6.バーチャルアーティスト


『カガヤキ サキ』というブイチューバーがいる。


 カガヤキサキは、『ミリオンスカイ』という企業所属の〝バーチャルアーティスト〟として、約九か月前にデビューした。

 その持ち前の明るさと天真爛漫な振る舞い、そして何よりステージに上がった時の普段とのギャップで話題を呼んだ。


 一度ステージにあがった彼女は人が変わる。普段の明るい雰囲気はなりを潜め、歌とダンスに真剣に向き合う一人のアーティストとしての彼女カガヤキサキが顔を出すのだ。

 ガラス細工のように繊細で透き通った声に、他にはない特有の圧倒的存在感を込めて歌い上げられる彼女の歌唱は、〝唯一無二〟と評される。

 重ねて凄いのが彼女のパフォーマンスで、見る者を掴んで離さない洗練されたダンスもまた、彼女が評価される一因である。


 デビュー後たった半年で開催されたカガヤキサキのワンマンライブチケットは秒で完売、およそ3000人を動員した生ライブは大成功を収めた。


 その後も順調に活動を続け、オリジナルソングも続々リリース、リアルとバーチャルを融合させた新たな時代を予感させるMVミュージックビデオや、普段の彼女の天真爛漫さが活かされたバラエティ動画も評判が高い。


 まさにバーチャル業界に現れた新進気鋭のスターであり、今注目の一人だ。


 デビューの時期で言えば、小夢が〝魂〟を務める『小悪魔マクア』の後輩に当たるのだが、もはやその人気の差は天と地ほどある。


 実は小夢はカガヤキサキのファンの一人である。彼女の唯一無二の歌声で歌唱されるオリジナルソングやカバーソングは、毎日聞いているほどだ。

 彼女の歌声は胸を震わせ、心に染みる。そしてダンスも目を見張るほどカッコよく、それ以外の場所では明るく純粋に振舞い、誰に対しても物怖じをしない。小夢はそんなカガヤキサキをデビュー時から見守って、尊敬の念も抱いていた。


 その〝カガヤキサキ〟の〝魂〟が今、小夢の目の前にいる。


「——え、え、えっと、『マクア』という名前でブイチューバーをやっています! 個人勢です。私の名前は根上小夢です! この度は、私の勝手でご迷惑をかけて申し訳ありませんでした!」


額が床にくっつきそうな勢いで頭を下げる小夢。そんな小夢に彩輝さきは、手をひらひらと振りながら朗らかな雰囲気で言う。


「んー! 大丈夫だいじょーぶ! カガヤキサキのことバレちゃうのは結構マズイけど、同じブイチューバーをやってる小夢ちゃんでよかった! なんかソウくんのことも既に知ってるみたいだし。うん! 運がよかった。何も問題なし!」


 グッと親指を立て、片目を閉じる彩輝。


 こうして見ると、今の前にいる佐藤彩輝という少女は、普段小夢が画面の中に見ているカガヤキサキと何も変わらない。

 まるでバーチャルの世界に存在する『カガヤキ サキ』という少女が、そのままリアルの姿となって飛び出してきたようである。


 容姿も声や振る舞いも、ただ〝バーチャル〟か〝リアル〟か、その違いしかない。同じブイチューバーでも、リアルと一切結びつかない天使子とは真逆だ。


「それにしても小夢ちゃんちっちゃくってかわいいねっ!」


「ひゃっ!?」


 突然抱き着いてきた彩輝に、小夢の口から声が漏れる。彩輝より頭一つ分身長が低い小夢は、すっぽりと彩輝の豊満な胸の中に顔をうずめる形になる。


 ——やわらかいっ!? お、大きい……っ!? 


 凄まじい敗北感に打ちひしがれながらも、彩輝の抱擁から脱出してはぁはぁと息を整える小夢。無言で自分の胸を見下ろした後、彩輝の主に胸部を見て顔を青くする。

 そんな小夢に、また彩輝が詰め寄る。


「小夢ちゃんがやってるブイチューバーのマクアちゃん? は、どんな子なの!?」


 彩輝が興味津々と瞳を輝かせ、問いかけた。


「え、えっと、マクアは、地球を支配しに魔界からやって来た美少女小悪魔って設定で……、あ、悪魔って言ってもほぼ見た目だけで、結局活動としてやってるのは大したことなくて、ゲーム実況配信とか、雑談配信とか、そんなのだけなんですけど……」


「ふんふん、なるほど。マクアちゃんの3Dモデルはあるの?」


「す、3Dモデルは無いです。配信は2Dでやっていて……」


「そっかぁ、じゃあコラボするにしても、ゲームとか雑談とかかなぁ」


「へっ!? こ、コラボ!?」


「うんそう! カガヤキサキとマクアちゃんで一緒に動画出したり、配信したりしようよ! あとでマネージャーさんに予定確認してみるから!」


「えぇぇぇっ!?」


 とんとん拍子で進む話に小夢は付いて行けず目を白黒させる。


「あれ、もしかしてダメ……かな」


 少し寂しそうな表情になる彩輝。身体こそ小夢より大きいものの、まるで主人に構って欲しい子犬のようである。


「え、えぇっと、だ、ダメって訳じゃなくて……、その、私みたいなのと、カガヤキサキ……さんが、コラボするのは、その……——」


——あまりにおこがましい。


 マクアとカガヤキサキじゃ、そもそもの知名度と人気、そして地力が違う。仮にそんな二人がコラボしたとしても、釣り合う訳がないと小夢は思う。


 きっとチグハグな内容になって、下手すればカガヤキサキの看板に傷を付けてしまうかもしれない。カガヤキサキのファンの一人としても、それは避けたかった。


「うん、まあそこら辺の話は二人がもう少し仲良くなってからにしたら? その方が、きっともっと楽しいコラボになると思うよ。せっかく同じ学校に通うんだし、これから仲良くなる機会はいくらでもある」


 ふとその時、隣で話を聞いていた奏太が二人の間に割って入った。「でしょ?」と、奏太が彩輝に向かって言うと、


「確かにそうだね! さっすがソウくん!」


 彩輝が「なるほどー」と納得したように手を叩いて、顔を輝かせた。


「それじゃあいっぱい仲良くならないとねっ。ねっ、小夢ちゃん」


 彩輝が誰もが見惚れるような魅力的な笑顔を、小夢に向ける。そこに一切の他意はない。ただ純粋に小夢と仲良くなりたいと彼女が思っていることが分かった。


「は、はひ」


 憧れの人物にそんな風に直接言われ、今更ながら自分が物凄い状況に置かれていることを理解し、緊張して固まる小夢。


 小夢にとって、ファンであり、そして尊敬しているという点では、奏太が魂を務める『慈愛天使子』も、彩輝が魂を務める『カガヤキサキ』も、同じである。


 しかし、天使子の面影が一切見られない奏太に対して、彩輝は普段から知っているカガヤキサキそのままである。例えるなら憧れのアイドルがいきなり目の前に出現して、向こうから仲良くしようと言ってくれているようなもの。


 夢にしても都合が良すぎて、どうしたらいいか分からない。小夢の頭では『こんな私でいいのか』という思いがグルグルと回る。


 ともかく、ここで返事を返さないのは失礼過ぎるので、どうにか言葉を絞り出す。


「こ、こちらこそっ、よろしくお願いします」


「うんうんっ、よろしくね!」


 彩輝が小夢の両手を包み込むように握って、ブンブンと振る。


 ——あ、握手してしまった……っ。


 手汗をかいていないか心配になる小夢。緊張を誤魔化すため、小夢は少しトーンの上がった声で奏太と彩輝の二人に尋ねかける。


「そ、その、相川くんと、佐藤さんは……」


彩輝さきでいいよっ!」


「あっ、じゃ、じゃあ、相川くんと彩輝さんは、仲が良いん……ですか?」


「うんっ、もう最高に良いよ」


「普通だよ。少なくとも僕と彩輝さんは」


 二人からそれぞれ違う答えが返ってくる。これは一体どっちを信じればいいのだろう。

 恋する乙女としては、あまり奏太と彩輝の仲が良いとは信じたくない小夢である。


「もーっ、ソウくんはツンデレだなぁ。二人で一緒に色々やってきたじゃんっ。あっ、あと今週末も一緒に遊ぶよねーっ」


「さぁ、どうだったっけ」


 冷めた奏太の反応に、彩輝は頬をふくらませて不満を示す。こんな狙ったような仕草も、彼女がやると自然に見えるのだから凄いと小夢は思った。


 彩輝は気を取り直したように小夢を見て、口を開く。


「ソウくんとあたしは同じところに所属してるからねー」


「『ミリオンスカイ』ですよね」


 ミリオンスカイは『ブイチューバー』というコンテンツを扱う代表的な企業の一つだ。


「うんそうそうっ。だいたい一年前? そんなには経ってないか。まあそれくらい前にあたしがミリオンスカイから〝カガヤキサキ〟としてデビューすることが決まって、ブイチューバーの事とか、あんまりよく分かってないあたしに色々教えてくれたのがソウくん。つまり先輩だね。学校ではあたしが先輩だけど。なんか面白いねっ」


 彩輝がクスクスと笑いながら言う。


「あたしが最初にコラボしたのもソウくんの天ちゃんだからねっ。なつかしいなぁ」


 そのコラボは小夢も見ていた。


 デビューしたばかりのカガヤキサキと、既にその頃には人気を盤石のものとしていた慈愛天使子のコラボ配信。初めてのコラボとは思えない息の合った二人の掛け合いで、多くの視聴者を楽しませていた。


 あの頃の小夢は、ブイチューバーの小悪魔マクアとしてデビューして三か月くらいだったか。今や総数四万を超えるブイチューバーたちがひしめくこの界隈において、個人勢というのは中々注目を集めにくい。


 張り切ってブイチューバーを始めたのはいいものの、マクアのことを見に来てくれる人はほとんどいなかった。


 その頃のマクアの行う配信に来てくれる人は、今のようにある程度固定されたファンではなく、通りすがりのような人が三、四人いれば良い方だった。そういう偶然見に来てくれた人達も配信中に去って行ってしまったり、酷い時には、配信をしてゲームをやりながら実況をしているのに、誰も見ていなかったこともある。

 本気でやめようかと思ったことも一度じゃない。


「なつかしいな……」


 こうして今もまともに活動しているからこそ、思い出として懐かしむことが出来る記憶を思い返していると、目の前の彩輝が笑顔と共に言った。


「ねぇ小夢ちゃん、今日の放課後、あたしとソウくんと一緒にカラオケいかないっ?」


「……へ?」


 ◇◆◇◆

 

 【3Dモデル】——名前の通り、ブイチューバーの〝魂〟が入る3Dの肉体モデルのこと。中の人の動きを読み取ることで、自由自在に身体を動かすことができ、様々なパフォーマンスが期待できる。ブイチューバーという存在が、ライブ、ダンスなどの激しい動きを魅せるためには、必須。天使子とサキは3Dモデルで活動している。


 【2Dモデル】——名前の通り、ブイチューバーの魂が入る2Dの肉体モデルのこと。3Dモデルと違い、動ける範囲がかなり限られている。基本的に平面的な動きしかできない。3Dモデルより手軽かつ安価であることが多い。マクアは2Dモデルのみで活動している。

 


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