1.二人のVtuber


 ——〝バーチャルユーチューバー〟と呼ばれる存在がある。


 通称『Vtuberブイチューバー』と呼ばれるそれは、バーチャルにしてリアルな存在として活躍する次世代のパーソナリティである。


 世界的にも人気な『ユーチューブ』という動画投稿サイトに、面白く楽しいバラエティ動画や為になる内容の動画をアップロードして、広告収入を得るユーチューバーという職業が日本で広く認知され始めてから数年、頭に『空想バーチャル』という言葉を付けてそれは誕生——、2017年冬ごろの台頭を期に、瞬く間に〝ブイチューバー〟は日本のオタク文化に浸透した。


 まるで二次元キャラクターのような魅力的な肉体モデルを持つ彼ら彼女ら(人間じゃない者も多数、幽霊とか、吸血鬼とか、ゾンビとか、悪魔とか、ロボットとか、ネコとか、犬とか、カエルとか、魔王とか、馬とか、イルカとか、よく分からないものとか)は、さながらアニメや漫画のキャラクターなどの〝空想バーチャル〟な存在が意思を持って〝現実リアル〟の世界にやってきたようで、人気が出ない筈がなかった。


 『ブイチューバー』という概念を、誰かに説明するのはとても難しい。いくつか簡単に例を挙げて説明すると、某ネズミーランド内に現れ、子供たちを笑顔にする〝キャラクター〟たち、スーパーの屋上で子供たちを熱狂させる戦隊ヒーローショーの〝ヒーロー〟や〝悪の怪人〟、過去にお茶の間を沸かせた喋る梨の妖精などの〝ゆるキャラ〟たちが、近しい存在かも知れない。


 夢のある存在。

 そこには『空想バーチャルの夢』が、確かに現実リアルとして存在していて、いわゆる『中の人』に言及するのは御法度。そういうものだ。

 遊園地でキグルミのキャラクターたちと触れ合って楽しむ人達に、わざわざ「でも中にはオッサンが入ってるんでしょ?」と言う人は、〝空気が読めない〟と言われるだけである。要するにそんな感じで、〝ブイチューバー〟にはそれらに命を吹き込む中の人がいる訳だ。


 ブイチューバーの基本的な活動は元来のユーチューバーと似たようなもので、動画を出したり、生配信をしたり、その他色々。

 バーチャルユーチューバーとは言うものの、ユーチューブ以外の場所で活躍する者たちも少なくない。近年では生配信を中心に活動しているブイチューバーが多い印象を受ける。


 根上ねがみ小夢こゆめもまた、生配信を中心に活動しているブイチューバーの一人だ。現在、小夢が持つユーチューブチャンネル『小悪魔マクアの作戦会議室』の登録者数は、1146人。地球を支配しに魔界からやって来た『美少女小悪魔のマクア』。それが、小夢が中の人として中に入っている〝ブイチューバー〟である。


 小夢マクアは毎週金曜日の夜に定期的な配信活動を行っている。マクアの毎週の生配信には平均して150人くらいが見に来てくれている。

 ブイチューバーの中には10万人、50万人、100万人、一番多い者だと優に300万人を超えるチャンネル登録者を持つ者がいたり、生配信に当たり前のように5、6万人を超える視聴者を集める者もいるため、一見小夢のチャンネル登録者数1146人、生配信の視聴者数150人はショボく映りがちだが、これは凄い事だ。だって、150人と言えば、小夢が通う高校の一クラス30人の五倍だし、1146人と言えば、大体小夢が通う高校の全校生徒より少し多いくらいである。


 それだけの人たちが、小夢に興味を持ってくれている。これは本当に凄い事だと小夢は思う。


 小夢マクアの基本的な活動は、生配信に来てくれている人たちが打ち込むコメントと相談しながら、ゲーム配信をやったり、ファンの人たちのリクエストに応えてアカペラで歌を歌ったり、いくつかトークテーマを募集して雑談したり、リアルタイムでイラスト描いたり、ツイッターでファンの人たちと交流したりと、そんな感じである。金曜日は仕事があるから、生配信は見れないけれど、アーカイブ(生配信を録画したもの)を見て感想をくれる人もいる。


 本当に一部のトッププロブイチューバーは、派手な企画配信を行ったり、現地のイベント会場を借りてリアルのアーティストやアイドルに勝るとも劣らないライブを行ったり、ネットラジオに出演したり、中には地上波テレビ番組のレギュラーとして活躍しているブイチューバーも居るのだが(ここまでくると〝ブイチューバー〟というより〝バーチャルタレント〟と言った方が良いかもしれない)、小夢はそういう派手なことはしないし、できないし、やろうとも思わない。


 そもそも小夢はプロではない。ブイチューバーの中にはプロとして活躍し、それで生計を立てている者もいるが、そんな人たちは本当にごくごく一部。小夢はこうしてファンの人たちと交流しながら、のんびりと楽しく配信して、少しずつ増えていくファンの人たちを眺めてニヤニヤしているだけで、十分すぎるほど幸せなのだ。そう、幸せなのだ。


 だが、そんな小夢にも最近悩みが出来てしまった。


 小夢には二つ歳上の兄がいるのだが、そんな兄が受験に失敗し、現在浪人中なのである。


 しかし、問題はそこではなく、三週間ほど前、小夢は両親のとある会話を聞いてしまったのだ。その内容は、兄が予備校に通うための費用についてだった。予想以上に兄の予備校代がかさんでいるらしく、このまま大学に進学した後の学費も考えると、お金が心もとないという世知辛い話だ。


 ——が、これも小夢の悩みという訳ではなく、本当の問題はその後。


 少し話が戻るが、ユーチューブの生配信には、『スーパーチャット』なる機能がある。『投げ銭』ともいわれ、要するにおひねりのことで、生配信の視聴者は、生々しい話だが配信を行っている者に現金を送ることが出来る。ブイチューバーを職業として活動している者たちにとっては、これも重要な収入源の一つだ。


 小夢もまたチャンネル登録者が1000を超えた所で、そのスーパーチャットを受け取ることが可能になったのだが、あくまで趣味として活動している訳だから、あえてそれを受け取る設定を付けはしなかった(配信者が望まない限り、スーパーチャットは送れない)。

 しかし、両親のお金の事情を聴いてしまい、ブイチューバーとして活動するための維持費もかかるので、少しでも足しになればと、小夢は気楽な気持ちでそのスーパーチャットを受け取ることにしたのだった。


 実は以前から、ファンの人たちに『スーパーチャットは付けないの?』とか、『いつも楽しませてもらってるから、マクアちゃんにはお礼したい。お金投げさせて』とか、『マクアちゃんシャンプー何使ってるの?』などと言われていたのだが、そんなコメントにお礼を言いつつも、なんとなく誤魔化して、話を曖昧にしていたのだ。


 せっかくだから、ありがたく受け取らせてもらおうと、小夢は生配信で、視聴者がスーパーチャットを送ることができるように設定した。あくまで気楽な気持ちだった。

 それが二週間前の金曜日のこと。


 そして、その日の夜、マクアの雑談配信では、スーパーチャットを送れるようになったということで、いつも配信を見に来てくれているファンの人たちから、目が飛び出るほどの金額のお金をもらってしまった。まさか自分にそこまでの大金は飛んでこないだろうと思っていたのだが、小夢の想像を超えて、たくさんの人がスパチャ(スーパーチャットの略)を投げまくった。


 そのことに小夢はうろたえて、動揺して、「む、無理しないでくださいね」と制止をかけたのだったが、するとファンの人たちは『今まで送れなかったんだから、今日は特別』だとか、『スパチャ解禁記念』とか、『シャンプー何使ってるの?』とか、『無理してないよ、マクアちゃん可愛い』とか、『手が滑った』とか、そんな言葉と共に、さらにたくさんのお金が飛んできた。金銭感覚が歪みそうだった。


 だが、今まで一年近く配信をやってきたことに対する全てへの、ファンの人たちのお礼の気持ちだと思えば、嬉しくもあった。それを感じたキッカケが現金と言うのも、なんだか生々しい話だが……。それに、これで少しは両親の助けになるかなとも思って安心した。


 そうして、ファンの人たちに精一杯お礼を言って、その日の配信を終わろうとした時だ。


 ——事件は起こった。


 いつものように『おつマクア~』とお決まりの終わりの挨拶を、ファンの人たちと交わし合って、配信を切る間際、



 sota:『¥50000』

 sota2nd:『¥50000』

 sota3rd:『¥50000』

 sota4th:『¥50000』

 sota5th:『¥50000』

 sota6th:『¥50000』

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 sota17th:『¥50000』

 sota18th:『¥50000』

 sota19th:『¥50000』

 sota20th:『¥50000』



 『¥50000』というスーパーチャットが、連続で20個投下されたのだった。


 五万円というのは、スーパーチャットで一度に送れる最大の金額であり、それが連続で20個も無言で送られてきた。それも、今まで見たこともない『sota』という名前の人物から。

 さらに言うなら——小夢は知らなかったことであるが——、本来一つのアカウントに付き一度に送れるスパチャは一日で五万円が限界なのだが、この『sota』なる人物はわざわざアカウントを20個も用意して送って来たのだ。


 小夢はいつも配信にチャットを送ってくれたり、動画やアーカイブに感想コメントをくれたり、ツイッターで感想を呟いてくれたり、ファンアート(マクアをモデルにしたイラスト等)をつくってくれているファンの人の名前は、ほとんど覚えているつもりなのだが、初めて見る名前だった。


 最初は見間違えかと思った。しかし、後に改めて確認しても、それは間違いなかった。


 五万×20=百万円。


 他の人たちからも、驚くほどの大金をもらってしまったが、その比ではない。それもたった一人からの金額だ。


 そうして、根上ねがみ小夢こゆめこと——『小悪魔マクア』の悪魔らしからぬ凍り付いた笑顔を最後に、その日の配信は終わった。


 その配信後、ツイッターでは怒涛の無言五万円赤スパチャの送信と、それを見て凍り付くマクアの笑顔を残して配信が切れるというシーンを切り抜いた動画が物凄い勢いで拡散リツイートされ、〝話題になったバズった〟。


 マクアのユーチューブチャンネル登録者数と、ツイッターのフォロワー数がどんどんと伸び、一週間後の金曜日にはチャンネル登録者が約四〇〇〇人。元々八〇〇人くらいだったツイッターのフォロワーは、六〇〇〇人くらいになっていた。

 ツイッターなどでバズり、視聴者が一気に増えるというのは、このネットの社会では珍しい事じゃない。


 そんな状況で、次の金曜日、一気に増えたリスナーを前にして、緊張と動揺でガタガタになった小夢マクアの配信が始まった。視聴者数は歴代で最高の約2000人で、リアルタイムでリスナーから送られてくるコメントのスピードもいつもより速く、目が回りそうだった。


 『初見です』『ツイッターでバズってたので』『初めて見るけどかわいい』等のコメントが散見された。

 だが、そんな中にもいつも見に来てくれているファンの人たちのコメントがあった。『緊張しないで』『いつも通りで大丈夫』『初見さんようこそ』『緊張してるマクアちゃんもかわいいなぁ』『シャンプー何使ってるの?』など。そんなコメントのおかげで、どうにか落ち着いたマクアは、なんとかいつものように生配信を行った。


 その日の配信が集中力を要するゲーム配信だったこともあって、沢山の人に見られているという緊張感も薄れ、なんとか平常心を保って最後まで配信を続けることが出来た。初見の人たちも、そこまでゲームが上手くないマクアの配信を温かく見守ってくれたようで安心した。


 そして、初見の人たちに見に来てくれてありがとうなどのお礼を言って『おつマクア』と配信を締めようとした時——、またも『sota』から無言5万円赤スパチャの連投が始まって、コメント欄が大騒ぎになり、動揺したマクアが「うっ」と顔を青くして、オロオロと吐く《リバース》するという衝撃の放送事故を最後に配信が切れたのだった。

 その日に『sota』から送られた五万スパチャの数は30だった。


 その後、無言赤スパチャの連投を見て動揺と緊張のあまり嘔吐するマクアの切り抜きがツイッターやニコニコ動画にアップロードされ、盛大にバズった。


 怒涛の無言赤スパチャを放つ『sota』という人物に関しても、ネット上で、


『頭おかしい』

『悪魔に惚れた石油王』

『頭おかしい』

『頭おかしい資産家』

『ソウタ……尊敬するよ……』

『伝説のアホ』

『早まるな』

『無理するより長く視聴する方が大事だぞ』

『正直尊敬する』

『ソウタを越える人は今後現れないだろう……』

『金寄越せ』


 など、そんな感想と共に一部で話題になっていたのだが、誰もその正体を掴めないでいた。


 ——それこそが、今抱えている小夢の悩みであった。


 いくらなんでも、こんな大金は受け取れない。小夢はそんな高尚な活動を行っている訳ではないのだ。それに、純粋に怖かった。小夢はとりあえずスーパーチャットの設定を切って、次の金曜日の配信は休むことにした。


 そんな小夢が、同じクラスで隣の席の男子の名前が『ソウタ』で、〝偶然にも〟『sota』と一致していることに気付いたのが、配信を休んだ金曜日、その週明けの月曜日であった。


 ——いや……。まさかそんな訳ないよね。あははは……。ソウタなんて特別珍しい名前でもないし……。奏太そうたくんが、そんな、まさか。


 月曜日、授業中、隣の席の相川あいかわ奏太そうたをチラチラ見ながら、小夢はふるふると頭を振る。そんな偶然ある訳がない。第一、ただの高校生があんな大金を持っている訳ないのだ。ないない。


 現在、そんな大金を持ってしまっている自分自身のことは脇に置いて、小夢はそう思った。


 そんな小夢の視線に気づいたように、奏太が小夢のことを見返した。

 奏太が不思議そうに小夢を見て首を傾げ、小夢は慌てたように視線を逸らす。その顔は、赤い。鼓動が早くなる。何を隠そうこの奏太という少年に、小夢は密かに想いを寄せていた。


 奏太は特に目立つ男子という訳でもなく、イケメンという訳でも、勉強やスポーツが出来る訳でもない、それでも基本的に真面目で、先生や友達から頼み事をされても嫌な顔せず付き合ってあげているのをよく見かける。

 かといって流されやすいという訳でもなさそうで、チャラチャラした男子が苦手な小夢にとってはかなり好印象だった。なにより、一年くらい前、偶然見られた小夢の絵をとてもかわいいと褒められたのが大きかった。


 小夢は昔からかわいい絵を描くのが好きで、マクアのキャラクターデザインも自分で行った(現在使用しているマクアの2Dモデルなどは、自分で作った訳じゃないが)。

 自分を可愛いと褒められるのではなく、自分の描いた絵を褒められて惚れてしまうというあたりに、根上小夢という少女の性格が出ている。


 気付いたら奏太のことが視界から外れなくなって、奏太のことをよく考えるようになっていた。この前の席替えで隣同士の席になれた時は、家に帰って歓喜したものである。その日はちょうど金曜日のマクアの配信の日で、機嫌がいいねとファンの人にもチャットで言われた。


 流石に好きな人と席が隣になったから、とは言えなかったが。




 顔を赤くして伏せてしまった隣の席の小夢のことを不思議そうに見てから、相川奏太は授業をしている先生の方へ視線を戻した。


 しかし、そんな彼の頭の中は、授業とは別のことでいっぱいだった。


 奏太は次の企画は何にしようかと、色々なアイデアを巡らせる。


 ——相川あいかわ奏太そうたは、バーチャルユーチューバーである。


 ブイチューバーの代表格の一人として、動画と生配信を中心に活動しており、現在奏太のユーチューブチャンネル『天使子channel』の登録者数は約〝260万〟人。


 ツイッターのフォロワーは約248万人。

 日本のオタク文化にハマって天界を追い出された美少女天使——慈愛じあい天使子てんしこ

 それが、奏太が〝中の人〟として中に入っている『ブイチューバー』である。


 『ミリオンスカイ』というれっきとした一企業に所属しており、そこのサポートを受けながら、基本的には短めの動画を作って週に一~三個ほどのペースで投稿。

 また、二週間に一度ほどの間隔(土曜日か日曜の夜であることが多い)で生配信を行っている。


 『ミリオンスカイ』は、ブイチューバーのプロデュースやサポートを主な活動としている企業で、天使子の他にも多くのブイチューバーが所属しており、人気を集めている。

 天使子の人気は今や総数四万を超えたブイチューバーの中でも、最上位に位置する。


 そんな慈愛じあい天使子てんしこの魂——相川奏太には、〝し〟がいる。

 奏太の推しは、『小悪魔マクア』という『小悪魔マクアの作戦会議室』チャンネルで活動しているブイチューバーだ。


 毎週の金曜日の配信はかかさずリアタイ(リアルタイム視聴)しているのだが、三日前の金曜日は珍しくマクアの配信がなかった。理由は何となく分かっている。



 奏太は神妙な表情を浮かべながら、隣の席で顔を真っ赤にしながら俯いている小夢のことを、ジッと見つめていた。



◇◆◇◆



【ブイチューバー】——バーチャルユーチューバーの略。バーチャルな肉体にリアルの魂を持つ次世代の存在。その名の通りユーチューブで活動する者も多いが、それ以外の場所で活躍する者もいる。ゲーム実況や雑談、イラスト作成やモデリング、歌に演奏にダンスに、漫才、ラジオやテレビ出演、映画の主演など、活動の幅は広い。


【スパチャ】——スーパーチャットの略。ユーチューブで生配信やプレミア公開を行っている投稿者に対して、お金を送ることができるシステム。一度に送れる最高金額は五万円。一つのアカウントが一日に送れる限度額も五万円。手数料には注意。


【バズる】——SNSを介して口コミで話題になること。その情報が一気に広まること。


【推し】——一推しで応援しているアイドルや、キャラクー、芸能人などのことを指す。要するに特別に大好きな相手。


【リアタイ】——リアルタイム視聴の略。配信をリアルタイムで視聴する時に使う。


【アーカイブ】——その配信の内容を録画したもののこと。


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