11.バーチャルリアル夫婦(前編)


 言い争いの末に勝利して、康介に新しく紅茶を作らせるという結果を得たゆうかは、満足げに新しい紅茶を口に付けながら、改めて奏太と小夢を見やる。


「さて、何から話そうかしら」


 ゆうかはコトリとカップを置いて、頬杖をつきながら小夢を見る。


「小夢ちゃんもブイチューバーをやっているのよね?」


「あ、はい。私は——」


「あっ、大丈夫よ言わなくて。本来自分がどのブイチューバーの魂か、なんてそう簡単に言うもんじゃないしね」


「え、でもゆうかさんは……」


「あぁ私はいいのいいの。気にしないで」


 ゆうかは気楽そうに笑って手をヒラヒラと振る。


「そもそも私のコレは明かさないと、今からする話ができないしね」


「あの、それってどういう……」


 小夢が未だによく分からないという顔をして、控えめな視線をゆうかに向ける。そんな小夢を見てニンマリと笑みを作ったゆうかは、奏太に視線をズラして言う。


「昨日突然ね、ソウちゃんから私たちに連絡があったの」


「な、なんて、ですか……?」


 小夢は顔を赤くして隣の奏太をチラリと見るが、当の奏太はどこ吹く風でコーヒーをすすっている。


「将来有望なブイチューバーがいるから、彼女に、もし炎上してしまった時の心構えを教えてやって欲しい、って」


「——っ」


 小夢の息が詰まる。昨夜の事が脳内に蘇る。

 心臓がギュウと引き絞られるようで、胸が苦しい。


 小夢がマクアとしてツイートしたあの文章をきっかけに起こった騒ぎ事は、炎上と呼べるかどうかも怪しい。

 騒ぎが広がったと言っても、規模的にはそう大きなものではないし、そもそもマクア本人が中傷、非難されている訳でもない。

 ただ、はじめてマクアを知った者と、マクアのファンである人たちが喧嘩してしまっているのを見るのが辛かった。


 普段マクアの配信を楽しんで、応援の言葉をかけてくれているような人が、荒々しい言葉を使って、相手を非難しているのを見てしまって、悲しかった。どうすればそれらを収めることができるのか、小夢には分からなかった。


 意図せず胸を押さえている小夢に、ゆうかが優しげな笑みを浮かべた。


「ねぇ小夢ちゃん」


「は、はい」


「この現代いまのネット社会において、『炎上』しないための最も良い方法は何か分かる?」


「何かをしてしまったらすぐに謝る、とかですか?」


「うーん、それも大事だと思うけど、私はそうじゃないと思うの」


 他にもっといい方法があるのかと小夢は驚いたが、具体的な何かは思い付かない。


「私はね、有名にならないことだと思うのよ」


 「あくまで私の考えだけどね」と付け加えて、ゆうかは続ける。


「結局さ、騒ぎ事って言うのは人が集まって起こるの。ネットっていうのは、誰でも簡単に色んな人と繋がって喋ったりできるから、その分炎上しやすい。でもやっぱり、人がいないと騒ぎは起こらないの。ほとんどの人が興味ないようなどうでもいい人が、ちょっとくらい悪いことしてもみんな気にしないけど、すっごく有名で皆から『良い人』って思われているような人が悪いことしちゃうと、やっぱりみんな驚いて興味を持つし、色んな考えを持つ人がそれぞれ好き勝手な意見を、一つのものにぶつけちゃうのね。するともう収集が付かなくなって、『炎上』するの。どんなものにも絶対的な『正解』ってものは無いのに、みんなが自分なりの正解を押し付け合っちゃうから、どうしようもないの」


 ゆうかの言う事は凄く頷けることだった。

 やっぱりテレビでよく見るような有名人は、普段から何かをする度に、様々な人から意見を向けられている。

 だから少しでも悪い事や後ろめたいことが表に出てくると騒ぎになる。ブイチューバーの世界でも、それは同じだ。有名になればなるほど、そのリスクは大きい。


 『マクア』だって、先日話題になったことで今までよりも多くの人が集まった結果、昨日のようなことが起こってしまった。


「だからもし小夢ちゃんが、絶対にそういう面倒事に巻き込まれるのがイヤだ! って思うんなら、有名にならなきゃいいの。ひっそりと活動して、もしちょっと面倒事の気配を感じたら、活動を休んで全て無視する。そしたら集まって来た人は少しずつ減っていくし、また落ち着いて来た所で活動を再開すればいい。そうすれば、よっぽどのことが無い限り『炎上』なんてことにはならないと思う」


「私は……」


 小夢は視線を下げる。カップの中に残った冷めたカフェオレの水面を見つめて、なんと言うべきか迷う。


「小夢ちゃんは、有名になりたいの?」


「私は……」


 小夢はマクアとして、ほどほどの数のファンの人たちと、のんびり活動できればそれで十分だと、そう思っていた。それが自分の身の丈に合っていると、それ以上は高望みなのだと。


 でも昨日やその前、話題になったことで、今までよりたくさんの人がマクアの配信を見に来てくれていた。初めて見る人が『小悪魔マクア』という少女のことを見て、『面白い』『楽しい』と、『かわいい』と、『好き』だと言ってくれるのが嬉しかった。新しい人がマクアのファンになって、『次も楽しみです』と言ってくれることに、堪らない喜びを感じた。


 もちろん今までもそういうことはあった。でも有名になって、一気にたくさんの人がそう言ってくれるのは、やっぱり今まで以上の幸福を感じた。


 一方で、有名になれば、昨日のことのような事が起こる可能性も高くなる。

 そういったことを避けたければ、有名になるという目標を持つことは難しい。

 そして、その覚悟がない者が上にいけるほど、甘い世界じゃない。その覚悟があったとしても、有名になれない者たちがごまんといるのだ。


 小夢は一体自分がどっちを選びたいのか、分からなかった。


 無言のままの小夢に、ふっとやわらかい笑みを浮かべて、ゆうかが言う。


「私とコウちゃんはね、ブイチューバーの『アモデス』と『ウィル』として、すごい騒ぎを起こしちゃったの。まぁ、ほとんどがコウちゃんのせいなんだけどね」


 ゆうかが振り返って康介がいる方を半眼で見る。康介はその視線に気が付くと、気まずそうに視線を逸らした。


「たぶん小夢ちゃんも知ってるのかな?」


「あ、は、はい……。知ってます。おおまかなことは……」


「そっか、なら話が早い。私とコウちゃんは元々ブイチューバーとして知り合って、それから『私』と『コウちゃん』としても知り合ったの。でも、本当に始めはただの友達、みたいな感じで、バーチャルとしても、リアルとしても、仲良く楽しくやってたんだけどね」


「はい」


「ちょうど、ブイチューバーがどんどん有名になって、テレビとかにも出るようになって、ネット上で私たちの関係を良く思わない人たちが増えてきた時くらいかなぁ」


 そう言ってから、紅茶を一口飲んで、またゆうかが康介をチラ見する。


「いきなりコウちゃんに好きだから付き合ってくれ! って言われて」


 ゆうかはニヤニヤと楽しそうに笑いながら、懐かしむように康介を見る。一方の康介は気まずそうに顔を逸らしたまま、仕事に集中するフリをしている。


「——で、私はそれを断ったの。『ごめんなさい』って」


「えっ? 断ったんですか?」


 意外そうに小夢が目を見開く。


「そ、断ったの。それから、ブイチューバーとしても、リアルとしても、私とコウちゃんは何となく距離を置くようになったの」


 そうだったのか、と小夢は思った。当時、ネット上では、『ウィル』と『アモデス』があまり関わらなくなったのは、ネット上で声が大きくなっていた意見に配慮したからだと言われていた。


「でもコウちゃんってば、しつこくてさぁ。ちょっと時間を置いたと思ったら、急にまた私に迫って来て、何度フッても諦めないから、もう断るのもめんどくさくなってオーケーしちゃったの。それで、まあそれなりに恋人として過ごして、案外悪くないんじゃないかなぁって思ってた頃よ」


 ゆうかが少し怒ったような表情になり、カウンターの向こうにいる康介が心なし小さくなる。


「コウちゃん、勝手に『ウィル』として配信を始めて、『アモデウス』のモデルも用意してから、寝ている私を叩き起こしてプロポーズしたの!? 信じられる!?」


 ダンとテーブルを叩くゆうか。テーブルの上のカップが音を立て、同時に康介の肩も少し跳ねる。


「あ、はい、それは……その、知ってます」


「完全に寝ぼけてる私にプロポーズして、それを私が受け入れた言質を取ったの。配信のアーカイブは消しても、もう切り抜かれた動画がネット上に上がってるし、そもそも結構な人数の目撃者がいたしで、もう取り返しは付かない。その後はもう、ネットのあちこちに私たちのことが広がって、私たちの全然関係ない所で、好き勝手な憶測とか、考察とか、議論が交わされて、どんどん、どんどん話は大きくなっていったの」


 ゆうかの語気が荒くなって、ヒートアップしていくのが分かる。


「なんか、私たちがファンを裏切ったとか、騙してたとか、性悪女だとか、悪女だとか、泥棒猫だとか悪魔だとか、好き勝手言われて、もーっ、散々よ。裏切ったって何!? そもそも私恋愛禁止とか謳ってなかったし、そもそもアイドルじゃないし、何なら悪魔だったし! そうよ悪魔よ! プライベートのことくらい好き勝手やらせろっての! ていうか! そもそも付き合っていたのは私とコウちゃんであって、『ウィル』と『アモデス』は恋人でも何でもなかったし! ばっかじゃないの!?」


 ゆうかの勢いに圧倒されて、小夢は委縮する。——が、この空間で一番小さくなっているのは、このカフェのマスターであるはずの康介だった。ちなみに奏太はコーヒーを飲み終えて、静かにゆうかの話を聞いている。


「その後は色んなことがあったわ。ネットニュースに取り上げられたり、何ならテレビでまで紹介されたりして、収集なんて付く訳ないわよ。なんか私たちのことを例に挙げてバーチャル婚活とかいう訳の分からない話まで出てくるし、そんなの知るかっての!」


 これこそがまさに『炎上』というやつだろう。小夢の身に昨夜起きた事とは格が違う。これと比べれば昨日のアレは小火ぼや騒ぎですらない、ほんのちょっとの焦げが付いたくらいのものだ。それも擦ればすぐ落ちるような焦げ。


「——ちょっとコウちゃん!」


 ゆうかがテーブルを叩いて康介を呼んだ。


「ひっ」


 長身の渋くてそこそこカッコいい風体の男から、情けない悲鳴が漏れる。恐る恐るとこちらに近づいて来る。


「正座」


「……」


「そこに正座して」


 ゆうかに言われる通り、大人しくその場の床に正座する康介。


「でも、そんなこと実はどうだっていいの。所詮他人の戯言だもん。私が別に何も悪い事をしてない以上、気にするだけ無駄なの。でもね、私が何より一番気に入らなかったのはね」


 そこで一呼吸を置き、冷えた声でゆうかが言う。


「人生で一度きりの大切なプロポーズを、よりにもよって私が寝ぼけている時にしたことよ」


「……」


 康介は正座で俯いたまま、何も言い返せない。


「別に配信で映しても、深夜にやっても、どの場所でやってもよかったの。でもせめて私と面と向かい合ってプロポーズしなさい! それでも男か!」


「……はい、すみませんでした」


 それからゆうかは、恐らく普段の生活での愚痴のようなものを康介に浴びせる。すると、不意に康介がおずおずと手を上げ、ゆうかを見上げた。


「ユウ、その、あんまり興奮しすぎるとお腹のお赤ちゃんに悪いんじゃ」


「話を逸らすな! むしろこの子も怒ってるわよ! 私のパパがこんなに情けないのは嫌だって!」


「はい……、すみません」


「えっと……」


 小夢は流石に仲裁しようかどうかと迷い、ゆうかに声をかけようとする。そんな小夢に、隣の奏太が小声で言った。


「ちなみにゆうかさんと康介さんがこのやり取りをするの、僕が知ってるだけでも三回目」


「……」


 それを聞いて、小夢はゆうかに伸ばしかけていた手を引っ込める。


 なるほど、これがこの夫婦の間の一つの形なのだろう。だとするなら、今日会ったばかりの小夢が口を出すのは逆効果かもしれない。

 ここは、この二人の知り合いであるらしい奏太に任せよう。本当にやばくなったら、奏太が止めるだろう。


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