「それは、魔法を使わない魔法であった」

 港町センケーゲの波止場に泊まる美しき白い船、白波丸アビヤドマウジュ。その船長室にて、ついに俺は、俺たちは……素顔を明かすことにした。


 なんとクソエルフと繋がっているという、この街の裏の顔役ホンゴ。ヤツに立ち向かうために……誤解されることを恐れずに本心を話してくれた、マルバックツェ共和国のお姫様の誠意に応えるためだ。


 それなら……姫様たちがその気なら。


「俺もそのつもりだ。だから……共闘するために、手を取り合って戦うために、俺のほうも姫様と同じように、ありのままの誠意を見せたいと思う」


「誠意……とは?」


「俺たちの、本当の姿を見せてやる」


「にゃ!?」


 俺の隣から、ケットシー族のダチ、マヌーの叫ぶ声が聞こえた。ブが装備した革鎧の覗き穴から、見開いた猫目が見える。うん、ただ驚いただけのようだ。やめろ、とまでは言ってないことに一安心だぜ。


「フレーメ、立て。変装を解け!」



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「それは、魔法を使わない魔法であった」


 それほど遠くない、未来において。


 美しく成長したマルバックツェ共和国第三王女マルマリス・ボズブルン・ソルタナバードは、その手記にそのときの驚きをこうしるした。


「幻影魔法を破る魔道具は確かに働いていた。幼き私と我が友ツォーネは、露わになったネズミ大王ラッテン・クーニッヒ陛下の側近たちの正体に心底驚愕した。ただでさえ異形であった探索者たちが、さらなる異形へと変貌する瞬間であった」


 小さき者クラインは、彼が言うところの異世界チキュウにおける「ちゃちな変装コスプレ」が、ナッハグルヘンではまるで違う受け止められかたをすることに気付いていなかった。


 もちろん、この世界ナッハグルヘンでも。


 庶民は、貴族や商売女や俳優がする化粧の知識は持ってはいた。優れた戦士ならば、作戦として偽りの見かけがあることを知ってはいた。また賢き者は、裏通りを歩く者が目立たぬ装いをするときがあることを判ってはいた。


 しかし。


 舞台でも戦場でもない場所で、間者でも俳優でもない者が、実用的な装備も幻影魔法も使わずに、ただ工夫と簡素な衣装だけで物語の登場人物のような姿を演じる……そんな技を誰も知らなかった。


 小さき者クラインが前世ニホンで知っていた、「こすぷれ」という見栄え優先の装いに「らいおん大帝」の舞台衣装のような仕掛けを加えたは、ナッハグルヘンでは異端すぎる発想だった。


 誰もできなかった、訳ではない。

 誰も思いつかなかった、のだ。


 やがて「べすとせらー」となった第三王女の手記によって、大衆は「こすぷれ」の概念を知ることになる。そして、魔法あるこの世界は、またひとつ滅亡への階段を上ることになるのだ。



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「ぷはーっ!」


 椅子の横に立ったフレーメは大きく息を吐き出しながら、まるで前世の変質者のように改造ローブの前を大きくはだけた。そこから現れたのはもちろん露わにしちゃイケナイものじゃなくて、汗ばんだ額に赤毛が張り付く美少女の顔だ。


「マヌー様のお腹、熱いよ~」


「知らんがにゃ。とおっ!」


 肩車されてたデカ猫マヌーが、赤毛娘の肩を蹴ってジャンプ、空中でくるくる回転して椅子にシュタッと降り立つ。なんかポーズ決めてない? せっかくのタイミングなのでカッコ良く紹介しておこう。


「ここに立つは大魔術師トマタの一番弟子、伝説のシャルル・ブーツを身につけし電光のケットシー族にして俺の友人、オルゲン一座のマヌーだ!」


「よろしくニャ」


 フレーメは何本もの留めベルトを外し、背負っていた骨組みごとローブを持ち上げ床に置いた。バニースーツを装備した小柄で細いけど爆乳の身体を伸ばすと、押さえられてたウサ耳がピンと立った。そしてアイドルみたいに手を振りやがった。


「こいつはこう見えて万能の特職娘、ときどき自分勝手が玉に傷、戦女神バルキリのフレーメだ」


「はぁーい」


 前から思ってたけど、時々ニヤリと笑うのは何なんだ。似合ってないぞ。


 この背負子しょいこ、前世で見たとある舞台の動画を思い出して参考にしたんだ。作り物の肩と上腕が、フレーメの肘から先の動きに連動するような仕組みを入れてる。身体強化呪文ゾンダー・クアパーを使わなくても済む強度と軽量化には苦労したよ。ハノーバの白い塔で案山子を作った経験が生きたね。手直しも入れて作るのに10分ぐらいかかったかな。


 あれっ?


 姫様たちの様子が……ぽかーんと口開けて、なんか驚きすぎじゃない? 猫顔の下に「中の人」がいるなんてバレバレだと思ってたけど。いや……こんなバカバカしいこと恥ずかし気もなく堂々とヤッたことに呆れてるんだな、きっと。


 はじぃよぉ。


「ええと……ガントレットと兜を取れ、ブ。座ったままでいい」


 俺の命令に素直に従い、白ゴブ娘は籠手ガントレットを両手から外し床に置いた。前もっての俺の指示どおり返事はしない。その白く細い手で戦女神バルキリの兜を脱ぐ。香水のCM動画のように(でも何もつけてなくてもイイ匂いするんだよな、こいつ)首を左右に振ると緑の髪と笹耳が艶やかに舞う。

 すると口元を覆っていた薄衣が細い首にまでズレて、白い頬に刻まれたカッコいい刺青が露わになった。一瞬うつむいたブの、緑色バイザーに隠されていた緑の瞳が、見あげた俺の目と会った。俺が頷くと、ブはピンク色の唇を引き締めて顔をあげた。


(はうっ……!)


 白ゴブ娘を見た姫様たちの声にならない声、息を呑む音が聞こえた。

 続いて。


「……くっ」


 おや、女騎士がなんか歯ぎしりしてこちらを睨みつけてる。ははーん、下賤げせんの者が……下賤オブ下賤のブが高貴な王族の御前に現れたのが気に入らないんだな。ツォーネ、お前って、そういうとこありそうだよな。ネズミのときの俺のことだって馬鹿にしたよな。まったく……お前の主人を見習えっての。ほら、姫様はただ驚いただけで、すぐ微笑んだぞ。


 胸元のアクセサリーを、握りしめながら。



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 知識として知っていただけで、マルマリス姫は今まで一度もブの実物を見たことがなかった。その長耳が、緑の髪と瞳が、ゴブリン族にあらざるニンゲン族の少女のような見かけが、組み合わさった侮蔑と差別の記号が目の前に現れたとき、彼女は自分でも驚いたことに、まるで嫌悪感を持たなかった。


 かつて。


 世間の常識に囚われず美しきハイエルフ様をただ美しいと見つめたその青い瞳には、ブもまた変わったよそおいの……少年のような声を持つ可愛らしい少女にしか見えなかった。


 だというのに。


 姫の肩に置かれたの女騎士の手には、わずかに緊張がこもっていた。側近のその顔を横目で見上げると、兜の面当てからのぞくその水色の両目から、下賤な者に侮られたという憤りが噴き出ているのがまる判りだった。


 いけない、ツォーネ。


 マルマリス姫の脳裏に護衛隊長への叱責が浮かんだが、とりあえずその言葉を飲み込んだ。後で言い聞かせよう。その憤りを感じる価値観こそが今の我らをさいなんでいることを……その物差しは我ら自身を切り刻むことを。


 屈辱の銭貨……自らの戒めとしてペンダントに加工した、船を売り渡した代金を握りしめながら、高貴なる姫はそう思った。


「それじゃ、俺をテーブルの上に出せ」


 ブの次の声が響いたとき、姫はみっつの意味で自分の耳を疑った。


 ひとつは先ほどの台詞もそうだったが、目の前の少女はまるで自分自身がそこにいないかのような物言いをしていたことだ。ふたつめは「テーブルの上に出せ」という言葉の意味がまるで判らなかったことだ。そしてみっつめは直前までネックガードと薄衣に遮られていた少女の唇が……


 のに発せられた声だったことだった。


 ガシャ!


 少女の両手が何かを抱くようにその革鎧の胸元に伸び、そこにあった蓋……重ね扉の蓋に指をかけると、音を立てて開いた。そこに有ったのは、いや、居たのは……


「あ、あ、あ、ああ……っ!」


 これ以上驚くことなどないだろうと頭の片隅で思っていた第三王女は、さらに驚愕の声をあげた。


 少女の胸に納められていたのは、妖精……いや、明らかに男の見かけだから、これは妖精ではなく、小さな……人形のように小さなニンゲン族の少年だ。


 長い黒髪を後ろで結い、だぶついた造りの簡素な服。王女の指と同じくらい細い手足。小さな少年は細い身体を躍らせて、ブの重ねられた両手のひらの上に飛び降りた。彼を載せたままその華奢な手はテーブルの中央へと伸び、卵を扱うかのように優しく少年を降ろした。


 テーブルに立った小さな少年はうやうやしく大げさなお辞儀をして、先ほどから探索者……ブのものだと思っていた声で挨拶した。


「いと気高きマルマリス姫に改めてご挨拶申し上げる。俺の名はクライン。生まれも知れぬ捨て子からゴブリン夫婦に拾われて成り上がりしはオルゲン一座のトップスター、ニンゲン族の小人、クラインだ」


 クラインが「ゴブリン」と行った時、ゴブリン族の忌み子であるブの身体がビクッと震えた。しかしその様子に気付く者はいなかった。


「そして、またの名を、妖精……」


 オルゴールの踊り子人形がごとく少年がくるくると回転すると、その身体から森蜻蛉とんぼに似た羽が伸び、白いドレスの裾が金粉を撒き散らして舞い広がった。なんということだろう。痩せぎすの小さな少年が一瞬のうちに、羽根のある小さな美少女に変身したのだ!


 そこに居たのは、まぎれもなく伝説の存在。魔境たる大森林の奥深くに住むという妖精に他ならなかった。もはや声をあげることさえできない姫たちに、ふわりと浮かび上がった妖精は腰に手を当てて堂々と言い放った。なぜかその顔は真っ赤に染まっていた。


「妖精、リーズィヒ。の名前は妖精のリーズィヒだ」


「……なんと! もしやドードー亭の妖精ショウというのは!?」


「それなら確かに、あたしが主役の舞台たぜ。さらに、あたしには別の姿と別の名前がある。その全部を明かすことはできないが、これだけは見せておこう。そう、あたしは実はすべてのネズミの王……」


「ひいっ」


「あ、ごめんごめんフレーメ。あっち向いてろ。耳もふさいでおけ」


「はいいぃっ」


「ええと、どこまでやったっけ。ああ、そうそう、すべてのネズミの王……」


「そこからかニャ」


「うるさい。ん、ゴホンゴホンっ。すべてのネズミの王……」


 妖精は軽業の体術使いのように空中で回転した。振り回された羽根と長い髪は、尻尾と大きな耳に変化した。そして、テーブルの上に着地したドクロの王冠を頂くその姿は確かに、マルマリス姫たちが絶望の牢屋で見た、あの……!


は、すべてのネズミの王……」


 シュタッ!


 突然、見覚えのある白ネズミが赤いマフラーをなびかせて、少年にして妖精であったネズミの前に降り立った。白ネズミことシロカゲは、誇らしげに前足でネズミの主人を差し示すと、朗々とネズミ声を張り上げた。


「そう。こちらにおわすお方こそ、恐れおおくもすべてのネズミの王、ネズミ大王ラッテンクーニッヒ陛下にあらせられるぞ。ええい、が高い。控えお」


 パシッ!


 ネズミ大王ラッテンクーニッヒは白ネズミの頭をはたいた。


「チュウッ!?」


「そーいうのいいから。それに誰でもネズミより頭が高くて当たり前だから。頼りたいときはまた呼ぶから、とりあえず下がってて」


「御意!」


 白ネズミは転移魔法を使ったかのように消え去った。



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 なんか締まらない自己紹介になっちゃったな~


 あっ、いけね。ブだけちゃんと紹介するの忘れてた。でも、差別用語を言って紹介するのもなあ。前々から考えてたけど、今回の件が落ち着いたら、教会行って洗礼名つけてやろう。それが正しいよな。課金だから。


 俺っちは素のに戻ると、また白ゴブ娘の胸元に戻った。テーブルの上で相手の顔を見上げながら話すと、首が疲れるんだもん。


 俺にとっては、誰もが巨人だ。


 胸鎧の扉は開いたままにしておこう。さて、これからが本当の話し合いだぜ!


「まず、姫様たちはプランA……じゃなかった、このまま船で逃げることは選択しないんだよな」


「過程はどうあれ正式な契約だ。そんなことをすれば王室ごと転覆する」


 ん、契約?

 そう言えば、さっき姫様が話してくれた契約の内容には、確か……

 ツォーネのヤツが口をはさんだ。


「そして、私と姫様はこう言われるだろう。契約書にサインするよりも先に……なぜ死を選ばなかったのか、と」


「そういう状況じゃなかったのにな。よく知りもしないでクソエルフみたいなクソ暴言をわめくヤツらはどこにでもいるさ。どこにでも」


 前世の地球にも、な。


「クライン殿……この船をホンゴに渡さないようにするすべは、あると思うか?」


「ムリなんじゃない?」


「そうか、クライン殿ほどの超常の存在でも無理か……」


 あっ、姫様たちがこの世の終わりみたいな顔してる。

 なんか、俺に期待しすぎてない?


 俺は身長18センチのニンゲンだぜ?


「これは俺の推測だけど、船を欲しがってるのは、ホンゴじゃなくてクソエルフのほうだと思う。この船って、あいつらが欲しがりそうなデザイ……意匠だもんな」


 俺がこの街に来たとき、てっきりエルフの船かと思ったくらいだ。だからこそクソエルフはホンゴの後ろ盾になったんだと思う。

 手に入らないと判ったらクソエルフは怒るよな~ そしたらやっぱり国ごと滅ぼされるかも知れないんだよな。


 やっぱり、ムリなものはムリ!


 そりゃあ、君らにとっては俺は不思議な存在かも知れないよ。俺自身が自分のことを不思議なヤツだって思ってるし。でも不思議な存在だからって、不思議なちからなんて……使えることは使えるけどほんの少しなんだよな。


 俺はクソエルフどもに一泡吹かせたことがあるけど、あれは相手が舐めプしてたからできたことなんだ。クソエルフはともかく、ホンゴはそうそう油断しないような気がするぜ。


「にゃるほど。そういうことなら理屈は通るニャ」


 今度はマヌーが口を挟んだ。


「おいらはちょっと妙な気がしてたニャ。なんでホンゴは手荒なまねを控えてたのか不思議だったんニャ」


「なにっ!? 私と姫様が拉致され、暴力で脅されて不当な契約を強いられたことが……手荒じゃないというのか!」


「ホンゴは、大勢で殴り込んでちからずくで船を奪うことができたニャ。あんたらを春瓜を割るみたいに慰みものにすることができたニャ」


 ガシャ!

 女騎士はガントレットの手を強く握りしめた。


「そんなこと、絶対やらせはしない!」


「そういうことニャ。正面から襲われたら、あんたらだって黙ってやられるままじゃないはずニャ」


「そうそう。そうなんだよな~ そうしたらこの船は戦場になるから、クソエルフに無傷の船を渡すことは難しくなるよな」


 さすがはダチ公。

 俺も感じてたことをまとめてくれたぜ!


「くっ……」


「ツォーネ、こらえるのだ」


「気の毒だけど船のことはスッパリ諦めて……んんっ? 待てよ、どうせ諦めなきゃいけないのなら……」


「クライン、また何か妙なこと思いついたのかにゃ?」


「まあな」


 すうっと息を吸って、俺は作戦を吐き出した。


「この船に、罠をしかけよう」


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