7.カラオケにて



 放課後、小夢はほとんど彩輝に引っ張られるような形でカラオケボックスにやって来ていた。

 奏太は彩輝の誘いを断って一人で帰ろうとしたのだが、小夢が「お願いだから一緒に来て」と必死に頼み込むと付いてきてくれた。流石に初対面の、しかも彩輝と二人きりになるのは小夢の身体がもたない。


 彩輝はノリノリでドリンクに用意すると、弾むような足取りで一足先に指定されたルームに入り、早速選曲用タブレットを手に取ってタッチパネルの上に指先を走らせている。


「さって、なに歌おっかなぁっ、カラオケ久しぶりーっ!」


 そんな彩輝に続いて、ドリンクを片手にした奏太と小夢が室内に入る。既に選曲を終え、マイクを手に取っている彩輝を見て、奏太が呆れたように口を開く。


「彩輝さん、今週の日曜はアレもあるんだから控えめにしときなよ」


「ソウくんはあたしのマネージャーか!? それとも、まさかママ?」


「マネージャーでもママでもないよ」


「もー、ソウくんはノリ悪いなぁ。分かってるってば。喉の調子を確かめるくらいにしとくから」


 彩輝はそう言って、イントロが終わったメロディに合わせて歌い始めた。


 そんな彩輝の歌声に、小夢は違和感を覚えて首を傾げる。腰をかけてドリンクを口に運びながら彩輝の歌唱を眺めている奏太に、小夢は何か言いたげな視線を向けた。小夢の視線に気付いた奏太が、首を捻る。


「どうしたの?」


「あ、いや……、なんか彩輝さんの歌が、思ってたのと違うな、……って」


「あぁ」


 小夢の言わんとする所を理解したように、奏太が頷く。

 マイクを持った彩輝は、奏太たちが横でこそこそと話してるのに全くそれを意に介さず、最近流行りのアップテンポ調のJーPOPをノリノリで歌っている。

 曲調に合わせたアレンジと振付が多く、相当上手い事に変わりはないのだが、小夢の知っているカガヤキサキの歌ではない。これは彩輝の歌だ。


「まぁ、カラオケの時の彩輝さんはいつもこんな感じだよ。それに、彩輝さんは佐藤彩輝であって、カガヤキサキじゃないから」


「……」


 奏太のその言葉に、小夢はそれ以上に何も聞くことが出来なかった。そして、狭いカラオケボックス内を動き回って自由奔放に一曲歌い上げた彩輝が「ふぅーっ」と満足げに息を吐き出すと、マイクの先を小夢に向ける。


「はいっ、次小夢ちゃん歌うっ? もう選曲した?」


「あ、いえ、はい。……えっと、採点入れるの忘れてるみたいなんで、入れときますね」


 小夢が選曲用のタブレットを手に取って、採点システムを入れようとする。すると、彩輝が目を丸くした。


「あれ、小夢ちゃんって採点付けるタイプの人?」


「えっ? つ、付けないんですか……?」


 小夢がカラオケに行く時は——大体ヒトカラだが——、必ずと言っていいほど採点システムを入れて歌っている。もはやそれが習慣だ。


「んーっ、カラオケの採点システムって、なんか機械みたいで苦手なんだよね」


「そ、そりゃ、機械ですから……」


「そういうんじゃなくて、なんか人の心がない? みたいな?」


 そこで小夢は彩輝の言おうとしていることが分かった。

 確かにカラオケの採点システムはあくまで音程の正否が採点の基準だ。例えば今の彩輝の歌は、とても上手く、人を惹きつけるものだったが、アレンジを加えまくっている上に動きが激しかったため、点数にすればそれほど高い点数は出ないだろう。


 気持ちよく歌ったのに、低い点数を突き付けられてしまえば、確かにあまり気分は良くない。


「えっと、じゃあ採点は付けないでおきますね」


「ごめんね、あたしがワガママ言っちゃって」


 彩輝が申し訳なさそうに両手を合わせる。


「い、いえ! 私も特にこだわりは無いので……っ!」


 それから小夢も最近よく聞いているお気に入りの一曲を選び、歌った。奏太や彩輝の前とあって、いつもより少し緊張したものの、普段配信をしている時にマクアとして百人以上の前で歌ったりすることもあるため、そういう緊張には慣れている。特に問題なく、いつものように歌えた。


「おぉーっ!」


 歌い終わった小夢を見て、表情を輝かせながら彩輝がパチパチと手を叩いている。


「小夢ちゃん歌上手だねーっ! 声も綺麗だし。ちょっと練習したらもっともっと良くなりそう! ねっ? ソウくんもそう思わない?」


「うん、思う」


 予想外の高評価に、小夢は照れて顔を赤くした。お世辞で言われていることは分かるが、それでも、既に慈愛天使子やカガヤキサキとしてオリジナルソングも持っているような二人に褒められると、委縮してしまう。


「それじゃあ次はソウくんだね!」


「僕はいいよ。二人が歌ってるのを見てるだけで楽しいから」


「もーっ! そういうのいいからっ、ほらほら歌って! あたしソウくんの歌聞きたいな」


 そう言って強引に奏太に選曲用タブレットを押し付ける彩輝。奏太は諦めたようにそれを受け取ると、画面を見て曲を選び始める。


 ——やっぱり仲良いじゃん……。


 隣り合って座って、グイグイ距離を詰めていく彩輝と、それを特に拒絶する様子の無い奏太。

 そんな二人を見て、小夢は自分の胸の内にモヤモヤとした気持ちが広がるのを感じた。無言で奏太のことを見ている小夢に、奏太が視線を返すと、小夢は慌てて視線を逸らす。


 奏太は小夢の視線を特に気にした様子もなく、マイクを手に取った。少し前に流行ったバラード調の曲のメロディが流れ始める。


 奏太の歌は、可もなく不可もなくという感じだった。決して下手ではないが、特別上手いという訳でもない。まるで無難を極めたような歌唱で、逆に凄い。


「相変わらずソウくんの歌は凄まじく普通だね」


 凄まじく普通というよく分からない表現を使う彩輝だが、今の奏太の歌を表すのには合っている。


「ほら、僕が歌っても面白くないでしょ?」


「いやいや、これがいいんだよ。なんか落ち着く」


「そう。ならよかったよ」


「うんうん、良かった。普通だけど良かった! じゃーっ、次はまたあたしー!」


 それから各人数曲ずつ歌い、「そろそろ休憩しない?」と奏太が提案したところで、三人の間に雑談の雰囲気が流れる。


 残っていたドリンクを一気に飲み干して、彩輝が小夢の隣に移動してくる。


「ねえねえ小夢ちゃんはいつブイチューバーを始めたのっ?」


「えぇと、ブイチューバーを始めて一年と少し経ったくらいですかね」


 一か月ほど前に、『小悪魔マクア』のデビュー1周年記念を生配信でお祝いした所である。この一年でファンになってくれた人たちの温かいコメントを見て、思わず泣いてしまったのは記憶に新しい。


「えっ? じゃああたしの先輩ってことだ! あたしもしかしてこの中で一番年上なのに、一番後輩!?」


「で、でも、人気はサキさんの方がずっと上ですし……。それに数か月の差なんてほとんど同期みたいなものだと思いますけど」


「おぉ同期っ。そっか、同期かぁ。いいねーっ、それ! じゃあ同期としてこれから一緒にがんばろうね!」


 そう言って彩輝が勢いよく小夢に抱き着く。そんなスキンシップの激しい彩輝に顔を赤くしながらも、されるがままになる小夢。


 その後も主に小夢と彩輝が、お互いの趣味や好みを聞き合ったりなどと女子トークを交わし、時折、話題が向けられた奏太が当り障りのないことを言う、といった時間が過ぎた。


 その中で、不意に小夢が奏太に恐る恐る声をかけた。


「あ、あの、相川くん……」


「ん? なに」


「こ、こんな所で言うようなことじゃないかもしれないんだけど、その、この前私が相川くんに貰ったスーパーチャットのこと……」


「あぁ、うん」


 それは小夢がこの前マクアとして配信をしている時に、突然起きた衝撃事件。配信の終わり間際に、無言で恐ろしいほどのスパチャ現金が送られてきた出来事だ。それも一度ならず二度も起こった。その二回で『sota』という人物から送られたスパチャの合計は250万円。控えめに言って異常。突然飛び込んで来た手に余る大金を、小夢はどうしようかとここ数日悩んでいた。


「で、できれば、その、相川くんにお金を返したいんだけど……」


「なんで?」


 小夢の言ってることが分からないと言うように、純粋な疑問を浮かべる奏太。


「えっ、いやっ、でも、だから、それは流石になんと言いますか……、マクアのような大したこともしてないブイチューバーがあんな大金を貰うのは身の丈に合わないと言いますか……」


「そうかな?」


「え」


「僕は『小悪魔マクア』のこれまでの一年の活動の感謝と、これからの応援の気持ちを込めてあのお金を送った。その気持ちを表す手段がお金って言うのもなんか生々しい話かもしれないけど、僕はこういう気持ちを上手く言葉にするのが苦手だから、そういう時には割と便利なんだよ。スパチャって」


「でも……」


 まだあまり納得できない様子の小夢を見て、奏太が微苦笑を浮かべながら言う。


「まあ、根上さんがどうしても納得できないって言うなら、返してもらってもいいけど、せっかくなら受け取って欲しいかな。それに結局返してもらっても、ただお金が減って戻って来るだけだし」


 スーパーチャットはあくまで配信者が使用しているプラットホームを通して送られるので、スパチャされた金額の100パーセントが、相手に届けられる訳じゃない。手数料として決して少なくない金額が取られる。


「それに五万円くらい普通でしょ? 天使子の配信とかでもよく飛んでくるし」


「いやっ! それがおかしいんだからね!? あと相川くんは五万だけじゃないでしょ!?」


 あまりの自分との感覚の違いに小夢が声を大きくする。


「募金箱に何十枚もお札が入ってるのなんてそんなに見ないでしょ!? 言っとくけど、ブイチューバーの配信に飛んでくるスパチャの量って異常だからね?」


 特に人気のブイチューバーの配信だと、当たり前のようにお札単位のお金がリスナーから飛んでくる。


「何言ってるの根上さん」


 急に真面目な顔がこちらに向けられ、ゴクリと唾を呑む小夢。一瞬の沈黙を経て、奏太が言う。


「募金とスパチャは違うよ」


「……いやまあそうなんだけど……」 


 呆れる小夢。これ以上奏太に何を言っても無駄だと悟った。


「まあまあ小夢ちゃん、ありがたく貰っとくのも良いと思うよ。確かにソウくんはかなりおかしいと思うけど、それでも、ファンからの気持ちの一つなんだから」


 彩輝はそう言って、「ソウくんが別に何か悪い事した訳でもないしね」と付け加えてから、更に言葉を継ぐ。


「あたしねー、ブイチューバーになって、この世界には色んな人がいるんだなぁっ、て思ったの」


 それは、小夢も思う事である。

 マクアとしてブイチューバーを始めて、色んな個性を持つ人たちがブイチューバーとして活動しているのを知ったし、そういう人たちのファンにも色々な人がいることを知った。

 小夢でさえそうなのだ。マクアよりずっと人気があって、ライブなどの経験もしてるカガヤキサキとしての彩輝なら、もっと色んなものを見てきたのだと思う。


 まぁこういったことを感じるのは、何もブイチューバーだから、という訳でもないだろうが。


「あたしのことが大好きで、真剣に応援してくれてる人もいるし、そうじゃない人もいる。色んな人があたしのことを見て、色んなことを思うの。人はみんな違うから、その分だけ思うことも違うんだよね。だから、そういう人達の気持ち全てに応えるのは難しくて、ちょっとキツイ言葉をかけられて落ち込んじゃうこともあるけどね。——でも、あたしはあたしの歌と踊りが好きで、そんなあたしのことを好きでいてくれる人たちのためにも、もっともっと色んなことが上手になりたいなって、思うの。実際にライブとかもやって、あたしのことを応援してくれてる人たちの熱を直に感じて、ますますそう思った。ブイチューバーを始めてよかったなって心から思ったの。あたしを見て応援してくれる人のおかげ」


 彩輝が一つ一つ噛み締めるように言葉を紡ぐ。


「だから、あたしは、ファンの人たちの応援の気持ちは、できる限り受け止めたいって思うよ。それでお礼を言うの、いつもありがとうって。それからね、もっと凄くなったあたしの姿を見せるんだ」


 そして、輝かしい笑顔を浮かべる彩輝。その笑顔は今の小夢にとってはあまりに眩しすぎて、思わず少し目を閉じた。


 そんな小夢の反応を見て何を思ったのか、彩輝は付け加えるように言う。


「あっ! 今のはあくまであたしの話ね! 小夢ちゃんは小夢ちゃんの思うようにやればいいと思うよ! バーチャルの世界は何たって自由なんだし」


「はい、ありがとうございます」


 小夢は頷いて、彩輝にお礼を言う。そして、次は奏太の方を見ると、笑顔を浮かべて言った。


「相川くんも、ありがとう」


「うん、こちらこそ」


 奏太は顎を引いて、薄く笑った。 


 それから三人はまた数曲ずつほど回した後、「まだ歌いたい」と駄々をこねる彩輝を奏太が引きずって外に出る形となった。


 会計を終え、カラオケボックスを後にする小夢たち。既に日が暮れている空を見上げ、伸びをしながら彩輝が言う。


「んーっ! 楽しかったーっ! また来ようね!」


「は、はい」


 彩輝に笑いかけられた小夢はコクコクと頷く。——その時、彼女の視界の端に一人の少女が映った。


 軽くウエーブが付いた艶やかな黒髪。可愛らしく整った顔だち、スラリと伸びた白い手足は眩しく、その佇まいは悠々としていた。その少女は小夢たちの方へ向かってくる。


 小夢たちと同じ高校に通う現役高校生アイドルの〝日向ひむかい晴華はれか〟だった。

 すれ違いざま、小夢と晴華の視線が重なる。晴華の目付きが俄かに鋭くなり、小夢は視線を地面に落した。晴花はそのまま、小夢たちが今出たばかりのカラオケボックスに入り、姿が見えなくなる。


「見た!? ねえソウくん見た!? 今の子物凄い美人だったよ!?」


 興奮した様子で彩輝はバンバンと奏太の背中を叩く。


「そうだね。ちなみに今の子、僕たちと同じ高校だよ」


 背中を連打してくる彩輝の手を受け止めながら、奏太が言った。


「え!? それほんと!? ……あれ、小夢ちゃんどうしたの? 大丈夫?」


 無言で俯いている隣の小夢を見て、彩輝が心配そうにその顔を覗き込む。


「あっ! いや、大丈夫です。ちょっとお腹が痛くなって」


 小夢はパッと顔を上げ、何でもないとばかりに「あはは」と笑顔を作って彩輝を見る。


「あちゃーっ、ジュース飲みすぎちゃったかな。大丈夫? 歩ける? あっ! あたしがおんぶしてあげよっか!」


「だ、大丈夫です。もう治ったので」


 しきりに小夢をおんぶしようとしてくる彩輝を何とか誤魔化しながら、小夢は後ろを振り返る。そこには誰も居ない。


 小夢の胸の奥がチクリと痛んだ。

 

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