あたしリーズィヒ。いまドードー亭にいるの。

 港町センケーゲのサビれた居酒屋、ドードー亭にて。


 俺たちが客寄せを引き受けると、店の馬鹿息子アルシュはおおいに喜び、また泣き出した。いいかげんにしろよ半グレのクセに。とりあえず店の奥へとゾロゾロ入る。


 中は前世の感覚でいうと5坪ちょっとくらい? 7、8人並べば一杯になるカウンター席と4人がけのテーブル席が2つだけ。狭い店だ……って俺って何様なにさまよ? 身長18センチの俺にとっては小学校の体育館並みの広さだ。


 テーブルを拭いてた熟女……少しやつれてる美人……が顔をあげた。事態に驚きながらも、彼女はアルシュの母親ベトと名乗った。


 無詠唱で変身!


 ブの胸元にいるまま妖精形態フェアリー・モードになったは飛び出した。店のテーブル上空でホバリングしながら、まずは可愛らしく挨拶だ。


「あたしは妖精のリーズィヒ。この連れのかたたちは、美しきハイエルフ様の命令で、あたしを故郷の大森林に帰す途中なんですぅ」


 適当に考えた設定を話すと、アルシュとベトさんの顔が引きつった。まあムリもない。ハイエルフがらみはアンタッチャブルだもんな。だからこそワザといきなりブチまかしたんだけど。


 そして、人寄せパンダならぬ人寄せフェアリーになるための条件を詰めた。詰めた……と言うより、こっちが一方的に要求を突きつけるだけなんだけどね~


「客を呼ぶやり方はあたしにまかせる。あたしたちの飲食代はタダ。協力は今晩だけ。あたしが止めると言ったらそこで終わり。あたしはお客さんたちに訊いてみたいことがあるので、それを邪魔しないこと。言うまでもないけど、酔っ払いからあたしを守ってね」


「お触りしてくるヤツがいたら、あたいがブッ飛ばすよ」


 そう言いながらフレーメがアルシュを睨んだ。ムキムキの半グレは身体を縮めた。


「それでケンカ祭りとか火事になっても、おいらたちは一切責任を負わないからそのつもりでニャ。他の店の客を取れば文句も言われるだろうけど、その覚悟はあるはずだニャ。それから……妖精の呪いは美しきハイエルフ様なみに恐ろしいから、こいつの扱いには充分気を付けるにゃ!」


 デカ猫マヌーの言葉に、居酒屋の母子はビクッと震えた。それそれ。さすがダチ公、ポイントを押さえてるぜ!


 よし、こんなもんか。


 さあ、これから忙しくなるぞ。あたしの中には、すでにプランが出来上がっていた。そうだ! どうせなら、そのロッホとか言うクソ冒険者にもひと泡吹かせてやりたい。


 おっと、可憐なる妖精あたしがクソなんて下品な言葉を使ってしまったわ。


 あたしは出来立てほやほやのプランをプレゼンする。みんなが目を丸くするのが愉快だぜ! すべての準備は、そう……今のなら10分、他の人に動いてもらうぶんも入れたら半刻、つまり一時間もあれば十分だ。


 パン!


 あたしは人形のように小さな手のひらを打ち合わせる。


「それでは皆様、レッ……行動開始!」


 レッツビギン!



<< normal size <<



 港町センケーゲの居酒屋通り。

 共同便所から最も離れた場所にある、とあるにぎわう居酒屋にて。


 突然、何の前触れもなく。


 酒盛りの喧騒と煙草の煙が渦巻く店内に、酔客たちが思ってもみなかった乱入者が現れた。


 それはとうてい信じられないことに、羽根の生えた小さな小さな女の子だった。ぽかんと口を開けた客たちを後目しりめに、彼女は金粉を撒き散らしながら店内をぐるぐる飛び回った。


 これは、まさか……!


妖精フェアリーだっ!」


「なんで、妖精なんで!?」


「妖精が来たぞ!」


 驚愕の叫びが響き渡るなか、妖精は店の中央、その天井近くで空中に静止すると、かん高い通る声……いままで聞いたこともないような可愛らしい声で言った。


「あたしは妖精のリーズィヒ。冒険者のロッホさんに頼まれて、今夜だけドードー亭にいるの。あたしにまた会いたいヒトは、いますぐドードー亭まで飲みにきてね!」


 それだけ言い終わると、妖精はふよふよと店の外へと飛び出していった。


 残された海の男たちは、お互いの顔を見回した。何だったんだ今のは。幻覚魔法か、それともセイレーンのごとく邪悪ないざないか……?


 それを確かめる方法は、ひとつしかない!


 酔客たちは一斉に勘定をテーブルに叩きつけると、我先に店を飛び出していった。後に残されたのは、店の店長と従業員と、早くも酔いつぶれた客だけだった。


「ロッホ……冒険者だと~!?」


 店長は丸めたエプロンを床に叩きつけた。その心の中には真っ赤な怒りが渦を巻いていた。


 冒険者ギルドにいくら払ってると思ってるんだ。なのに、こんな訳の判らない営業妨害をしやがって。妖精なんかどうでもいい。ロッホとかいう冒険者は絶対に許せない。顔役のホンゴに言いつけてやるからな!


 この夜。


 冒険者ロッホの命運は尽きたのだった。


+++++++++++++


 アルシュは不安そうな顔で、魔灯看板がずらりと並ぶ居酒屋通り、その果ての暗がりを見つめていた。これから客を連れてくる、と妖精は言って飛んでいったが、彼はまだ半信半疑だった。妖精がいる居酒屋に客がこないはずはない、と昼間の自分は確かに思ったが、まさか妖精自身が客引きに行くとは、いくらなんでも予想外だった。


「そろそろかニャ?」


 妖精の仲間、確かマヌーとか言う名前のケットシー族が呟いた。彼の勧めでアルシュは限界まで仕入れをした。もし妖精が客を連れてこれなかったら、母と子は仲良く並んで首を吊るだろう。


 マヌーは勝手に孤児たちも臨時雇いに引き入れていた。彼らへの報酬は小銭で十分だが、汚い孤児を居酒屋で働かせるのは問題だ。この雇用は断ろうと思ったアルシュだったが、店の裏に連れていかれた子どもたちは、髪も肌も幼気いたいけな艶を取り戻し、真っ白に洗われたボロ着に着替えて戻って来た。何をしたのかまるで判らないが、さすが妖精の仲間だけのことはある。


 アルシュは首にかけた品書きの板、肩にかけたカバンの中にあるリボンの束と父親の魔包財布をもう一度確認した。


 品書きにはたった5種類のアイテムしか書いていなかった。


妖精フェアリーの祝福つきポートワイン

妖精が吟味した泡無しエール

妖精さん大好き果実水

大森林ナッツ

裂き干し魚の妖精風


 それらに付けられた値段は、はっきり言ってボッタクリ価格だった。

 そして板の下半分には、妖精自身が描いた線画の自画像の隣に、大きな字で注意書きが書かれていた。その文章は妖精が噴き出した雲形の括弧に囲まれていた。


( 妖精を見るときには離れて見てね }


 これで準備は十分だ。でも……

 本当に客は来るのか?


 ドドドドドドドドド!


 アルシュがまたそう思ったとき、潮騒を割って地鳴りのような音が聞こえた。通りの向こうから、何ごとかを叫びながら大勢の男たちが走ってくる。看板に照らされるたび、ニンゲン族、ドワーフ族、ゴブリン族、むくつけき海の男たちの必死な顔が浮かび上がる!


「えっ、えーっ、まさか、あれ……」


「そのまさかニャ!」


 ドードー亭のすぐ隣の店から、例の妖精が飛び出てきた。いま最後の店を訪れていたのだ。客の津波は別の店を横切るたびに新たな客を引き入れて膨れ上がった。ずうずうしい妖精は居酒屋通りのすべての店から、ほとんどの客をっさらってきたのだった。


「後はまかせた!」


 アルシュの頭を踏んずけた勢いで内席の店内に飛び込みながら、妖精は怒鳴った。ケットシー族が妖精の後に続き四つ足で店内に駆け込んだ。


 そして、怒涛のごとき客津波が居酒屋の息子を弾き飛ばし……たりはしなかった。


身体強化ゾンダー・クアパー!」


 角うさぎアーマーを装備したあの生意気な弁当……戦女神バルキリが、丸椅子をエール・ジョッキのように持った両手を堤防がごとく広げて客津波を受け止めたのだ。丸椅子が粉々に砕け、男たちが蹴飛ばされたリンゴ樽の中身のようにゴロゴロと転がったが、津波の勢いは完全に止まった。


 そして赤毛娘はアルシュに顔を向けると、ニヤリと笑った。


 今だ!

 アルシュはリボンの束を振り回し、声の限りに叫んだ。


「先払い! 今日だけ先払いです! 妖精を見たかったら注文してください!」


 屈強な海の男たちは誰もケガひとつ負わずに起き上がったが、さすがに毒気を抜かれて大人しく行列に並び、カネと引き換えに様々な色のリボンを握らされた。運よく先頭集団になった者たちは、足だけになった丸椅子を行進音楽隊の指揮棒のように振り回す特職娘に誘導されて、それなりに行儀よく小さな店に入っていった。残りの客たちは外席に立たせられて行列、あふれた者たちは注文の行列に並んだのだった。


 そして、ドードー亭に入った男たちが見たものは……!



>> small size >>



 あたしは大急ぎで、ドードー亭の奥まで飛んでいった。


 ふたつ重ねたテーブルの上、紙を貼り合わせて作った白い衝立ついたての向こうに着地! デカ猫はひとつ目のテーブルに飛び乗った。ほんのしばらくの間、膝に手を置いて息をととのえる。それぞれの酒場で、しでかしたことで、あたしの顔は真っ赤になっているはずだ。


 ああ……


 はじぃよぉ。


 恥ずかしいのになぜやるんだ、と心の声が浮かび上がる。もちろんそれは、恥ずかしいからこそやるんだ。だからこそ他人にとっては面白いはずなんだ。ウケるはずなんだ……その想いは、初めて妖精フェアリーというネタを選んだときから、まったく変わってない。結果だって出してきたんだ。ハイエルフに殺されたヤビは「ネカマ」だなんて言いやがったけど。


 でも。


 まだまだ、だ。これからヤることは、もっともっと恥ずかしいぞ。それでもヤる。なんだからな。……あれ?


 もうすぐ。


 あたしにとっては巨人の男たちが、あたしにとっては体育館並みの広さの店を埋め尽くす。


 怖い、怖いよ。恥ずかしいよ。……だからこそ挑戦の価値がある。小さいが大きくなるためには、この程度は、ちょろっと軽く乗り越えなきゃいけないハードルなんだ。


 さあ、立ち上がれ。叫べ!

 恐怖を振り払って、とびきり恥ずかしい覚悟の言葉を叫べ!


「イッツ、ショータイム!」


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