15.自分だけの信念のようなモノ


 天使子とサキの配信が終わった後も、小夢はしばらくパソコンの前から動けないでいた。

 今日のほとんどベッドの上で過ごした時の『動けない』とはまた違う。


 天使子とサキの姿が眩しすぎて、その魂の輝きに圧倒されたのだ。彼女たちと自分の差を痛感した。あまりに高くて、大きくて、遠い。胸が締め付けられるように痛みを訴えている。


 今なお脳裏に、先ほどの二人の姿が焼き付いている。バーチャルの世界に立つ二人がアイドルのように歌う姿。そして、それを見るファンたちの熱量。仮想バーチャル現実リアルの垣根を簡単に飛び越えて、その熱が彼女たちの元に届いているのを直に感じた。


 圧倒され、言葉らしい言葉が出ないまま、小夢は目の前の画面を見つめ続けていた。


 パソコンの画面には、今終わった放送に関連する動画が表示されていた。そのまま何も操作がされなかったため、関連動画が自動的に再生される。

 再生され始めたのは、とあるブイチューバーの生配信のアーカイブ動画——1か月ほど前に行った『小悪魔マクア』の1周年記念配信だ。



『今日は、マクアの一周年記念配信に来てくれてありがとうございます!』


『今日はみんながリクエストした曲を歌っちゃおうと思います』 


『あははー……、ちょっと噛んじゃった。この歌難しいですね』


『あ、い、いつもありがとうございます』 


『あっ! 歌詞間違えた! ごめんなさい!』


『い、いえ、マクアなんて、そんな……』 


『あっ! その歌マクアも好き!』


『こういうのもいいですよね~』


『全く皆さん、お世辞が上手ですね』


『歌うのは、昔から大好きです……』


『マクア、こうして皆さんと一緒に、一周年をお祝い出来て、本当によかったと思います』


『いつも本当に応援ありがとうございます』


『こうして一周年を迎えられたのも、こうしてマクアのことを見に来てくれている皆さんのおかげです』


『私が、ブイチューバーを始めようと思ったきっかけは、本当にひょんなことからなんです。ある人の配信を見て、その時の言葉を聞いて、こんな私でも、やれるんじゃないかと思って、はじめは本当にただの趣味として、くらいにしか考えていなかったんですけど————』



 酷い配信だ。


 拙くて、慌ただしくて、テンポも悪い。歌も下手くそだし、もっと拾うべきなコメントを拾えてないし、話の内容もまとまってなくて聞き辛い。

 先ほどの慈愛天使子とカガヤキサキの配信と比べれば、雲泥の差だ。


 小夢の頬に熱いものが流れる。


 マクアが映っている部分の横に、その時この配信を見ていた視聴者のリアルタイムなコメントが流れている。



『マクアちゃんに会えてよかった』 


『楽しそうに配信をしてるマクアちゃんが好きです』


『マクアの歌けっこうすき』


『この世界に来てくれてありがとう』


『これからも応援してます!』


『一周年おめでとう!』


『小悪魔マクアの二年目も楽しみにしてる』 


『マクアちゃんの毎週の配信が、最近の生きがい』


『いつもありがとう』


『マクアちゃんがこれからどんな輝きを見せてくれるのか、楽しみです』



 いくつものコメントが流れていく。とても大切で、かけがえのない温かい言葉たち。画面を隔てる壁を飛び越して、熱が伝わる。



——『『根上さんとマクア』なら、バーチャル世界での新しいアイドル——スターになれるよ』



 胸の奥底からジンジンと身体に熱が広がる。瞳から流れる涙が止まらない。熱い。


 その瞬間、脳裏に一つの台詞がよみがえった。奏太に連れられて行ったカフェで聞いたゆうかの言葉。



——『まぁ、ともかくよ。そういう〝自分なりの信念みたいなモノ〟を持った上で、何かの悪意を持って活動している訳でもなければ、そして、誰かや自分自身を楽しませようとして行動して、感謝の気持ちを忘れない限り、どんな時でも〝自分のことを見てくれている人たち〟のことが見れるようになるわ。そうなればもう大丈夫よ。自分が自分のことを裏切らない限り、大丈夫』



 ————『自分なりの信念みたいなモノ』


 ————『自分のことを見てくれている人たち』



 それが何なのか、その本当の意味が、今分かった。

 瞬間、小夢は勢いよく立ち上がる。

 座っていた椅子が後ろに倒れて大きな音を立てるが、気にしない。小夢はスマホを手に取ると、着信履歴の一番上にある人物に電話をかける。


「————」


 繋がらない。さっき配信が終わったばかりだから、まだ何かやっていたりするのだろうか。小夢は逸る気持ちで指先を滑らせ、次は彩輝に電話をかける。今度はすぐに繋がった。


『あれ? 小夢ちゃん?』


「彩輝さん! そこに奏太くんいますか!?」


『えーっと、ソウくんならもう帰っちゃったけど。どしたの? 何か急ぎの用事?』


「はい。でも電話がつながらなくて」


『んー、じゃああたしの方からもかけてみようか? 今から追いつくのは流石に無理だと思うし』


「はい、——あ、いえ……」


『ん?』


「その、彩輝さん、奏太くんの家がどこにあるか、知ってますか?」


『知ってるよー。何回か行ったことあるし。まあ小夢ちゃんなら教えてもソウくん何も言わないと思うし、教えよか?』


「お願いします!」


 そして小夢は彩輝から奏太の家の住所を聞く。少し遠いが、十分にここから徒歩で行ける距離。


『小夢ちゃん』


「は、はい」


『——待ってるぞ!』


 何に対しての『待っている』なのか、彩輝は言わなかった。けれど小夢は頷いて言った。


「はい!」




 彩輝との通話を切った後、小夢は家から飛び出した。

 家を出るとき、母親に何か言われた気がするが、「ごめんすぐ帰る!」とだけ叫んで、そのまま走り出した。


 外は暗く、行く道は閑散としていた。

 月明かりと街灯の明かりを頼りに、小夢は走った。


 朝からほとんど何も口にせず、ベッドに寝転がりっぱなしだったため、身体に力が入らない。

 全然空かないと思っていたのに、急にお腹が空腹を訴え始めるし、急に動かした筋肉が悲鳴を上げている。外に出るとき、慌てて履いたのがサンダルだったため、足も痛い。全身が痛い。胸が苦しいほど痛い。


 胸を押さえて、流れてくる涙を拭いながら小夢は走った。


 全力で走ったため、思ったより早く奏太の家に着いた。

 中々大きく立派な家で、玄関の所に『相川』という名札がかかっている。


 小夢は荒くなった息を、大きく深呼吸を繰り返しながら整えた。全身の筋肉が痛むのを気力で堪え、インターホンに指先を伸ばす。


 心臓は緊張のあまり、今までの人生で一番というくらい激しく拍動していた。こんな夜中に、好きな人に家に、小夢の人生において最も大切かもしれないソレを言うために、やって来た。

 自分でも呆れるくらいバカなことをやっている。でも、今を逃したら、きっと一生後悔をする気がした。


 震える指先でインターホンを押す。軽い音が鳴り響き、スピーカーから女の子の声が聞こえてくる。


『どちらさま、でしょうか……』


 明らかに警戒された声。当たり前だ。


「あ、あの! わ、わわわ、私! 奏太くんの、学校の、友達で……っ! そ、その! 奏太くん、いますか!?」


『お、お兄ちゃんの……?』


 なんだか動揺した声が返ってくる。奏太に妹がいたことを、小夢は今初めて知った。


『お兄ちゃんなら、今は居ませんけど……。あなた、お兄ちゃんの、何なんですか……?』


 警戒度マックスの冷たい声で言われる。


「え、えっと、だから、私は、友達……で」


『…………絶対ウソ』


「えっ?」


『——音羽、誰が来てるの?』


『ちょ!? お兄ちゃん今こっち来ないで! バカ! あっこら——っ!』


『——もしもし、根上さん?』


「あっ! は、はい!」


 奏太の声が聞こえ、小夢はピンと背筋を伸ばした。奏太の背後から、彼の妹が何やら騒いでいるのが聞こえる。それらの一切を無視して、奏太は言った。


『まぁとりあえず上がったら? 話はそれから聞くよ』


「は、はい! 分かりました!」


『じゃあ今そっち行くね』


 そしてスピーカーから何も聞こえなくなり、小夢が前髪を整えているとすぐに奏太が出て来た。私服姿の奏太は、いきなりやって来た小夢に特に驚いた様子もなく、「どうぞ」と小夢を家の中に誘った。


「お、おじゃま、します……」


 小夢は身体を強張らせながらサンダルを脱いで、恐る恐る家に上がり込んだ。

 その時、廊下の角から顔を覗かせ、物凄い表情でこちらをにらんでいる一人の少女に、小夢は気付いた。おしゃれなジャージを着た可愛らしい女の子で、あまり奏太とは似ていない。

 小夢は愛想笑いを浮かべて、その少女に視線を返す。が、余計に少女の視線が鋭くなっただけだった。


「上が僕の部屋だから」


 奏太がそう言って階段を上がって行ったので、小夢はその跡についていく。

 二階に上がってすぐの所に部屋があり、「入って」と奏太に言われるまま、小夢はその部屋に入った。


 シンプルで物が少ない部屋だった。

 パッと見た感じ、あるのはベッドと本棚、中央に置かれたローテーブルと、部屋の隅に置かれた立派なデスクトップパソコンくらいのもの。


「はい」


 奏太はクッションを小夢に手渡すと、ベッドの端に腰をかけた。


「あ、ありがとう……」


 小夢はクッションの上に座ると、奏太と向かい合う。しかし恥ずかしさのあまり、真っ直ぐ顔を見上げることができない。自分の部屋とは違うにおいにドキドキする。


「僕の家は彩輝さんに聞いたの?」


「う、うん……。ごめんね、勝手に聞いちゃって……」


「あぁ、それは気にしなくていいよ。それにしても、よくその恰好でうちに来たね」


 嫌味という訳でもなく、どこか感心したような口調で奏太が言った。


「——あっ!?」


 小夢は自分の恰好を見下ろして、悲鳴に近い声を上げた。慌てて家を出て来た小夢の服装は、寝間着のままだった。家の中でしか着ないような使い古したヨレヨレのピンクのパジャマ。


「うぅ……」


 小夢の顔が火を噴いたように真っ赤になる。恥ずかしすぎて、このまま死んでしまうんじゃないかと思った。慌てて飛び出したにしてもこれは酷い。

 なぜ今の今まで気付かなかったのか。

 そりゃ、夜中に何の前触れも無くこんな女がやってきたら、奏太の妹があんな反応するのも無理はない。怪しいにもほどがある。


「で、で、できれば……その、あまり、見ないで、貰えますと……」


 小夢は床に視線を落として、自分の身体を隠すように両手で抱きしめる。


 そんな小夢を見て、奏太は立ち上がるとこちらに近づいて来る。


 ——ひ、ひぃぃぃぃ、なになになになに。


 小夢が今にもこの場から逃げ出したい思いで目を白黒させるが、奏太はそのまま小夢の側を通り過ぎて、クローゼットを開ける音が背後から聞こえた。


「はい、ちょっと暑いかもしれないけど、よかったら」


 そう言って、奏太が差し出してきたのは大きめの黒いジャンパーだった。


「ぁりがとぅございます…………」


 小夢は消え入りそうな声で礼を言って、ジャンパーを寝間着の上から着る。奏太の匂いを直に感じて、頭がクラクラした。


 ジャンパーを羽織ったまま限界まで小さくなっている小夢を見て、ベッドの端に座りなおした奏太が言う。


「さて、それじゃ根上さんが僕の家に来た訳を聞こうか」


「は、はい……、あ、あの……ですね……」


「うん」


 奏太が相槌を打つ。小夢は大きく深呼吸すると、こちらをジッと見つめている奏太のことをしっかりと見返して、震える唇を動かす。


「私……、ずっとくやしくて……」


 何の説明にもなっていない切り出し。声は震えていて、小夢は我ながら不格好だなと思った。それでも奏太は、真面目な顔で小夢の言葉に耳を傾けてくれている。


「でも……、そのそのくやしさが、何なのか、わからなくて……、……でも、私、ようやく分かったの」


 くやしかった。ちっぽけで弱い自分がくやしかった。


 〝天使子と奏太〟より、〝サキと彩輝〟より、〝アマリスと太郎〟より、〝ウィルやアモデスと康介やゆうか〟より、そして〝晴花〟より——全ての輝いている人たちより、輝いていない自分がくやしかった。


 彼女たちより人気がない自分がくやしかった。

 彼女たちに向けられる数え切れない量の熱が羨ましかった。

 目が眩むほど輝かしくて熱いその場所に、自分がいないのがくやしかった。


 そして、憧れの『天使子と奏太』に「『根上さんとマクア』なら、バーチャル世界での新しいアイドル——スターになれる」と、そう言われたにも関わらずそこから逃げた自分が、自分の本当の気持ちに目を逸らし続けていた自分が、諦めていた自分が、何より情けなくて、くやしい。



 ——『わたし、絶対にアイドルになる!』


 ——『約束ね。ゆびきりげんまん』



 昔に思い描いた夢——アイドルになりたいという強い想い。

 とっくの前に諦めたはずのその夢を、幼い頃に晴花と共に約束して、自分だけ逃げてしまったその夢を、まだ諦めきれていない自分を認めた。


 本当は気付いていたはずなのだ。今なら分かる。

 だって、小夢がブイチューバーを始めたのだって、そこに〝アイドル〟の影を見たからなのだから。ずっと見ない振りをしていた。


「……私、みんなより輝いてない自分が、くやしい。誰より輝きたいと思ってるのに、自信がないから、似合わないからって言い訳して逃げて、輝こうとしてない自分が、夢を諦めたままの自分がくやしい」


 『自分のことを見てくれている人たち』のお陰で、そんな自分の本当の気持ちに気付いた。一度諦めたはずの夢が蘇った。


「でも、私のことを見てくれている人たちの言葉を見て、思ったの。こんな〝私〟だって輝いてるんだって。もっと輝けるんだって」


 もっともっと輝きたいと、そう思った。


「ブイチューバーなら、自信がない私でも、プライドのない私でも、輝ける。私に自信がなくても、『マクア』になら、ある。たくさんの人が、『マクア』のことを見て、応援して、かわいいって言って、楽しいっていってくれるの。私、そんな凄い『マクア』が好き。それでね、私……、〝ブイチューバー〟が好き。だから〝私〟が、〝私の魂〟が、『マクア』として、——ブイチューバーのマクアとして輝くの、眩しいくらいに」


「うん」


「ここで今更、奏太くんにこんな事を言うなんて、すごく情けなくて、恥ずかしくて、プライドのないことかもしれない。でも、プライドのない私はどんな事をしても輝きたい。〝私〟が、私じゃなくて、〝私の魂〟が〝マクア〟として輝く。だからプライドなんていらない、どんなに情けなくてもいい。奏太くんごめん。二回も断っちゃったけど、お願いします。〝マクア〟が輝くための手伝いをして欲しいです」


 気付けば、泣いていた。すでに枯れるくらい泣いた後で、奏太の前では絶対に泣かないと決めていたのに、泣いていた。

 ポロポロと止めどなくあふれる涙を拭うこともせずに、小夢は奏太を見た。


 自分なりの信念みたいなモノ——〝誰よりも輝きたい〟という想いを胸に抱え、震える声で告げる。


「私……〝私〟、——輝きたい」


「うん」


 すると奏太は、今まで小夢が見てきた中でも一番の笑顔を見せ、ベッドから立ち上がると言った。


「僕にできることは限られてるけど、精一杯協力させてもらうよ。——これからよろしく」


 そう言って奏太が差し出した手を、小夢はとびきりの笑顔を浮かべながら、迷いなく取った。

 


 ◇◆◇◆



 【夢】——実現させたいと思っている事柄、空想。輝きのその先。


 

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