3.バーチャル美少女受肉


「——ごめんなさい」


「……え? へ?」


 いきなり深く頭を下げ始めた奏太に、小夢は困惑する。というより、さっきからずっと奏太の言動には困惑しっぱなしなのだが。


「君に謝りたかったんだ。僕の勝手で、迷惑かけたから」


「な、何の話……?」


「あれ、気付いてない……?」


 首を傾げる小夢に、奏太も同じように首を捻る。


「『小悪魔マクア』の前の二回の配信に、スパチャを送った『sota』が僕」


「…………ごめん、ちょっと待って」


 当たり前のように次から次へと衝撃情報をぶっこんでくる奏太に、小夢の思考回路がショートしかける。


 小夢は手の平を奏太に突きつけ、『しばしお待ちを』のポーズを取ると、頭の中で情報の整理を始める。


 ——えっと? まず、奏太くんが、大人気ブイチューバーの慈愛天使子ちゃんで……?


 もうこの時点で現実を否定したくなる所だが、小夢は思考を続ける。


 ——それで……? 奏太くんが、私が『マクア』としてブイチューバーをやっていることを知っていて……? ……で、その奏太くんが、この前私に合計で250万円分のスパチャを送って来た『sota』……?


「ほ、ほんとに……この前、私の配信に来てたのが、相川くん、なの……?」


 平静を保とうとして浮かべた精一杯の微笑みを引きつらせながら、小夢が言う。


「うん、そういうことになるね」


「……」


 一切の誇張やウソ、冗談の気配を感じさせずに頷いた奏太に、小夢の思考は完全に停止。数秒の沈黙を経て、今までに得た全ての驚き呑み込み、大きく息を吸い込んでから小夢は叫んだ。


「えっ、えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!? っ!?」


 いきなり上げられた小夢の大声を、奏太は両手で耳を塞いで冷静にやりすごし、驚きのあまり目を白黒させる小夢が落ち着くのを見守っている。


「あ、ああ、あい、相川くんが、天使子ちゃんで、私の大先輩で、私のファンで、お、おお、お金を、あんなに、た、たくさんの、お金を……っ? 私に?」


「まぁ、うん、そうだね。僕は『小悪魔マクア』のファンだよ。僕は〝彼女〟のことを世界で一番推している」


「えええええええぇぇぇぇッ? ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


「そんなに驚くことかな」


 もはや絶叫に近い声を上げる小夢に、奏太が微苦笑を浮かべた。


「えっ! いやっ! 驚かない方がおかしいでしょ!? だって、だって、ええ!? そ、そんなことある!?」


 一体どんな偶然が重なれば、こんな冗談みたいな事態が起こるのか。


「あるみたいだね、僕も驚いたよ」


「ならもう少しその驚きを表に出して!?」


 少しも驚いた様子を見せず淡々と言う奏太に、小夢は思わずツッコミを入れる。


「そう言う根上さんは感情表現が豊かだね。根上さん、いつもは大人しいイメージだからちょっと新鮮」


「あぅ……」


 痛い所を突っ込まれて、急に恥ずかしさがこみ上げる小夢。


 普段の学校にいる時の小夢は、大人しい自分を装っている。

 友達も少なく(決していない訳ではない)、ブイチューバーの話をできる相手がいない。

 少しずつ、ブイチューバーの存在が世間に認知されてきたとは言え、本格的な趣味としてそれらを見ている人たちはまだまだ——他の有名な娯楽コンテンツに比べると——多いとは言えない。少なくともリアルの小夢の周りに、そういう仲間は居ない。だから、本当の自分を出せる場面が少ない。


 どちらかと言えば、ブイチューバーの『小悪魔マクア』として、配信活動をしている時の方が、〝本来の自分〟に近いと小夢は思う。


 だが今、度重なる衝撃の事実と、何より同じブイチューバーをやっている奏太を前にして、気が緩んで素の自分がこぼれ出た。


 そのことを自覚して急に恥ずかしくなった小夢は、顔を俯かせて、誤魔化すように言った。


「あ、えっと、ごめん……色々驚いちゃって……、その……」


「なんで謝るの? 僕は元気な根上さんの方が好きだよ」


「——っ!」


 好きだよ——と、思いを寄せている相手から面と向かって言われ、小夢の顔がボッと火を噴いたように赤くなる。別に小夢のことが好きだと言われた訳ではないのだが、この際ささいな問題である。


「で、でも、それなら、相川くんも、なんで、私に謝るの……?」


「いやほら、僕がスパチャし過ぎたせいで、あの時『マクア』ちゃんが吐いt——」


「——うわあああああああああああああぁぁぁぁぁっ!」


 小夢がブンブンと手を振って、その言葉の先を必死に制止する。


 自分の嘔吐リバースシーンがネット上に拡散されたことよりも、よりにもよって小夢本人の知り合いの、それも小夢が想いを寄せている相手に見られたという事実が、耐え難かった。


 あまりにも恥ずかしい。どうにかして奏太の記憶を消す方法はないだろうか。小夢は涙目で奏太をにらみつけ、今すぐ話題を逸らすべく口を開いた。


「わかった! 相川くんが私に謝りたい訳は分かったよ! そ、それよりも、相川くん、って、その、相川くんが天使子ちゃんてことは、その、『バ美肉』してるってこと、だよね……」


「まあ有り体に言ってそういうことだね」


 『バ美肉』。ブイチューバー界隈の中でよく使われる言葉で、『バーチャル美少女受肉』の略称である。主に、オッサン及び男が『美少女』の姿として、ブイチューバーの活動をしていることに対して使われることが多い。


 これは男として生活している奏太が、バーチャルな世界で、無邪気な美少女天使と成っている事に、十分当てはまる。


 近年では自分の声質を自在に変えることができる『変声機ボイスチェンジャー』の性能も発展し、もはや軽く声を聞いただけでは本来の性別がどっちなのか分からない者も少なくない。


 バ美肉しているブイチューバーの〝魂〟も女の子だと思い込んで、応援していたリスナーが、その真実(中身が男)を知ってしまいショックを受けるという話もまま耳にする。


 有名な所では、『アマリス』という『バ美肉』ブイチューバーがいるのだが、そのビジュアルや言動の可愛さに対して、中身が男だというのはもはや周知の事実である。

 しかし、そのことを知らない新規のリスナーが本気でアマリスに恋してしまい、その後真実を知ってショックを受けることを『アマリスショック』という。


 だが、天使子の〝魂〟が男だという話は、今までに聞いたことが無い。そういう噂すら立ったことが無いのだ。仮にそんな噂を流そうとしても、天使子のファンたちからてきとうな事を言うなと袋叩きにされるだろう。


 もしこの事実が広まれば、きっとブイチューバー史上最大の大騒ぎになる。


 恐るべき秘密を知ってしまった事に戦慄する小夢。さっきから色んな意味で心臓のバクバクが止まらない。この数分で何年分か寿命が縮まった気がする。


「えっと、あ、相川くんは、ボイチェンは使ってないって事だよね……」


 今さっき、小夢が聞いた天使子の声は、間違いなく普段画面越しで聞いている天使子の声そのものであった。

 つまり、奏太は男性であるにもかかわらず、ボイチェン——変声機ボイスチェンジャーも無しで、庇護欲をそそる愛くるしさ満点のソプラノボイスを出しているということになる。


「うん、そう。女の人が渋いオッサンの声を出すのは相当難しいらしいけど、男が女の子の声を出すのはそこまで難しくない」


 確かにそういう話は聞いたことがある。男にして少女のような高い声も出せる人種——『両声類』と言われている人たちだ。

 それでも、やっぱり男が出している声である以上、そういった人たちの声は、どこかしら違和感が生まれるものである。


 しかし、天使子の声はどこからどう聞いても疑いようのない美少女ボイスである。


「…………なんていうか、すごいね」


 どうして奏太が慈愛天使子という姿でブイチューバーをやるに至ったのかは知らない。それでも、特殊な環境にも関わらずブイチューバーの世界のトップで活躍して、沢山の人を楽しませ、夢を与えている。

 実際にブイチューバーとして一年活動して、その世界の厳しさを、身をもって体験し理解している小夢だからこそ、そう思った。


 一定数のファンとのんびり活動しているだけの小夢とは違う。まるで〝アイドル〟だ。前の前にいる奏太は確かに男なのに、なんだか女として負けたような気分になる。


 そんな小夢を見て、奏太はどこか困ったように笑っていた。


 その時ふと、小夢はあることが気になって奏太に尋ねかける。


「……そういえば相川くんは、どうして自分がブイチューバーをやってるって明かしたの? 私に謝るだけなら、その、別にそれを明かす必要はなかったんじゃ……」


「あぁ、その理由は二つある」


 スッと指を二本立てる奏太。


「ふ、ふたつ……?」


「一つ目は、根上さんが『小悪魔マクア』の〝魂〟であることを知ろうっていうんだから、僕もそれ相応の秘密を明かさないと、対等じゃないよねって、話」


 奏太の言う理由に、小夢はイマイチ納得がいかなかったが、奏太が奏太なりに考えていることは分かった。


「そしてもう一つの理由は、君のことを僕にプロデュースさせて欲しいんだ。そのために、まず自分自身が成功している証拠を見せたかった。ほら、いきなりただのクラスメイトがそんなこと言い出しても説得力がないでしょ?」


「ぷろでゅーす……?」


「そう、まあ要するに、君が〝魂〟として活動している『小悪魔マクア』が、もっと輝くための手伝いをさせて欲しい。君はもっともっと上を目指せる存在だと思うから。この僕が推してるんだから間違いない」


 自信を持った口調で言う奏太。またもやいきなりの展開に、小夢は付いていけない。


「えっと、つまり、相川くんが、ブイチューバーとしての私をサポートしてくれるってこと……? そうすればもっと人気が出るって……?」


 奏太は大きく頷く。


「『根上さんとマクア』なら、バーチャル世界での新しいアイドル——スターになれるよ」


 〝アイドル〟——、その響きを聞いて、小夢の胸の奥がチクリと痛んだ。



 ——『わたし、絶対にアイドルになる!』


 ——『約束ね。ゆびきりげんまん』



 幼い頃、〝彼女〟と絡めた小指を思い出した。胸がズキンと痛む。小夢は頭を振って、その記憶を見えない所に押し込むと、愛想笑いを浮かべる。


「あは、あはは……、ありがとう。相川くんにそんなこと言ってもらえるなんて、思いもしなかったな」


 奏太のことを真っ直ぐ見返すことのできない小夢は、髪の毛をいじったり、メガネのズレを直すフリをしながら、落ち着かない自分の気持ちを誤魔化す。


「協力させてくれる?」


「……ううん」


 小夢は首を横に振った。


「相川くんの気持ちはありがたいし、相川くんが〝私〟の——、マクアのファンだって知ってすっごく嬉しかった。いつも見てくれてありがとう。でも、やっぱり私には無理かな」


 小夢は顔を上げて、精一杯の明るい笑みを浮かべる。


「私は、私のことを知ってくれる人たちと、ひっそり活動できるだけで、それで十分なの。天使子ちゃんみたいに、沢山の人を前に自分の世界を広げていくのも楽しそうだけど、私には、そういうのは合わないよ」


 そう言った小夢の目をジッと見つめる奏太。小夢が耐え切れなくなったように、視線を横にずらしたところで、奏太は「そっか」と呟いた。


「じゃあ、仕方ないか。無理言ってごめん」


 残念そうな奏太に小夢は少し罪悪感を覚えるも、「うん」と小さく頷いただけだった。しかし、そこで小夢は勇気を振り絞って、再度奏太のことを見上げる。


「あ、あの! 相川くん!」


「ん?」


「わ、私——」


 何かを言いかけたまま固まった小夢に、不思議そうに首を傾げる奏太。小夢は一度開けてしまった口をどうにか動かそうと奮起する。奏太と見つめ合っている視線に熱を感じ、身体中からじんわりと汗が噴き出すのを感じた。


 ——やばいやばいやばい何言おうとしてるの私。


「わ、わ、私……、あ、相川くんが……え、えっと————」


「うん」



「わ、私! 相川くんと! と、友達に! なりたくてっ!」



 ——あああああぁぁあああっ! 私のいくじなしぃぃぃっ!


 ギリギリの所でヘタれた自分を情けなく思いながらも、どこかホッとしてしまう小夢。しかし奏太が首を傾げたままなのを見て、慌てて言葉を継ぐ。


「あっ、と。えっと、私、ほらっ、ブイチューバーが好きなんだけど、他にこの趣味のことを話せる友達も学校にいないから、その、えっと私友達が少なくて! あぁっ、だからって訳じゃないんですけど、その、えっと、よかったら、えっと、相川くんの申し出は断っちゃったけど、これから仲良くできたらなぁっ、て、そんな風に思うんだけど……あは、あははは」


 我ながら気持ち悪い笑みを浮かべていることを自覚しつつも、小夢は勢いよく言葉を重ねる。色々と恥ずかしくて死にたくなった。


 キリキリと痛む胃を押さえながら、なんとか必死な笑みを保つ小夢に、奏太は納得したように笑いながら頷いた。


「うん、そういうことなら、こちらこそよろしく」



 ◇◆◇◆



 【ボイチェン】——声質を自在に変える機械、ボイスチェンジャーの略。高価なものであれば、男性でも自然な少女の声が、女性でも自然な男の声を出すことが可能。しかし、やはりボイスチェンジャー特有のクセというものはあり、聞く人が聞けばボイスチェンジャーを使用して声を変えていることは気付かれ得る。


 【両声類】——男女両方の声を操る者のこと。しかしやはり性別の壁というものは厚く、完璧で自然な女声を出せる男は滅多にいない。その逆もまたしかり。


 【バ美肉】——バーチャル美少女受肉の略。美少女の肉体モデルの中に入り、美少女と成ること。男性としての〝魂〟が美少女ブイチューバーとして活動する状況を指すことが多い。バ美肉にも色々あり、美少女の姿にもかかわらず声がオッサンのままであったり、見た目に合わせて声質を変える者もいたりと、様々である。



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