの方に振り返って薄く微笑みかけた。


「アーネスト、可哀そうな子。私だけが貴方の味方だったのに。世界中で貴方を愛してあげられるのは私だけだったのに。その私を失って、これからどうするつもりなの? 貴方はこの先ずっと孤独なまま、今日のことを後悔し続けることになるでしょうね」


 アメリアの言葉に、アルバートは困ったように目をそらした。この人は都合の悪いことがあるたびに、いつもこうやって目をそらす。そんなところも可愛らしいと思っていたものだが、今はもう冷え冷えとした感情しか湧いてこない。

 一方のアーネストはただ静謐な眼差しで、アメリアをじっと見つめていた。

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