4.ガチ恋
日本のオタク文化にハマって天界を追い出された天使——
慈愛天使子は正統派の愛され系天使キャラである。
聞く者を虜にする透き通ったソプラノボイス、庇護欲をそそり、思わず抱きしめたくなるような愛らしいビジュアル、時折見せる天然ボケ、失敗した時に見せる恥じらい。まさしく天使を体現したようなその様は、見る者を掴んで離さない。
今日も奏太はそんな『天使子』として、エンタメと何より可愛さを意識して作った動画をユーチューブにアップロードする。そして、ツイッターで新しい動画をアップしたことを報告するツイートをした。
奏太が今回作成したのは、今ブイチューバーたちの中で流行っているとあるオンラインゲームの〝実況プレイ風〟動画だ。
取れ高を意識したプレイングを録画して、その中でも使えそうな部分を切り取り、編集した上で、まるでアニメキャラに声を吹き込む声優の如く、あたかも実況プレイしているかのように、天使子の
一般的には邪道とでも揶揄されそうなやり方である。
ブイチューバーならではのやり方とも言えるが、実際に奏太のようなやり方をしているブイチューバーはほとんどいない。
そもそもの手間が、普通にやるのとは段違いだし、下手すれば台詞とプレイが食い違った違和感の凄い動画になってしまう。
しかし、奏太はこれが一番だと思っている。
もしこれが〝相川奏太〟としての実況プレイ動画なら嘘八百もいいところだが、この動画の中で実況しているのは奏太ではなく〝天使子〟なのだ。
裏側がどうあれ、これこそが視聴者が求めているものだと。視聴者の夢を壊さないように、細心の注意を払って奏太は日々動画を作っている。視聴者の夢を壊さず、最高のエンタメを届けるためなら——奏太が作り上げた〝ブイチューバーの天使子〟という像を完成させるためなら何でもする。
それが奏太の掲げるブイチューバーとしての矜持である。
動画の視聴を終えたリスナーからの感想コメントや、感想ツイートを確認しながら、奏太は今回の動画の反省点や改善点を思案する。
その中で、ふと奏太の目に留まったのは一つの感想ツイート。
半年ほど前のある時からずっと動画や配信に感想やコメントを送ってくれているリスナーの一人——『リント』というハンドルネームの人物だ。
流石にリスナー全員とまではいかないまでも、定期的にコメント、感想を送ってくれる人物や、ファンアートなどを作ってくれている人のハンドルネームは全て把握している。
このリスナーはその中でも、かなり熱狂的な部類だ。
『てんこちゃんの今回の動画も最高だったよ!!!!! 途中でミスって慌てちゃってる所とかかわいすぎて鼻血でそうだった・・、最高だったよ、もう大好き、次も楽しみにしてるね!!! あぁぁすき!!』
奏太はそれを見て、少しだけ目を瞑って逡巡してから、指先をキーボードに滑らせた。
『ぴろんっ』と、スマホが軽い通知音を鳴らすと同時にバイブレーションする。スマホの画面に光が灯って、慈愛天使子の新しいツイートがあることを知らせていた。
それ見て、
スマホの画面をタップで操作して、『ツイッター』のアプリを起動した凛斗は、数秒前に投稿された天使子のツイートを見て顔色を変える。
『みんな~(ノ*>∀<)ノ 天使子が今話題の〝あの〟ゲームに挑戦してみました! (੭ु ›ω‹ )੭ु まさかのハプニングもあったけどがんばったよ!
みんなに見てほしいな~♡♡』
「楽園が来た!」
凛斗は喜色満面で叫び、姿勢を正すと今度はスマホの『ユーチューブ』のアプリを起動する。そして、たった今アップロードされたばかりの天使子の動画——『【天使子のゲーム実況】今話題の〝あの〟ゲームに挑戦してみたらまさかのハプニングが!?』を再生する。
再生が始まると、ポップな効果音と共に画面下側から天使子が飛び出してくる。
童顔、円らな碧眼、少し垂れた眉、うっすらと赤らんだ頬、サラサラの銀髪。腰のあたりに真っ白な翼を生やして、頭上には一部分が欠けた天使の輪。
思わず抱きしめたくなるような愛くるしい表情を浮かべ、天使子が〝こちら側〟に向かって軽く袖を握り込んだ両手を振る。彼女の動きに合わせて、フリフリのミニスカートが揺れた。
『はいはーい! ゲームと漫画が大好きすぎて天界から落とされちゃったキュートな天使っ、慈愛天使子ですっ! みんな今日も見に来てくれてありがとう!』
「こちらこそありがとう……っ」
スマホの画面に向かって両手をこすり合わせる凛斗。その瞳は潤んでいた。
『なんと今日は! 今話題のあのゲームに挑戦しちゃいます! みんなが楽しそうにやってるの見てずっとやりたいと思ってたからすっごく楽しみ! それではっ、がんばってやっていきたいと思います!』
天使子のその言葉を期に、場面が切り替わってゲーム画面が映し出された。その右下の辺りに、小さくなった天使子の上半身が映っている。手にはゲームのコントローラーが握られており、ゲームのBGMが流れ始める。
『よーしっ、じゃあやってくよーっ! 一回くらいは勝ちたいな』
天使子がムンっと気合を入れるように腕を振る。
「ハウゥッッッッッッッッッッッッ!」
凛斗が妙な声を上げ、胸の辺りを押さえる。——危ない、意識が飛びそうだった。
凛斗がおかしくなったのではなく、天使子の姿があまりに可愛すぎて
あえていうなら、凛斗は天使子に出会ったその瞬間からずっとおかしくなっていると言える。
『ひゃっ!? ねぇぇぇっ! ちょっと今の卑怯じゃない!? もーっ、今の無かったら絶対勝ってたのにっ!』
怒ったような表情を見せ、頬を膨らませる天使子。
『んーっ、思ったよりこのゲーム難しいね……。あっ! あっ! 今の見た!? 今のすごくない!? 上手い! わたしすごい! あっ、えっ!? ああぁぁッ!? ちょっと待って! 今の無し!』
二転三転するゲームの内容にコロコロと表情を変える天使子。
「かわいすぎる……」
凛斗の口から言葉がこぼれ落ちる。心の底から込み上げた声だった。その瞳から涙もこぼれる。——かわいすぎて泣いた。
『え、えぇぇえええええっ!? なにこれ!? ふふっ、あはははっ! なにこれっ、ふふっ、ふふふっ、あはははははっ! どうなってるの!?』
突然のゲームの
「天使だ……」
画面の中の天使子を穴が空きそうなほど見つめ、微動だにしなくなる凛斗。
そして約一〇分過ぎた所でゲームの画面が切り替わり、最初と同じように天使子の全身が映し出される。
プレイしたゲームの感想をいくつか述べた後、天使子が『こちら側』を上目遣いで見つめながら言う。
『ご視聴ありがとうございました! ぜひぜひ! ごらんの右のボタンからチャンネル登録!そしてツイッターのフォローをよろしくね! それじゃあ、またねーっ!』
ぴょんぴょん跳ねながら手を振る天使子の姿を最後に、動画が終わる。
凛斗は動画が終わった後も、関連動画などが表示されているスマホの画面を茫然と見つめていた。そのまま、今の動画に関連する動画が、自動的に再生されそうになった所で、不意にハッと意識を取り戻したように瞬きして、スマホを持ち上げるとまた『ツイッター』のアプリを起動した。
そして、天使子の動画アップの報告ツイートに、動画を視聴した感想をリプライする。
『てんこちゃんの今回の動画も最高だったよ!!!!! 途中でミスって慌てちゃってる所とかかわいすぎて鼻血でそうだった・・、最高だったよ、もう大好き、次も楽しみにしてるね!!! あぁぁすき!!』
そして、凛斗はたった今視聴した天使子の動画の余韻に数分ほど浸ってから、気持ちを切り替えて、また勉学に励むべくペンを握る。
凛斗は一度受験に失敗した浪人生である。ちなみに高校二年生の妹が一人いる。
凛斗の受験失敗には、深い訳があった。
あれは受験本番の前日のことである。勉強は万全、受験成功を確信し、せめて前日くらいはゆっくり頭を休めようと、ユーチューブで色々な動画を漁りながら時間を潰していた。そこで凛斗は〝天使〟に出会った。バーチャルユーチューバー——ブイチューバーの存在を知ったのもその時だ。
『慈愛天使子』という名の天使を見た瞬間、凛斗の中で何かが変わった。あぁ、これが一目惚れという現象なのかと直感で確信した。恋に落ちた。ガチ恋だ。その瞬間から天使子のことが頭から離れなくなり、心臓の鼓動は早いまま。ふとした瞬間に頭の中の天使子が朗らかに笑いかけてきて、まともな思考じゃいられない。
結果、翌日の試験の出来は散々で凛斗は受験に失敗したという訳である。
しかし、凛斗は天使子との出会いを少しも後悔していない。あの時出会えてよかったと、そしてもっと早く知っていれば——と思っている。だって、天使子と出会ったあの日から、ただひたすら死んだように勉強を続けていた味気の無い日々が一変したのだ。
天使子の動画を見れば心が洗われ、彼女の生配信を見れば心が弾む。天使子との出会いが衝撃的すぎるあまり、受験本番はああいう結果に終わってしまったが、天使子という名の楽園を得たことによって勉強の能率は倍増、寝覚めや寝付きがよくなり、なんと頭痛が治った。凛斗の学力はめきめきと伸び、昨年の志望校よりも高いレベルの大学を目指せそうである。みんなも天使子を見よう!
まさに全て天使子のお陰。天使子は天使にして女神。この世界の何にも置いて優先されるべき存在である。
天使子に出会った日から凛斗の胸の内には〝彼女〟しかいなかった。朝起きる時も、歯を磨く時も、ご飯を食べるときも、勉強をしている時も、お風呂に入っている時も、寝ている時も、病めるときも健やかなるときも常に凛斗の中には天使子があった。
――あぁ、好きだ。
天使子のためにも今度こそ絶対に受験に受かって見せると、凛斗は今、猛烈に勉強に励んでいた。
その時、またスマホから通知音が鳴りバイブレーションする。咄嗟に凛斗はスマホを手に取り、画面を確認する。
「っ!?」
その瞬間、凛斗の目が驚愕に見開かれる。
なんと、先ほど凛斗がツイッターで天使子に送った感想に、天使子からの
『リントさんいつも見てくれてありがとー(≧∇≦) 今日の動画も楽しんでくれたみたいでうれしいな(੭ु ›ω‹ )੭ु』
天使子にファンは多い。現在、彼女のユーチューブチャンネルの登録者数は約260万。ツイッターのフォロワーは約250万。
並みの人数ではない。ただし全てが全て、凛斗のように天使子の上げる動画を何回も見返し、生放送も視聴し、そのアーカイブも繰り返し見た上、その全てに感想コメントを付ける人物ばかりという訳ではない。
ただ天使子が提供するコンテンツの中で面白そうなものだけを楽しんで何も反応しないという人は多いだろうし、凛斗のように全て見てはいてもわざわざ感想コメントは付けない者もいるだろう。
ただ、天使子に熱狂的なファンが非常に多いのは事実だ。
今も、先ほどの天使子のツイートには、まだツイートされてから30分も経っていないのに、2000以上のリプライが付いている。
凛斗が送った感想は、その中の一つでしかない。
凛斗は毎日天使子のことを考えているが、所詮凛斗は天使子にとって有象無象の一人にすぎないのだ。
天使子がその全てに返信することは時間的に不可能だし、基本的にいつもは何の反応もない。しかし心優しい天使の天使子は、たまに生放送などの中で、「いつも感想送ってくれてありがとう。ちゃんと全部読んでるんだけど、返信できなくてごめんね」と言っていたりする。
天使である。まさに天使。いや、女神か? 天使である。
そして、たまにファンサービスとして、天使子はこうして感想コメントなどに返信をくれたりする。
凛斗は改めて、自分が貰った天使子からの返信ツイート《リプライ》をまじまじ見つめる。
『リントさんいつも見てくれてありがとー(≧∇≦) 今日の動画も楽しんでくれたみたいでうれしいな(੭ु ›ω‹ )੭ु』
——リントさん……、いつも……、リントさん……、いつも……、今日の動画も……、てんこちゃんは、俺が動画をいつも見ている俺のことを知ってくれているのか……っ、まさか……っ!
凛斗は吠えた。宝物でも触るかのように、天使子からのリプライが映ったスマホを恭しく掲げ、椅子から立ち上がって咆哮した。
「——うぉぉおおおおおおおおおおおオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっッ!」
隣の部屋から兄の咆哮が聞こえ、タブレットPCを用いてイラスト描いていた小夢は、スタイラスペンを置いて、顔をしかめた。
「お兄ちゃんうるさいなぁ……」
『——てんこちゃん天使! かわいい! んんん!?!? あぁぁああああなななななんんんぁぁぁ!? んんんなあぁぁああああなななあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁんんんんんんんんんんんんんんんんああああっ好きぃぃぃいぃぃぃいぃ!』
引き続き兄の魂の叫びが壁越しに聞こえてくる。
家の中とは言え、妹の耳に声が届く範囲で恥ずかしげもなく一人のブイチューバーに向かって、愛を叫んでいる兄。
兄は本気で天使子に恋しているような——いわゆるガチ恋勢と呼ばれる存在である。
小夢もブイチューバーという文化を愛する者の一人である以上、兄の気持ちも分からないでもない。もしこれが赤の他人であれば逆に尊敬もしただろうが、実の妹から言わせて貰えれば恥ずかしいことこの上ない。頼むから黙って勉強してくれ。
——と、少し前までなら、そんな兄に呆れつつも、またイラストの作成に戻った事だろう。
『——てんこちゃん、あぁっ、てんこちゃんっ、てんこちゃんてんこちゃんてんこちゃん天使ぃぃぃぃいいいいぃぃ! あぁすきだよかわいいよぉぉかわいいぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
小夢の兄——凛斗が愛を叫んでいる『てんこ』という相手。これは大人気ブイチューバー『慈愛天使子』に付けられている愛称の一つである。
前々から、どうやら兄が天使子にハマっているらしいことは小夢も知っていた。しかし、下手にその事に触れて小夢が密かにブイチューバーをやっていることがバレるのも嫌だったので、特に触れないでいたのだ。
が、しかし——。
先日、小夢は相川奏太というクラスメイトと友達になった。その後の関係も悪くはなく、学校でブイチューバー趣味の話が通じる相手ができ、何より想いを寄せている奏太と触れ合う大義名分が生まれたことで、ここ数日の小夢はご機嫌だった。
問題は、その相川奏太というどこにでもいそうな普通の少年の正体が、『慈愛天使子』の〝魂〟という不可解な事実である。
未だに小夢も信じ切れていない所であるが、どうやら事実らしい。
実の兄が熱狂的に愛を叫んでいる相手の中身が、まさか小夢のクラスメイトでしかも性別が男、そして何より、何よりである——そんな奏太に、小夢は想いを寄せているのである。
考えようによっては、小夢は、実の兄と同じ相手に恋をしていることになる。
その考えに至った瞬間、小夢の背筋にゾッと寒いものが走り、彼女は大声で叫んだ。
◇◆◇◆
【ガチ恋】——普通に考えて恋愛の成就が叶わない相手、アイドルや、タレント、二次元のキャラ、ブイチューバーなどに、本気の恋心を抱いてしまうこと。凛斗のこと。
【ガチ恋勢】——ガチ恋をしている者のこと。凛斗のこと。
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