第32話 特別なお守り

 それからしばらくの間、何事もなく日々は過ぎた。


 マリア・アドラーは痣が薄くなってから、「風邪が治った」と言って、再び学校に通うようになった。ただ生徒会の方は体調不良を理由に休み続けているということで、いずれ生徒会から籍を抜くことになるかもしれないという。

 レオナルドは何も知らされてはいないものの、野生の勘でなんとなく不穏なものを感じ取っているのか、アーネストやシリルとの間で妙な緊張感が漂っているらしい。

 おっとりした中立派のウィリアム・ウェッジが緩衝材となっているが、彼がいなければ、生徒会室はさぞやぎすぎすした空気になっただろうということだ。


 ちなみにこれらの生徒会情報は、全てカインを通じてシリル・パーマーからもたらされたものである。シリルの相変わらずの蝙蝠ぶりには呆れを通り越して、もはや感心するばかりだ。


 一方証言者探しを諦めたビアトリスは、毎日真面目に授業を受け、週末は友人たちと街へ遊びに繰り出した。先日はスイーツを堪能したあと、雑貨店に立ち寄って様々な品を見て回った。

 店頭に飾られたチャームを「ちょうど三色あるから、おそろいで買わない?」と提案したのはマーガレットで、残る二人も同意したので、マーガレットが青、ビアトリスが赤、シャーロットが黄色をそれぞれ購入することになった。

 普段使いの他愛もないものだが、友人とおそろいというのが嬉しくて、なんだか特別なお守りのように感じられる。ビアトリスは細い銀鎖をつけて、普段から身に着けることにした。


 そしてアーネストは――アーネストは生徒会業務が立て込んでいるせいか、ビアトリスに直接接触してくることはなかった。あるいはビアトリスに考える時間をくれたつもりなのかもしれない。考えて、己の無力さに絶望するための時間を。


 その代わりというわけはないだろうが、公爵邸にはアーネストの名で、見事なドレスが贈られてきた。それは青い絹の一面に金糸で刺繍の施された華やかなもので、公爵令嬢たるビアトリスの目にも、ため息が出るほど美しい。

 青と金はアーネストの色であり、王家を象徴する色でもある。


 ビアトリスが父に創立祭にそれを着てアーネストと踊ることを伝えると、父は「そうか」とほっとしたような顔で頷いたきり、それ以上なにも聞こうとしなかった。以前ビアトリスが訴えたことは、やはり一時の気の迷いだったのだと、父なりに納得したのだろう。あるいは、下手にあれこれ質問して、藪をつついて蛇を出すことを恐れているのかもしれない。



 そしてお待ちかねの王立学院創立祭がやってきた。読んで字のごとく、当時の国王が学院を創立したことを記念するお祭りで、当日は学院内のホールで盛大なダンスパーティが開かれる。

 ビアトリスは侍女に手伝って貰いながら、贈られたドレスを身にまとい、公爵家に伝わる首飾りと耳飾りを身につけた。髪を整え、姿見に見入っていると、後ろから侍女が誇らしげな調子で言った。


「お嬢さま、本当にお美しゅうございます」

「ありがとうアガサ。アーネストさまは気に入って下さるかしら」

「まあ、もちろんですとも。きっと惚れ直しますわよ」

「だといいのだけど」


 姿見の中のビアトリスは、どこか不安げな表情で己を見返している。ビアトリスは口角を上げて笑みを作ると、ドレスの下に忍ばせたチャームを、上から指先でそっと押さえた。


(どうか最後までやり通せますように)


 幸いなことにというべきか、迎えに来たアーネストは、ビアトリスを一目見るなり感嘆の声を上げた。


「思った通りだ。良く似合っている」

「ありがとうございます」

「髪を下ろしたんだな」

「はい。アーネストさまはこちらの方がお好きだとうかがったので」

「そうか。嬉しいよ」


 破顔するアーネストに、ビアトリスはいたずらっぽく「それではご褒美をいただけませんか?」と提案した。


「ご褒美?」

「はい。今日はファーストダンスだけではなく、二曲目も三曲目も、最後までずっとアーネストさまと踊りたいのです」

「そんなことか。いいよ、喜んで最後までパートナーを務めるよ」


(そんなこと……ね)


 アーネストの返答に、ビアトリスは内心苦笑した。

 そんなこと。本当にそんなことだ。

 今までのビアトリスは「そんなこと」すらしてもらえず、ファーストダンスを踊ったのちは、いつも一人で放置されていた。だからビアトリスが今ここでそれをねだるのは、別に不自然なことではないだろう。


 共に馬車で学院へと向かいながら、二人は他愛もない近況を語り合った。

 最初は観察するような視線を向けていたアーネストも、ビアトリスのしおらしい態度に満足したのか、途中からゆったりした態度で、あれこれと楽し気に生徒会や王宮内での面白いエピソードを披露した。ビアトリスは笑顔で相槌を打ちながら、胸の内からこみあげてくる複雑な感情を持て余していた。


 最後までパートナーを務めるよ、とアーネストは言った。その「最後」がどんな形になったとしても、今日は互いに忘れられないダンスパーティになるだろう。


 やがて会場に到着し、ビアトリスはアーネストにエスコートされて、ホール内へと入場した。普段締め切られているそこは、高いアーチ形の天井を持つ重厚な造りで、正面にはこの学院の創立者たる国王アーネストの肖像画が威風堂々と飾られている。

 金の巻き毛に青い瞳。そして繊細な美貌は、どことなく隣にいるアーネストと似ているようにも思われた。


「どうかしたのか?」

「いいえ、なんでも」


 絵の中の国王の眼差しが、まるで全てを見透かしているようで、訳もなく不安に襲われる。ビアトリスは服の上からチャームに触れると、アーネストに笑顔で首を振って見せた。


(どうか最後までやり通せますように)


 そして型どおりのセレモニーが終わり、楽団の演奏が始まった。


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