17.バーチャルの可能性について(後編)


 七海はそう言って、足の踏み場の少ない部屋をすいすい進んでいくと、とある扉の前に立った。小夢たちが入って来た扉とは、また別のものだ。七海がその扉を開けると、そこには床壁天井全てが真っ青の、広々とした何もない空間が広がっていた。


 本当に広い。四方三十メートルはありそうである。よく見ると、壁の材質はやわらかいクッション性のものになっている。


「ここは……」


「ほらよっ」


 突如、小夢の手元に、顔の半分は隠れそうな分厚いスキーゴーグルのようなもの——ヘッドマウントディスプレイと、真っ黒のピッチリした長袖の上衣と下衣が飛んでくる。慌ててそれらをキャッチした。


「これは、なんですか?」


「モーションキャプチャ用のデバイスだよ。『マクア』の3Dモデルをテメェに合わせて最終の微調整してやるから、さっさと着けろ。そもそもそのために今日ここに呼んだんだよ」


「え、えぇぇ、ここで着るんですか!?」


 七海から手渡された一式は、一度下着姿にならないと身に付けられそうにない。


「あ? アタシとテメェしかいねえんだから別にいいだろ」


「あ、あれ、奏太くんは……」


「アイツはさっきの部屋だ」


「そ、そうですか」


 先ほどの機械だらけの部屋とこの広々とした空間を繋ぐ扉は既に閉じられていた。

小夢は七海の前でモーションキャプチャ用のスーツを身に着ける。七海に色々な部分を調整され、最後にヘッドマウントディスプレイを付けた。


「じゃあ、ちょっと待ってろ」


 そう言って、七海が離れる気配がする。背後でバタンと扉が閉まる音がして、その数十秒後、真っ暗だった視界に急に光が灯った。


「——っ」


『聞こえるか?』


 ヘッドマウントディスプレイの耳元付近から、七海の声が響いた。


「あ、は、はい」


『何が見える?』


「えっと————」


 小夢は思わず瞑っていた目を開く。すると、目の前に広がっていたのは〝異世界〟だった。


「……すごい」


 小夢の口から感嘆の息が漏れる。


 そこにあったのは、煌びやかな街並み。

 街中の至る所に多種多様の光る花が植えてあり、夜の街を照らしている。

 高層ビルのような現代チックな建物は無く、基本的には一階建てか二階建て。

 それも、日本でよく見るようなデザインとは違う、奇抜な形の家が当たり前のように並んでいた。

 視線の先には広場が見え、その中央には立派な噴水。

 それを取り巻くように、大きな円を描く半透明のクリスタルのようなもので作られた螺旋階段があった。

 その階段の先を視線で追うと、空中に同じような半透明の素材で作られた道があり、ドーナツ状の島に繋がっているのが見える。その島は宙に浮いている。


 そんな不思議な街並みを、様々な生き物たちが当たり前のように歩いていた。

 動物の耳や尻尾を生やしていたり、そもそも顔が人間じゃない動物のものだったり、俗に言う亜人のような人たちである。

 その他には、アニメや漫画の中で見るような架空の動物が歩いていたり、飛んでいたりしている。


 まるで異世界に入り込んだような感覚に陥る。


「な、なんか、すごい街が見えます。あと、色んな人達が、歩いてます」


『そうか。ならいい』


「あ、あの、これって、もしかして七海さんが作ったん……ですか?」


『そうだよ。まぁほとんど趣味みたいなもんだな』


 事も無げに言う七海に、小夢はあっけにとられる。技術者ではない小夢でも、これだけのものを作るのがどれだけ大変で、恐ろしく凄い事か、直感で理解した。


『じゃあ今からテメェの前に鏡出すから、ちょっと確認してくれ。大体、奏太の注文通りに作ってるが、まぁ何か気になることがあれば遠慮なく言え。二週間もありゃ何とかしてやるよ』


 七海がそう言うと、言葉通り目の前に大きな鏡が出現する。


「——っ」


 その鏡に映っていたのは、『マクア』だった。赤みがかかった黒髪、可愛らしく生えた小さな二本のツノ、蝙蝠のような翼と、先がハートの形に尖った尻尾。

 小夢自身がデザインした『小悪魔マクア』という少女が、そのまま3Dの世界に飛び出してきたようだ。まるで非の打ちどころが見当たらない。隅々の部分まで繊細に造り込まれており、実際に動いてみても違和感はない。


 小夢が動けば、その通りに〝マクア〟が動く。小夢は今、〝マクア〟になっていた。


『す、すごい』


 えも言われぬ感情が込み上げて、小夢の胸が一杯になる。

 『小悪魔マクア』として活動して一年と少し、本当の意味で小夢は〝マクア“に出会えた気がした。涙ぐむ小夢に、七海が得意げに言った。


『どうよ』


「すごい……本当に、すごい、です。こんな……、すごい、すてきです」


『そうか。そう言ってくれたらモデラー冥利に尽きるな』


「あの、本当に……ありがとう、ございます」


『気にすんな。あと礼ならここにいるアホに言っとけ。三か月前に、当の本人の許可も得ずに、アホみたいな資金用意して、最高のモデルを作れって依頼してきた最高級のアホにな』


「……奏太くんも、本当にありがとう」


『うん。気にしないで、僕は、僕のやりたいようにやっただけだから。それより、僕が勝手に注文したモデルを気に入って貰えたみたいでよかった』


「うん……うん……、ありがとう」


 小夢は何度もコクコクと頷いて、目の前にいる〝マクア〟を見る。

 夢のようだった。ブイチューバーを始めた時は、まさかこんな瞬間が訪れるとは思っていなかった。

 

 でも小夢の夢は、まだここじゃない。ここでようやくスタート地点。小夢が夢見るその先は、ここから、これからなのだ。


 

 その後、小夢は七海に言われたように色々動いたりして、マクアのモデルの調子を確かめた。

 チェックを終えてから、小夢は元の服に着替えて、七海と奏太がいる機械だらけの部屋に戻って来る。


「どうだった?」


 奏太にそう言われて、小夢は興奮を抑えきれないような口調で言った。


「もうすごかった! バーチャルの世界を、本当に意味で体験できた気がする! 私! あの素敵な世界で、ちゃんと〝マクア〟だったの!」


「ほらな? バーチャルってすごいんだよ」


 七海が誇らしげな笑みを見せた。その顔は楽しそうだ。


「おい小夢、テメェ『VRチャット』は知ってるよな?」


「あ、はい。私はやったことありませんけど、どんなものかくらいは……」


 『VRチャット』とは、自分の好きな3Dアバターを用いて、世界中の人と自由な交流が出来るサービスだ。日本よりも海外の方が盛んだと聞いたことがある。


「『VRチャット』の世界では、さっきテメェが見たような街並みがどこまでも広がってる。自分の好きな姿になって、仮想バーチャル空間の街並みを自由に歩ける。さっきテメェが見た街中に歩いてた奴らは全部NPCだが、『VRチャット』はそうじゃない。ちゃんとテメェみたいな人間が中に入って、そんな〝魂〟を持った奴らが自由に歩いてる。そんで、自由にコミュニケーションを取るんだ。世界中から集まった奴らと、自由に会って交流できる。その世界では有志がイベントを開いたりもしてる。コンサートやライブやったり、ダンスバトルしたり、空中に描けるインクを使ってアートを作ってるやつらもいる。そういうのに自分の理想の姿で参加できる。同じようにそんなのが好きな奴らが世界中から集まって来る。全部バーチャルだからできることだ」


 小夢は想像する。〝マクア〟になった自分が、煌びやかな異世界のような世界で、同じように異世界の住人のような姿の人たちと、自由に交流して、楽しむ姿を。


「本当に、素敵ですね」


「あぁそうだ、素敵だよ。素晴らしいんだ、バーチャルってのは。可能性がどこまでも広がってる。だからアタシは、ブイチューバーにその先の世界を見せて欲しいと思ってる。アタシはもうブイとして活動する気はないが、その可能性は信じてる」


 七海が奏太と小夢を交互に見て、ふっと口元に笑みを湛えた。


「だから期待してるぜ、ブイチューバー共」


 そんな七海の想いを受けて、奏太と小夢は頷いた。


「特に小夢テメェ、アタシの最高傑作の肉体モデルをやるんだ。しょうもねえ使い方したら、許さねえからな」


 七海の本気の目でにらまれた小夢は、大きく息を吸って返事をする。


「——はい!」

 

 

 七海と奏太からもらったマクアの3Dモデルは、小夢が実際に中に入って動いた感じから最後に微調整をして、小夢の元にデータで送られてくるという事だった。


 モデルを受け取るための連絡先を七海に教えて、彼女の家を後にした小夢は、夕焼け色の空の下を奏太と並んで歩いていた。

 二人の影が東に向かって長く伸びている。どこかでカラスが鳴いていた。


「ねぇ、奏太くん」


「なに?」


「奏太くんは……、その……、どうしてマクアのことを、好きになってくれたの?」


 奏太がマクアの(異常なくらいの)ファンだと知った時から、ずっと聞こうと思っていたこと。機会をうかがっても、中々言い出せなかったその言葉は、なぜかこの時すっと出て来た。


 奏太はここではない遠くを見るように虚空を見つめながら、淡々と口を開く。


「一年くらい前、偶然さ、悪魔の子が配信をしているのを見かけたんだ。天使の天使子の魂をやってる僕と、なんだか縁を感じた気がして、その配信を見てみた。個人勢で、それもデビューしたばかりみたいで、その時の視聴者は僕も合わせて三人くらいだったかな」


 懐かしむように奏太が言う。小夢もまた、同じ懐かしさを感じていた。


「それで、その配信が全然面白くなくて」


「え」


「ゲームやってるのに、それに必死で全然喋らないし、それなのに別に上手い訳でもなくて、たまーに珍しく誰かがコメント打つと滅茶苦茶大慌てして、動きが止まるし、話の内容も正直支離滅裂で、何言ってるのか分からなかったし」


「う、うぅ……」


 デビューしたばかりのあまりに酷かった自分を思い出して、小夢の顔が夕焼けのように赤くなる。


「だからそのまま見るのをやめてさ、それから一か月後くらいかな。偶然また『マクア』が配信やってる所に出くわして、なんとなく見てみたんだよね。あまりに面白くなかったから結構印象に残ってて、今どうなってるのかな、って興味があった。視聴者は三人くらいで変わってなくてさ、でも『マクア』は変わってた」


 奏太の口調は、どこか楽しそうだ。


「ゲームをやりながらでも、ちゃんと喋ってるし、たまにコメントが送られてくると、慌てながらでも、受け答えしてた。話の内容は相変わらず支離滅裂だったけど、配信を盛り上げようって意思を感じた。三人しかいなかった視聴者が、二人になっても、一人になっても、『マクア』はブイチューバーとして、誰かを楽しませようとしてるって伝わった。そして視聴してる人が増えると嬉しそうに笑って、挨拶してた。『見に来てくれて、ありがとうございます』って、全然悪魔らしくない感じで」


 あの時の配信を奏太が見ていたと知って、小夢は驚いた。

 三人しかいなかった視聴者が減って、一人になった時、本当は悲しかった。泣きそうだった。それでも小夢が笑っていられたのは、その一人が見ていてくれたからだ。そうしたら、また視聴者が増えた。嬉しかった。


「その後はチャンネル登録もして、ちょくちょく『マクア』のこと見るようになって、まぁ今みたいに毎週必ず見てた訳じゃないんだけど、『マクア』のことを気にするようになった。配信に、誰も視聴者が来てないのを見かける時もあった。そういう時に配信のページに入ると、本当に嬉しそうに『ありがとうございます』って言われてさ、配信の内容も良くなってて、前よりずっと喋れるようになってるし、可愛くなってるし、成長してるのが分かった。僕も曲りなりにブイチューバーをやってる身だから、『マクア』が裏ですごく努力してるのが理解できた。だから、応援してみたくなった。『マクア』がこれからどうなるんだろうって、楽しみになった」


 奏太が隣にいる小夢を見て、微笑んだ。


「僕は特にコメントを送ったり、感想を言ったりはしなかったけど、その時からずっとマクアを見てきた。マクアはどんどん成長して、少しずつ、少しずつ見に来る人も増えて、ファンになった人もでてきたりして、段々マクアが輝いていくのを見てると、少し落ち込んでたり、上手く行かない事があって悩んでいる時でも、元気をもらえた気がした」


 そんな奏太の言葉を聞いて、小夢が驚きに目を丸くする。


「奏太くんでも、落ち込むことあるんだ……」


「根上さんは僕のことをなんだと思ってるのかな」


 奏太は苦笑する。


「ご、ごめん」


 慌てて謝る小夢に奏太は微笑を浮かべ直して、話を続ける。


「その時くらいかな、僕が『小悪魔マクア』のファンになったのは。毎週金曜日の夜の『マクア』の配信を楽しみにするようになった。——そんな感じかな。別に、特別大きな理由がある訳じゃないよ」


「そっか……、ありがとう……」


 聞いてよかったと小夢は思った。今ではたくさん増えたマクアのファンの、その中の一人の話。その話を実際に聞いて、小夢の胸の内が熱いくらいに温かくなっている。自分のやってきたことは無駄じゃなかったんだと、ブイチューバーのマクアという存在を生んで良かったと、今なら誇って言える。


「奏太くん」


「うん」


「〝私〟を見ててね。がんばるから」


 すると奏太は、嬉しそうに笑って言った。


「楽しみにしてるよ」

 


 ◇◆◇◆



 【3DCGモデラー】——ゲームやアニメなどに登場する人物やアイテム、背景、そしてブイチューバーのモデルなどといったあらゆるものを、3DCGソフトを利用して立体的に形作る仕事をする者のこと。既にあるデザインをもとに、それを実際に形にすることが多い。少しでもバランスが崩れると対象物のイメージが大きく変わってしまうため、よりリアルで見栄えの良いグラフィックを完成させるのは、3DCGモデラーの腕の見せ所。

 

 【VRチャット】——バーチャルな空間内に好きなアバターでログインし、世界中の様々な人たちとコミュケーションをとれるサービスのこと。

 

 

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