第8話 昏い眼差し

 翌朝、いつものようにあずまやに行くと、カインが意外そうに目を見開いた。


「もう来ないかと思ってた」

「なぜですの?」

「一昨日あいつが凄い目で睨んできたからな、君になにか言うんじゃないかと」

「ええまあ、言われましたわね」

「俺に近づくなって?」

「ええ、そのようなことを色々と。……それで私、少し迷っておりますの」

「そうか……まあ正直な話、あいつと上手くやっていきたいなら、俺と関わるのは止めた方がいいかもな」

「いえ、あの方と上手くやっていくのは諦めたので、そちらはもういいんです」


 ビアトリスはあえてさばさばした口調で言った。

 諦めた、というのは言い過ぎにしても、彼の態度に一喜一憂するのが虚しくなったのは事実である。


「ただこうしてお会いすることが、カイン様の御迷惑になるのではないかと気になって」

「いいや? 俺は君と話すのは楽しいし、迷惑なんてことはない」

「ですが私と一緒にいると、カイン様がアーネスト様の不興を買うことにもなるかもしれません」


 アーネストはビアトリス以外に対しては「気さくで優しい王太子殿下」なので、カインに対して圧力をかけるような真似はまずしないと思うが、万が一という可能性は否定できない。自分とアーネストの確執にカインを巻き込むのは不本意だ。


 しかしカインはビアトリスの懸念を、一言のもとに否定した。


「それは全く心配ない。あいつが俺に何かしてくることはないよ」


 安心させようとしているというより、ただ事実を述べているだけといった口調だった。それは王都からはるか遠くに、広大で豊かな領地を有するメリウェザー辺境伯家の自信によるものなのだろうか。


「それより君の方が心配だ。あいつの機嫌を損ねるような真似をして、君は本当に構わないのか?」

「本当に構いません。アーネスト様はどうせ私がなにをやっても気に入らないのですもの。あれこれ気をもむだけ無駄ですわ」

「ははっ、そりゃあいい」


 ビアトリスの言葉に、カインはさもおかしそうに噴き出した。


「……しかし変わったな、君は」

「そうですか?」

「ああ、前はこう悲壮感が漂っていて、今にも折れてしまいそうだった」

「あのときはアーネスト様ばかり見て、視野狭窄に陥ってたんです。アーネスト様に受け入れていただけなければ、自分には何一つ残らないような気がして必死でした。でもカイン様の言葉でふっと気が楽になって、改めて周囲を見回してみたら、学院にはいろんな方がいるって気づいたんです。おかげさまで、今は素敵なお友達ができました。マーガレットに、シャーロットに……それからカイン様も。だからアーネスト様にどんな風に思われても、一人じゃないから大丈夫って思えるようになりましたのよ」

「友達……か」

「図々しかったでしょうか。私はすっかりそのつもりだったのですけど」

「いや、嬉しいよ。うん、俺と君は友達だな。これからもよろしく頼むよ、ビアトリス」

「ええ、こちらこそ。カイン様」


 顔を見合わせて笑い合う。


「それでは、そろそろ教室に戻りますわ。マーガレットたちも登校している頃ですし」


 そう言って、校舎の方へと視線を向けたビアトリスは思わず息をのんだ。

 数メートル離れたところにアーネストが暗い目をして立っていた。


(なんでアーネスト様がこんなところに……まさか、わざわざ私たちの様子を見に来たの?)


 アーネストはビアトリスとカインをしばらく無言で見つめていたが、やがて何も言わずに踵を返して、校舎の方に立ち去って行った。

 その様子に何ともいえない不穏なものを感じて、ビアトリスは思わず身震いした。

 カインは「あいつが俺に何かしてくることはない」といっていたが、本当に大丈夫なのだろうか。


 心配になってカインを見やると、彼はどこか憐れむような眼差しで、アーネストの後ろ姿を見つめていた。その静謐な眼差しに、おそれは微塵も感じられない。


 ふと、あれだけアーネストが必死だったのは、単に「ビアトリスが男性と一緒だったから」というだけではなく、他でもないカイン・メリウェザーと一緒だったからではないか、との考えがビアトリスの胸をかすめた。

 アーネストは赤毛の男、などという言い方をしていたが、本当は彼のことを知っているのではないか。ビアトリスはそんな気がしてならなかった。

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