第41話 生者と死者・中編(カイン視点)

 一方的な出会いはほんの偶然によるものだった。クリフォードが王宮庭園の奥にある森でまどろんでいたときに、楽し気な話し声が耳に響いてきたのである。話しているのは弟のアーネストともう一人、おそらく彼と同じ年頃の少女だろう。


(ビアトリス・ウォルトンだ)


 そう察しを付けたクリフォードは、足音を忍ばせ、声のする方に忍び寄った。これといった目的があるわけでもなかったが、ただ己の地位を奪った女を一目見てやりたくなったのである。

 あのアメリア王妃が選んだ女だ。どうせ血筋だけが取り柄の下らない女に決まっている――クリフォードはそんなことを考えながら物陰からそっと覗き込み、そのまま目を奪われた。


 ビアトリス・ウォルトンは華奢で、儚げで、月の光を集めたような淡い金髪と、菫色の瞳を持っていた。一目見た瞬間に欲しいと思い、得られない現実に絶望した。


 何故あいつばかりが、とクリフォードは思った。

 何故いつも、あいつばかりが。


 そしてそのときになってようやく――本当にようやく、クリフォードは自分がどれだけアーネストを羨んでいたのか自覚したのである。


 クリフォードはアーネストが羨ましかった。彼を蔑み、見下し、取るに足りない存在と決めつけなければ、己を保てないほどに。叶うものならアーネストになりたかった。アーネストになって、当然のように母に庇護され、「本当は誰の子なのか」などと問われることもなく、存在を許されていたかった。


 手に入らないものを求めることが苦しくて、アーネストの全てを下らないと踏みつけて来た。しかし踏みつけるにはビアトリス・ウォルトンは美しすぎた。


 アーネストがビアトリスの髪についた花びらをつまみあげると、ビアトリスは恥ずかしそうに礼を言い、はにかむような微笑みを浮かべた。

 光の中で顔を見合わせて笑い合う、無垢で幸福な恋人たち。そんな彼らを闇に潜んで見つめる自分は、まさに現在のクリフォードの立ち位置を象徴しているように思われた。


(俺はこの先ずっとこんな風なんだろうか)


 クリフォードはそう自問した。

 病弱な王子として離宮で過ごすというのは、つまりそういうことではないのか。さながら闇に潜む怪物のように、虎視眈々と弟の足を引っ張る機会をうかがい、失脚をもくろみ、死を願い、嫉妬で身を焦がしながら、この先もずっと。下手をすれば一生。


 アーネストを引きずりおろさない限り、クリフォードが日の当たる場所に出ることはなく、あの菫色の瞳が彼を映すことは未来永劫ないだろう。そして引きずり降ろすことに成功したら、ビアトリスはひどく傷ついて、クリフォードを見つめる表情は憎悪に歪んでいることだろう。愛しいアーネストを害する怪物、それがビアトリスの目に映るクリフォードの姿だ。



 彼らが立ち去ってからしばらくの間、クリフォードは声を殺して一人で泣いた。

 そしてその翌日、死者となる決意を父親に告げ、了承された。


 案の定というべきか、父の口から引き留めの言葉は出なかった。その代わり「最後の思い出作り」と言わんばかりに、久しぶりの対局を提案された。

 応じたクリフォードは手加減なしで駒を動かし、ものの数分で片を付けた。そして父の呆然とした表情に、ほんの少しだけ溜飲を下げた。


 義母と弟には、出立前に一度だけ会う機会があった。義母は傍目にも分かるほどに上機嫌で、「まあ寂しくなるわねぇ」などという愉快なジョークを披露した。クリフォードは「母上がそこまでおっしゃるのなら、やっぱり王子でいることにしますよ」と言ってやろうか思いつつ、ただ丁寧に別れの口上を述べた。

 弟はいつも通り所在なさそうに俯いて、けしてクリフォードと目を合わせようとはしなかった。


 改めて公平な目で眺めてみれば、アーネストはいかにも優し気な雰囲気の、美しく愛らしい少年だった。やや線が細いきらいはあるものの、そのおっとりしたたたずまいからは育ちの良さが感じられる。きっとビアトリスと支え合いながら、周囲に慕われる優しい国王になるのだろう。

 クリフォードは最後に一度くらい兄らしい言葉をかけてやろうかと思ったが、相応しい科白が見つからなかった。まあ全てを手に入れるアーネストには今さら必要のないものだろう。


 そして第一王子クリフォードは死に、辺境伯の庶子カイン・メリウェザーとして新たな生を送ることとなった。


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