12.バーチャルリアル夫婦(後編)


 紆余曲折はあったものの、リアルで結婚した康介とゆうかの二人が務めるブイチューバー、『悪魔祓い《エクソシスト》のウィル』と、『悪魔デビルのアモデス』もまた、結婚している。


 俗に言う『バーチャルマリッジ騒動』に対して二人が取った行動は、『お騒がせして申し訳ありませんでした。私たち結婚します』ということだった。

 世界初のブイチューバー夫婦となった二人には、その後も誹謗中傷や非難の声が絶えなかった。

 そういう声を上げていたのは一部だったが、ネットというのは総じて声が大きい者たちの意見が表に出やすい。

 逆に他の一部はそんな二人を祝福して受け入れようとしていたのだが、炎上の続く環境の中ではまともなブイチューバー活動をするのは難しく、二人は活動を半年間休止することにした。


 半年後も炎上の余波は残っていたものの、それらの一切合切を無視して二人は活動を再開した。

 そして、そんな二人が作る動画や、行う配信には、以前からのファンだった人たちが大勢訪れ、『ご結婚おめでとうございます』という祝いの声がたくさん集まった。

 二人が休止していた間にも、二人の根強いファンである者たちが、お祝いの言葉を集めた寄せ書きを作っていたり、ファンアートをつくっていたりしていたのだ。


 もちろんそういう人たちばかりではないというのは事実だったが、そんな二人を心良く思わない所謂『アンチ』たちも、ウィルとアモデスが夫婦として仲睦まじく活動を続けていく内に、一人、また一人と消えて行った。


 結果、二人の元には炎上騒動の中でもなお、彼と彼女を応援し続けた者たちが残った。

 アンチたちが二人に向ける誹謗中傷や非難を、無理に諫めようとせずにただ無視して、あくまで『ウィル』と『アモデス』のファンとして二人を見て、応援しているような彼らは退役した縁側の老人だとか、観葉植物だとか、そんな風に言われている。


 今となっては、夫婦ならではの強みを生かした『ウィル』と『アモデス』の活動は、『安心して見れる』『なんだか落ち着く』『また二人の掛け合いが見れて嬉しい』と、多くの人から安定した人気を得ている。



「全く傷付かなかったと言えば、ウソになるわ」


 いくつかのやり取りの末、許された康介がまた仕事に戻った所で、ゆうかは何事もなかったかのように小夢に言う。


「あの炎上騒ぎで私たち、『ウィル』と『アモデス』は色んな人に、色んなことを言われたわ。本当に色々。ネットって怖いなって、思ったし、このままブイチューバーをやめちゃおうかなって本気で考えたりもした。無理にブイチューバーをしなくても、コウちゃんと結婚してからの生活はすごく幸せだったしね」


 そう言って、大きく膨らんだお腹を優しい手つきで撫でるゆうか。カウンターの裏で忙しなく働いている康介の耳が少し赤くなったような気がする。


「……」


 小夢にとっては表面しか知らないその騒動。当事者と二人が見てきたものは、きっと部外者の小夢には想像も付かない。


「そんなに私たち悪い事してないよね? って、思った。でも、やっぱり世間と私たちの認識は違うし、世界には本当に色んな人がいるから、私たちとは違う考えの人がいても当たり前だって気付いたの。それが分かってからは楽になったわ。そして、そんな騒動の中でも、私たちのことを好きだって言って、応援してくれている人がたくさん、本当にたくさんいるのが見えるようになったの。そんな人たちのことを見て、またブイチューバーをやりたいと思えるようになった」


 そこでゆうかは少し佇まいを直して、真っ直ぐとした瞳で小夢を見る。


「小夢ちゃん。もしあなたが人気者になりたいって思うなら、それはやっぱり色んなものを背負う覚悟をしないといけないと思う。ファンの人たちの想いや期待とか、ブイチューバーとしての看板を背負って上に立つことの責任とかね。ファンの想いや、誰かの希望に全部従うっていうことじゃないの。自分にとっての、〝自分なりの信念みたいなモノ〟をしっかり持つってこと」


 ゆうかは視線を横にずらして、奏太を見る。


「そういう意味ではソウちゃんは凄いわよね。どこまでも徹底して、ファンの人たちに夢を見せてる。その裏側がどんなものであったとしても、それを隠し通す覚悟を持ってる。いきなりびっくりするような事をする時もあるけど、たぶん、ソウちゃんなりに色々考えてるんだろうなって思う」


 ゆうかが奏太に微笑みかける。


「さぁ、どうでしょう」


 奏太は薄い笑みを返して言う。


「僕、結構自分勝手なので」


「まぁ、ともかくよ。そういう〝自分なりの信念みたいなモノ〟を持った上で、何かの悪意を持って活動している訳でもなければ、そして、誰かや自分自身を楽しませようとして行動して、感謝の気持ちを忘れない限り、どんな時でも〝自分のことを見てくれている人たち〟のことが見れるようになるわ。そうなればもう大丈夫よ。自分が自分のことを裏切らない限り、大丈夫」


 「大丈夫」と繰り返して、ゆうかは小夢に笑いかける。


「さて、これで私の話は終わり。ごめんね、こんなおばさんが色々偉そうに語っちゃって。でもまぁ、一応、人生とブイチューバーの先輩として、今伝えられることだと思うから」


「はい、ありがとうございました。その……、とても為になるお話でした。本当にありがとうございます」


 小夢がゆうかに頭を下げる。


 良い話だと思った。尊敬したいと思った。色々な経験を積んできた先輩としての厚みがある言葉だと感じた。ブイチューバーとして人を楽しませる者としての、覚悟のようなものを感じた。


 『自分を見てくれている人』たちのことを見る。その意味を、その事の大切さを、知れたような気もする。


 けれど——、けれどやっぱり小夢は、どんな人にも、みんな仲良く、そして楽しく、自分を——ブイチューバーとしての『小悪魔マクア』という存在を、見て欲しいと思ってしまった。何よりも、小夢が『マクア』のことを好きだと思っているからこそ。


 そんな子供の駄々のような甘い夢みたいなことを思ってしまう。


 小夢は難しい表情のまま、何かを言いかけたが、そのまま口を閉じる。小夢はまだ自分自身がどうしたいのか分からなかった。


 俯きがちな小夢を見て、ゆうかは大人びた微笑をこぼす。母親が我が子を見るような、慈愛の瞳。


「ねぇ、小夢ちゃん——」


 ゆうかがそう言いかけた時、音楽が鳴った。小夢もよく知る曲。慈愛天使子のオリジナルソングの一つだった。


「すみません、ちょっと電話です」


 奏太がスマホを持って立ち上がる。その画面に『マネージャー』という文字が映っているのを、小夢は目にする。


 奏太は席から離れながら、通話先の人物と何やら話している。



「——え? それを僕に頼むんですか? ていうか今から探すんですか?」


「……まぁ、はい。探してみますけど」



 どんどん離れた位置に移動しながらそんな事を言っているのが聞こえた。

 不意に奏太が振り返って、小夢のことを見る。なぜ自分に視線向けられたのか分からず、ドキリとする小夢。


 そのまま奏太は店の隅に移動して、小夢には奏太が何を話しているのかも聞こえなくなった。

 


 

 約五分後、奏太が小夢とゆうかが待つ席に戻って来る。


 奏太は、小夢の顔が不自然に真っ赤になっていることに首を傾げ、ゆうかと小夢を交互に見やった。


「何の話をしてたんですか?」


「ふふ、それは内緒。オンナとオンナの秘密のお話だったから。ね、小夢ちゃん?」


「は、はい……」


「そうですか」


 奏太はさして興味もないような様子で、また小夢の隣に座る。ビクンと小夢の肩が跳ねて、奏太との距離を空ける。


 奏太はそんな小夢に不思議そうな視線を向けるも、すぐに外してゆうかのことを見る。


「じゃあ、話は終わったということでいいですか?」


「んーっ、そうね。小夢ちゃん、まだ聞きたいことはある?」


「い、いえ! ありがたいお話、光栄でした! 参考にします」


 小夢は深々と頭を下げた。


 それを見て、奏太が頷く。


「ゆうかさん、康介さん、今日はありがとうございました」


「あれ? もう帰っちゃうの? ご飯とか食べて行けばいいのに。ねぇ、コウちゃん」


「あぁ、そうしろそうしろ。今作ってやるから」


 カウンターから康介はそう言って、そのさらに裏にあるキッチンへと入って行く。


「それじゃあ、ありがたく頂きます。いいよね、根上さん」


「あ、う、うん! その、ありがとうございます、本当に色々」


「全然気にしないで。なんたって、かわいい後輩二人の為だからね」


 そう言って片目を閉じると、ゆうかも席を立ってキッチンへ入って行く。二人の姿は見えなくなったが、何やらやり取りをする声が聞こえてくる。


 奏太と二人きりになって、小夢は落ち着かなさげに髪をいじったり、メガネの位置を直そうとして、今日はメガネをかけてない自分に気付く。


「あ、あの、そ、そ、そ、〝奏太〟、くん……っ!」


 なるべくさりげなく呼んだつもりだったが、恐ろしくたどたどしい物言いになってしまった。

 恥ずかしさのあまり小夢は、今すぐまくらに顔を埋めて叫び出したくなった。しかし、先ほどゆうかに貰ったアドバイスの一つの通り、奏太は特にそれを気にした様子もなく、「なに?」と首を傾げた。


「え、え、ええ、えっ、っと、今日は、その、私のために、ありがとう……」


「あぁ、うん。気にしないで、ほとんど僕の自己満足みたいなものだから」


「う、うん。それで、そ、そ、奏太、くんは、その……」


 小夢があることを訪ねようとした時、キッチンの方から康介の呼びかける声が聞こえてくる。


「——おい! ソウタと嬢ちゃん! アレルギーとか特に無いよな!?」


「バカ! ちょっとコウちゃん!」


「あ!? 何だよ!」


「コウちゃんバカでしょ!」


「だから何が」


 そのまま、また二人の言い争う声が聞こえてくる。比較的離れた場所からの声という事で、その全てを聞き取ることはできなかったが。


「……それで、なに? 根上さん」


 奏太が小夢に話の続きを促す。


「あっ! え、えっと! ごめんなんでもないの。あ、あはは」


 誤魔化すように笑いをつくる小夢。そんな小夢に、奏太は不思議そうな目を向けるも、すぐに目を閉じて口を開く。


「そっか。まぁ、さっきのゆうかさんの話が、これから根上さんがブイチューバーのマクアとして活動する上で、少しでもプラスになればと思うよ。僕は、マクアのファンの一人だからね」


「うん……、ありがとう」


 目の前の奏太が、『マクア』のファンであるという事実が、小夢にとってたまらなく嬉しかった。


 その後は、康介とゆうかが作ってくれた料理をいただいた。野菜がたっぷり入ったサンドウィッチと温かいスープ。とても美味しかった。


「あの、お金は」


「あ? んなもんいらねえって。俺が勝手に作ったんだから」


 食事を終えてから小夢が財布を出そうとすると、康介が言った。


 流石にそれは好意に甘えすぎていると小夢は思ったが、


「え、で、でも」


「その代わり、またここに来てくれ。その時はちゃんと客としてな」


 康介に渋い笑顔と共にそう言われて、小夢は結局、その好意に甘えることにした、またきっとこの素敵なカフェを訪れようと思いながら。


「ありがとうございました」


 奏太と小夢は礼を言って、カフェ『ファンシー』を後にした。


「また来てね!」


「おう、またな二人とも」


 一息ついて椅子に座り、タバコを咥えようとした康介がゆうかに引っ叩かれているのを横目にしながら。




「素敵なカフェだったね」


 帰り道、ふと小夢が言う。


「うん、僕もそう思う」


 奏太が珍しくやわらかい微笑みを見せ、そんな奏太の横顔に小夢が見惚れながら歩いていると——、


 ——トンッ、と。


 小夢の肩に、すれ違いかけた誰かがぶつかる。

 小夢は咄嗟にその人物に謝ろうと振り返るが、相手の顔を見て、身体が硬直した。


「すみません」と言いかけた言葉が喉の奥に引っ込んでいく。身体が一気に冷やされていくのを感じた。


 その少女——高校生アイドルの〝日向ひむかい晴華はれか〟は、小夢の顔をジッと見つめると、ハッと鼻を鳴らして笑う。その笑顔は、冷たい。



「元気そうね、小夢」



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