《八話》喪失①
徐々に作られ出した人垣が、それの所在を露わにしていた。
駆けつけたアキが遠巻きに見ている生徒の隙間からそれを目にした時、上げそうになった声を飲み込む。
朝靄に包まれた木の根元にもたれかかるようにして、顔を俯けている一人の生徒の影。
それだけならまだ希望はあったかも知れない……。
「そんな……嘘でしょ、舞島さん」
傍らに辿り着いた鈴見の声でアキは我に返る。
彼女は両手で口を押さえて、涙ぐんだ。
「……どうしてよ」
夥しい量の血が吸われたのか、黒く染まる地面。
腿に置かれた手には、支給されたツールナイフが突き立っている。
鈴見はふらふらと近づいて、彼女の傍で膝をつく。
開かれた瞳は絶望に彩られ、血の気を失った唇は紫色に変色し、既に息が無いことは誰が見ても分かった。
また一人、命が失われたのだ。
生徒達の多くが衝撃を受けて口も聞けない。
放置しては置けない。皆それは理解しているのに行動には起こせない。
――連絡を……いや、どこへ? そう思って一瞬警察を思い浮かべたアキは自分が馬鹿らしくなった。もう自分達を守ってくれる治安機構など存在しないのだ。
まともな対応が期待できるか怪しかったが、中央部に設置している監督員達の居住区に行けば誰かいるだろう……自分達の手では、土に埋める位の事しかしてやれない。
そのまま担いで運ぶのは、何となく憚られる。
そう思ったアキは、悲しむ鈴見を残し、天幕で使っている寝具を取りに行った。何とか人一人位を包めるくらいにはなるはずだ。
入り口を開けると、中でまだ眠そうにしている三人が日の光に顔を歪めた。慌ただしい様子に何かを感じたのか、セオが声を掛けて来る。
「……何かあったのか?」
「……悪いけど、少し手伝ってくれないか。舞島が――」
言いかけて、アキは寝ぼけたイツミの顔を見て口を噤む。
舞島と彼女は……教室内で同じグループだった。
今ここで告げるべきなのだろうか?
いずれ知れることだが、余りにも酷だ……押し黙るアキを、イツミは大きな口を開けて不思議そうに見つめ返した。
「んぁ……ふぁ~ぁ。……何、どしたの? あ、あんまこっちをまじまじ見ないでよ……こっわ。寝起きで見ると心臓に悪いよ、あんたの顔」
じっと見つめるアキから顔を背けて肩を抱くイツミ。
正解は、わからない……どちらにしても苦しむ。
結局アキはそのまま真実を告げることにした。
「三人とも、聞いてくれ。舞島が……亡くなったんだ。僕も状況はあまり良く分からないが……セオ、できるなら今から遺体を運ぶのを手伝って欲しいが無理にとは言わない」
「え……ああ。……マジかよ」
セオは額を押さえ、顔をはたいて自分の目を覚まさせ、アキはそのまま天幕の奥側にある自分の寝具を丸めて抱えた。
一方、イツミからは反応がない……肩を下げ、目を見開いたまま座り込んでいる。
理解することを脳が拒否しているのかも知れない。
「……イツミちゃん?」
カホがそっと背中に手を添えたが、気付いていないようで、僅かに唇が震える。
アキはそれを見て彼女を連れてゆくのを断念した。
「イツミはここにいろ。カホ、残ってマルバさんに事情を説明して……」
「待って……! う、嘘吐かないでよ……違う人でしょ? 莉愛のはず、無いよ。そんなはず、無い! ふざけないで……!」
舞島
「嘘……。そんなの信じらんない。絶対嘘だよ……うそ、うそだ」
「おい、お前……」
何度も同じ言葉を繰り返しながら伸ばされたセオの手を払い、イツミはアキを睨みつける。
「最低の冗談だよ……。何よ、あんたあたしにそんな怨みがあんの? だから、こんな酷いこと、言うの?」
「……いい加減にしろ。確かに僕はあんたが嫌いだ。だけどな、こんなことを冗談で言える程性根が捻くれちゃいない。鈴見先生も、他にも大勢の人間がそれを見たんだ……」
イツミは突然よろけて、尻餅をついた。
「あ、あれ……足が震えて、力入んない。なにこれ、変なの……はは」
「もういい、ここにいるんだ。カホはイツミについてやっててくれ。セオ、行こう」
「待ちなさいよ!」
足元に飛びつく様にイツミはアキに取りすがる。
「……大事な友達なの。あたし、行かないと! ……怖いけど行かないと」
仕方なくイツミを強引に立ち上がらせると、カホがそれを支えた。
「私も行きます。……こんな時ですから、他は後回しに」
「仕方ないな……歩かせるより運んだ方が速いだろ。背中に乗せて」
アキは毛布をセオに任すと、仕方なく彼女を背負って駆け出す……耳元で何度もイツミが、手遅れな彼女の無事を願うのを聞きながら。
戸惑う生徒達の数は先程よりも増えている。
そのの間を潜り抜け、戻って来たアキ達は鈴見の背中に声を掛けた。
「先生……衛生施設の方に運びましょう。手伝って下さい……このままでは彼女が哀れです」
「……ごめんなさい。私……ちゃんとできなくて」
「莉愛!!」
イツミが我を忘れて舞島莉愛に取りすがり、体を揺らす。
瞬く間に彼女の瞳から涙の粒が膨れ上がり、ぽとぽと舞島の顔へと滴り落ちた。
「あぁ、あ……どうして……ぇ?」
もちろん、彼女はもう何の反応も返してはくれない。
「なんでよ……。なんでこんな、非道いよぉ。やだよ……やだぁ」
痛哭が、彼女の喉から延々と絞り出されて行く。
……立ち入り難い雰囲気だが、このままにしておくのは、どちらもが余りにも可哀想だ。
「……イツミ、下がれ。彼女を運ばないとならない」
「触んないでよ! あんたが……あんたに、何の権利があるのよ! 嫌よ、連れてかないで……やだ、やだぁぁぁ!!」
彼女を見て、父を亡くしたと連絡を受けた時の呆然とした己を思い出し、哀しみがこみ上げた。
「いい加減にしろ……ここで泣いてても彼女はもう帰ってこないんだ! こんな風な姿が大勢の前に晒されて……あんまりだろ……。友達ならさ……きちんと最後まで送ってやれよ……」
「あ……」
周囲の視線は全てが彼女を悼むものでは無く、興味本位の物も確かに見受けられて……そんな目で人の死が穢されるのは許せないことのように感じる。
涙に濡れた顔でイツミは頷くと、ようやく体をどけて項垂れ、しゃくりあげる彼女の背中をカホがさすった。
「衛生施設の方へ運ぶから手伝ってちょうだい。寝台があるから、静かに寝かせて上げられると思うわ……」
鈴見が涙を拭い、舞島の体をゆっくりと地面に敷いた寝具の上に寝かせ、瞳を閉じさせた。
そしてアキ達は物言わぬ体を担いで行く、
中央に設置された、灰色のブロックが積み上げられたような、衛生施設。
曇る空の下で、見上げたそれが死者を招く墓標の様に見えて、アキはぎゅっと目を細めた。
衛生施設内の治療室に彼女を担ぎ込むと、白衣を付けた一人の女性が対応してくれた。
「……残念なことですね。御遺体は然るべき処置をしてから、後日街の方の共同墓地に移送する事になります。皆さんが立ち寄ることになるかどうかは分かりませんが、どうぞ」
女性は紙片に住所らしきものを書いて、鈴見に渡す。
「……ありがとうございます」
「亡くなられた理由は、何となくお察しでしょうけど、失血死です。左腕の手首を突いて、自死なされたのかと思われます。確かなことは言えませんが……右手に強く柄を握った跡と、いくつか、浅く躊躇ったような傷跡も有りますし。まず間違いないかと」
簡潔に述べた彼女は、部屋にある装置のボタンを押す。冷気と共に壁面から長方形の棺めいた箱が出て来る。遺体の劣化を防ぐための入れ物なのだろう。
「あ……」
前面が開いたそれに彼女を押し込むと、壁面に元通りに格納される。ずっと彼女の死に顔を見つめていたイツミは、震える指を伸ばしたがしばらくして、所在なくその手を下ろした。
「戻りましょう……時杉さん、気を落とさないで。……皆も彼女のことを気遣ってあげてね、お願い……」
「……わかってます」
イツミは鈴見の言葉に応えず俯いたままで、アキが代わりに頷いた。
そして、鈴見は各班に説明しに戻り、五班の面々も天幕へと足を向け始める。
「こんなの……ないよ」
誰に言うでもないイツミの呟きは聞き取れるかどうかという程小さく、重なる様に響いた靴音に虚しくかき消されただけだった。
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