《一話》アーレ=メリア

 ――いつだったか、まだ暑い夏の……じわじわと騒々しい蝉の声が響く、そんな季節のどこか。 


 休日の日曜日に、亜樹は父と河原を散歩していた。もう十年くらい前のことだ。


 その頃にはもう母は亡く、父は今から思えば、仕事と育児の板挟みで相当辛い思いをしていたはずだったが、そんな様子はおくびにも見せなかった。


 昔の父は今とは違い、良く笑っていた。

 数少ない休日を惜しげもなく息子の為に消費し、出来る限り亜樹の望みを叶えてくれた。


 背は大して高い方では無かったが、その大きく頼もしい背中に亜樹を乗せ、色々な所へ連れて行ってくれた。その度に亜樹はあれこれと質問して父を困らせたものだ。


 ――どうして蟻さんは、こんなに小っちゃいの? ……どうしてお月さまやお星さまは落ちて来ないの? だれが海に、あんなにたくさんお塩を入れたの? どうして……ねえ、どうして?

 ――う~ん、それはな……。


 そんな子供に理解させることが難しい質問にも、父は誤魔化さずに自分なりに考えた言葉で根気強く、亜樹が納得できるように努力して色々な知識を伝えてくれた。


 幼少の頃、亜樹は良く泣く子供だった。

 仕事で一人にされ、帰って来るといつも父にしがみ付いて大泣きするような、弱い子供だった。


 その時も、ほどけた靴紐が結べないようなそんな些細なことで、べそべそと泣いていたように思う。すると父は亜樹の頭を大きな手で力強く撫で、いつも言うお決まりの言葉を口にした。


「亜樹、強くなれ。お前にも、お前だけの強さがきっとどこかにある」

「ふぇ……つよく? むきむきすればいいの?」


 亜樹が映画でみたお気に入りのヒーローの真似をしたのに、父は小さく噴き出すと先の言葉を続けた。


「そうじゃない……いや、それも確かに一つの強さではあるけどな。なにも大勢の人が喜んでくれなくてもいい。ちょっとしたことでも、大切な人が喜んでくれることに価値がある。だから亜樹……頑張って強くなって、周りの大切な人たちを支えてあげてくれ。母さんも体はあんまり強くなかったけど、明るい笑顔で俺達を元気づけてくれたし、こうしてお前と暮らす幸せを授けてくれた。小さくても、俺にとっては一番のヒーローだったんだ。……お前がどんな風に大きくなるかはわからない。だけど、いつか何かを見つけて、支え合える誰かと一緒に幸せになって欲しい」


 この時、父親はどんな顔をしていたのだろう。

 強く照らす陽の光が彼の顔を遮っている。そして徐々にそれは強くなってその姿を覆い隠し――……。


 ………………。


「――良し、成功だ。人数は……二十九か。まあ上々だな」


 ――………?


「まずまず当たりと言えるだろう。ほとんどが若者だ。教育もしやすそうだしな」


 複数の男達の声が耳に届いた。

 視界を奪っていた光が収束すると、徐々に辺りの様子がはっきりして来る。


(夢……か? どこからどこまでが……? 生きてるのか、僕も、あいつらも)


 亜樹達が寝かされていたのは硬い黒い石畳の上のようで、ひんやりとした感触が手に伝わる。

 周りの地面より一段円形に盛り上がった石造りの土台の上に、クラスメイト達全員が乗せられているようだ。


 外縁部に沿って何重にも描かれている奇妙なラインはまるで血のように赤く、そしてその下の地面や外壁は白銀の鋼板に覆われている。


 亜樹は大きく落胆した。

 どうやら、神様は亜樹の願いを叶えてはくれなかったようだ……亜樹も、彼らも消してはくれなかった。

 教室からどこかへと移動させられてしまっただけらしい――まだ父の死に顔すら拝めていないのに。


(今、何時でここはどこだ? 外と連絡を取らないと……病院へ、行かないとっ……)


 体を起こした亜樹は自前の画面のひび割れたスマホを取り出そうとしたが、思い返せば教室の隅に転がったままだ……未だにあの教室が存在しているならという条件は付くけれど。


 体に伝わる微細な振動を感じながら、亜樹は視界に違和感を覚えた。


 見えにくいのではなく、その逆だ。

 視界が恐ろしく開け、隅々までを鮮明に映している。


 眼鏡も着けていないのに、ここまで周りがはっきり見えるのは幼少の頃以来だ。

 景色が目新しいもののように思えてつい左右に首を振っていると、不審に思った生徒がこちらを向き、即座に悲鳴を上げた。


「え……は? 何!? トカゲ……? ひっ!! 何なのコイツ?」

「ば、化け物……ちょちょちょお前らどけ、離れろっ!」


 瞬く間に亜樹の周囲に空間ができ、次いで降り注いできたのは多くの、嫌悪と拒絶の視線、それとスマホカメラのフラッシュだ。


 ――トカゲ……化け物? 


 どうも様子がおかしい……流石に急に化け物扱いされるのは亜樹としても腑に落ちない。


 光に目を細めた亜樹はクラスメイトから離れるように後ずさり、段のへりから転げ落ちた。

 金属床へ手を突いて起き上がろうとすると、そこにはぼんやりと自分の姿が映り、驚愕する。


 制服の襟元から突き出るように出たその頭部は、鮮やかなエメラルドグリーンの色をした三角形。

 細く光る金色の瞳は縦に裂け、硬そうな質感の鱗が皮膚を包む。


「あ……?」


 呆然として出した声と共に開かれた口元から、立ち並んだ無数の牙が垣間見え、亜樹は開閉を繰り返した。

 そして改めて冷静になって、顔を挟むようにそっと触り、スライドさせてゆく。

 自分の物とは思えない大きな掌に光るのは、鋭い鉤爪。


 ――なるほど……これは確かに、トカゲで、化け物だ……。


 納得した亜樹は、急に冷静になって害意が無いことを示すように手を挙げる。

 信じ難いことだが……須賀谷亜樹はどうやら人間ではなくなってしまった、ということらしかった。


「貴様ら、勝手な行動をとるな! その妙な道具をしまえ!」 


 騒ぎの中大きく声を響かせたのは、顔の中心から上を覆う半月型の仮面を身に着けた銀髪の男だ。

 軍装とローブを混ぜたような派手な赤色の衣装は、男を舞台役者でもあるかのように際立たせていた。


 その男の手振りで、周りに円を描くようにして配置された同型の灰色の衣装を纏う男達が、生徒達を威嚇する様に一斉に距離を詰める。


 それぞれの手に握られている長い木の杖――それを見て亜樹はせっかく冷やした頭をまたも混乱させた。


 彼らの姿はあたかも古いRPGに出て来そうな、杖を持った魔法使いそのものに見えたからだ。 

先の尖ったフードを見て、幾人かの失笑が漏れ出す。

 確かに、いい年をしてコスプレをしたような男達の姿には笑いを誘うものがあった。


「ちょ、マ? 草なんだけど……」

「おっさんコスわら……写メ取ろ写メ!」


 赤ローブの言う事も聞かずにいそいそとスマホを向け、フラッシュを連射させ始めたのは茶髪と金髪の、あまり素行のよろしくない女子生徒二人。


 ――丸岡と時杉。

 この二人の女子高生に対しても、亜樹は良い印象を持っていない。


 彼女達は不良三人組のように直接手出ししてくるわけではないが、何かにつけて辛辣しんらつな言葉や嫌がらせをして来ることが多かった。

 教科書やノートを破ったり、机や体操服の鞄などにゴミを突っ込んでいたり、陰湿なこと極まりないその行動は、じわじわとアキの心を追い詰めたのだ。まあ、他の面々の無関心さも殆ど似たようなものかもしれなかったが……。


 空気を読まない笑い声は続き、不快感をあらわにした一人の男が杖を一層強く突きつける。


「おい、貴様! 何をやっている! 勝手な行動はせず静かにしていろ!」

「ニホンゴ!? 受けんだけどマジで!」


 またも爆笑――。

 彼女らの言う通り、明らかに外国人の顔立ちをしているのに、話している言葉が素直に聞き取ることができるのが不思議だ。

 妙に流暢りゅうちょうに聞こえる割に、どこか違和感の感じる口調。まるで、名詞だけが共有されていない言葉同士で会話するかのような。


 なおもケタケタと笑いながら、茶髪の女子、丸岡はスマホのカメラを乱写する。

 しかし、その動じない性格が今回は仇となった。

 

 ――ゴヅッ……。


「いあ”っ……! あぁっ……!」


 何ら前触れも躊躇ちゅうちょもない殴打。それは少女の額を襲い、鈍い音と共にうずくまる丸岡の髪が鮮血に染まってゆく。


「……ッキャアアアアァァッ! 何でそんな酷いことすんの!? うぁっ……」


 傍にいた時杉が上げた非難の声も、肩を突き飛ばされて封殺され、瞬く間に周囲に困惑と悲鳴の輪が広がり出した。


「ちょっと、何するんですか! あなた達!」


 駆け寄った鈴見教諭が、ハンカチを取り出して流血した彼女の額に当て、男達を睨みつける。


 それは、ほんの数か月前であれば、勇気ある行動として讃えていたかもしれない。

 だが、今の亜樹には正義感溢れる教師の行動は共感できず、目を逸らす。


(何だよ……その中途半端な正義感は。そんなものがあるなら、何故……)


 ――身を挺して生徒を庇う気概があるなら何故、自分を救ってくれなかった。そんな冷めた感情を持て余す亜樹の傍を通り、冷笑を浮かべた赤ローブが音高くブーツを響かせてゆっくりと歩み寄る。


「翻訳機能が正常かどうか試しているだけだ。よく聞け、こちらの言葉に従わぬ場合、我らは制裁を与えることも辞さん。貴様がこの集団の長と見受けるが……理解したなら早く統率しろ。それとも全員同じ目に遭わせて、わからせてやる方が早いか……?」


 男の手が、鈴見の柔らかそうな長髪を掴み、強く引き寄せた。

 身の危険を感じた彼女は細かく唇を震わせ、上ずった声で慌てて生徒たちに赤ローブ達に従うよう指示する。


「ひっ……わ、わかったから、乱暴はしないで! み、皆静かにして、何もしないで話をちゃんと聞いて……お願い!」


 全員が納得したわけではないだろうが、丸岡の痛みに呻く声が生徒達の恐怖の感情を刺激し、やがて辺りは静寂に包まれる。


「ふん、揃いの衣装といい、ある程度の教養のある集団のようでなによりだ……それで良い。よし、貴様ら、これからいう事をよく聞けよ!」


 男は大音声で言い放つ。その話はとても亜樹達には信じがたいものだった。


「貴様らが今いるのはチキュウとやらではない! 召喚されたのだ……我らの世界アーレ=メリアへとな! そして現時点より貴様らは我ら晰人会リムシャール導士団・マイズの指揮下に入る。この事実を良く心に刻んでおけ!」


 ――ショウカン……シキカ……リム???


 亜樹達二年二組の面々の頭を埋め尽くす大量の疑問符……この時、男の言葉をほとんどの生徒達はまるで理解できなかった。




 金属質の床板を鳴らす、規則正しい足音達。

 亜樹達は今、男達に左右前後を挟まれながら通路を行進している。

 時折、ビリビリとした振動や例えようもない不安定感が足元から感じられ、気味の悪さを感じながら、それでも文句を漏らす人間はいない。時折、嗚咽おえつらしきものはいくつか響いていたが。

 

 粛々と隊列が進む中、亜樹は自分の手を見つめた。


 その手は変わること無く緑色だ……まるでペンキで塗られたように鮮やかな光沢の有るグリーンの鱗に覆われ、指には肉食獣の牙の様に鋭い爪。


 かたんと背面で床を叩いたのは尻尾だ。人間にはあるはずの無かった器官の感覚がしっかりと感じ取られ、自らの手足のように自然に動かせるそれにも、なんら不自然さは感じられない。


 何の説明も受けずに移動している為、詳細は分からないが、自分が何か人とは違う物になってしまった事は確実だ。


「気持ち悪い……」


 自身の内心を代弁したかのように、誰かがぼそりと言った言葉が亜樹の耳を捉える。散々聞き慣れたはずのその言葉から不快感が薄れることは無い。

 

(違う世界に来てまで、僕はまた蔑まれるのか……)


 ――理不尽だ、と心底そう思う。こんな変化をきたしているのは周りを見て亜樹だけなのだ。


 亜樹の中で、この世界自体が自己の存在を否定する為だけに形作られた妄想か、もしくは自分の造り出した悪夢の一部分なのではという思考が現実味を帯びだすが……妄想や夢にしては細部がはっきりとしすぎているし、父の夢の事も有る。夢の中でさらに夢を見る事は可能だっただろうか?


 それに、実際に物理的な被害を受けたのは亜樹ではなく丸岡だ。


 クラスメイトも亜樹も同様に追い詰められたこの状況で、自分一人の存在をどうこうする為に作られた世界だと仮定するのは、流石に考えが行き過ぎだろうと、そう思い直した時だった。


 またも誰かが尻尾を軽く蹴飛ばす不快な感触……。

 思わず振り返るが、誰もが亜樹からは目を逸らす。


 ――よくこんな時に人にちょっかいを掛ける余裕があるな。


 ある意味で尊敬しながら息を吐き出し、付き合うだけ無駄だと再び集中を戻し中断された状況把握に取り組む。

 

(しかし、どうして僕だけが……?) 


 大きく様変わりした肉体……大体の人間の頭が顎から下の位置にある。

 妙な動きづらさは、体の各部を盛り上げる筋肉のせいで制服が引きれているのだということに気づき、夏服のボタン幾つか外した。

 尻尾はどうやらズボンを押し下げて出ているようで、長いシャツが伸びていなければ腰部分が露わになっていたかも知れない。


(自分の身体じゃないのに……。どうしてか、妙に馴染む)


 拳を握り締め、力の入り具合を確認していた亜樹の前方に階段が見え、四角くくり抜かれた出口から光が落ちて来た。


「――眩しっ、地下だったのか?」

「はぁぁ、ようやくちゃんと息が吸える……あれ」


 狭い空間から解放された生徒達が安堵の息を吐く。

 広間が明るいのは、天井にある照明のせいだけでは無く、全て硝子張りになっている側面から外部の光が差し込んでいるからのようだ。


 公立校の体育館程は有りそうな広い面積を踏みしめ、あることに気づいた生徒が窓を指差した。


「ねえ……何であんなに雲が速く動いてるの? 近すぎない?」


 彼女の言う通り、雲が急速に上方に流れていく。そして体に感じる妙な違和感の正体が、浮遊感であったことに気づく。


(落ちてる……のか?)


 何となく合点がいった。つまりここは、空を漂うなんらかの飛行物体の内部。

 そしてそれは今、急速に地面へと向けて降下しているのだ。


 再び騒然となる事を予期していたのか、周りの男達が一斉に杖を足元の鋼板に叩きつけ、真ん中に陣取った赤ローブに視線を注目させる。 


しずまれ! 今現在この《飛空晶器フェーゼ・ランシェルガルソア七号》は陸地に向けて降下している。予定通りの航路を取っており何も問題は無い。もう数時間も有ればある国の南端に着陸するが、そこで始まる訓練を開始する前に、貴様らにはこれを付けて貰おう」


 男の合図と共に、カートのようなものに乗せられた幾つもの黒い腕輪が運ばれてくる。

 それを運んできた背の低い人間は、驚くことにまだあどけなく可憐な少女だ。

 周りの男達と同じ灰ローブを身に着けてはいるが、フードを付けてはおらず、露わになった髪は雪のように白い。

 桔梗のような濃い紫色の瞳は、全くこちらを向かず、感情の光は一筋も浮かんでいない。

 美しい声をしているが、ぼそぼそと小さく喋るせいで内容は良く聞きとれなかった。 


「おに……ウォルナンド極導。全て……整は完了して……。ジャン上導からは加圧強……験、導……対抗試験共に前期を大幅に……、導力暴発による自壊の……も千九十六分の一まで低減……」

「……後で聞こう。下がって良いぞ」


 少女はさらさらと髪を垂らしうやうやしい礼と共に去り、そして赤ローブはそれを掴み上げると、生徒たちの眼前に突き付ける。


 黒い水晶のようなつるっとした表面に、時折光が走り、何らかの幾何学模様を浮き上がらせる。

 明らかに仕掛けが施されていそうな、率先して身に着けたくはならないような代物。


「一人ずつ前に出て、この腕輪、《ケスラ》を身に付けよ! まずは貴様からだ!」


 鈴見がそれを突き付けられ、ぐっと息を呑む。


 だが、勇敢にも前に出た一人の男子生徒がそれを手を振るって跳ね飛ばした。腕輪が金属板の上を軽い音を立てて転がる。


「ふざけんな! そんないかにも何か有りそうなもん付けられるか! 誰か警察呼べねえのかよ……こいつら頭いかれてる! どこのテロリストか知らねえけど……ご丁寧に日本語まで覚えて……何が狙いなんだよ!」


 男子委員長の切倉だ。目の前の男達の言う事をまだ信じていないのか、彼は外部と連絡を取る様に働きかけ、赤ローブの前に立ちはだかろうとした。だが、それは余りにも無謀だった。


 亜樹の位置からは赤ローブが口角をわずかに上げた所しか見えなかった。


「……がッ!?」

「切倉君!?」


 その場にすとんと切倉が膝を落とし、横倒しに倒れ込む。そして、白いシャツをじわじわと染め出したのは血液だ。


 切倉の脇腹に生えた、細く透明な一本の透明な……杭のような物。

 周りに浮かんでいる白いもやは冷気だろうか。

 忽然と現れた氷の槍が、彼の腹部を貫いたのだと察した時、周りからまた大勢の悲鳴が上がる。


 そして、赤ローブは彼の体を蹴って仰向けに転がした。


「当然だが逆らうと、なる。おい、貴様……今なら命は助けてやれるが、どうする?」


 男の視線を受けた鈴見は、慌てて必死に生徒達に頼み込む。

 

「み、皆、今は言う通りにして! 切倉君が死んでしまうわ!」


 今も脂汗を滲ませて悶え苦しむ切倉を救おうと、過半数の生徒が自発的に腕輪を付け始める。

 彼の人望の高さが伺えたが、幾人かの生徒はそれを渋っていた。港達を中心とする集団だ。


「どうした? どちらを選ぶも自由だが、今拒んだとしても着けない奴に容赦はせんぞ? お前らから死にたいのならそれも良いだろうがな」


 男がそう言って手の平に生み出したのは、内側に向かって渦巻く丸い炎の玉や、宙に浮いたまま回転を続ける氷の細い紡錘体ぼうすいたい。確かな質感を持ってそこに存在するそれらが、反駁はんばくの余地も無いことを暗に示す。


「港君! 皆も……お願い」

「チッ……わーったよ、貸せ」


 鈴見の懇願にほだされたのでは無いだろうが、港は《ケスラ》とかいう黒い腕輪を乱暴に奪い取ると、自らの腕に渋々めた。取り巻き達もそれを確認すると次々に着けて行った。


 そして二十九名全員がそれを身に着け、切倉が手当てを受ける為連れて行かれた後、男達は今二年二組がおかれた状況について説明を始めた。




 

 赤ローブ――銀髪を撫でつけた仮面男が、鋭い眼光で全員を睨みつける。


「よし、では貴様らが置かれた状況を説明してやろう。先程も言ったが、貴様らはチキュウとやらからこのアーレ=メリア――《はての大地》と呼ばれるこの世界に召喚されたのだ。当然信じられないものもいるというのは理解している。だがこれを見ればわかるはずだ……無いのだろう、我々が使うような《導術マジェル》は、貴様らの世界には……」


 そう言って男は手の平の上に、炎、氷、雷の玉等を代わる代わる生み出して見せる。


 それは非現実的な光景であったが、騒ぐ人間はもういない。先程の銀髪の凶行で浸透した恐怖が、生徒たちの行動を阻害していた。


 銀髪はその様子を見て満足げに頷き、先を続ける。


「貴様らの与り知る所ではないが、召喚には座標の選定、呼び水となる膨大な術力資源や器となる受容素体など様々なものが必要となる。空恐ろしい程の富がつぎ込まれている事をまずは肝に命じろ。そして、我々にはそれを押してまでこちらに貴様たちを呼び込む理由がある……察しているものも居るだろうが、チキュウ人にしかできぬことが有るのだ。貴様らには、我々の様な導術マジェルは使えん。だが、その代わりに与えられる膨大な成長力と《源鍵リメル》の器としての可能性、それこそが我が世界を平穏へと導く足掛かりとなる……」


 目を閉じた銀髪のその言葉は、どこか万感の思いを感じさせる響きだった。

 やや、という言葉の発音がおかしく、ところどころ意味が判然としない言葉もあるが、それを笑える胆力の持ち主はこの場には居ない。


 そして男はその口の端を歪に歪ませる。


「貴様らには、この世界を脅かす存在を完全に排除して貰わなければならん。その為には幾多の魔物達をほふり、その力を蓄えて己を昇格に導く他ない。そして得たその力をもって、全土の魔物の発生源たる《クァジ》を永久に封鎖するのだ。その為に貴様たちはここまで呼ばれて来た!」


 異様な熱量の元に放たれたその言葉を瞬時に理解できた人間は僅かしかおらず、殆どの者は置き去りにされたような顔でそのまま銀髪を見上げていた。

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