《二話》見せしめ

 角型灯火ランタンが吊るされた、円形の天幕の内部。

 概ね十畳程のスペースの中に、今亜樹達はお互いに距離を取るようにして座っている。


 少し前、地上に降ろされた後、二年二組の面々は六つに分けられ、しばらく班単位での行動をするように命じられた。


 亜樹が在籍することになったのは、第一から第六の内、第五班。天幕の内側にいるのも丁度五人だ。


 不良 (パーマ)の北上。写真騒ぎで殴られなかった方の女子――時杉。目立たないの外見の少女、見沢。空手部で一匹狼の内海。そして亜樹。


「うぜー、うぜー、だりぃ……あり得ねえし……」


 亜樹にとっては聞くだけで不快な声が響いた。

 北上がぶつぶつと呟きながら、硬いパンをかじっている。これは昼食として各人に手渡された物だった。


 ちなみにこれを最初に口に突っ込まれたのは亜樹である……変な警戒心を発揮した北上に毒見させられた。やはり予想通り、結局特に何という事も無い麦のパンだったが。


 普通に考えれば、召喚しておいて無意味に苦しめる意味もないだろうに……見せしめは、とうに行われたのだから。


 時杉は引き剥がされた友人が心配なのか、まだ鼻をぐずらせている。

 見沢は不安げに時折周りを見渡しながら、所在なく俯くだけだ。


 空手部の内海だけが、この状況で一人落ち着きを見せ、柔軟体操などしてリラックスしているように見える。


 何をさせられるかもわからない不安の元、いつ外から声がかかるのか気にしながらじっと待つ時間が続く中、亜樹は先刻の一幕を反芻はんすうしていた。


 仮面の銀髪達は確かに言ったのだ、小休止後、訓練に入る、と……。

 額面通り受け取るのであれば、魔物とやらと戦うための厳しい訓練が始められる、多分そういうことだ。


 外には見張りすらいないが、それがわかっていて誰一人逃げ出さないのには理由がある。

 地理が不明確で行く当ても無いことと、この腕にめられた《ケスラ》とか言う腕輪のせいだ。


 先程までの説明――行動を制限するに当たって十分すぎる程の説得力を有したそれを、亜樹は生涯、忘れることが出来ないだろう……。






 ――飛空晶器フェーゼ・ランシェルとやらの内部で召喚した目的を述べたすぐ後、銀髪の男は部下に説明を委ねた。


 代わって灰ローブたちの中から、一人の男が歩み出てそれを引き継ぐ。

 醒めたブルーアイを光らせた、若さに陰りの見え始める年代の男だ。


 男は、生徒達を右側の窓際に誘導し、ある一点を指差す。


「アーレ=メリアでは、各地に湧き出す魔物により、日々人々は脅かされている、あれが見えるだろう」


 彼の言葉に従って全員が向けた視線の先。

 雲の切れ間に姿を見せた丸い物体――それは全員の目を釘付けにした。


 途轍もなく巨大な紫色の円環……中心に黒い穴が口を開けている。

 距離は判然としないが、降下中にもかかわらず見え方が大して変わらないのを見ると、宇宙に浮かぶ天体のようなものなのだろうか。


「……《紫輪ニルン》と我々は呼んでいる。定期的にあそこから正体不明の異形共がこの地に送られてくるのだ」


 送られるとは……各人の頭に上がった疑問を打ち消すように男は述べる。


「記録では、あれが観測され始めたのは、二百年程前からという事らしい。詳しい説明は省くが、それ以来世界各地では、原因不明の物質で覆われた一帯が大地に出現し、そこから地上に表出した魔物達が大地を荒らし人々を脅かすようになった。だが、学者たちが《クァジ》と名付けたそれらを我らの力では閉じることができない為、貴様達の力が必要になったのだ。もちろん、事が成った暁には相応の報酬は用意しよう。この世界を救うために戦ってくれ」


 男はそう静かに告げた。だが、その言葉はどこか嘘くさく、熱量が欠けているように思える。

 言葉とは裏腹に諦めを宿しているようにすら感じられた。


 その態度に少し気を持ち直したのか、一人の生徒が挙手して発言する。


「ち、ちょっと待って下さい。戦うとか……私達は学生、ただの民間人なんです。ここがどんな世界かは知らないですけど、戦うって、殺し合いをしろってことなんでしょう? そんなことできるとは思えません!」


 橋尾という女子生徒だ。眼鏡を掛けた三つ編みというスタイルはクラス委員を想起させるものがあるが、彼女はただの真面目な一生徒でしかない。現在女子委員長の布施は膝に顔を埋めて絶賛現実逃避中である。


 吹奏楽部に在籍している橋尾の良く通るいい声も、今は内心の動揺に揺れている。

 

 そして前に出た男はこの手のやり取りに慣れていないのか、面倒そうに言葉を加えようと頭を搔いた。


「出来る、出来ないの問題では無いのだ。言い方が悪かったな……」

「おい、マルバ。その言い方ではこ奴らに勘違いさせるだけになる。少し下がっていろ」

「ハ、失礼致しました。ウォルナンド極導きょくどう


 マルバと呼ばれた男は、愉快そうに口を曲げた銀髪に敬礼して下がってゆく。

 年は銀髪の方が若いように感じるが、年功序列の組織では無いのだろう。


 説明を引き継いだ銀髪の滑らかだが有無を言わせない声が、橋尾を圧倒して退がらせた。


「貴様らが平和な世界から来ているのは知っている。だがな、非戦闘員だから見逃してくれという言い訳はこちらでは通用せんのだ。戦える者がやらなければ、より多くの人間が死ぬ。事実、こちらではまだ十にも満たぬ少年少女が剣を取り戦っている地域もある……もし望むなら、そちらの方面に飛ばして実情を見せてやることもできるが?」

「や、止めて下さい! そ、そんな……そんなの、そっちの勝手な都合で……」

「勝手で結構。私達が当てにしているのは年齢や経験などでは無く、貴様らに秘められた力なのだ。それさえ扱えるならば老いも若きも知った事ではない。強者や役に立つ者は厚遇され、弱者や戦いから背を向ける者には罰を与える……そういうことだ」


 刃を突き付けるような酷薄な笑みを浮かべながら、銀髪の男ウォルナンドは腕輪を操作する指示を出す。


「この腕輪、《ケスラ》は今もお前たちの能力を計測している。その中央にある白いボタンを押せ」


 確かに腕輪は浅く窪み、中央に小さな白い突起がある。

 この男が何をするか分からないという事は、今までの行動で全員が十分に理解していた。

 殆どの者が即座に言葉に従い、亜樹の周りで次々に驚きの声が上がる。


 いかなる技術によってか、円形の画面が空中に投射され、それをほのかに輝く極彩色の文字が彩る。

 それには名前をはじめ、幾つもの情報が並べられていた。


【 名前:アキ・スガヤ 】

【LV1 EXP:0/10】 【所持IP:0】

格位クラス:☆リザードマン《next→リザードファイターorリザードスカウト》】


【体 力(B)】25/25  【魔 力(E)】5/5


【攻撃力(C)】//20

【防御力(C)】//20

【知 力(E)】/5

【精神力(C)】//15

【素早さ(C)】//20

【器用さ(D)】//10

【 運 (‐)】0



【各種耐性】

(火)△(水)×(風)×(土)×

(毒)△(麻痺)△(沈黙)△(睡眠)△(暗闇)△(凍結)△(呪い)△


【アビリティ】 

 耐熱LV1 自己再生(小) 耐異常LV1 不運


【スキル】

 [nothing]


【特記事項】

 源鍵の型主 《竜》


 周囲で巻き起こるざわめきを置き去りにして亜樹は凝視する。

 似たようなものは向こうでも見た。地球人が造り出した、電子世界の中で。


(まるきり、ゲームとかのステータスウインドウじゃないのか……これ)


 二、三例確認して間違いでは無い確証を得たかったが、見せあうような仲のいい生徒はいない。

 仕方なく眺めたままでいると、ウォルナンドは床を強く蹴りつけ、視線を集めた。


「その腕輪で貴様らが出来るのは参考情報の確認だけだが、他にも機能がある。使用言語の自動翻訳と認識の共有、現所持者の位置、安否情報、特定区域への侵入する際の一時認証符号インスタンス・キーの受信、他にも命令違反者への罰則の適用など様々な物がな」


 罰則の適用という言葉を強調した彼の仮面の奥の瞳が不気味に瞬き……鮮血のような赤色が、生徒たちの心を恐怖で絡めとる。


「わかるか? 我々は貴様らの力を必要としているが、自由を認めているという事ではない。あくまで我々が主導する形でことを為してもらわねば困ると言う訳だ。……いたのだよ、かつて召喚された者の中で同志を束ね、王を僭称せんしょうして我々に楯突こうとした愚か者が」


 表情こそ変わりないが……瞳に灯り揺らぐ溶岩にも似た熱は、狂気にも似た憎しみが源なのでは無いかと、アキはぼんやりと感じた。


「結局、その者はある国の軍を半壊させて王都にまで攻め上り、当時方面師団の最高責任者であったクアカ・プラン至導と相打つ形でその命を散らせた。それを持って、我々は貴様たちに枷を与える必要があると感じたのだ。大いなる力は、ともすれば《紫輪ニルン》以上の災厄をこの世界に呼び込むかもしれん。……恐れているのだよ、我々もまた貴様達をな」


 彼は一旦言葉を切ると、部下から一枚の薄いバインダーのような物を手渡され、何か操作し始める。


「……ふむ、先程の説明で貴様らが理解してくれたと信じたい所だが、生憎とこちらも疑り深いものでな。……シュン・エノキ! 手を挙げてもらえるかな?」


 呼ばれたのは榎木瞬――ほっそりとした体付きの少しなよっとした男子生徒。

 薄くメイクした細面の顔立ちは整っており、交友関係は広いようで女子の人気も高い。学校でファッション雑誌を広げて談笑する姿は亜樹もよく見かけた。


「え、ぼ、僕ですか? 何なの? あ、挙げますけど……」


 彼は周りを見回すと、怖れと羞恥の混じった表情で手を挙げた。


 そんな彼にウォルナンドは先程とはうって変わって穏やかに微笑みかける。

 それはどこかやや芝居がかったように感じられる笑みだ。


「君には、一つ大きな役目を任せたいと思うのだが……いいかね? 他の誰にも任せることのできない重要な役割だ」

「ぼ、僕がですか? ぼ、僕なんかが皆を差し置いて……いいんですかね?」

「言っただろう……君が適任なのだ。これを為すことで、ここにいる彼ら全員の生存率が大きく変わることになる。君の存在を全員が感謝することになるだろう」


 その真剣さを宿した静かな言葉に榎木はおずおずと頷いた。


「そ、そんなこと言われたらやるしかありませんよ……わ、わかりました。何をすればいいんです?」


 満足げに銀髪は頷き、周りの灰ローブ達にも聞こえるように声を上げる。


「よろしい……いや、何もせずそのまま立っていてくれ給えよ……フフ、全員この勇敢な若者に拍手を!」


 周りを取り囲んだ灰ローブと、釣られた生徒達の何人かが拍手を上げる中、ウォルナンドは榎木少年の前まで足を進め、にこやかに握手を求めた。


 口調こそ穏やかではあったが、何故かどこか……嫌な感じがする。

頭の中で急速に大きくなる警鐘が、見ているアキの体を強張らせる。


 そした照れた様に手を差し出す榎木の前で、ウォルナンドは囁くように告げた。


「素晴らしい……ありがとうシュン・エノキ。君の献身的精神に敬服し、この言葉を送ろう……『ベド・ライカ』」

「え……ベド、何です? 意味が……」


 榎木のきょとんとした表情は即座に一変した。


 ――オ”オ”オ”ォ……


 闇の底から這い出した亡者が放つような、重複する怨みの声と共に、どこからともなく湧き出す黒煙。

 

 榎木の周囲の人垣が放射状に割れ、突如パニックが起きるが……ウォルナンドは目の前でショーを楽しむか如く、哄笑を上げている。


 足元にわだかまった煙は、生き物のように絡みつくと、とぐろを巻くように這い上り榎木の体を包んだ。

 それは彼の全身の開口部から入り込み、体を末端から黒く染めてゆく。


 榎木は体を引き絞るようにしてのたうち回り、やがて膝をついて腕を力なく垂らすと、前のめりにどっと体を倒した。瞳が何も移さぬ漆黒に染まった後、ミイラのように瘦せ細った亡骸からほどけるようにして煙は霧散した。


 周りでは連鎖する悲鳴が飛び交う。

 無理も無い。こんな突然に無残に級友が目の前で殺されたのだ。およそ非日常的な光景を目にして、その場でえづく者や気を失う者が出る。


 だが、そんな地獄のような光景の中で舞台見物でもしているかのように、ウォルナンドは手を大きく打ち鳴らして絶賛していた。


「……ハハ、ハハハハハハ! ククッ、良かったぞ、シュン・エノキ。とても素晴らしい働きだ……ご苦労だった。君のおかげで彼らも自らの立場をきちんと理解できたようだ。ああ、安心したまえ、この術は他者に感染する類のものでは無い。さあ、彼にはご退場願うとしようか」


 ウォルナンドの指示の元、脇から出て来た灰ローブ達が、気味悪そうな顔をして榎木の体を左右から背負い、どこかへと連れてゆく。

 鈴見教諭が手を伸ばしかけたが、銀髪の視線が飛び、無理を悟ったように力なくその手を下ろした。


「《死呪ベド・ライカ》……対象者を死者の怨念に憑り殺させる呪詛術だ。フフ、今ので流石に良く分かっただろう。貴様らの命は我らが手中にある。くれぐれもその事を念頭に置いて動くようにな。……さて、そろそろか。今回は豊作だったので気分がいい。着いて来い。特別に上から見せてやる……今から貴様らが降り立つこの世界の姿を」


 ウォルナンドは倒れた生徒を残し、それ以外を引き連れて、この広間の出口へと向かって行った。


 部屋の端にある階段状のタラップを上がらされると、そこは甲板のような部分へと繋がっていた。外からは空気を遮るようなゴウゴウという音が耳に届く。

 

 おっかなびっくり生徒達は上に上がってゆくが、身体を包む外気に勢いは感じられない。

 円形の大地のような空間の余程外側に近づかなければ安全は確保されているように思われた。


「風防の遮断膜があり、外にはじき出されることは無い。安心して眺めていろ。本機は間もなく着陸の態勢を取る」


 促されるまま天空から眺めるその大地は美しく、胸に迫るものがあった。

 所々がうっすらと雲に覆われた眼下の地形には、ところどころに人々の生活の拠点が見受けられる。自然も多く随分と豊かそうだが、本当にこの大地で魔物達との争いが起きているのだろうか……?


「あ……あれ」


 一人の生徒が発見したのを皮切りに、驚きの声が上がった。

 方角は分からない。だが水平線の向こうには不気味な箇所が存在している。


 巨大な亀裂のようなもの――広大な面積に渡って存在し、ぽっかりと黒いあぎとを広げたそれは、一つの街位なら簡単に呑み込んでしまいそうな規模があった。


 そしてその上空に舞う青みがかった黒い影。

 古代の翼竜に近い生物は明らかに人間の数倍以上のサイズがあり、地表に向けて放たれた奇怪な吠え声が風に乗って亜樹達の耳に届く。


「フフフ、今日も《死呼鳥ムベウラ》共が騒いでおるわ。そう、あれが《クァジ》だ。近くに寄ればわかるが、地面が滑落しているのではなく、未知の物質に飲み込まれているのだと言えよう。我々はあの黒い墨のような物を《陰海ウィゲル》と呼んでいる。その昔あそこには一つの都市があったらしいが、今はもう影もない……魔物の巣と化しており、内部構造までもが造り替えられている」


 実際に中に入って調査した誰かがいたらしいというのは恐ろしい話だ。

まずまともな神経では中に突っ込もうという気にすらなるまい。

 

「何、内部は外とそう変わらんよ……貴様たちにとってはな。長期間滞在しなければ身体への影響は殆ど無い。いずれは貴様らもあれらの攻略班に参加して中に侵入して貰う。……今の内に良く眺めておくといい、自らの戦場、もしくは墓となるかも知れん場所のことをな……」


 眼下の大地に意識を奪われた生徒達には静かなウォルナンドの呟きは聞き流されて耳に届くことは無く……憐れみを宿した彼の目はせめて周囲の少年少女達の姿を記憶する。


 ――急速に降下していく乗り物から拡がる景色に誰もが息を呑んで見守る中、目を引いたのは一つ退いた所から冷静な目で眺める二人の生徒。


 薄く紫がかる空を前に……情報が記された板に目を走らせた後、そちらに目を向けたウォルナンドは一つ好奇の呟きを漏らす。


「クク――二人の《型主フィース》……幕が、上がるか?」


 須賀谷亜樹と港晃司。


 今この時、距離を開けた二人のシルエットを、彼の赤い瞳は奇しくも相似形として映していた。

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