9.ネット上にて


「どうしよう……」


 金曜日の深夜、あと少しで日付が変わろうという時間帯、根上小夢は握りしめたスマホの上に視線を落とし、今にも泣きそうになっていた。

 心臓がギュウと締め付けられるようで、どうしていいか分からなかった。


 その次の瞬間、彼女のスマホが震えた。



 

 時は数時間ほど遡る。


 奏太や彩輝とカラオケに行くという凄い経験をした翌日、小夢は学校が終わり、帰宅してから配信の準備を始めた。金曜日の夜は隣の部屋の兄が予備校に行っていて帰りが遅くなるという事もあって、配信がやりやすい日なのだ。


 二週間前の金曜日、小夢は奏太から飛んできた凄まじい額のスーパーチャットにビビり、ゲロを吐いてリバースしてしまうという事故を起こし、色々怖くなって、その翌週——つまり先週の金曜日は配信を休んでしまった。

 しかしながら、昨日の奏太や彩輝との会話を経て、今日から配信を再開しようと思い、昨日の時点で今日配信をすることをツイッターで知らせていた。


 待ってくれているファンにこれ以上心配をかける訳にもいかない。小夢はいつものように機材周りのチェックをして、異常がない事を確かめる。スーパーチャットを受け取る設定は切ってある。

 『小悪魔マクア』の配信画面の待機蘭には、今までで一番多くの視聴者が待機していることを示す数字が表されていた。


 視聴者が増えた理由は分かっている。奏太が行った怒涛のスーパーチャットと、先週小夢が起こしたリバース直後に配信が切れるという凄まじいラストが話題を呼び、バズったからだ。


 配信画面には、待機しているリスナーが自由に打ち込んだコメントが流れている。二週間ぶりのマクアの配信を喜んでいるファンの人たちや、新しく見に来てくれた人の期待するようなコメントも見られた。その中に、見慣れない人が打ち込んだ少し気になるコメントがあったが、小夢はそれを気にしないことにする。


 今日はたくさんの人が見に来てくれているのだから、新しくファンになってくれる人もいるかもしれない。そう思うと、緊張すると共に、いつも以上に気合が入る。


 時計を確認し、予告した時間になった所で、小夢は配信を開始することを知らせるツイートをして、『ブイチューバーのマクア』として配信を始める。


 結果から言うと、配信の内容は我ながら悪くなかったと思う。


 開始の時点では、緊張が舌をもつれさせて何度か台詞を噛んでしまう事もあったが、上手くそれを笑いに変えることもできて、コメント欄の反応も上々。それ以降は緊張も解け、リラックスして配信をやれた。


 今日の配信は雑談枠で、新しく見に来てきれた人が多いということもあり、視聴者のコメントを拾ってその質問に答えたり、途中からは視聴者の希望に答えて、アカペラでリクエストされる曲を歌ったりもした。


 約一時間の配信が終わり、「おつマクア~」とお決まりの挨拶で配信を閉じた。


「ふう」と息を吐き出す小夢。悪くない。悪くなかった。

 新しく来てくれた人も、『楽しかった』などのコメントを残してくれていた。決して悪くはない。小夢もマクアとして楽しんで配信をすることができた。


 ——だが、そんな多くの好意的なコメントの中に紛れて、配信中ずっと気になるコメントがあった。



『ゲロ子ちゃん~っ、例のゲロ切り抜きを見て見に来ました!』


『ゲロゲロ~笑』


『ゲロ子ちゃんかわいいね』


『思ったより歌うまいね、ゲロ吐くだけじゃなかった』


『あれ、ゲロ吐かないの?笑』


『ゲロ子ちゃんがゲロ吐くところみたいな~』


『おつゲロ~』


 

 決して多い人数ではないが、一人ではない。二週間前のマクアの嘔吐リバース事故をネタにするようなコメントを送って来る人たちが散見された。マクア自身、そのコメントをどう扱っていいか分からず、スルーすることしかできなかった。


 マクアという存在がいろんな人に認知されて、見に来てくれる人が増えたことは良い事である。

 しかし、あの事故をきっかけにマクアという存在が話題になってしまったのだから、そのことをネタにしてしまう人が出てくるのも仕方がないのかもしれない。


 彩輝が言っていたように、この世界には色んな人がいる。


 決して彼らに悪気があった訳ではないと願いたいが、小夢としてもあの事故のことは忘れたい出来事である。


 小夢はスマホを手に取って、ツイッターを起動すると、先ほどの配信に来てくれた人たちに対する感謝を伝えるツイートをする。



『配信たのしかった~っ! 二週間ぶりに会えた人も、今日初めて来てくれた人もありがとうございました( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ ) よかったらまた見にきてください٩(•ᴗ• ٩)』



 そのツイートに、おそらくさっきの配信を見てくれていたのであろう視聴者からのリプライが付く。

 『楽しかった~』『こちらこそありがとう』『次も楽しみ』『初見だけど楽しかったです』など、そんな温かいリプライの中にも、先ほど気になったような『ゲロ』に言及するようなものがあった。


 小夢は難しい表情を浮かべ、それをするべきかどうか何度も悩んだ後、スマホの画面に指を滑らせた。



『最近マクアのことを知ってくれた皆さん、ありがとうございます! 前回の配信の最後で大変な事故をしちゃって、変なものを見せてしまってすみませんでした。そのことで、マクアを知ってくれた人も多いみたいなんですけど、あんまりその事は気にしないでいただけるとありがたいです!』


 

 マクアとして小夢はそうツイートをすると、大きく息を吐き出して、「よし」と呟きながら立ち上がり大きく伸びをした。そして、配信をする時に使っていたデスクトップパソコンの電源を落とすと、お風呂に入るために浴室に向かった。


 ゆっくりと湯船に浸かってリラックスしてから、小夢は歯を磨いて自室に戻って来る。そしてベッドの上に寝転がって、スマホを手に取ると、少し震える手付きでツイッターのアプリを起動する。


 さっきしたツイートにどんな反応があったのかと、恐る恐る画面をスライドさせ確かめていく小夢。


 基本的には、『全然気にしてないから大丈夫』や『純粋にマクアちゃんが可愛いと思って見に来てるから初めから気にしてないですよ』など、マクアに気をつかってくれているような反応が多かった。その事を少し申し訳ないと思いながらも、ありがたく思った。

 心につっかえていた何かが消えていくような感覚があった。ホッとする小夢。


 が、その中の一つ——マクアのツイートのリプライ欄で行われている数人の人物同士のやり取りを見てしまって、小夢の心臓が嫌な感じで跳ねる。

 ドクドクと静かに強く脈打つ鼓動が痛い。風呂上り後の身体にじっとりと冷たい汗がにじむ。



『? マクア何かあったの?』 


『前回の彼女の配信の終わりで、彼女が吐いてしまう事故があったんですよ』


『その上で今日のコメントで、マクアに対するゲロいじりみたいなのがあったから、それをやめてくれってことじゃないかな』


『ふーん。別にやめなくても、それをネタにすればいいのに。せっかく配信者として活動してるんだから』


『横からすみません。それをネタにするかどうかを決めるのは、マクアちゃん自身ではないでしょうか? 彼女が嫌がっているのであれば、やめるべきです』


『本当に嫌なら無視しておけばいいのに、わざわざこんなツイートしないでさ』


『いや本当に嫌だったらちゃんと言ってくれた方がいいよ。じゃないとお前みたいな奴はずっとネタにし続けるだろ』


『は? いや別に俺ネタにしてねーから』



 その後も、険悪な雰囲気をまとったやり取りが続いている。

 他にも、そのやり取りをキッカケにして、マクアのファンが他の人を注意していたり、新しくマクアを知った人が『そんなに真剣になることか? しょうもねー』と楽観的な事を言って、また新たな騒ぎの火種を作ったりしていた。

 小夢のあずかり知らぬ所で、どんどんと話は大きくなっていっている。

 心がざわつく。

 しかし、それ以上を小夢は見ることが出来ず、静かにツイッターのアプリを閉じて、スマホをスリープモードにする。


「どうしよう……」


 どうして自分はあんなツイートをしてしまったのか。


 小夢は握りしめたスマホの暗い画面に視線を落とす。スマホの画面に映った自分の顔は酷いもので、涙を堪えていた。心臓がギュウと締め付けられるようで、どうしていいか分からない。


 その時だ。急にスマホの画面が明るくなり、ブルブルと震え、着信のメロディが鳴り始める。カガヤキサキが歌うオリジナルソングのイントロだ。


 ——『相川奏太』——


 スマホの画面は、先日連絡先を交換したばかりの奏太から、電話がかかって来たことを伝えていた。小夢の身体に緊張が走る。


「は、はいっ!」


 小夢は驚きのあまりスマホを床に落としそうになりながらも何とかその電話に出て、スピーカー部分を耳に近づける。


『——ごめん』


 通話が始まって開口一番、奏太の言葉は謝罪だった。


「え、え?」


『あぁ、うん、こんな深夜に急に電話してごめん。起こしちゃったかな』


 奏太がいつもの調子で言う。


「ううん! 全然そんなことない! 起きてた! 全然起きてた!」


 小夢は自分の声が震えていることを奏太に悟らせないように、精一杯声を張った。涙声になっていないだろうか。


 こんな夜中に大声を出すのは迷惑だという自覚はあったが、そんなことは二の次である。今は何より奏太との電話が最優先。


 ——でも、奏太くんどうしていきなり……。


『そう、ならよかった。それで、根上さんがよかったらの話なんだけど』


「あ、うん! はい!」


 一体何の話だろうか。小夢はドキドキしながら奏太の次の言葉を待つ。やけに長く感じられる数秒の間の後、奏太が次のように言った。



「明日、僕と一緒に出かけない?」



「え……?」


 一瞬、何と言われたか分からず、奏太の言葉の意味を把握するのに数秒を要する。そうして奏太の言葉の意味を理解してから、小夢は大きく口を開いた。


「——ええぇぇえええええええええっ!?」

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