巨人たちの宴

 港町センケーゲのサビれた居酒屋にて。

 ドードー亭のひとり息子アルシュとその母ベトさんに頼まれて、身長18センチのはフェアリーとして客寄せをすることになった。そして、首尾よく客を集めたは、二段重ねのテーブルという舞台で、息を整える。


 長時間の変身はデメリットがある、とは思っている。特に、変身という魔法の定番……元の姿に戻れなくなることが、ありうると思っている。現に、妖精形態フェアリー・モードの上位バージョン「真の妖精形態リアル・フェアリー・モード」では、変身解除後に男のシンボルが一時的に消滅した。


 ううっ……なんて恐ろしい!


 でも、それは覚悟しなきゃいけないリスクなんだ。もともと変身スキルってそういうものなんだから。


 もうすぐ。


 あたしにとっては巨人の男たちが、あたしにとっては体育館並みの広さの店を埋め尽くす。


 怖い、怖いよ。恥ずかしいよ。……だからこそ挑戦の価値がある。小さいが大きくなるためには、この程度は、ちょろっと軽く乗り越えなきゃいけないハードルなんだ。


 さあ、立ち上がれ。叫べ!

 恐怖を振り払って、とびっきり恥ずかしい覚悟の言葉を叫べ!


「イッツ、ショータイム!」


 もってくれよ、あたしのちんちん!



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「始まったようだぞ。はよはよ、妖精を見に行こう」


 ドードー亭の裏。


 物陰に潜む、ふたりのニンゲン族……そのうちのひとり、異国風ではあったが明らかに高貴な装いをした少女が呟いた。


「姫様、いいかげんになさい。みな、どれほど心配しているか……」


 かたわらにひざまずく従者が言った。たしなめる言葉は、輝く完全鎧フルアーマーの面当ての奥から響いていた。その声は成人女性のものだった。


 姫様、と従者に呼ばれた少女は食い下がった。


「妖精だけ、妖精だけひとめ見たら帰る。頼む、ツォーネ」


 ツォーネ、と主人に呼ばれた女騎士は、呆れたように兜を振った。


「妖精など……自分は、操り人形のような偽物だと思うであります」


「先ほど妖精の仲間らしき者が、ありえぬほどの浄化魔法クレンジングを使ったのを見ただろう? 仲間でさえ、それほどの魔法、魔道具を使う……私は本物だと思うのだ」


 騎士は磨かれたように光る自分の籠手ガントレットを見つめ、それから渋々と頷いた。


「……しょうがないでありますなあ」


 騎士は立ち上がった。その背丈は普通のニンゲン族よりも頭ひとつ高かった。なんとも不思議なことに、完全鎧フルアーマーはまったく音を立てなかった。


「姫様、店は混んでいるようであります。入る前に花香を焚きますよ」


 花香を焚く。それは高貴な者が、便所に行くことを表す隠語だった。もし小さき者クラインがその言葉を聴いたら、「ああ、花を摘みに行くってヤツね」と言ったかも知れない。


「判っている。私はもう子どもではない」


 いや、まだまだ子どもでありますよ、と女騎士ツォーネは思った。


+++++++++++++


 ぞろぞろとドードー亭に入って来た男たちが最初に見たものは……!


 いや、そうではない。

 魔灯を弱めた薄暗い店内に入って最初に聞いたものは……


 チャ……ピチャ……


 かすかに響く、水音だった。


 客たちは孤児たちに袖を引っ張られ、詰めて並べた丸椅子に座らせられた。そして注文の品を渡され、ひったくるようにリボンを取られた……しかし、ぞんざいな扱いをされたのにも関わらず、男たちは目を見開きながら店の奥を見つめた。


 店の奥。ふたつ重ねた丸テーブルの「舞台」。その一段目にはひとりのケットシー族が陣取り、うす暗い中に猫目を光らせている。その二段目のテーブルには、厚紙製らしき衝立ついたてがある。衝立は裏側から魔灯で照らされ、その向こうにいる者を影絵のようにぼんやりと映し出していた。


 羽根のあるほっそりとした人影が、水浴びしているかのような姿を!


「「「おっおっおっ……」」」


「シャー!」


 男たちの鼻息が荒くなってきたことに気付いたケットシー族が、威嚇の声をあげた。続いて、あの戦女神バルキリが店に飛び込んで来た。


「はいごめん、はいごめん」


 特職娘はそう言いながら、どさくさに紛れて尻を触ろうとする命知らずどもの手をはたきつつ、客たちの隙間をくぐり抜けて舞台にたどり着く。


「出番だよ!」


 赤毛娘はそう声を掛けながら、衝立の裏に手を伸ばし、そこにあったシチュー皿……妖精が水浴びしていたであろう容器を引き抜いた。


 そしていきなり。


 バシャア!


 皿の中身を観客にぶちまけた!

 金色の粉が溶け込んだ水を!


 文字通り頭を冷やされた男たちは、怒ることもせずキラキラに濡れたお互いの顔を見まわし、その滑稽こっけいな姿に思わず笑いだした。舌を伸ばして自分の口まわりを舐めた剽軽者ひょうきんものが、妖精の味がする!と叫んでさらに笑いを誘った。


 戦女神バルキリはテーブルの上の魔灯を掴み、その傘を広げて光量を最大にした。それは、かつてオルゲン一座で使われていた舞台用の魔灯を参考にクラインが改造し、「すぽっとらいと」と名付けたアイテムだった。


 パタン。


 いきなり衝立が前に倒れ、床に落ちた。すぽっとらいとに照らされて露わになったフェアリーの姿に、客たちが息を飲んだ。


「「「おおう……」」」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくで両手を広げ、挨拶のために頭を下げた妖精は……そこで自分の各所に目をやり、その悲惨な有様ありさまに気が付いた。まだ濡れた黒髪が張り付く細い首筋、白い胸元が開き、慌てて履いたであろうスカートが割れて白い太腿が覗く、あられもない姿を!


「きゃっ!」


 フェアリーがかん高い声で短い悲鳴をあげ、身を縮めてしゃがみ込んだ。よくやるニャ、とケットシー族が呟いたが、観客がゴクッと唾を飲み込む音に紛れて、その声は誰にも聞こえなかった。

 最前列の客のひとりが思わず立ち上がったが……


 シュルル……ゴン!


 赤毛娘が投げたシチュー皿を頭に受けて、ふらふらとまた座り込んだ。


 かつて、小さき者クラインは看破した。


 男が女のふりをしようとするとき最も気を付けるべきことは、仕草しぐさ、身体の動きである、と。


 美しいから、声が高いから、身体のかたちが違うから、女の恰好をしているから女に見えるのではない。そうではないのに魅力的な女もいるからだ。そして、動かない絵画や異世界の『しゃしん』は、偽ろうと思えばいくらでも偽ることができるのだ。


 しかし、仕草は違う。


 鈍重たる社会の決まりによって幼少より叩きこまれた仕草は、他の要因よりも見かけの性別を決定付ける。これは、異世界チキュウであろうがこの世界ナッハグルヘンであろうが変らない真実だ。


 もちろんある程度の容姿、または『遠目の効果』や魔意味ミーム等は必要だが、美少女の仕草をする者は、美少女に見えるのだ。


 ましてや、酔った男たちとっては。


 ナッハグルヘンでは、女に変態と思われる覚悟が無い男には、決して見ることの叶わない眺め……小さき者クラインが言う「らっきーすけべ」と呼ぶ光景に、海の男たちは心臓を矢で打ち抜かれたような衝撃を受けたのだった。


 次の瞬間。


 爆発するように金色の輝きが広がったかと思うと、再びフェアリーは両手を広げ、すぽっとらいとに照らされて堂々とそこに立っていた。その身なりは魔法を使ったかのように一瞬で整えられていた。しかしその顔は、慎みを忘れた恥ずかしさのあまり真っ赤だった。


「みなさん……」


 小さな可愛らしい声が響いた。

 たちまち店内は静まり返った。大げさな身振りと共に妖精は話し始めた。


「今日は来てくれてありがとう。あたしの名前はリーズィヒ。大森林の奥にある妖精の里で生まれました。ある日のこと、珍しい建物を見つけたあたしは、その屋上で昼寝してたら……何が起ったと思う?」


 フェアリーは観客の反応を確かめるかのようにそこで語りを区切り、問いかけるような仕草で動きを止めた。


「実はね、あたしが建物だと思ってたそれは……道に迷ったヒト族の早馬車だったの! あたしは寝てるあいだに人里に運ばれちゃって、帰れなくなっちゃった! ひどい、ひどい、ひどーい!」


 一転して、じたばたと幼児のように暴れ回る妖精に、観客たちは思わず爆笑した。


「そしてね、あたしは親切なヒトに拾われて、ヒトの世界を楽しんでたんだけど、美しきハイエルフ様が現れて、大森林に帰るように言われたの」


「「「ああ……」」」


 『美しきハイエルフ様』という危険な単語に、観客たちはぴくりと身体を震わせると、ため息のように声を漏らした。


「だから今は故郷に帰る旅の途中。センケーゲのみなさんに会えるのは今晩だけ。あたしとの時間、楽しんでくれたら嬉しいな。それじゃ、歌います! 『誰も知らない島』、聞いてください!」


 フェアリーは少し空中に浮かび上がり、祈るように指をからめ、目を閉じて歌い始めた。その歌唱力はお世辞にも上手とは言い難いものだった。妖精自身もそれを悟っているらしく、その頬がまた赤く染まっていた。しかし、懸命に歌うその姿を見た者は、異種族の小さな生き物が、けなげにも相手をもてなそうとする気持ちを感じたのだった。


 小さき者クラインがこの歌を選んだのは、望郷と海の意味が込められている歌詞と、素人でも歌いやすい旋律、というふたつの理由のみだった。


「誰も知らない島に……

 誰も知らない花が咲く……

 誰も知らない実が成って……

 誰も知らない旅をして……

 貴方のもとに流れ着く……」


 その歌は船乗りならば、そして吟遊詩人の演目をよく知っている者ならば、誰もが知っている古い歌だった。


 観客の中に、ひとりの現役の吟遊詩人がいた。彼の名はモルゲン。他の酒場で営業中だった彼は、好奇心に負けてドードー亭にやってきた。モルゲンは頼まれてもいないのに持っていたリュートをつまびいた。


 彼の魂に潜む衝動に、どうしても逆らえなくなったのだった。


「会ったことのない……

 貴方のもとに流れ着く……」

 

 その抒情的な詩歌は、本職のリュートの調べと下手くそでも愛らしい歌声と相まって、むさくるしい海の男たちの胸に沁みとおった。目を閉じて静かに涙を流す観客も少なくはなかった。


「いつか故郷に帰りたい……

 会ったことのない……

 貴方と共に……

 新しく成った実を抱いて……」


 悲しげな、希望と絶望が混ざった旋律が響いた。


「いつか故郷に帰りたい……

 あの、誰も知らない島へと……」





 しばらく余韻を残して妖精は動かずに浮かんでいたが、やがて静かに舞い降りて、深々と頭を下げた。


 パチパチパチ……!


 流行はやりに敏感な吟遊詩人モルゲンは、最近の王都で行われ始めた『拍手』で称えた。すると、周りの者たちも真似をして拍手をした。もちろん、船乗りの伝統的な足踏みにて称賛する者もいたのだった。


+++++++++++++


 ドードー亭の外席。


 ……パチパチパチパチ!

 ……ドンドンドンドン!


 行列に並んでいる者たちは、小さな店を文字通り揺るがす歓声と騒音を聞き、期待に胸を膨らませた。


 店の息子アルシュは、ますます長くなっていく行列に戦慄しながら、それでも喜びと共に注文の引き換え券であるリボンを売りさばいていた。


 ふと。


 隣の共同便所から、少女の悲鳴が聞こえたような気がした。しかし、その後に何も起きなかったため、アルシュは目の前の殺気だった男たちに意識を戻したのだった。


+++++++++++++


 店内、カウンターの中。

 そこもまた、外と同じく戦場だった。


 つまみと酒を用意するのは、アルシュの母ベトの役目だ。


 孤児たちが持ってくるリボンを受け取り、替わりに滞りなく品物を渡す。ひたすらそれを繰り返す。店の外の息子と同じく、今までしたこともない仕事量を懸命にこなし、恐れながらも喜びを持ってきりきり働いていた。


 ブの役目は、洗い物だった。


 孤児たちが回収した使用後の食器やジョッキはまず一番布で大まかに汚れをぬぐうと、大きな壺に溜めた一番水でジャブジャブ洗う。二番水ですすぎ、二番布でく。もちろん漉し布や飲み水は別だが、洗うのに使う布も水も基本的に替えない。一番布と一番水は、すぐに真っ黒になる。

 ナッハグルヘンは異世界チキュウの先進国では常識とされる衛生観念を、まだ持っていないのだ。


 最初のうち、ブは調理も手伝う予定だった。


 しかし、狭いカウンターの中でふたりが動いていれば、どうしてもローブの内側が見えてしまうときが来る。妖精の舞台に夢中な観客や、カウンターよりも背の低い孤児ならともかく、そばで働くベトには醜い真実を見られてしまうときが来るのだ。


 が判ってからは、ベトは急に口数が少なくなり、ブの担当は洗い物だけになった。何かの拍子にふたりの手が触れると、ベトはすぐエプロンで手をぬぐった。居酒屋の女主人の視線には、ブにはおなじみの毒が混じっていた。


 それでも、とブは思った。


 もともと、まなざしに毒が本当に混じらないヒトは、ご主人さまひとりだけ。マヌー様やフレーメさんですら、ほんの少しだけ毒があるのだ。ベトさんが毒を持っていたとしても、それは普通のヒトならば当たり前のこと。彼女は私がブだと判っても、ののしりもせずりもせず、手を拭うだけで洗うことまではしなかった。妖精の呪いを恐れているだけなのかも知れないが、必要としてくれている、頼りにしてくれている、そんな態度を崩さなかった。


 ブはベトを、優しいヒトだと思った。


 とても優しいヒトだと思った。



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 よしっ!


 正直言って、あたしは自分の歌唱力に不安があったけど……思わぬ援軍が現れたおかげで、どうやら大ウケしたらしい。


 う……嬉しいっ!

 芸人の喜び、これに尽きるよな~


 実はにはケネンがあった。オルゲン一座のときは舞台と観客席の間がそれなりに遠かった。でも、この店じゃそうはいかなかった。あのとき狙った「遠目の効果」が効かない恐れがあった。だからこそ、めちゃくちゃはじぃけど自然なエロ、つまり「ラッキースケベ」のパフォーマンスを入れてみたんだけど……


 効果はバツグンだったぜ!

 いったんエロっぽく見えたら、男なら完全に夢中になるもんな!


 さあっ、次はガンガン飛ばすぞぉ!

 意外性で勝負だぜ!


「ヤーッ!」


 あたしは掛け声をあげながら大バク転! 驚愕の声をバックに、あの超有名なポーズを構えた。あたしが何を歌おうとしているか瞬時に悟ったらしい見知らぬ吟遊詩人さんの目が見開かれた。が、すぐニヤリと笑い、あの超有名な前奏を弾き始めたではないか!


 判っとるねえ、キミ!

 いくぞっ!


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