2.天使と小悪魔


「根上さん、ちょっといいかな?」


 奏太をいつも以上に意識してしまってろくに集中できなかった授業が終わり、昼休みに入った途端、その奏太に話しかけられて小夢は跳び上がった。


 少し落ち着いて来た心臓の鼓動がまた一気に速くなり、顔が熱くなる。両手で火照った頬を押さえながら、小夢はどうにか言葉を絞り出す。


「な、なななっ、なんでしょう……! 奏太く——あっ! いや! 相川くん……っ」


「根上さんに伝えたいことがあるんだけど、少しでいいから時間貰っていい?」


「!?」


 小夢は思わず吹き出しそうになった。


 一瞬の内に小夢の脳内はピンク色に染まる。


 ——ま、まさかっ! こ、告白……!? 奏太くんが、私に……っ!?


 突然の出来事に動揺し、それ以外の可能性が考えられなくなった小夢は、あわあわと分かりやすく慌てながらもコクコク頷き、ズレたメガネの位置を直す。


 そんな小夢の反応に奏太は安心したような表情を見せ、「じゃあ人目があるとアレだから」と小夢を教室の外へ誘った。

 小夢はドキドキと早鐘を打つ自分の心臓の音を感じながら、無言で先を行く奏太の背中を追う。顔を真っ赤にしながらぎこちなく歩く小夢と、飄々とした様子で廊下を歩く奏太の二人を、すれ違う生徒たちが不思議そうに眺めていく。

 思わぬ注目を浴びてますます緊張する小夢に対し、奏太はそれらの視線をまるで異に介していない。


 そんな感じで廊下を進む二人は、やがて校舎四階の隅にあるひと気のない空き教室にやってきた。


 他に誰も居ない二人きりの状態で、改まって小夢を見つめる奏太。小夢はバクバクと煩い胸を手で押さえ、「どうしようどうしようどうしよう、こ、告白されたら——っ、なんて返事すればっ!」と頭の中で考えていた。

 そもそもこんな誰も居ない教室で男子に迫られたら、かよわい少女である小夢に抵抗するすべはない。——私は一体これからどうなってしまうのだろうか。


 小夢はまっすぐに奏太の目を見つめ返すことが出来ず、チラチラと視線を上げて奏太を見る。すると、不意に奏太が口を開いた。


「根上さん、『ブイチューバー』の『小悪魔マクア』って知ってる?」


 疑問形ではあるものの、確信めいた言い方だった。

 その言葉を聞いた瞬間、小夢の頭が一気に冷える。

 『密かに想いを寄せている相手から告白されてしまう』という少女の夢のような妄想がコナゴナに吹き飛んで、小夢は口を開けたまま凍り付いた表情で奏太を見返す。


「な、なななな、なんのことでしょう……っ」


 凍り付いた表情を無理のある笑みの形に変えて、小夢は奏太から視線を逸らす。

 ジッと刺すような視線で無言の追及を受ける小夢の心臓は、さっきとはまるで違う意味でバクバクと跳ね、顔には冷や汗が浮かぶ。


 ——ど、どういうこと!? 奏太くんってブイチューバー見てるの!?


 いや別に、今や立派な文化の一つとなったブイチューバーを奏太が知っていることに疑問はない。小夢もまた一人のブイチューバーである前に、ブイチューバーという文化を楽しむオタクの一人である。

 そもそも、そうやって楽しそうにブイチューバーの活動を行っている先人たちに憧れたからこそ、自分もやってみようと思ったのだ。


 問題は、ついこの前までユーチューブのチャンネル登録者数1000ちょっとだったユーチューバーの『小悪魔マクア』を、よりにもよって〝同じ学校〟の〝隣の席〟の〝小夢が密かに想いを寄せている〟男子が知っているという衝撃の事実である。


 最近では地上波などのメディア露出も増えてきたブイチューバーという存在は、いまや多くの日本人が認知する存在である。しかし、その中で小夢が魂として演じている『マクア』の存在を知っている人たちが、一体何人いるだろうか。


 『マクア』として活動している時の声は、普段の『小夢』の声とは少し変えている訳だし、実際に小夢の声を聞いて『マクア』を連想できるほどのコアなファンとなるとかなり限られてくる。


 確かにこの二週間ほど、ブイチューバーを知る者たちの間で、『小悪魔マクア』の存在は話題になっていたが……(謎の人物『sota』からの怒涛のスパチャと、マクアの生配信でのリバース事故が原因)。


 小夢が必死に忘れようとしていた出来事——生配信で大勢のリスナーが見ている中、嘔吐リバースをして、さらにその様子をツイッターや動画サイトで拡散されるという恥ずかしすぎる出来事を思い出し、思わず叫び出したくなった小夢は口を押さえる。

 本来、ツイッターや動画サイトにマクアの配信の見どころを切り取ってアップロードしてくれることは、宣伝にも繋がって喜ぶべきことである——少なくとも小夢はそう思っているし、実際にそういった切り抜き動画をキッカケにファンになってくれる人は多い——が、しかし、今回ばかりは、その場面を切り取った人たちを小夢は恨まざるを得なかった。乙女のリバースをネット上で拡散するなんて、なんてことをしてくれるんだ。大罪である。


 だが、そんなことはもはやどうでもよく、今問題なのは目の前でこちらジッと見ている奏太のことだ。


 今の小夢は、お忍びで出かけた出先で正体がバレてしまったアイドルの気分を味わっていた。小夢程度の人物が〝アイドル〟などというのはおこがましい話だが、まあ気持ちとしては間違っちゃいないだろう。


「わ、わわわ私は……っ、マクアではないですけど……っ!?」


 なるべく『マクア』として演じる時の声質から離した声音で、小夢は答える。


「うん、それは知ってる」


 それに対する奏太の返答はやけに断定的で、違和感を覚えるものだった。


「……?」


「あと僕は、根上さんが『小悪魔マクア』のことについて知ってるかを聞きたかったんだけど」


「あっ」


 確かにそうだ。奏太が小夢に尋ねかけた言葉は『根上さん、『ブイチューバー』の『小悪魔マクア』って知ってる?』であり、『根上さんって『ブイチューバー』の『小悪魔マクア』だよね?』ではない。


 小夢は早とちりして、自分が奏太から『マクア』の正体ではないか? と疑われていると思ってしまった訳だ。


「あ、あはははっ、そ、そうだよねっ、私が『マクア』な訳ないよねっ! あ、あははっ」


 頭に手をやって無理に笑って見せる小夢。そんな小夢の様子を奏太は観察するようにジッと見つめ、何かを確信したように頷いた。


「じゃあさ、根上さん。同じブイチューバーの慈愛じあい天使子てんしこは知ってる?」


「う、うん」


 というより、知らない訳がない。一人のブイチューバーとして活動する小夢の大先輩であり、数多いるブイチューバー達の中でも最上位の人気を誇っている内の一人。


 まるで雲の上の存在である。ひっそりと活動していて、ちょっと話題になったくらいの『小悪魔マクア』とは格が違う。


「その天使子の〝魂〟が僕」


 奏太が微笑みを浮かべ、自分自身を指差した。


「……へ?」


 一瞬、何を言われているか分からなかった。そして、奏太が発した言葉を受け取り、その内容が意味することを理解はしても、やはり奏太が何を言っているのか分からない。


 奏太の言葉を額面通りに受け止めるのであれば、天使子の中のが、目の前にいる相川奏太という男の子である、ということだが……。


 ポカンとだらしなく口を開け、ぼけっと奏太を眺める小夢は、不意にハッと意識を取り戻してブンブンと首を振った。


「いやっ、いやいやいや! そんな訳……っ、え、ええっ? 相川くんがブイチューバーのことを知っているのは分かったけど、えっと、いや、そんな急にウソをつかれても……」


 一体どうしたらいいのか分からず、困惑する小夢。


 小夢は天使子のファンの一人である。天使子が定期的にアップロードする動画や、不定期に行われる生配信は、純粋に楽しめる上、小夢がブイチューバーとして振舞う上でとても参考になるので、欠かさずチェックしている。


 何より天使子は、小夢がブイチューバーを始めるキッカケになった大きな一つの要因である。


 そんな昔から見ている天使子の姿が、小夢の脳裏に思い浮かぶ。



『はいはーい! ゲームと漫画が大好きすぎて天界から落とされちゃったキュートな天使っ、慈愛じあい天使子てんしこですっ! みんな今日も見に来てくれてありがとう!』


『うへへ、わたしかわいいでしょっ? へっへっへっ』


『あっちゃ~、失敗しちゃった。なんか恥ずかしい……な/// えへへ』


『ちょっと! もーっ! 恥ずかしいコメント禁止ぃ! ど、どういう反応したらいいか分からない、でしょ……/// もう』


『本当にありがとう!  お友達のみんなのお陰で、わたし、毎日がほんっとーにっ、楽しいよ! これからもよろしくね!』



 小夢の頭の中に現れる天使子。かわいいものが好きで、自分をかわいく見せたがるけど、ちょっと天然で、ドジで嫌味が無く、そういう自分の本当のかわいさには気づいていない、言動の端々にオタク趣味の垣間見えるファン想いの〝天使〟。

 それがブイチューバーの慈愛天使子という存在だ。まるで狙いすましたかのように一部の人々の性癖に突き刺さる——神が生み出した奇跡の存在とまで呼ばれている。


 改めて、小夢は目の前の奏太と、頭の中で無邪気にはしゃぎ回る天使子を見比べる。


「……」


 ——いやっ! いやいやっ! ないない! ないないないないないないないっ! あり得ないよ! 


 どんなに思考を巡らせても、奏太と天使子の共通点が一つも見つからない。まだ奏太が『実は僕、正体を隠して悪と戦う闇のヒーローなんだ。だから君の想いには応えられない。ごめん』と言ってくれた方が信じられる。そのレベルだ。


 自分の勝手な妄想で奏太にフラれて微妙にダメージを受けている小夢を見て、奏太は「うーん」と考え込むように顎に指を添える。すると、何かを思い付いたようにポンと手を打った。


 そして小夢に少し顔を近づけると、言った。


「根上さん、ちょっと目を閉じて貰っていい?」


「——っ! は、はひっ」


 想い人の顔が不意に接近して、余計な思考が吹き飛んだ小夢は言われるままにギュッと瞼を閉じて、バクバクと煩い自分の鼓動を感じながら、次に起こる『何か』を待ち構える。


 奏太の口元が自分の頬に寄せられた気配を感じて、小夢の緊張がマックスに至る。


 ——やばい、やばいやばいやばいどうしよう!


「————っっっッ!」



「——小夢ちゃん、わたしのこと知ってくれてるんだねっ。すっごく嬉しい! いつもありがとう!」



「え?」


 耳元で聞きなれた天使子の声がして、小夢はパッと目を開ける。


 今、確かに天使子の声が聞こえた。普段は画面越しにしか見ることのない慈愛天使子というバーチャルな存在を、すぐ側に感じた。


 だが、目の前を見ても、そこにいるのは薄い笑みを湛えている奏太だけで、どこにも天使子の姿は見当たらない。


「……あれ?」


 おかしい。確かに今、天使子がリアルに——。


「もしかして……、今の声、相川くん……?」


 恐る恐る、目の前の奏太を見て、小夢が尋ねかける。


「うん、そう」


 当たり前のように頷いた奏太を見て、小夢に雷が落ちたような衝撃が走る。


「ほっ、ほっ、ほほ、ホントにっ、天使子ちゃんが、相川くんなのっ!?」


 未だに信じられないという思いで、小夢が叫ぶ。


「いや、それは違う」


「……?」


 今度はアッサリ否定する奏太に、小夢は訳が分からなくなった。一気に得た情報が混雑して頭がパンクしそうである。


 奏太は混乱している小夢を見て、少し困ったように笑うと、もう一度自分を指差した。


「〝僕〟はブイチューバーの〝慈愛天使子〟じゃない。——あくまで〝僕〟は天使子の〝魂〟」


 同じことじゃないのか? と小夢は思った。だが、奏太の顔は真剣だ。今度は、奏太は小夢のことを指差す。


「そして、君が『小悪魔マクア』の〝魂〟。そうでしょ? 根上小夢さん」


 奏太はそう言って、真剣な表情をいつもの飄々としたものに戻すと、こう言った。


「それで、根上さんをここに呼んだ本題に入りたいんだけど、いいかな?」


「あ、うん、はい」


 奏太から発せられる言い知れないオーラなような何かに圧倒されて、小夢はただ頷くしかなかった。



◇◆◇◆



【魂】——ブイチューバーの〝中の人〟のこと。ブイチューバーの中の人に対する言及は、十分に留意して行われるのが一種のマナー。中の人を魂と呼ぶのは、その一環。



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