第72話 作り話(アメリア視点)
ナイジェル・ラングレーと落ち合う際、アメリアはいつも王都の外れにあるレストランの二階を利用していた。そこへはレストランから直接行く他に、ミルボーン家が長年支援している孤児院からも地下道を通って行くことができる。孤児院への寄付や慰問のふりをして気軽に利用できるので、アメリア気に入りの密会場所の一つである。
アメリアがいつもの部屋に入ると、ナイジェルが満面の笑みを浮かべて出迎えた。
「おいでいただき心より感謝いたします。アメリア王妃さまにおかれましては、どうかご機嫌麗しう」
いつものごとく大仰に挨拶するナイジェルに、王妃はハエでも追い払うような仕草で応えた。
「残念だけど、あんまり麗しくはないわねぇ。次会うときは貴方とビアトリス・ウォルトンの結婚式だと思っていたのに、こんなことになるとは思わなかったわ」
「その件については、まことに面目次第もございません。心よりお詫びいたします。ですがまあ、それはそれとして、今日は貴女に興味をお持ちいただける、とびきりの話をご用意したんですよ」
「ふうん? 話してごらんなさいな」
アメリアがいつもの椅子に腰かけると、ナイジェルはここぞとばかりに語り始めた。
「この間クラブで少々負けが込みましてね。ほんの憂さ晴らしに裏通りの売春宿にしけこんだのですが、そのとき相手となった娼婦が実に面白い女だったんです」
「あら、興味深い話って、貴方の下半身事情に関するものなのかしら」
「滅相もございません。その女は一見ただの中年娼婦なんですが、ときおり所作や言葉遣いに、隠しきれない品のようなものが混じるんです。それがどうにも気になりまして、こんな仕事をしているのは、よんどころない事情があってのことじゃないかと水を向けてみたところ、最初のうちは『自分はただの娼婦だ』と言い張っていたんですが……そのうち泣きながら、実に哀れな身の上話を私に披露してくれたんです。なんでも彼女は貴族の生まれで、かつては高貴なお方の侍女をやっていたんだとか」
ナイジェルはそこで言葉を切って、にやにやしながらアメリアの様子をうかがっている。アメリアは乾いた唇をなめた。
「……続けなさい」
「仰せのままに。さて、その女が仕えた高貴なお方は、あるとき不貞疑惑に晒されまして、女はその方が夫以外の男と二人きりになったことがあるか否かを証言する立場になったんです。実際には一度たりともそんな事実はなかったんですが、女は二人きりになったことがあるという、真っ赤な嘘を申し立てたそうです。さて、ここで問題です。彼女はなぜそんな証言をしたと思われますか?」
「さあ、主人を裏切る下賤の者の考えなんて、私には想像もつかないわ」
「娼婦が言うには、その高貴なお方を妬む悪魔に脅されたんだそうですよ。そのうえ悪魔は口封じのために自分の命を狙って来たので、命からがら逃げだして、しまいには娼婦にまで身を落とす羽目になったんだとか。どうです? 実に面白い話だとは思いませんか?」
「いいえ、まったく。娼婦が客を喜ばせるために、色んな作り話をするのはよくあることだけど、今のはあまりにも荒唐無稽で、出来がいいとは言えないわね。かどわかされた異国の王女だとでも言った方が、まだしも芸があるんじゃないかしら」
「作り話、ですかねぇ」
「それ以外の何だというのかしら。貴方がそんな話を真に受けるほど純情な男だったことは、ある意味面白かったけど、貴重な時間を潰すほどではなかったわね。次に呼び出すときは、もっとましな話を用意してちょうだい」
そう言い捨てて、席を立とうとするアメリアに、ナイジェルが楽し気に呼びかけた。
「今から王都中の娼館を当たるつもりなら無駄ですよ。すでに身請けして、とあるところに匿ってますから」
そして滑らかに言葉を続けた。
「一応申しあげておきますが、私の屋敷にはいませんよ。私も王都育ちですからね、貴女ほどではありませんが、秘密の知り合いはいるのです。ところでご相談なのですが、その娼婦をいかがいたしましょう」
「……何故私に訊く必要があるのかしら」
「それはもちろん、その娼婦がグレイス・ガーランドと名乗っているからですよ。侍女として仕えた相手はアレクサンドラ王妃。そして悪魔は他でもない貴女、アメリア王妃。――さて、どうしますか? 王妃を中傷する重罪人として、近衛騎士団に突き出しましょうか」
「そんな頭のおかしい娼婦のことで騎士団を煩わせるのは、ラングレー家の名を汚すだけだからやめておいた方がいいわ」
「ではいかがいたしましょう。私は貴女の友として、貴女の御心に従います」
「……いくら欲しいの?」
ナイジェルが挙げたのは、巨額だが、アメリアなら動かせないこともないぎりぎりの数字だった。やはりこの男は心得ている。
「分かったわ。それで結構」
「ありがとうございます。それではもう一度うかがいますが、貴女のご希望は? 眠らせてここまで連れてきましょうか」
「そこまでするには及ばないわ。貴方自身の手で処分してくれれば十分よ」
「処分?」
「ええ、処分」
「……私に人殺しになれと?」
「あら、貴族身分を騙る頭のおかしい女、それも王家を中傷する娼婦など、果たして人間と言えるのかしら。あの金額を手に入れるためと考えれば、取るに足りないことでしょう? それとも、今さら神様の罰が怖いとでもいうつもりかしら」
アメリアが嘲りの口調で言うと、ナイジェルは凄惨な笑みを浮かべた。
「分かりましたよ、わが友アメリア。私も今さら純情ぶるような身でもありませんし、ここまで来たら、地獄の果てまでお付き合いします。それで、やり遂げた証拠はいかがいたしましょう。髪のひと房でもお持ちしますか?」
「馬鹿言わないで。そんなものが、何の証拠になるっていうの」
「では何を」
「首よ」
アメリアは口角を上げて言い切った。
「その女の生首を、ここにもってきてちょうだい」
「――もう十分だ。語るに落ちたな、アメリア」
そのとき緞帳の向こうから、アメリアにとっては聞きなれた――しかしこの場にいるはずがない男性の声が響いた。
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