もうひとりの俺っち
港町センケーゲを目前にして、走る馬車の屋根でくつろく
突然、俺っちのすぐ横に、白い影が立っていることに気付いた。ええっ、ネズミ感覚に反応しなかったけど、これって、俺っちと同じくらいの大きさの……
白ネズミ!?
あわてて、俺っちは飛び起き、白ネズミからさっと距離を取る。
うっ、こいつ……俺っちよりデカい!
横になっていたときは同じくらいの大きさと思ったけど、こいつの背丈……尻尾を除いて……は、たぶん20センチを越えるぞ。普通サイズに換算すれば、身長2メートル越えの不審人物と同じだっ!
おや?
こいつに気付いていなかったときならともかく、今は……俺っちの臆病なネズミ感覚が働いているはずなのに……この白ネズミから、敵意は感じられない。
わっ、こいつ
「王よ」
ネ、ネズミが喋った~!?
えっ、『王』って、俺のこと……?
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いつでも、どこでも。
どんな生き物であっても、生まれながらの『天才』は実在する。白い毛並みではあったがそれ以外はごく普通の街ネズミとして生まれた彼もまた、普通のネズミをはるかに超えた知能を持つ天才だった。おそらく、普通のヒト族の並みの天才すら超えるほどの。
ヒトがそうであるように、天才であることは必ずしも幸福を約束しない。あまりにも他者と違う自分、普通の喜びや悲しみを縁のないものとして感じてしまう自分に悩み続ける。そして、おのれの生まれた意味を、暗闇のなかに探し続けるのだ。
ヒトはそれを、孤独と呼ぶ。
彼の、ひとつめの不幸は、普通のネズミを
もし蔑むことが、嫌うことができたら、同胞を
賢きを誇るヒトが、ときにそうであるように。
産まれてすぐ、彼はヒト族に興味を持ち、こっそりとではあったが、その会話や文字……書物に没頭した。そして知ってしまった。彼の種族が、一方的に滅ぼされる対象、駆除される対象であることを。『神敵』とすら呼ばれていることを、知ってしまったのだ。
彼の、ふたつめの不幸は、同胞を拒むこの残酷なる世界を恨めなかったことだ。高すぎる知性は、ときに
いつでも、どこでも。
まことに賢きものは、おのれの愚かさを嘆く。そして、まことに愚かなものは、それを
ある日、ついに彼は見つけた。
彼が暮らす場所、ヒト族がハノーバと呼ぶ巨大な巣にて、とある奇妙なネズミを見つけた。そのとたん彼は、そのネズミから目が離せなくなった。
そのネズミは、妖精や、人形のようなゴーレム、果ては小さなニンゲン族に変身する能力を持ち、さらにヒト族を説得して、同胞が大挙して逃げ出したほどの大災厄すら収めた。何と恐るべきネズミだろうか!
ドクロの王冠を被ったそのネズミの名は、クライン。
白ネズミはその知性によって、クラインがネズミ感覚と呼んだスキルを極めていた。ネズミなら誰もが持つ、そのスキルの本来のちからは、未来の危機を感知することができるものだ。
彼はこう考えた。ならば、過去の出来事も見えないはずはない。
独自の修行の結果、ネズミ関係の出来事に限り、ぼんやりと曖昧な映像ではあったが、彼は未来と同じように過去を見通すことが可能になっていた。
彼は、クラインの過去を幻視した。
世界の支配種族たる美しきハイエルフ様と渡り合い、その耳を斬り落とした姿。天敵たる猫を乗りこなす姿。ネズミの上位存在たるモンスターに出会っても、ちゃんと生き残っている姿。幼少時には普通のネズミに殺されかけても、のちにやり返してその誇りを守った姿。
クラインが同胞たる他のネズミを殺したことは、彼は別に気にしなかった。むしろ好ましくさえ思えた。クラインはニンゲン族に変身することはあっても、他のニンゲン族のようにネズミを侮らなかったからだ。そして、強きもの賢きものが勝つのは自然の摂理なのだ。
彼は
ハノーバを出ても、彼は観察を続けた。気配を消して見守ることなど容易いことだった。三日前、彼は見た。クラインは武装したニンゲン族にすら立ち向かい、ただ一匹で正面から戦い、みごと打ち倒した。
これは、ヒト族がドラゴンを倒すことに匹敵するのではないのか。これは、ヒト族が呼ぶ英雄と称えるほどの快挙ではないのか。
ついに、彼は。
名もなき白ネズミは悟った。
このネズミこそ、この御方こそ、我ら同胞を導くもの。いつか、神敵という忌まわしき
そう。
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「そう。クライン様、いや、陛下こそ、我らが……
いやいやいやいや!
違うから!
そんなの、どこにもいないから!
ネズミの王様だなんて言われても、全然嬉しくないから!
……と、言えれば良かったんだけど。
俺っちは、気付いてしまったんだ。
こいつが身の上を話している最中に、こいつが……『もうひとりの俺っち』であることに、気付いてしまったんだ……
かつて俺は、こう思った。
もし、捨てられていた赤ん坊の俺を見つけたのが、
なぜなら俺は、
と。
だから俺は、ネズミになっていた可能性があった。こいつは俺だ。あくまで例え話だけど、ネズミになってしまった、もうひとりの俺のようなものなんだ。周りと違い過ぎるという、どうしようもない悩みを抱えた……
もちろん、俺はこいつほど頭は良くないけどさ。その点についてはちょっと話を聞いただけで判る。少しズレてるけど。
まあ、とにかく、そう思ったら……
こいつの言葉を茶化したり、バッサリ斬って捨てるなんてことは、もう俺にはできそうにもない。少なくとも、この白ネズミの、違い過ぎるものの孤独だけは、判ってやれるような気がするんだ。俺っちより大きいけど、ネズミだから小さいし!
あれっ、待てよ。
もし、こいつが本当に俺と似てるとこがあるのなら……
「まさか、お前も転生者か!?」
「テンセイシャ? ふむ。書物に散見される考えであるところの、魂が不変であり記憶を保持した生まれ変わりが実際に起こる、と仮定した上で、同一世界の過去からの転生の場合では記憶が優位性たり得ないことを考慮すると、陛下ご自身がナッハグルヘン以外の異世界から転生なさった存在であることが伺われるご質問ですが……拙者につきましては、転生者であるという記憶はありません。拙者は、現在拙者が認識する限り、この世界で生まれ育った街ネズミです」
げえーっ、こいつ、今の俺っちの問いかけだけで、俺が異世界転生者だって見抜きやがった!
油断ならないヤツだぜ!
「な、なあ、俺っちのことを王だと言ったよな。じゃあ、お前は結局、王様である
俺っちに何をしてもらいたいんだ?」
「すべては陛下の御意志のままに。ただ王としてふるまわれることだけが、拙者の望みであります」
「へえ……」
なんだか、ちょっと意地悪な気持ちが湧いてきたぜ。
「じゃあさ、俺っちが、みんな死ねと命令したら死ぬのか? ハノーバで見た行進みたいに、列をなして崖から海に飛び込め、って言ったらそうするのか?」
「おお……!」
白ネズミは感嘆の声をあげた。えっ?
「確かにそれは救いのひとつです。誘因物質や噂話を駆使すれば、簡単に実行できる。……その策は考えたこともなかった。さすがは陛下!」
「待て待て待て、ちょっーと待て! 冗談だってば! そんなことされたら、寝覚めが悪すぎるだろ!」
あ。
変だ。
俺っちの、考えかたが変になってる。
寝覚めが悪い、だって? ネズミなんかどうでもいいと思ってたはずなのに……いやむしろ、絶滅しろ、ぐらいに思ってたのに……俺っち、なんか影響されてる? まさか、
今の俺っちって、ネズミの王様にならなきゃいけない……そんな妙な義務感持ってないか?
こいつの利用価値は計り知れないけど、デメリットが酷すぎる。関わりあったらホントに王様にされちゃう予感がビンビンだ。
おいおいおいおい、そんなヒマないぞ! リーズも助けられなくなる! いったいどうしたら……
そうだっ! いい考えが浮かんだ!
「えーと、お前は……そうだ、不便だからまずお前の名前をつけやろう。お前は……そうだな、シロカゲと名乗れ」
「身に余る光栄であります。シロカゲ……なんという良き名……」
「シロカゲ。正直言って俺っちには、まだ王としての自覚が足りない。ひょっとして死ぬまで本物の
「御意」
白ネズミの巨体?が、ふっと消えた。
うまくいったぜ。
ありとあらゆる事態に対応する大人の知恵、ヒトはそれを『棚上げ』と呼ぶ!
まあ、これで……普段の俺を見て、愛想をつかしてくれたら助かるんだけどな~
あ、潮の香りがする。
港町センケーゲはもう近い。
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