美しきハイエルフ様の美しき御名において

 ついに辿たどりついた。


 の大事な特職、ブとフレーメをさらったと思わしき賊……港町センケーゲの裏の顔役、ホンゴの屋敷に!


 庭園を走り、馬小屋の脇を通り、壁の割れ目を抜け、床下、天井裏を駆けて……

 俺っちたちネズミ軍団は爆走する!


 捜索ネズミたちの報告を受けたシロカゲが言うことにゃ、確かにこの屋敷に特職娘たちが……小ぎれいなローブを着た女と小ぎれいな鎧を身に着けた女が捕らえられているそうだ。このタイミングで目撃されたそんな組み合わせ、あのコたち以外にありえない。


 廊下の突き当り、開いた扉の先……


 地下へ降りる階段を見つけた!


「CHUUUuuu!」


「うわっ、ネズぅうぎやあぁぁぁ……」


 ゴロンゴロンゴロン……


 見張りらしき冒険者が階段を上ってきたが、天才ネズミの号令一下ごうれいいっかで飛び掛かったネズミの群れにパニックとなり、悲鳴を上げながら後ろ向きに階段を転げ落ちていった。


 見たか、数こそパワー!


 俺っちたちはそのまま地下へと突撃、むわっと怪しい異臭が立ち上るが、今の俺っちはネズミだから平気だぜ。階段を雪崩のように駆け下りたそこは…… 


 確かに地下牢だっ!


 鉄格子で仕切られた牢屋が家畜小屋のように並ぶ魔灯で照らされた回廊。その小部屋のひとつに、ふたりの人影がある! 俺っちは、倒れた冒険者の曲がった首にぴょんと飛び上がり、すっくと立ってヒゲをさらりとかき上げた。


「待たせたな。ご主人さまが助けに来てやったぜ……って……あれっ?」


 暗がりではっきりとは見えないけど、中にいたのは、ふたりのニンゲン族。整った顔を悲痛にゆがめて横たわる、中学生くらいの齢の美少女。上品なローブ……みたいなエキゾな感じのドレスを着てる。そして、体育座りの鎧……全身鎧フルアーマーを装備した女騎士……女だよな?


 確かに、小ぎれいなローブを着た女と小ぎれいな鎧を身に着けた女だけどさ、冒険者と同じくらいにお馬鹿なネズミじゃ見分けがつかないかも知れないけどさ……


 違ーうっ!


 あーっ!? 何が『待たせたな』だよ、『助けに来てやったぜ』だよ、俺っち言っちゃったよ、関係ないに他人に、えっらそうにカッコつけた台詞言っちゃったよぉ……


 ああ……


 はじぃよぉ!



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 ちからがどれほど強くとも。


 大事にしたいモノがある限り、卑怯者にはかなわない。卑怯者は必ずその大事なモノを人質にとるからだ。


 それは犯罪の世界に限ったことではない。ごく普通のヒトのごく普通の生活の中であってもその大事なモノ……使命感、誇り、願い、ときには卑怯者への愛情を、人質に取られて操られてしまうことは珍しくないことだ。


 そして、いつかは被害者からの復讐や社会からの裁きを受けるにしても、その場限りの勝利を卑怯者は得る。だからこそ卑怯者は人質を取ることを止めないのだ。まさしく卑怯者であるいう愚かさゆえに。


 女騎士ツォーネもまた、そのような卑怯者の犠牲になったひとりだった。


 彼女が妙に豪華な部屋で目覚めたとき、すでに身体は鉄鎖で拘束されていた。当然のごとく武器はなかった。全身鎧フルアーマーをまだ身に着けていた理由は、おそらく魔道具でもある鎧の脱がしかたが判らなかったからだろうと思われた。


 目の前には彼女のあるじ、マルマリス姫が椅子に縛られていた。その横に立つのは、ゴブリン族の見かけながらゴブリンとしてはありえない大男。彼は身なりが良く、白銀の首輪をつけていた。その首輪の意味を悟り、ツォーネは自分の顔から血の気が引くのが判った。男の背後には数人の冒険者らしき男たちが下卑た薄笑いを浮かべていた。


 ツォーネが目覚めたことに気付いた大男は大きく頷くと、その巨大な手でマルマリス王女の細く小さな手をとった……


「うぁーっ!?」

「やめろ!やめるんだっ!」

「姫様に手を出すな!」

「お前たちは何者だっ!」

「殺す、必ず殺してやる!」

「やめろ!」

「……やめてくれ」

「……頼む、何でもするから、やめ」

「傷つけるなら私を……」

「くっ、私を殺せ。殺して、くれ……」


 鉄鎖を激しく鳴らして女騎士が何か叫ぶたびに、姫の悲鳴と共に、その華奢な指がへし折られる音が響いた。小指から順番に。そして無傷の指が無くなると、大男は苦しむ王女の手に高価な回復薬ポーションをかけた。


 大男は沈黙したまま、それを繰り返した。

 特職が鞭を学ぶように、誇り高き騎士が沈黙を学ぶまで。


「…………」


 やがて王女の指のごとく、ツォーネの心も折れた。彼女がただ血涙を流しながら何も言わなくなると、大男は残りの回復薬ポーションをすべてマルマリスの手にかけ、おもむろに口を開いた。


「港町センケーゲにようこそ、マルバックツェ共和国のおかた。私の名はホンゴ。この街を仕切る者です。ああ、貴方がたのことは色々と調べさせていただきました」


「…………」


「実は、私は貴方がたと正当なる契約を結びたいと思い、そのための段取りを整えましてお招きした次第です」


「…………」


「マルマリス殿下、契約者としてこちらの書類にサインしていただけますか。そして騎士ツォーネ殿、貴方は証人欄にサインをお願いします」


 改ざん防止の魔法がかけられたその契約書の概略は、以下のようなものだった。



1、センケーゲの正当なる支配者ホンゴ(以下、こうとする)は、マルバックツェ共和国第三王女マルマリス・ボズブルン・ソルタナバード(以下、おつとする)と、美しきハイエルフ様の美しき御名みなにおいて以下の契約を締結する。


2、甲は別途定める対価を乙に契約時に支払うことにより、乙は乙が所有する帆船白波丸アビヤドマウジュ本体を、その乗組員と積荷を除き、甲に引き渡すものとする。


3、乙が白波丸アビヤドマウジュの正当なる唯一の所有者である事実は、乙および証人の署名によって完全に証明されたものとする。


4、契約締結日から三日以内に、乙は甲に白波丸アビヤドマウジュを契約締結時の状態を維持したまま引き渡すものとする。


5、引き渡しが行われない場合、その理由を問わず乙は甲に別途定める賠償金をただちに支払うものとする。同時に、乙および証人は美しきハイエルフ様の美しき審判を受けるものとする。



 それは恐るべき契約書だった。


 特に、美しきハイエルフ様が後ろ盾となる文言が入っているところが最悪だった。いかなる悪質な詐欺師であってもそんな無謀な契約書は作らない。美しきハイエルフ様は、美しきハイエルフ様の権威を利用しようとする愚か者を決して許さないからだ。


 白銀の首輪を与えた者を除いて。


 そして『別途定める対価』の金額は、屋台の串焼き1本も買えない金額だった。さらに『別途定める賠償金』の金額は、小国が買える金額だった。しかしその不自然な金額は、異世界ニホンの『いちえんらくさつ』や『だーくぱたーん』と同じように、この世界ナッハグルヘンにおいて不当な取引ではないとされていた。


 契約者たちの同意があれば。


 さらに、まるで笑えない冗談の締めのように。


 契約書の末尾には証人の署名欄がふたつ並んでいた。ひとつは空欄、もうひとつの欄にはセンケーゲにある共和国領事館、その総領事のサインと紋章印で埋まっていた。


 マルマリス姫とツォーネは、なすすべもなくその契約書にサインした。捕えられたのは夕方遅く。いまはまだ夕飯どき。異国の無力な女たちはたったの1刻半で堕とされてしまったのだった。


 もし、後にマルバックツェ共和国本国が異議をとなえたとしても、ホンゴが真実のあぎとを用いて反論すれば、それが自発的に行われた署名であることが証明されてしまうだろう。そして暴力の証拠はすでに回復薬ポーションによって消されてしまった。


 卑怯者はいつでも、誰かを脅すために高度な技術を用いることが上手なのだ。愚かであるがゆえに利口なのだ。いや、ためらいがない、と言うのが正しいだろう。


 異世界チキュウと同じように。


 サインを済ませた彼女たちは同じ牢屋に閉じ込められた。貞操や命を奪われない理由は、あくまで『契約』のていを装いたいからだと思われた。それがせめてもの慰めだった。


 なぜ同じ部屋に、とマルマリス姫の悲嘆で埋まる頭の片隅に疑問が湧いたが、面当てから覗くツォーネの目つきを見ればその答えはすぐ判った。


 別の部屋にすれば女騎士は自分の舌を噛むだろう、と。自害を禁ずる宗派であったとしても、あえて地獄に堕ちることを選ぶだろう、と。


 よろよろと牢屋の中でうずくまり、マルマリス姫は押し付けられた銅貨を握りしめた。それは見すぼらしい現実の象徴だった。


 物語ではなく、現実の。


 そう、物語だ。おてんば王女が居城を脱け出して冒険をする、それは吟遊詩人や歌劇の演目ではよくある物語だった。異世界チキュウでもありふれた筋書きだった。


 しかし。


 華やかな歌が紡ぎ出すありふれた物語は、そして少女の微笑ましい自由への憧れは、まだ痛む手の中にある冷たい硬貨と、等価だったのだ。


 そして、真夜中。


 こころ傷ついたふたりがいたわりあうことも眠ることもできずに迎えた、最も暗い、夜明け前のとき。


 ネズミの王がやってきた。



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 やっとの思いで助けに来て見れば、そこにいたのは別人だったよ。

 もう、まぎわらわしいなあ……

 かんべんしてくれよぉ、こっちは取り込みチューだってのに。

 そりゃ勝手に間違ったのは俺っちのほうだけどさ、ガッカリさせてくれたぶん何かムカつくぞ!


「喋る、ネズミ……? そなたは……悪魔か何かか?」


 美少女のほうが身体を起こして口を開いた。


「悪魔だと!? 失敬であろう! こちらにおわすお方こそネズミ大王ラッテンクーニッヒその人であらせられるぞ!」


 シロカゲが叫んだ。いや、ありがたいけど今はそーいうのいいから。


「まあ、そんなとこだ。あ、そうだ。お前ら知らないか? この屋敷に捕らえられてる……いや、捕らえられているかも知れない俺っちの仲間。お前らみたいに小ぎれいなローブと、小ぎれいな鎧を身に着けた、あー、ニンゲン族……の女の二人組だけど、見かけなかったか?」


「知ってるぞ!」


 鎧を着けたほうが、面当てを上げて叫んだ。こちらは大人の美女だ。なぜかドラッグでもキメたみたいに目がギラギラ光ってる。


「ホントか!」


 勢い込んだ俺っちに、鎧の美女は小声で答えた。


「……話すから、こっちへ来てくれ。情けないが、いま私は立てないし、大声を出すのも辛いんだ……」


 俺っちは鉄格子の間を駆け抜け、体育座りをしている女騎士(たぶん)の膝の上にぴょんと飛び乗った。見上げると、美女の口もとが笑ったように歪んだ……


 あっ、ヤバい!


 そう思ったのも、つかの間。女騎士の籠手ガンレットをつけた手がまるで達人が振る剣のように素早く動き、俺っちをガッシリつかんだではないか!


「チュウウウウウウッ!」


 俺っちは悲鳴をあげた。身をよじらせてシッポをうねうねと振っても、その鉄の指はビクともしない。あっ、しまった! 王冠……じゃなかったドクロの指輪を落っことした! くそっ、これじゃ目つぶし魔法アウゲンビンダーは使えない。変身……ダメだ、できる気がしない! くそっ! 前歯を立てても火花が散るばかりだっ!


 全身鎧フルアーマーの騎士は音もなく立ち上がり(立てなかったんじゃなかったのかよ)、俺っちを掴んだ手をシロカゲたちに向かって突き出して叫んだ!


「動くな!」


「きさま、我らが王に何をする!?」


「「「チュウチュウチュウ!!!」」」


 シロカゲとネズミ民たちが騒ぐ声に、美女の叫びが被さる……


「お前たちの王の命が惜しかったら……そこに落ちてるカギを拾って扉を開けろ! それから、それから、私たちが署名した契約書を探し出せ、ここに持ってこい!」


「……ツォーネ」


「姫様、これこそ輝きがくれた機会であります! こやつらは明らかに超常の者たち。それなりの知恵と不思議なちからを持っているはずです!」


「いけないツォーネ! たとえ相手がネズミでも……人質をとって脅したらあやつらと同じだ……恥を知るがよい!」


「えっ……」


 女騎士は身体を揺らし、尻餅をつくようにまた座り込んだ。指のちからが緩んだので、俺っちは抜け出した。そして慌てて指輪を拾い、転がるように牢屋の外へ走った!


 もう安心だ。ふう……


「私は、何てことを……」


 ツォーネと呼ばれた女の顔は、雨の中で蹴られた子犬のようにショボくれていた。


 叱られてやんの、ざまぁ!


「陛下、お知らせします」


「何だシロカゲ」


「いま、新たな報告が入りました……少々お待ちを」


 白い天才ネズミは遠い目をして何かをぶつぶつ呟いた。


「待て、しかして……」


 そして、俺っちにドヤ顔を(ネズミ顔だけど)向けた。


「ブとフレーメを見つけました。この屋敷の馬小屋に潜んでいます。しばらくは安全だと思います。今度こそ確かです!」


「でかした! よし、行くぞ!」


「ちょぉっと待ったー!」

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