第3話 事件

 家に近づくと、家の前に警備会社の車が止まっていた。玄関のドアも半開きになっている。車中で無線報告をしていた警備員が、真希に気が付き、慌てて車から降りてきた。彼は彼女を真希と確認すると、事の経緯を説明した。警備員の話では、今日の午前中、通常、警備システムの電源がオフになる時間帯ではないにも拘らず、オフとなっていたので不審に思い、駆け付けてみると、空き巣に入られたとのことだった。すぐに警察に連絡を入れたので、一緒に立ち会ってほしいとのことであった。

 突然のことで、真希はどうしていいか分からず、ええ、ええと言うことしかできなかった。ちょうどその時スマホが鳴った。それは由衣からのものだった。

「もしもし真希ちゃん、ちょっと言い忘れたことがあって電話したんだけど……、ちょっと大丈夫? 何かあったの」

 真希の声が泣き混じりだったので、由衣は必死に呼びかけたが「家が、家が……」とか細い声で繰り返すだけの真希に、彼女はすぐそちらに行くからと告げた。

 ものの十分も経たぬうちに、由衣は真希の元に現れた。真希は彼女の顔を見ると、たまらず泣きじゃくった。もうその時は警察も駆けつけていて、あたりは物々しい雰囲気に包まれていた。由衣はとりあえず真希をなだめ、警備会社の車の後部座席に座らせた。

「真希ちゃん大丈夫だから、落ち着いてね。私、警察の人に話を聞いてくるから」

 まだしゃくりあげている真希だった。見かねた警備員の一人が、持参のポットから熱いコーヒーをカップに注ぎ、黙って真希に差しだした。ローストしたコーヒーの香ばしい香りが車中を満たした。それは、真希に父が良く飲んでいたコーヒーの香りを思い起こさせ、心を落ち着かせた。コーヒーを口にしながら、真希は由衣の姿を追った。

 由衣は、先ほどまで真希に付いていた若い婦警と話していたが、そこへ担当刑事だろうか、短髪の壮年男性が小走りで駆けよってきた。そして由衣に短く敬礼をし、彼女もそれに返礼した。しばらくの間、二人は身を寄せて話し込んでいたが、話が付いたようで、男は再び軽く敬礼すると現場に戻っていった。戻ってきた由衣は、ドア越しに真希に話し掛けた。

「担当刑事さんに、だいたいのことは説明したわ。この後、現場検証に協力しないといけないんだけど、真希ちゃん大丈夫? 真希ちゃんが大丈夫になるまで待てるけど」

「もう大丈夫です。私も何が盗られたのか心配だから、すぐにでも立ち会いたいです」

 じゃあ行きましょうか、と由衣はドアを開けて真希を現場までエスコートした。

 やはり真希の家は、空き巣に入られていた。センサーの付いていない、キッチンの小窓をカッターで破り、そこから近いコンセントを利用して、家の電気回路をショートさせ、システムを無効にしていたようだ。警備会社のセキュリティーシステムをかいくぐる手口が巧妙で、プロ、それも高度な技術を持つ者の仕業であることが窺えた。しかし不思議なことに、一階は全く荒らされた形跡が認められず、引出に入れてあった現金も手つかずであり、何も取られたものどころか、探った様子もなかった。二階もほぼ同じ状態であったが、真希の部屋だけは違っていた。机の引き出しから衣装ケースや整理箱まで箱という箱のすべてがぶちまけられ、ひどいありさまだった。

「これはひどい。真希ちゃん大丈夫」

 心配して声を掛けた由衣だったが、真希の顔はみるみる真っ赤になり、今にも怒りが爆発しそうな感じだった。

 無理もない、と由衣は真希の心中を思いやった。自分の下着や衣類など、少女として人に見られたくないものが、白日の下に晒されていて、あまつさえ現場検証の写真まで撮られているのだから。

 真希は、自分の部屋の惨状を見て、恥ずかしさと怒りが込み上げていた。

 ――絶対犯人を許さないから。

 手を握り締め、歯を食いしばる真希を見て、由衣は後ろから肩を優しく抱いた。

「取られたものがないか、手早く検証を済ませましょう」

 検証は二時間ほど掛かって、やっと終わった。だが取られたものはなかった。また侵入者のものと思しき指紋も検出されなかった。

 まったくもって犯人は何を狙って侵入したのか、皆目分からなかった。今のところ小窓の破損以外、被害がないということで、被害届は父が戻り次第提出するということになり、警察は引き上げた。

 玄関先で、関係者の姿が見えなくなるまで見送っていた真希と由衣は、それが終わると、ほっとした表情で顔を見かわした。

「由衣さん、ありがとうございました。何から何までお世話になって。由衣さんが来てくれなかったら……」

「いいのよ、お礼なんか。当たり前のことをしただけだから。それより大丈夫? 今晩は私のうちに泊まる? 遠慮しなくてもいいのよ」

「ええ、ありがとうございます。でも警備保障の契約に何かあった時のためのホテルの手配が付いてますから大丈夫です」真希は深々と頭を下げた。

「そう、分かったわ。何かあったらすぐ電話してね。すぐ飛んでくるから」そう言って由衣は微笑んだ。

 その夜、手配されたホテルの慣れないベッドに横になった真希は、なかなか寝付けなかった。警備会社の話では、この前の裏の窓ガラスが割られた件は、たぶん今回の下見で、セキュリティーの程度を探るのが目的だったのではないか、ということだった。そこまで念入りに準備しながら、何も盗らずに去っていった犯人。いったい犯人の狙いは何だったんだろう。考えれば考えるほど、謎が深まっていった。考えることに疲れた真希は、父が送ってくれた例の石を取り出してぼんやり眺めた。その石はいつもお守り袋に入れて持ち歩いていた。その石を持っていると、父が傍にいてくれているような気がして、心が落ち着くからだ。

 ――今、お父さんと繋がっているのは、この石だけ。あれ? 由衣さんがレストランで言ってた送られてきたもの、というのはこれのことかな? なぜあんなことを聞いたんだろう。まさか犯人が狙っていたのもこの石? だったらこれはなんなの? お父さん教えて。

 涙が真希の頬を伝って、枕に落ちた。

 次の日、真希は昨日のこともあり学校を休むことにした。午前中の早い時間に警備会社の人たちが来て、小窓の修理に立ち会ってくれ、そしてその窓にもセンサーを付けてくれた。これで今回と同じ手口では侵入できないから安心して、と警備会社の人は言ったが、真希の不安が消えることはなかった。何も盗ってない犯人が満足しているはずもなく、なにより何を狙っているのか分からないという点が不安であった。

 ――もし、この石が狙いだったら、次に狙われるの私かもしれない。

 そう考えると、不安がさらに増した。真希の心に、先日の由衣の言葉――私のうちに泊まる? ――が浮かんできた。真希はスマホを取り出し、由衣の電話番号を呼び出した。

 真希は、由衣とこの前のファミリーレストランで待ち合わせをすることにした。由衣は家まで迎えに行くと言ったのだが、真希はそこまでしてもらう訳にはいかないと断ったのだ。

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