第40話 生者と死者・前編(カイン視点)

 カイン・メリウェザーこと第一王子クリフォードは、九つにして人生における重大な選択を迫られた。すなわち生きるべきか、死ぬべきか。


 そもそもの発端は九年前。第一王子として生を受けた赤ん坊が、国王とは似ても似つかぬ赤毛だったことにある。産んだ張本人である王妃アレクサンドラは産褥の中で命を落とした。かけられた疑惑を知ることもなく逝ったのは本人にとっては幸いだったかもしれないが、その分すべての厄介ごとは残された子供に降りかかった。


「先代王妃が赤毛の護衛騎士と通じて生まれた子でしょう? なんて汚らわしいこと」

「素晴らしい。もうそんなことがおできになるとは。殿下はまさに神に選ばれた器です」


 不貞の子。護衛騎士の子。そして神童。

 王子クリフォードは物心ついたころから両極端な評価に晒されてきた。

 目立つ赤毛は人々の疑惑を掻き立てずにはおれない一方、剣に学問、馬術に音楽、盤上遊戯に至るまで、ありとあらゆる面で発揮される彼のずば抜けた才能は、熱烈な崇拝者をも生み出した。


 現王妃を筆頭に「あんなおぞましい子が王位につくなんてとんでもない」という者たちがいる一方で、「あの方こそが次代の王に相応しい、一刻も早く立太子式をやるべきだ」と主張する一派もいて、互いに対立を深めていった。


 クリフォード本人は当然のことながら、己こそが次代の王に相応しいと考えていた。

 疑惑についてはメリウェザー辺境伯である祖父が「下らない。腐った中央貴族ならともかく、誇り高いメリウェザーの女が夫以外に肌を許すはずがない」と一蹴してくれたし、己があの醜悪な女の息子に劣っていると思われることなど何一つなかったからである。


 実のところ、第二王子アーネストはクリフォードにとって常に軽蔑の対象だった。

 凡庸な弟。愚鈍な弟。いつも母親のスカートの陰に隠れている甘ったれた少年。それがクリフォードにとってのアーネストの印象のすべてである。

 たまに顔を合わせるとき、クリフォードはアーネストに対する感情を隠そうともせず、怯えたように目を伏せるアーネストの様子に、ますます軽蔑の念を強くした。


 両陣営の対立が深まる中、国王アルバートは態度を明確にすることなく、ほどほどの距離を置いてクリフォードに接した。己の長男に対するにはよそよそしいが、不貞の子に対するには親密すぎる距離感とでも言おうか。


 たまに顔を合わせれば調子はどうかと尋ね、週に一度はチェスの対局を行った。彼は「王家に生まれなければチェスで身を立てたかった」と口にするほどこの遊戯を愛しており、幼いクリフォードに手ほどきをしたのも彼だった。勝負はいつも長引いて、次週に持ち越されることも珍しくなかった。


 アルバートはクリフォードと盤を挟んで向き合いながら、「お前との勝負は手ごたえがあって面白い。アーネストはいくら教えてもまるで弱すぎてどうしようもないよ」と肩をすくめ、ときには「ほう、この手に気が付くとは。さすが私の息子だな」と目を細めたが、それでいて一向にクリフォードを王太子にしようとはしなかった。

 おそらく彼自身、態度を決めかねていたのだろう。


 現王妃アメリアの実家である侯爵家は古くから王家に仕える忠臣で、中央貴族の間に濃密な人間関係を築いていた。有力家系はそのほとんどが侯爵家となんらかの繋がりがあり、アメリア自身日ごろからお茶会のなんのと人脈作りに余念がない。

 一方のメリウェザー辺境伯家は王家に臣従してから日が浅く、いまだ自主独立の気風がある。中央からの影響を受けにくい一方で、中央における影響力は侯爵家とは比較にならない。

 それでも事態が拮抗していたのは、クリフォードが第一王子であることに加え、彼自身の資質によるところが大きいだろう。


 しかしその均衡が、ついに崩れる時が来た。

 そのきっかけとなったのは、アーネストと公爵令嬢ビアトリス・ウォルトンの婚約である。穏健な中立派と見なされていたウォルトンがアーネストについたことで、天秤は一気に傾いた。


「女の力にすがって王太子になるとは。なんとも情けない話ではないか」


 クリフォード派の人間はそう吐き捨てたが、国王が決断を下した以上、もはやどうしようもない。

 アーネストが王太子になることが決まって以来、クリフォードは父から対局に呼ばれることもなくなった。おそらく自分と顔を合わせるのが気まずいのだろう、いかにもあの父らしいことだと、クリフォードは舌打ちと共に納得した。


 そして話は冒頭へと戻る。

 生きるべきか、死ぬべきか。

 病弱な王子として離宮に籠って暮らすか。死んだものとして、別人となり新たな生を送るか。

 クリフォードに示された二つの選択肢は、「先代王妃が不貞をした」という醜聞を公けにすることなく、第一王子を自然に後継から外すために編み出された苦肉の策というわけだ。


(馬鹿馬鹿しい、そんなもの考えるまでもないだろう)


 それが当初クリフォードの示した反応だった。

 死者となれば全てはおしまいだが、病人ならば希望が残る。アーネストが死んだとき、あるいは失脚したときに、クリフォードは「健康が回復した」という名目で表舞台に返り咲くことが可能である。ゆえにクリフォードは迷わず生きることを選んだ。いや選ぶつもりだった。


 その決意を覆すきっかけになったのもまた、ビアトリス・ウォルトンだった。


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