蛇足2

 〇 ● 〇


「いやこれ絶対先輩取り込まれてんじゃん!」


 墓場の前で、雪峯は叫んだ。そりゃもう力いっぱい叫んだ。絶叫と言ってもいい。

 七が辻の墓場は、歩道の脇にひっそりと鎮座していた。中央にこんもりとした塚を持ち、背後には小さいながらも森がある。その森から、蝉の声がわんわんと鳴り響いていた。

 坂の頂上には家が無い。あるのは墓場と森だけで、人もほとんど通らない。だから余計に、蝉の声がうるさく響いているような気がした。


 雪峯と夕霞が墓場に着いた時、歩道より一段高くなった墓場の入口には、スマートフォンが落ちていた。クリアカバーで保護されたシンプルなそれを拾い上げて引っくり返せば、裏に名前シールが貼られていた。

 その名前を確認して、雪峯は肺いっぱいに息を吸い、全力で叫んだのだった。

 貼られていた名前は、あの佐々木という先輩のものだった。つまりそれは、本日かくれ鬼のメインディッシュ予定であるあの先輩が、雪峯より早くここに到着していたという事で。


「近寄んなって言っただろーが! てかなんでここにいんの! 学校どーした! 早退すんな学生! てかなんで俺より早く来てんの! ワープ? ワープしたの!?」


 自分が早退したことを棚に上げて騒いでいると、墓場をぐるりと回ってきた夕霞が帰ってきた。


≪墓場の中には誰もいませんでしたよ。多分、かくれ鬼のテリトリー内に引き込まれたんでしょうね≫

「マジかー……大丈夫かな……」


 ひとしきり叫んで、肩を上下させる。

 落ち着くと、雪峯は背後からひたひたと不安が這い寄ってくるのを感じた。

 いつだ、あの先輩がここに着いて、かくれ鬼のテリトリーに引きずり込まれたのは、いつだ。ついさっきか、もっと前か。まだ間に合うか、もう手遅れか。


≪……ユキ君?≫


 ふと気が付けば、能面が心配そうに顔を覗き込んでいた。

 木でできた能面は表情が変わらないが、夕霞の声が不安そうに揺れている。あ、いけない。心配させただろうか。

 雪峯は、ニッと笑顔を浮かべて親指を立てた。


「ん! ありがとゆーかりん。そうだよな、ウジウジ考えてても事態は動かないよなー、早く先輩見つけないと!」

≪いやそうじゃなく、推しがどーしても出ないのでユキ君にも引いてほしいんですけど≫

「ゆーかりんこのスマホ持ってて」

≪ヘブォッ!?≫


 大きく振りかぶった先輩のスマホを、夕霞の顔面に全力で叩きつけた。

 奇声を上げてへろへろと落下する能面は無視。すぅっと息を吸い込んで、雪峯は拍手を一つ打った。


「…………オン」


 瞑目し真言を唱えながら、精神を集中させる。

 あいつの妖気は、教室で視たから覚えている。どこだ、あの妖気の持ち主は。かくれ鬼は。家無の身体を乗っ取ったあの鬼は。どこに隠れている。どこで、あの先輩を襲っている。どこだ。


 ――もーいいかぁーい……


 雪峯は、眼鏡の奥の瞳をかっと開いた。


「いた……!」


 人差し指と中指を立てて刀印を作り、素早くそれを薙ぎ払う。


「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」


 雪峯の指の軌跡が、光を帯びて空に浮かぶ。縦四横五に刻まれた光の格子が、歩道より一段高い墓場の入口に切れ目を刻んだ。

 まるでそこに巨大スクリーンでもあったかのように、空間が裂ける。そうしてできた裂け目の中に、別の景色が見えた。


 血のように赤い空の下、一面に墓石が屹立きつりつしている。――そして、そこの縫うように必死に逃げ惑っている男と、それを追いかける鬼。


「いたぁ!」


 パン、パン!


 霊力を込めて、拍手を二度。

 格子状に裂けたそこがぐにゃりと歪んだ。歪んで裂けて、格子状だった裂け目が人一人通れるくらいの穴になる。

 そこに雪峯は、躊躇無ちゅうちょなく飛び込んだ。


「わっ!? とと、と……」


 少し位相がズレていたのか、一歩踏み出した先は地面でなく古びた墓石の上だった。


≪ユキ君、大丈夫ですか?≫


 するりと着いてきた夕霞に頷きを返して、周囲を素早く見渡す。

 空の赤と地面の灰色が支配する世界で、雪峯はすぐにそれを見つけた。

 地面に倒れた男と、そこに近寄って行く家無、いや、その身体を乗っ取った鬼。

 家無がまとうノースリーブのワンピースから伸びた腕が、地面に着きそうなほどに長い。それを見て、雪峯は思わず叫んでいた。


「なぁにしてんだお前えええぇ!」


 ゴキン。骨が折れるような嫌な音を立てて、家無の首がこちらを向く。

 両目と口が、黒く塗り潰されている。家無の目が、口が、真っ黒だ。腕だってわけ分かんないくらい長いし、ああ、よく見りゃ首がツイストドーナツみたいにぐりぐりに捻じれてるじゃないか。


 ――ふざけんな、ふざけんな。人の幼馴染の身体を好き勝手にもてあそびやがって!


 かっと、頭に血が上った。


「先輩と家無になにしてんだあああぁぁ!」

≪ユキ君、落ち着いてください!≫


 怒りのままに墓石を蹴りつけ飛び出そうとした雪峯の肩を、後ろから木製の手が強く掴んだ。


≪あれはかくれ鬼が己の妖気で作った紛い物の身体。家無さん本人はじれてなんかないですよ!≫

「……本当に?」

≪ホントです。ほら、目を貸しますから視てください≫


 すぅっ、と顔の両脇から夕霞の手が伸びた。関節ごとに継ぎ目のついた手のひらが、雪峯の目を眼鏡越しに塞ぐ。


 くるり。


 視界が変わった。

 ゴキゴキに捻じれて歪んで、こっちを見る家無の身体。人間として、生物として、「もう駄目だ、死んでしまった」と思ってしまうような、ひどい姿。

 そこにもう一人の人影が、ダブるように視えた。目も口も首も腕も、どこもかしこもいつも通りの、家無の姿。硬く目を閉じて、捻じれた身体に重なるように立っている。

 ほぉ、っと雪峯は安堵の息をついた。


「あ、本当だ。良かったー」

≪ね、大丈夫でしょう? かくれ鬼だけ祓ってしまえば、家無さんは無事五体満足で戻ってきます≫

「そっか、よし」

≪ま、あとちょっとすれば身体がすっかり妖気に馴染んで、家無さんの身体もガチであのツイストドーナツになりますけど≫

「ダメじゃんそれ! よし分かった今すぐカッ飛ばす」


 ギッ、と雪峯はかくれ鬼を睨みつけた。するりと夕霞の手が離れていく。


「黙って寝てりゃいいものを、ホイホイ起きて来やがって。しかも俺のダチと先輩に手ぇだしやがって!」


 ぱぁん!


 拍手を一つ打つ。

 音が広がるに合わせて、清浄な波動が墓場を駆け抜けた。

 ごにゅり。鬼の真っ黒な目と口が、ひどく嫌そうに歪んだ。


「きぃィイぃぃぃぃィアァあああぁァぁぁぁぁァァあああアあァ!!」

≪上です!≫


 奇声を上げた鬼が視界から消えた。夕霞の叫び声が耳奥に響く。

 雪峯は空を見上げる。長い腕を鞭のように振り回しながら、鬼が襲い掛かってきた。


「よんでないよんでないよんでないよんでないおまえはよんでないくるなくるなくるなくるなくるなおまえはよんでないとうきょういんのこせがれこせがれおまえはかえれかえれかえれえええぇええええええぇぇぇぇぇ!!」

「お前こそ呼ばれてないのに、出てくんな!」


 素早く口内で真言をつむぐ。

 爪を振りかざして襲ってくる鬼に、刀印をかざし叫んだ。


「縛!」


 宙吊りにでもなったように、鬼の動きが中空でピタリと止まった。

 穴ぼこみたいな目と口が、ぐにゃぐにゃと悔し気に歪む。身体の筋肉に力がこもって、雪峯の縛術から逃れようと足掻あがく。

 それを睨み据えながら、雪峯はそうだと思いだした。


 ――そうだ、先輩!


 家無の方に集中していたが、先輩は大丈夫だろうか。さっき倒れているのは見えたが、怪我の有無までは確認していない。


「先輩、ケガある? 大丈夫? 食われてない?」

「あ? え、あー……肘がいてぇ」


 矢継ぎ早に尋ねると、どこか呆然としたような声が返ってきた。


≪肘のとこ切ってますけど、命に別状は無いでしょうね≫

「そっか、よし」


 良かった。怪我はしているみたいだけど、どこも食われていないようなら良かった。これでもしどこか食われているようだったら、家無に恨まれてしまう。


「ぃぃィィィいいイイいいぃぃィぃぃいいィイいいいいイ!」


 鬼が甲高い声を上げた。妖気が塊となって、雪峯に叩きつけられる。

 寸前で、夕霞が鬼と雪峯の間に割り込んだ。

 からん、と音を立てて持ち上がった右手が勢いよく振られる。鬼の妖気があっけなく切り裂かれ、霧散した。


≪やめてくださいユキ君は繊細なんです≫

「それいつの話よゆーかりん」

≪今の話です≫


 けろりとのたまう小面を横目でねめつける。

 ガチガチガチガチガチガチ。鬼が鋭い牙を噛み鳴らした。真っ黒な二つの目が、ごにゅりごにゅりとうごめいて睨みつける。

 もう家無の顔とはいえない程に歪んだ顔を睨んで、雪峯は刀印を掲げた。


「ノウマク、サンマンダ、バサラダン、センダンマカロシャダヤ、ソハタヤ、ウンタラタ、カンマン!」


 裂帛れっぱくの気合諸共、指を振り下ろす。

 鬼の身体が、びきりと硬直する。一瞬の静寂の後、鬼の身体が爆散した。


「わっ、ととっ、と……!?」


 爆風が雪峯を襲った。目を開けていられず、咄嗟に顔の前で腕を交差させる。

 風に足をすくわれて、雪峯は狭い墓石の上から転がり落ちた。


「だっ!?」


 衝撃は思ったより少なかった。強かにぶつけた尻をさすって、顔をしかめる。


「あだだ……」

≪大丈夫ですか、ユキ君≫

「おっけー」


 ふよんと寄ってきた夕霞に、親指を立てる。

 じわわわわ、と蝉しぐれが途端に耳を襲った。いつの間にか、雪峯はいつもの七が辻の墓場に戻っていた。きょろりと周囲を見渡す。

 中心にこんもりと盛られた塚の前に、家無と先輩が転がっていた。


「家無、せんぱーい。だいじょーぶ?」


 近寄って、二人の傍に片膝をつく。

 倒れている先輩の顔は真っ白だが、これは少し妖気に当てられただけだろう。邪気祓いの真言を唱えておく。よし、これで大丈夫。

 肘上の傷口からはまだ出血が続いていた。傷口に指を当てて、雪峯は口内で真言を唱える。


「ゆーかりん、鞄持って来て俺の鞄」

≪はいはい。どーぞ≫

「どもども」


 鞄からハンカチを引っ張り出す。それで血を拭って包帯を巻いた。出血だけは術で止めたが、後でちゃんと病院に行かなきゃダメだろう。包帯を鞄に入れておいて良かった。


「あとは、っと。家無かー」


 先輩の処置を終えて家無に視線を向ける。

 目を閉じて仰向けになった彼女は、胸を上下させていない。血の気の引いた唇はぴくりとも動かず、触れた頬は氷のように冷たかった。

 魂が抜けているから、身体の生命活動が止まっているのだ。


「家無ー、どこだー、身体に帰るぞー」


 鞄の中を引っかき回し、家無の魂が入った御守り袋を引っ張り出す。御守り袋は鞄の一番下に入っていた。

 誰だこんな所に入れたのは。俺だ。


「……よし」


 胸の上に御守り袋を置いて拍手を一つ打ち、雪峯は真言を唱えた。

 御守り袋が、一瞬白く光る。ややおいて、すーっ、と家無の口が息を吸い込んだ。はーっ、と息が吐かれる。

 すーっ、はーっ、すーっ、はーっ。規則正しい呼吸が響く。紙のように白かった頬に、赤みがさしてきた。良かった、これでもう大丈夫だろう。


「……はぁ~、良かったぁ……!」


 雪峯は,肺いっぱいに溜めた息を吐きだした。

 二人とも無事だ、生きてる。それを確認して、どっと力が抜けた。後ろにぺたんと座り込む。夕霞がふよふよと回り込んで、雪峯の顔を覗き込んだ。


≪お疲れ様です、ユキ君≫

「もー、ホントだよ。マジつっかれたー……!」


 学校からここまで自転車を飛ばし、かくれ鬼のテリトリーに無理やり侵入して調伏。妖気を祓い血を止め身体から離れた魂を元に戻し。流石の雪峯もガス欠だ。


「腹減ったあぁ……」


 ぐうう、と蝉しぐれに負けないくらいの腹の音が響いた。

 手元に鞄を引き寄せて、何か食べるものは無いかと探す。空の弁当箱、方眼紙の束、筆箱、スマートフォン、空のキャラメル箱、空のチョコレート箱、くしゃくしゃになったお菓子の包装紙。


「……なんも入ってねーじゃん。あー、腹減ったー!」


 鞄を放り投げて、雪峯はばったりと仰向けに倒れた。

 ああ本当に疲れた。お礼に何を奢ってもらおうか。とりあえず家無、こいつにはクソ高いものを奢らせよう。こいつが騒ぎの元凶だ。ゴディバとか奢ってもらおう。先輩はどうしよう、ハンバーグでも奢ってもらおうか。


 こつん、と小面が額に当たった。視界一杯に夕霞の顔が迫る。


「……なに」

≪ユキ君、さすがにこの二人、ここに寝かせっぱなしはダメでしょう。せめてあちらのベンチに運んであげましょ?≫

「え~~……ヤダよめんどい。もうこのままでいいじゃん、ここで三人揃って寝ようよ。誰かが見つけてくれるって」

≪ユキ君、面倒見るなら最後まで、ですよ。一度引き受けたんですから、アフターまでちゃんとやってこそですよ。投げっぱなしはクレームの元です≫

「……むー」


 自分より上背のある男と、小柄な女。どっちかが起きてくれればいいのに、二人とも目が覚めそうにない。意識の無い人間は重いのだ。正直運びたくない。

 だが夕霞は、パンパンと手を叩いて促してくる。どころか雪峯の周囲をくるくる飛び回って、≪ヘイヘイ!≫と叫ぶ始末だ。


「分かった、分ーかーった! ……ったくもう、運べばいいんだろ運べば」


 はぁー、と息を一つ吐いて、雪峯は身体に鞭打った。


 〇 ● 〇


 すっかり暗くなった道路をパトカーが疾駆する。


「分かったか、雪峯」

「……んぁ?」


 唐突に声をかけられて、雪峯はのっそりと顔を上げた。声をかけた運転手に、のろのろと見る。

 狼を思わせる精悍な顔立ちの男が、フロントガラスを睨むように見ていた。ハンドルを握る手は分厚くて硬い。

 シャンシャンシャラララ~、とパトカーに似つかわしくない音が唐突に響いた。背後を振り返る。夕霞がスマホを両手で握りしめ、ぴょこぴょこ上下に跳ねていた。後部座席にはプリペイドカードが散乱している。

 どうやらお目当てのキャラは引けたらしい。総額いくら使ったのか、後で聞きだして両親に報告しないと。


 というか、スマホのライトに下から照らされて、薄闇に浮かび上がる能面は普通にビビる。


「おい、俺の話を聞いてたのか」


 隣で不機嫌そうな声がして、夕霞から視線を隣に移した。

 フロントガラスから一瞬視線を外して、男がこちらを見た。眉間に寄った皺が深い。すれ違う車のライトに照らされて、そこだけくっきりとした陰影が刻まれていた。

 話。話。なんだっけ。なにを話していたっけ。


「うぇーっと……ギュータン、ホルスタインのお嫁さん貰ったんだっけ? おめでとー」

「トンチキな事を言うな。あと牛タン言うな」


 牛タン食べたくなるだろう、と男は困ったようにぼやいた。


 本庁一課所属の牛首うしこべ警部。

 高校生くらいの時に急に霊感が目覚め、落ち着くまでしばらく刀鏡院家に居候していたことがある。雪峯にとっては年の離れた兄貴的存在だ。

 成人して警察になった後は、その力を活かして霊現象関係の事件調査を主に担当している。家無と先輩に話した警部とは彼の事だ。


「お前が助けた、あの二人の事についてだ」

「ん? ……うん」


 頭がやけに重たくて、ぐらぐらする。視界もゆやゆやと揺れて、焦点が定まらない。あれ、今眼鏡を外してしていたっけ?


「ひとまず、あの二人は救急車で病院に連れて行った。家無千陽の方は、七日前に散歩に行って頭を打ち、病院に搬送されたという事にした」


 牛首の声が右から左に抜けていく。言葉は脳みその中に留まらず、すぐに霧散して消えていった。


「だが身元が判るものを持っていなかったので、連絡先が分からず困っていた所、今日目が覚めた為に連絡先が分かった、と……おい?」

「ん-……むー…………」


 ゆさゆさと、身体が揺さぶられる。ぼやっとした視界で、自分の手が人形みたいに揺れるのが見えた。


≪ユキ君、おねむみたいですね≫

「……まあ、仕方無いか。いい、後で話すから寝ろ」

≪はぁー……私の画面が尊い……≫

「お前の使ったカード額は師匠方に報告するからな」

≪はあ!?≫


 一人水の中にいるかのように、二人の声がくぐもって聞こえる。

 雪峯はふあぁ、と大あくびをして目を閉じた。車の振動が睡魔を連れてやってくる。

 ふうぅ、と一つ息を吐いた途端、あっという間に意識は闇に引きずり込まれていった。

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