第14話 特別な恩恵

 アーネストは答えない。

 しばらくの間、二人は無言で見つめ合った。


「……ご所望ではないようなので、私はこれで失礼いたします。それでは皆様、ごきげんよう」


 ビアトリスは一礼すると生徒会室を出た。

 廊下を数メートル歩いたところで、追いかけて来た人物に後ろから肩を掴まれた。

 振り返ると案の定、アーネストが怒りに満ちた表情を浮かべて立っていた。


「どういうつもりだ」

「なにがでしょう」

「こんな騒ぎを起こして」

「起こしたのは副会長です。彼女がおかしなことを言ってきたので、私は反論しただけです」

「……マリアの言うことは気にしなくていい。あいつは少し思い込みの激しいところがあるんだ」

「それをご本人の前でおっしゃってください」

「我が儘を言うな」

「我が儘でしょうか」

「ったく、優しくしてやればつけあがって……」


 呟く声に、胸の奥がすうと冷たくなるような心地がする。

 ああこの人は、ビアトリスに優しく「してやった」認識なのだ。アーネストにとってビアトリスに優しくすることは、特別な恩恵を施すのと同義なのだ。

 幼いころのアーネストは、息をするように自然な優しさをふりまいていたというのに。


 君は何も悪くない、とカインは言った。しかしここまでアーネストを歪ませた責任の一端は、間違いなくビアトリスにあるだろう。どんな酷い仕打ちにもただ黙々と耐え続け、少しでも好意を示されれば大喜びで尻尾を振って飛びついていた、かつてのビアトリス自身に。


「君はいずれ王妃になる立場だろう? この程度のことを受け流せないようでは、この先やっていけないぞ」

「では私が生徒会入りをアーネストさまに強引に頼み込んだと言われたときに、肯定すればよろしかったのでしょうか」

「……誰もそんなことは言ってないだろう」

「では、私はどうすればよろしかったのでしょう」


 アーネストはビアトリスの質問に答えることなく、ただ吐き捨てるように言った。


「……君は変わったな」

「そうかもしれませんわね」


 アーネストもカインと同じことを言う。してみれば、自分は本当に変わったのだろう。

 かつての自分にはアーネストしかいなかった。アーネストが世界の全てだったし、彼に見捨てられたら自分には何も残らないと思っていた。だけど今の自分には休日一緒に展覧会に行く友達がいる。変わったというのは、つまりそういうことだろう。


 ――私の知り合いが出展してるの。すごく素敵な絵を描く人なのよ。


 昨日のシャーロットを思い出し、ふと頬を緩ませたビアトリスを何と思ったか、アーネストは昏い瞳で呟いた。


「……あいつのせいか?」

「はい?」

「あいつが君を変えたのか?」

「あの、なにをおっしゃってるんですか?」


 アーネストはおもむろに両の手の平でビアトリスの頭を挟みこんだ。


「この髪型も、あいつの好みか?」

「やめてください」

「俺よりも、あいつがいいのか?」

「離してください、離して……」

「答えろ、君は誰の婚約者だ?」

「それはもちろん、アーネストさ……」


 アーネストの顔が近づいてくる。

 怒りに燃える双眸が間近に迫り、顔に生温かい息がかかる。


 口づけされる、と思った瞬間、ビアトリスはとっさに相手を突き飛ばしていた。

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