第33話 二人の王子

 流れる音楽に合わせて、着飾った生徒たちは次々にホールの中央に滑り出していった。

 ビアトリスもアーネストのリードに身を任せ、踊りの輪の中に加わった。アーネストはダンスが巧みだ。それは天与の才ではなく地道な努力の賜物であることを、ビアトリスは知っている。ありとあらゆる面で人より秀でるために、ありとあらゆる面で人並み以上の研鑽を続けている。そういうところがとても好ましいと思っていた。今までは。


 二曲目、三曲目と踊っていくうちに、ビアトリスは少しずつ難易度の高いステップを踊りの中に組み込んでいった。アーネストは最初少し驚いたものの、すぐに心得顔で応じて見せた。

 息の合ったステップで高度なダンスを続けて披露していると、次第に周囲の注目が集まってくる。やがて中央で踊っているのはアーネストとビアトリスの二人だけになった。会場中の注目を一身に集め、とびきり優雅に、軽やかに、ステップを踏む。


「疲れてないか?」

「いいえ、ちっとも。とても楽しいですわ」

「トリシァはダンスが上手いね」

「ありがとうございます。アーネストさまもお上手ですわ」

「ふふ、ありがとう」

「でもお兄さまは、もっとお上手なのでしょうね」


 アーネストのリードがわずかに乱れた。

 それでもすぐに立て直したのは、さすがと評するべきだろうか。


「……お兄さま?」

「カインさまですわ。アーネストさまの実のお兄さまなのでしょう?」

「兄じゃない」

「あら、あの方は亡くなったことになっている第一王子クリフォード殿下なのでしょう? お兄さまではありませんか」


 病死したとされる第一王子クリフォードは、実は生きているのではないか。ビアトリスの胸に疑念が芽生えたのは、生徒会の手伝いを断って、王妃アメリアから叱責を受けたときだった。


 ――ねえ、こんなことはあまり言いたくないのだけど、貴方少し調子に乗っているのではなくて? まさかとは思うけど、自分の力でアーネストが王太子になれた、などと勘違いしているのではないでしょうね。


 アーネストは第二王子だ。第一王子が亡くなった以上、彼が王太子に選ばれるのは必然であり、ウォルトン公爵家の力なんて最初から介在する余地もない。それなのに、なぜ王妃はあんな言い方をしたのか。


 おそらく因果関係が逆なのだ。第一王子が亡くなったために、アーネストが王太子になったのではない。アーネストが王太子に選ばれたために、第一王子クリフォードは表向き「死者」とならざるをえなかったのだ。


「あの汚らわしい赤毛を兄などと言われたくない」

「ふふ、アーネストさまは金の巻き毛と青い瞳ですものね。まさに王家の色そのものですわ」


 ビアトリスはちらりと肖像画の方に目をやった。金の巻き毛に青い瞳の、威風堂々たる国王陛下アーネスト。彼は額縁の中から傲然と自分たちを見下ろしているかのようだった。


「言い換えればそこが、アーネストさまにとっては心の拠り所ですものね」


 口角を上げてそう告げると、アーネストの顔色が変わった。

 素知らぬ顔で軽やかにステップを踏みながら、ビアトリスは先日耳にしたカインの言葉を思い返した。


 ――まあ既に察しはついていると思うが、そもそもの発端は、この髪の色だ。


 あの日、カインは己の髪をくしゃりとかきあげてそう言った。

 王家にはない、先代王妃とも違う、燃えるような赤。


 ――祖父が言うには、メリウェザー家の何代か前の先祖には赤毛の者もいるそうだ。だから俺の髪は先祖返りだろうと言っていたし、俺自身もそう思っている。しかし世間的にはもっと分かりやすい解答がある。母の護衛騎士は、それは見事な赤毛だったらしい。


 不貞の子、王家の血を引いていない子供を世継ぎにするなんてとんでもない――そう主張する一派がいた。現王妃アメリアとその取りまきだ。王家の特徴である金の髪と青い瞳を備えたアーネストこそが王太子になるべきだと。むろんメリウェザー辺境伯は反発した。国王は判断を下せないまま、二つの勢力は拮抗していた。


「国王陛下もさぞや複雑だったでしょうね。ご自分にそっくりなアーネストさまよりも、護衛騎士の子と噂されたクリフォードさまの方がはるかに優秀だったのですから。アーネストさまはお勉強も乗馬も剣術も何もかも、お兄さまの足元にも及ばなくて、王妃さまも随分と歯がゆい思いをされたのではありませんか?」


 アーネストの強張った表情に、図星であることが見て取れた。

 あのアメリア王妃のことだ。「王太子に相応しいことを陛下に示せ」としきりに息子をせっついたであろうことは、想像するに難くない。そしてアーネスト自身もそれに応えようとして、懸命に努力したであろうことも。

 とはいえ、持って生まれた資質というのはどうしようもないものだ。持って生まれた髪や瞳の色と同様に。


「どうあがいてもお兄さまに敵わないアーネストさまにとって、心の拠り所は髪と瞳の色だけ……ああ、もう一つありましたわね。私と婚約できたこと」


 そこで王妃が目を付けたのが、他でもないビアトリス・ウォルトンだ。

 王妃主催のお茶会には、ビアトリスの他にも有力貴族の令嬢たちが呼ばれていたが、しょせん彼女らはただの保険。王妃の目的は最初からウォルトン公爵令嬢だった。アーネストが最初から他の誰よりビアトリスを優先したのも、母親から「あの子と仲良くするように」と言い含められていたためだろう。


「私に選んで貰えてよろしゅうございましたわね? アーネストさま」


(それでも)


 それでも最初のころに、アーネストの見せた優しさは本物だったのだと思う。「婚約者になったんだから、これからは殿下じゃなくてアーネストって呼んでほしいな」とはにかむように言ったアーネスト。「僕はそんなこと気づかなかったよ、すごいなトリシァは」と喜んでいたアーネスト。優しく素直で健やかな、ビアトリスが恋した王子さま。

 ところが周囲の大人たちが、少しずつ彼を追い詰めていった。


 ――惜しいことだな。資質はクリフォード殿下の方がはるかに優れていたというのに。

 ――争いの種を残すべきではないと、自ら死者となることを選ぶなんて、実にご立派なお心掛けじゃないか。それに比べて弟君ときたら。

 ――仕方ないさ。筆頭公爵家たるウォルトンがついたのでは、陛下としてもアーネスト殿下を選ばざるを得なかったんだろう。

 ――女の力にすがって王太子になるなんて情けない話だ。一体どんな国王になることやら。

 ――おそらく一生ビアトリス嬢に頭が上がらないだろうよ。


 カインが「一応あいつのために弁明して置いてやると、俺を支持する貴族たちが、聞こえよがしにひどい陰口を叩いたらしい」と、その内容を教えてくれた。「所詮負け犬の遠吠えだが、まだ子供だったアーネストには酷だったろう」とも。

 貴族たちの悪意に晒され、母親からの過剰な期待に押しつぶされそうになっていたアーネストの目に、ただ幸せな未来を夢見るビアトリスは、どんな風に映っていたのだろう。


 日々の中で少しずつ、少しずつ歪みは蓄積されて行き、そして最初の「事件」が起きた。得意げに意見を披露するビアトリスに対し、アーネストは不快感を隠そうともせず、昏い目をして吐き捨てた。


 ――君は自分が偉いと思っているのか?


 ビアトリスが泣きながら謝罪したことで、いったんその場は修復され――そしてふたりの歪な関係が始まった。ちょっとしたことで不機嫌になるアーネストと、その顔色をうかがうビアトリス。上下関係をはっきりさせて、彼はやっと満足する。その繰り返し。アーネストの態度を助長させた責任の一端は、間違いなくビアトリスにも存在する。


 でもそれなら、自分は一体どうすれば良かったのだろう。あのときどうすれば、なにを言えば、あの傷ついた少年を救うことができたのだろう。


「――それにしても、クリフォードさまはさすが天才と呼ばれるだけありますわね。私もクリフォードさまに教えていただいたおかげで、首席を取ることが出来ましたのよ」


 おそらく何を言っても無駄だった。

 ビアトリスにできることなどなにもなかった。

 アーネストのことはアーネスト自身にしか救えなかった。

 なにもかもがどうしようもなくて、ビアトリスの知らないところで全ては決まりきっていて、手も足も出ない。それでも何か、できることはなかったのかと思う。思ってしまう。


(今さら考えても、どうしようもないことだけど)


「アーネストさまもクリフォードさまに教えていただいたらよろしかったのに。そうしたらきっと、あんな情けない成績を取らずに済んだと思いますわ」

「……君は」


 アーネストの震える声。傷ついた眼差し。それらすべてがビアトリスの胸に迫り、こみあげてきそうになる感情を、必死の思いでやり過ごす。ああどうか、最後までやり通せますように。


「……君は、あいつになにか言われたのか?」

「ええ、私、クリフォードさまにお願いされましたの」


 自分はあの頃のように上手く笑えているだろうか。何も知らず、知ろうともせず、ぬくぬくと守られた少女のような、無邪気な笑みを浮かべられているだろうか。


「弟のアーネストは可哀想な奴だから、仲良くしてやってくれって。優しくしてやってくれって。だから私は――」


 皆まで言い終わらぬうちに、乾いた音が会場内に響き、凄まじい衝撃がビアトリスの頬を襲った。


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