8.妹はアンチ


 カラオケを終え、小夢と彩輝と別れてから帰宅した奏太。そんな奏太を、黒髪を二つ結びにした少女が迎える。


「お兄ちゃんおっそい!」


 腰に手を当てて、見下すような目で奏太を見上げているのは、奏太の妹——音羽である。現在中学二年生。思春期真っ盛り。


「ごめんってば。でも遅くなるのは連絡しただろ?」


「は? そんなの関係ないし。今日はわたしがご飯のことをする日なのに、お兄ちゃんが帰るの遅かったら洗い物片付かないじゃん!」


「だから悪かったってば」


 そう言って、奏太は後ろで何やら喚いている音羽の小言を聞き流しながら、洗面所に行って手洗いとうがいをしっかり済ませてから二階にある自室へ向かう。


 手早く制服を脱いで部屋着に着替えると、奏太は階段を降りてダイニングに向かった。

 そこには、二人分の食事が用意されてあった。

 いつものように帰りが遅い父と母の分という訳ではないだろう。奏太と音羽の分だ。席には音羽が座っており、奏太をにらみつけている。


「あれ、僕が帰ってくるの待ってたの?」


 洗い物が片付かないと言うからには、てっきり自分の分は先に食べ終えているものと思ったのだが。というか、別に洗い物くらい自分でやろうと思っていたのだが。


「違うから! 別に! あんまりお腹空いてなかったから、お兄ちゃんのこと待ってて上げてもいいかなって、思っただけだし」


 それはつまり帰るのを待っていたということで問題ないのではないか。奏太はそう思ったが、これを口にすると何倍もの口撃が返ってくることが分かっているので、何も言わない。


 「頂きます」と手を合わせて、奏太は箸を手に取り、音羽が作ったシンプルな和風料理を口に運ぶ。


「うん、今日も美味しい」


 奏太が音羽を見てそう言うも、音羽は「そう言うのいいから」と機嫌悪そうに言うだけである。

 向かい合って食事をしているにも関わらず、二人の間にほとんど会話はない。基本的に両親の帰りが遅い相川家の食卓は、その息子と娘——奏太と音羽に任せられており、二人は毎日交互に食事を作っている。


 昔は仲の良かった兄妹であるが、ある時を境にして、妹の音羽に反抗期が襲来してしまった。食事中に会話が無いのはいつものことである。


 しかしこの日は、いつもとは少しばかり様相が違った。


 茶碗を手に持ったままの音羽が、目の前で静かに食事をしている奏太のことを、何か言いたげにジッと見つめる。しばらく経ってもその視線が外れないことを悟った奏太が、口の中のものを呑み込んでから言った。


「どうかした?」


「……」


 音羽は言うか言うまいか迷ったように逡巡した後、奏太をにらんで口を開いた。


「お兄ちゃん、まだあの気持ち悪いことやってるよね」


「気持ち悪いこと……? さぁ、なんだろう」


 音羽が何を指してそう言っているのか何となく分かったが、あえて奏太は首を捻ってみせる。


「とぼけないで! あの、ぶ、ブイチューバー? とかいうやつ! たまにお兄ちゃんの部屋からキモい声が聞こえてくるの! あれお兄ちゃんの声でしょ!? マジで意味わかんない! もうほんっとにイヤなんだけど!」


「そう言われても仕事だからな……。悪いけど我慢してくれ」


 奏太が頭を下げる。


「はぁ? ふざけないで! なんでわたしが我慢しなきゃいけないの? もう絶対にイヤなんだけど! わざわざエッチなオンナの声出して、気持ち悪い演技して、キモいオタクたちに媚び売って、お金集めてるんでしょ!? そんな仕事キモすぎてマジで無理なんだけど。わたしのお兄ちゃんがそんなことやってるとかもう本当にムリ! むりむりむりムリムリ」


 ため込んでいたものをぶちまける様に、大声で言う音羽。彼女の円らな瞳が蔑むように歪められて奏太を見る。


 実際の事はさておき、今音羽が言ったような声が、外野の一部からブイチューバーに向けられているのは事実だ。ブイチューバーはオタクから簡単にお金を集められるボロい商売だと。


 怖気が走ったように自分の身体を抱きしめている音羽を見て、奏太はしかしフッと笑った。


「分かってないね、音羽は」


「は、はぁっ?」


「天使子は別に誰に媚びを売っているつもりもないし、天使子のファンたちも気持ち悪くない。たまに天使子を愛するあまり狂ってしまっている人もいるけど、それは天使子がかわいすぎるからいけないんだ。ファンは悪くない。あと音羽、お前は大きな勘違いをしている」


「……なにが?」


 既に絶対零度を思わせる冷えた視線を湛える音羽が、かろうじてという感じで受け答えする。そんな音羽の視線を少しも臆することなく受け止めながら、奏太は満を持して言った。


「〝僕〟は天使子じゃない」


「…………でもお兄ちゃん、オンナノコの声、出してるよね」


「あれは僕が出してるんじゃない。僕の心の中の天使子から声が出てるんだ」


 奏太が事も無げにそう言った瞬間、音羽の表情がドン引きのそれになる。口を開けたまま絶句する音羽は、次の瞬間残っていた食事を口の中に掻き込むと、「ごちそうさま」と叫ぶように言いながら席を立った。


 ダイニングから出て行く去り際、振り返った音羽が奏太をにらみつけて叫ぶ。



「——もうほんっっとに気持ち悪いッ! お兄ちゃんもブイチューバー嫌いだから! ブイチューバーなんてなくなっちゃえばいい! キモい! マジきもい! マジで無理! お兄ちゃんなんて、お兄ちゃんなんて大っ嫌い!」



 ドタドタと音羽が階段を駆け上がっていく音が聞こえてくる。自室に戻ったのだろう。

 一人残された奏太は、静かに食事を終えて、自分の分と音羽の分の洗い物をしながらポツリと言った。


「まったく、反抗期だな」


 決してそれだけが原因ではないのだが、奏太はそれに気づかない。その内、音羽もブイチューバーの良さに気付いてくれるだろうと奏太は思っているのだが、そういう事でもない。


 こうして、相川家のすれ違う日常は過ぎて行くのだった。 



 ◇◆◇◆



 【アンチ】——特定の個人、団体、企業、製品などを嫌うもの、また反発する者のこと。


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