第15話 奇遇ですね

 心臓がどくどくと音を立てている。

 視線を上げると、アーネストが呆然とした表情でこちらを見つめていた。


「トリシァ……」

「あの、申し訳ございません。私、少しびっくりしたので……」


 ビアトリスは無意識のうちに後ずさりして、アーネストと距離を取った。


「トリシァ、俺は」

「申し訳ございません! 気分がすぐれないので失礼します」

「待てトリシァ!」


 身をひるがえしてアーネストに背を向けると、呼び止める声に構わず足を動かした。アーネストは、今度は追ってこなかった。



 気が付けばいつものあずまやに来ていた。

 カインはいない。

 今は放課後だ。いるわけがない。


(何をやっているのかしらね、私は)


 ビアトリスは己の情けなさに苦笑いを浮かべた。あの程度のことで恐慌状態になって、アーネストを突き飛ばして逃げるとは、我ながらなんという醜態だろうか。


 客観的に見れば、アーネストは別に無体な真似をしたわけではない。なんといっても自分たちは婚約者同士だ。結婚まで清らかな身でいるのは当然としても、これくらいの触れ合いならば一般に許される範疇だろう。

 ビアトリスだって、アーネストとの幸せな口づけを思い描いたことがないとはいえない。


 それなのに、突き飛ばしてしまった。

 王族で、八歳の頃からの婚約者であるアーネストを。

 だって恐ろしかったから。


 先ほどの彼の異様な言動が耳に生々しく蘇る。

 アーネストの言う「あいつ」とは間違いなくカインのことだろう。

 アーネストはカインを憎んでいる。それでいて酷く恐れている。

 二人の間に一体なにがあったのか。


「とにかく今日は帰りましょう……」


 今はもう何も考えたくはなかった。

 ビアトリスはあずまやを出ると、迎えの馬車へと向かった。

 日が落ちて夕暮れ空に星が輝き出していた。




 翌日。登校したビアトリスは、いつものあずまやでカインと会い、「ちょっと揉めたので、生徒会はやめることになりましたの」とだけ伝えた。

 カインに昨日のことを何もかも打ち明けてしまいたい、打ち明けて、カインとアーネストの間に何があったのか問い質したい衝動に駆られたが、結局何も言えなかった。


 聞けばカインは教えてくれるだろう。その内容はおそらく彼が以前「君には聞く権利がある」と言っていた話と関連している。しかし話すことと引き換えに、もうこんな風に会ってはくれなくなるような気もしていた。


 マーガレットとシャーロットは生徒会を辞めたことを大いに歓迎してくれた。


「良かったわ、なんだかビアトリスを取られちゃったみたいで、ちょっと悔しかったのよ」


 とはマーガレットの弁である。

 彼女らはビアトリスに気を使っているのか、ビアトリスとアーネストの複雑な関係についてはほとんど触れることはない。もしかすると、ビアトリスの方から相談するのを待っているのかもしれない。


 アーネストの方はあれ以来まるで接触して来ない。

 王太子を突き飛ばしたことについても不問されたようでほっとしたが、考えてみればあのプライドの高いアーネストが、あんな醜態を表ざたにするはずがなかった。



 週末はマーガレットとシャーロットと三人で展覧会へと赴いた。それは新進気鋭の画家を集めた大規模なもので、それぞれ斬新な画法が大層興味深かった。あの絵が好きだとか、こっちが素敵だとか、三人で他愛もないことを言い合いながら、楽しい時間を過ごしていた時、突然声をかけられた。


「やあビアトリス嬢! 奇遇ですね。まさかこんなところでお会いできるとは」


 思いもかけない人物――眼鏡をかけた生徒会役員にして、将来のアーネストの側近候補、シリル・パーマーがそこにいた。

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