第71話 アメリアの幸福(アメリア視点)

 アメリアはティースプーンで紅茶をかき混ぜながら、向かいに座るアルバートに告げた。


「アルバートさま、例の政策はあのまま進めてしまって大丈夫ですわ。反対派の方々は私が説得しておきますから」

「そんなことができるのかい?」


 アルバートはカップをソーサーに戻すと、意外そうに問いかけた。


「ええ、反対派の中心人物はピアシー伯爵のようですから。あの方のお母さまとは多少付き合いがありますもの」

「そうか、ありがとう。アメリアは本当に頼りになるね」

「まあ、これくらい妻として当たり前のことですわ」


 アメリアは優雅に微笑んだ。無邪気に喜ぶアルバートを見ていると、言いようのない誇らしさと幸福感で満たされる。


「それからアルバートさま」

「なんだいアメリア」

「ここ最近ずっとアーネストに対して冷たいような気がするのですけど、もしかして、まだあのことを気にしてらっしゃいますの?」

「……まあアーネストに失望したことは否定しないよ。何と言っても、あれは王家に泥を塗ったわけだからね」

「お怒りはごもっともですが、そろそろ許してやってはいただけないでしょうか。前にも申し上げましたが、ビアトリス・ウォルトンは身勝手で底意地の悪い令嬢です。アーネストはあの通り潔癖なたちですから、彼女の醜悪な部分に我慢できなくて、つい手が出てしまったのではないでしょうか」

「ビアトリス嬢はそういう子には見えなかったがなぁ」

「まあ、貴方はご存じないのですわ。私は王妃教育で身近に接していましたけど、それはもう手を焼かされましたのよ。……正直言って、彼女と婚約解消できたことは、王家にとって僥倖ではないかと思っていますの。ですからどうか、アーネストのことをあまり責めないでやってくださいな」

「分かったよ」


 アルバートは苦笑した。


「君がそこまで言うなら、アーネストにもう少し歩み寄ることにしよう」

「ありがとうございます。アーネストも喜びますわ。あの子は貴方のことをそれは尊敬していますのよ」


 アメリアは感謝の言葉を述べると、熱い紅茶に口をつけ、馥郁たる香りを楽しんだ。


 幸せとは、こんな状況を言うのかもしれない。

 光あふれるサンルーム。

 自分達のために特別に作らせた陶磁器と、遠方から取り寄せたお気に入りの茶葉。

 対面には愛する夫であり、尊敬する国王でもあるアルバート。

 そのアルバートを補佐する有能な王妃としての自分。

 そして愛しい息子であり、王太子でもあるアーネストを気遣う慈母としての自分。

 アメリアが幼いころから夢見てきた、一つの理想がここにある。


 もっともここに至るまでの道のりは、けして平坦なものではなかった。アルバートとあの辺境女――アレクサンドラ・メリウェザーの突然の婚約に始まり、「初恋なんだ」と頬を染めるアルバートに、赤毛の第一王子の誕生、そして王太子争いなどなど、それはもう色々とあったが、自分はその全てをアルバートへの揺るぎない愛と王家への忠誠心、そしてミルボーン家の血を引く女として矜持をもって乗り越えてきた。

 現在頭を悩ませている「ちょっとした案件」にしてみても、いずれ然るべき形できちんと処理できることだろう。



 お茶を終えて自室に戻ったアメリアは、実家から連れてきた者たちによる報告に耳を傾けた

 今のところウォルトン家にこれといった動きはないようだ。ビアトリス・ウォルトンはあのパーティ以来、怪我を理由に学院を休み、公爵邸に引きこもっているらしい。半月後に迫る試験期間に入っても欠席を続けるようであれば、進級できない恐れがあるとのこと。


(もしかして、このまま退学するつもりなのかしら)


 あの愚か者――ナイジェル・ラングレーによれば、アメリアが背後にいることはすでに知られているらしいが、争いを好まないアルフォンス・ウォルトンは、アメリアと真正面からやりあうよりも、娘を領地にでも引きこもらせて、嫁がせるまでやり過ごすつもりなのかもしれない。

 まあそれはそれで、悪くない結果ではある。


 ビアトリス・ウォルトンが「王太子を振った女」として、我が物顔で王都の社交界を闊歩することを考えれば、未婚の間はウォルトン領に、嫁いでからは嫁ぎ先の領地に引きこもってくれるのは結構なことだし、アメリアとしてもあれこれ骨を折った甲斐があろうというものだ。


(それならもう、この辺で手を引くべきなのかしら)


 そんな考えがアメリアの頭をよぎったものの、ビアトリス・ウォルトンを傷物にするという計画は、やはり捨てがたいほどの魅力があった。


 領地に戻って油断しているところなら、別に薬など使わずとも、粗野な田舎者を数人雇うだけで目的を達成できるだろう。ナイジェルと番わせ意のままに使える駒にするのは諦めるとしても、ビアトリスと赤毛の男――王宮で得意げにダンスを披露していた二人の仲を滅茶苦茶にする効果は、それだけでも十分に得られるはずだ。


 アーネストの名に傷をつけた女が泣きわめき、赤毛の男が歯噛みする光景を想像すると、アメリアはぞくぞくするほどの愉悦を覚える。


(だけどそこまでするのは、ちょっと火遊びが過ぎるかしらね)


 腐っても相手はウォルトン公爵家だ。本気でやりあえば、こちらとてただでは済まないだろう。向こうが穏便に済ませようとしているうちに、こちらも手を引くのが賢明といえるのではないか。


 アメリアが判断をつけかねていると、報告者の一人がすいとメモを差し出した。署名はないが、その気取った筆跡には見覚えがある。

 記された内容に、アメリアは思わず眉をひそめた。


“耳寄りな話があるので、明後日の午後四時にいつもの場所に来られたし”


 また随分と勿体ぶった書きぶりである。あの男はあんな失敗をしでかしておいて、こんな思わせぶりなメッセージひとつでアメリアを呼びつけるとは、どういう料簡なのだろう。


(……まあいいわ。その時間はちょうど空いてるし)


 耳寄りな話とは何なのか。どんな風に前回の不手際を挽回するつもりなのか、とっくり検分させてもらおうではないか。


 アメリアはメモを暖炉に放り込むと、同意したと伝えるように指示を出した。

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