救国の英雄=ジル・ド・レと、彼の催した悪魔的な晩餐について

中田もな

フランソワ・プレラーティの供述の下、人々はそれを物語にした。以下の文章は、その一部である。

 国を救った英雄とも謳われた彼は、今夜も薄暗い屋敷の中に、一人の少年を招いていた。月明かりの差し込む冷たい床を、ギシッと軽く踏みつける。

「すごい……、すごいよ! こんなに立派な服、今まで着たことないや!」

 彼はまず、汚れた少年を風呂に入れ、美しい服を着せてやった。ここに来る少年は、いつも擦れた服を着て、泥まみれの髪を遊ばせている。貧しい農民の彼らにとって、きれいな生活は理想の中の現実だ。

「でも、本当にいいの? 僕、何も持ってないけど……」

「気にすることはない。これは、私の趣味なのだ」

 上等な服を身に纏い、黒い髪を背中に泳がせた少年は、来たときとは見違えるほど美しくなった。真っ青な瞳は夜に映え、星のようにきらきらと輝いている。

「ふーん、そうなんだ! お兄さん、とっても優しいね!」

 身分の高い彼に対しても、礼節をわきまえない農民の子。本来ならば、甚だ失礼極まりないが、彼はそれすらも愛おしく思えた。

「さぁ、こちらに来い。おまえが風呂に入っている間に、私が食事を用意しておいた」

 少年がトタトタと走って来るのを見て、彼は重苦しいドアを開ける。そこは豪華絢爛を極めた大広間で、奥には白いクロスが掛けられた、長い長いテーブルがあった。

「わぁー……! とっても広い!」

 見上げるほど高い天井に、金色に統一された調度品。壁に据えられたろうそくには、一本も漏らすことなく灯がともっている。目の前に広がる夢のような空間に、少年は思わずぴょんと飛び跳ねた。

「テーブルの上を見てみろ。あれが今日の晩餐だ」

「うわぁ……!」

 何枚もの皿を使った、贅沢な食事の数々。黄金のスープは香り高く、軽めの前菜すらも食べ応えがある。そして最も目を惹いたのは、真ん中に置かれた肉料理だった。

「ねぇねぇ、あれ、何の肉?」

「あれは……、鹿の肉だ」

 彼は一瞬、緋色の瞳を右に動かし、何かをはぐらかすような顔をする。しかし少年はそれに全く気付くことなく、嬉々とした様子で椅子に腰掛けた。

「こんなにご飯が食べられるなんて、僕、思ってもみなかったよ! 本当に、夢の中にいるみたい!」

「おまえの気が済むまで、たらふく食べると良い。好きな物から、自由に手をつけろ」

 彼が隣の椅子に座ると、少年は満面の笑みを浮かべた。彼が黒い髪を撫でてやると、くすぐったそうに小さく笑う。

「お兄さんも、一緒に食べよう! あのお肉、とっても美味しそうだよ!」

「そうだな。では、少し」

 彼は少年の皿に肉を取り分けてやると、その一切れを自分の皿に移し、実に美味しそうに呑み込んだ。新鮮な肉の風味が、口から鼻へと抜ける。

「ああ……。やはり、肉は美味だな」

 金色の髪を頬に垂らしながら、クツクツと笑う彼。地を這うようなその笑いは、たった二人だけの空間に、いやというほど響き渡った。

「お肉も美味しいし、このスープも美味しい! 僕、ずっとここにいたいなぁ」

「おまえが望むなら、私は全く構わない。おまえがいずれ飽きるまで、この屋敷で過ごせば良い」

「本当!? やったー!!」

 少年は飛び上がるほどの勢いで、彼の返事を喜んだ。滑らかな髪を揺らしながら、天使のような顔でニコニコと笑う。

「お兄さん、本当にいい人だね! 僕、お兄さんのことだーい好き!」

「大好き、か……。そういう言葉は、もう少し考えてから口にしろ」

 彼はそう言って嗜めたが、内心では満更でもない思いだった。無垢な少年が素直に言葉を口にするのは、聞いている側としても心地が良い。

「ほら、そこの皿にも口をつけろ。冷めてからでは不味くなる」

「うん、分かった!」

 皿を引き寄せる少年の顔を、彼はまじまじと見つめる。長いまつ毛に白い肌。透き通った青い瞳も、彼の好みに相応しい。

「次は、こいつだな……」

 少年が物を頬張った瞬間、彼は静かに声を漏らす。それは穏やかな空気に溶け、誰にも聞かれず消えるはずだった。


「あーあ。本当に、いい趣味してるよね」

 ――彼がはっと視線を上げると、そこには食事を続ける少年がいた。先ほどまでと全く変わらぬ様子だが、たった一つ違うのは、首に黒い包帯が巻かれていることだ。

「……また、おまえか。使えぬ悪魔に、用はない」

 少年の様子が一たび変わると、彼は途端に冷淡になった。それを見た少年は、怒り顔で机を叩く。

「あのねぇ、僕をなんだと思ってるの!? おまえに切られた首、すっごく痛かったんだからな!!」

 悪魔に憑りつかれた少年は、自分の意志とは関係なく話し出す。この悪魔はつい先日、彼が黒魔術で呼び出した産物だった。

「おまえは全くの役立たずだが、唯一顔だけは良かった。だから首を掻き切って、最上の場所に安置しただけだ」

「おまえのせいで、僕は首無しになったじゃないか!! 顔さえあれば、こんな人間に憑りつかなくても済むのに!!」

 悪魔は忌々しそうに顔を歪めると、彼に思い切り顔を近づけた。自分の美しい容姿が欠如したことを、相当根に持っているようだ。

「私に首を切られ、挙句の果てには恨み通すなど、悪魔の所業とは思えんな。それだからおまえは、役立たずの低俗なのだ」

「……っ!! おまえなぁ……!!」

 悪魔は今にも噛みつかんばかりに歯軋りし、彼の方へと拳を振り上げたが、寸でのところで思い留まった。鼻息荒く椅子を蹴ると、そのままドカリと腰を下ろす。

「ふん、まぁいいよ。僕からして見れば、おまえの方がよっぽど愚かしい。誇り高き大悪魔たちは、おまえ程度の人間の話など、端から聞いちゃいないさ」

 悪魔はケケケと笑い飛ばすと、黄金のスープを下品に啜った。人間には成し得ないような、実に悪魔的な所作で。

「その肉だって、大悪魔たちに捧げた物の残りだろ? 味を上手く誤魔化しているようだけど、僕には丸分かりだね」

 悪魔が指差す先には、見た目は「鹿肉」の料理がある。実際は動物の肉などではなく、少年たちの切れ肉をぐちゃぐちゃにまとめた物だった。

「何の肉であれ、美味であることには変わりない。私は肉が大好きだ。それこそ、毎晩食べる」

「あっそ! おまえの趣味なんてどうでもいいよ!」

 悪魔は腹立たしそうに包帯をさすり、それからじっと彼のことを見つめた。金色の長い髪に、血に染めたように赤い瞳。暗く閉ざされた部屋で悪魔を崇拝するよりも、馬を走らせて戦場に赴く方が、彼にはよっぽど似合っていた。

「……おまえはさ、一体何を望んでいるんだ? 愛しの誰かさんに会いたくて、こんなことをしているのか?」

 ――悪魔の挑発的な問い掛けに、彼は少し眉をひそめ、しばしの間思案する。しかしやがて顔を上げると、悪魔の瞳をきつく睨んだ。

「愛しい人など、私にはいない。ここに招く少年を、永遠に好み続けるだけだ」

「……ふーん、そっかぁ」

 悪魔は厭らしくニヤリと笑うと、そのままズルリとスープを啜った。最後の一滴まで残さず飲み干し、真っ青な瞳を彼に向ける。

「それじゃあ死ぬまで、この晩餐を続けるんだな! 救国の英雄、ジル・ド・レ!」

 吐き捨てるように言い残すと、悪魔はすっと少年から抜け、闇の境界へと去っていった。後に残された彼は、重そうに首を振る少年を優しく介抱する。

「……ぅん? あれ、僕……?」

「はしゃぎすぎて、少し疲れたみたいだな。食事はここまでにして、今から寝室へ行こう」

 彼は少年の髪を掻き上げ、細い首をさすった。包帯の巻かれていない、滑らかな白い肌。いずれ飽きるまで凌辱した後、ゆっくりと首を切ってやるのだ。

「お兄さん……。明日もまた、美味しいご飯食べられる……?」

「ああ、もちろんだ。腹が千切れるぐらいまで、目一杯食わせてやる」

 落ち着いた声でそう言いながらも、彼は笑いを抑え切れなかった。今回もまた、好ましい死体が増えるだけだった。

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